第70話:地下鉄への道
戦利品を持ち帰った男たちの背中は、いつだって少しだけ煤けているものだ。
たとえその戦利品が、金銀財宝ではなく、半分黒焦げになったドローンの残骸であったとしても。
「……解析完了。ビンゴだよ、ボス」
遺失物管理センター、地下一階・メインオフィス。
薄暗い部屋の中で、七色ネオンの声だけが微かに響いた。
彼女は今、積み上げたサーバーラックの隙間に作られた「コクピット」――自分だけの安全地帯に埋まり、高速でキーボードを叩いている。
パパパパパパッ! ッターン!
その指先の動きは、ピアノの名演奏家か、あるいはカフェイン中毒のタイピストかという速度だ。
複数のモニターには、ドローンの回路図、通信ログ、そして複雑な3Dマップが目まぐるしく表示されている。
「こいつ、機体のシリアルナンバーは削り取られてるけど、通信モジュールの『癖』までは隠せてない。……発信源はここ」
ネオンが眼鏡のブリッジを中指で押し上げ、エンターキーを叩く。
中央のメインモニターに、渋谷の地下構造図が映し出された。
赤く点滅するマーカーは、現在地から北へ2キロ。複雑に入り組んだ地下鉄網の、さらに深層を指し示している。
「旧・地下鉄銀座線、第4整備用トンネル。……30年前のダンジョン発生時に崩落事故が起きて、そのまま廃棄された『封鎖区画』……」
「なるほどな。幽霊が出るって噂の廃線跡か。悪党がアジトにするにはおあつらえ向きだ」
ジンは、パイプ椅子にドカッと座り、インスタントコーヒーを啜った。
湯気越しに見る彼の目は、獲物を見つけた狩人のように鋭くなっている。
「で、どうやって入る? 正面玄関からピンポンして入るわけにゃいかねぇだろ」
「……うん。このエリア、物理的な入り口はコンクリートで埋められてる。でも、換気ダクト経由で侵入できるルートが一箇所だけある。ただし……」
ネオンは言葉を濁し、視線を泳がせた。
彼女の指が、キーボードの上で迷うように止まる。
「……そこ、セキュリティが異常だよ。物理的な鍵じゃなくて、軍用レベルの電子ロック(スマート・ロック)が何重にも掛かってる。たぶん、ハッキングなしじゃ扉一枚開けられない」
「ほう。つまり?」
ジンがカップを置く。カチャン、という音が、ネオンの心臓を跳ねさせた。
「つまり……『鍵開け』が必要ってことだろ」
「……うん。遠隔じゃ無理。現地の回線に直結しないと突破できない」
「オーケー、話は早い」
ジンは立ち上がり、壁に立てかけてあったデッキブラシを手に取った。
そして、ネオンの方を向いて、ニカっと笑う。
「行くぞ、引きこもり。遠足の時間だ」
その瞬間。
ネオンの顔色から、血の気が引いた。
サァァァ……という音が聞こえるほど急速に、彼女は蒼白になり、ガタガタと震え始めた。
「……え? あ、いま、なんて?」
「だから、行くぞって言ってんだよ。現地集合現地解散なんて洒落た真似はしねぇ。お前も連れて行く」
「い、いやいやいや! 無理無理無理無理!」
ネオンは弾かれたように椅子から飛び退き、オフィスの太い柱にしがみついた。まるで、台風の日に電柱にしがみつくセミのように必死だ。
「私、外に出るとHPが毎秒減る呪いにかかってるの! 太陽光(紫外線)を浴びると皮膚が溶けるし、外気を吸うと肺が爆発するし、何より三次元の人間と目が合うと石化して死ぬのぉぉぉ!」
「嘘をつけ嘘を。お前は吸血鬼かメデューサかどっちだ」
「どっちでもいい! とにかく無理! 私はここの守護神! 自宅警備員! ここから一歩でも出たらアイデンティティが崩壊する!」
ネオンの悲鳴がこだまする中、ジンの胸ポケットに入れた通信端末から、呆れ返ったような声が響いた。
『……見苦しいわよ、ネオン。アンタのその「引きこもりスキル」は認めるけど、今回はアンタの技術がないと詰むのよ』
アリスだ。
彼女は現在、別ルートで情報収集に当たっているが、通信で状況をモニタリングしているらしい。
『いい? あの扉は物理攻撃じゃ壊せない特殊合金製よ。アンタがハッキングして開けるしかないの。……それとも、あのハゲタカおじさんに無理やりこじ開けさせて、警報鳴らしまくって敵の大群に囲まれたいわけ?』
「うぅ……それは嫌だけど……でもぉ……!」
ネオンは柱に頬をすりつけ、涙目で首を振る。
その姿は、予防接種を嫌がる小学生そのものだ。ネット上では「神」を自称するハッカーも、リアルではただの虚弱な少女に過ぎない。
「……分かった。無理強いはしねぇ」
ジンがため息をつき、歩み寄ってくる。
ネオンは「あ、分かってくれた?」と表情を明るくしたが、それは甘い勘違いだった。
「荷物は少なめがいいな」
次の瞬間。
視界が反転した。
ジンは無造作にネオンの腰を掴み、米俵でも担ぐかのように、ひょいと肩に担ぎ上げたのだ。
「ぎゃあああああ!? 浮いてる!? 地面が遠い!? 離せセクハラ親父ぃぃぃ! 訴えてやる! ネットで炎上させてやるぅぅぅ!」
「はいはい、炎上は得意だもんな。ほら、パソコン忘れるなよ」
「私のPCぃぃぃ! あ、待って、マウス! マウスも持ってくからぁぁぁ!」
ジンの肩の上でジタバタと暴れるネオン。
ジンは意にも介さず、片手で彼女を押さえつけ、もう片方の手でデッキブラシを持ち、悠々とセンターの出口へ向かった。
背後で、幽霊のマシロが「あはは! ドナドナだー! 子牛が売られていくー!」と手を叩いて笑っていた。
***
地下鉄○×線、宮益坂方面改札口。
かつては多くの通勤客で賑わったであろうその場所は、今は立ち入り禁止の黄色いテープと、バリケードで厳重に封鎖されていた。
埃っぽい空気。ネズミの死骸の臭い。そして、どこからか聞こえる水滴の落ちる音。
ジンはテープをくぐり抜け、照明の落ちた薄暗い階段を降りていく。
その背中には、すっかり大人しくなった(というより、乗り物酔いでグロッキーになった)ネオンが張り付いている。
「……うぷ……気持ち悪い……。揺れすぎ……サスペンション調整してよ……」
「文句言うな。自分の足で歩かねぇお前が悪い」
ジンはネオンを地面に下ろした。
彼女は生まれたての子鹿のように足を震わせ、その場にへたり込む。
「……ここ、どこ……? 地獄……?」
「ある意味な。ここは『リアル・ダンジョン』だ」
ジンが懐中電灯を点けると、その光が地下空間の闇を切り裂いた。
そこは、AR(拡張現実)で装飾されたきらびやかな渋谷とは対極の世界だった。
壁一面を覆うスプレーの落書き。不法投棄された冷蔵庫やタイヤの山。天井からは太いケーブルが垂れ下がり、足元には空き缶や吸い殻が散乱している。
データの魔法がかかっていない、剥き出しの現実。
都市の代謝から取り残された、冷たくて汚い臓器の一部。
「……臭い。カビと、鉄錆と、あと何か……腐った甘い匂いがする」
「お前の好きなエナジードリンクの成れの果てだろ。ほら、行くぞ」
ジンが先を促すが、ネオンの足取りは重い。
重いどころか、3分歩いただけで限界を迎えていた。
「……はぁ……はぁ……ちょっと、タイム……。心拍数160超えた……有酸素運動……死ぬ……」
「まだ入り口から50メートルも進んでねぇぞ。お前の心臓は綿菓子で出来てんのか」
「うるさいなぁ……! 現代人の運動量は、指先のストローク数で決まるの……! 私は毎日フルマラソン並みにタイプしてるんだから……!」
ぜぇぜぇと肩で息をするネオン。その額には脂汗が滲み、眼鏡が白く曇っている。
彼女にとって、平坦な道を歩くことすら「クエスト」なのだ。
その時、ジンのポケットからマシロがふわりと飛び出した(スマホ画面からホログラムとして投影されている)。
「もー! 情けないわねネオンちゃん! もっとシャキッとしなさいよ!」
「……うるさい、幽霊……。物理法則を無視してる奴に言われたくない……」
「何よ! あんたの推しのアイドルグループ『電脳少女隊』のミキちゃんだって、ツアー中は毎日これくらい歩いてるのよ! 推しと同じ苦しみを味わえるなんてご褒美じゃない!」
「……っ!?」
その言葉に、ネオンの眼鏡がキラリと光った。
単純なオタク心理を突かれ、枯渇していたはずのHPバーが少しだけ回復する。
「……そ、そうだね……ミキちゃんも、この重力と戦っている……。これは聖地巡礼……いや、擬似体験……!」
「扱いやすい奴だな」
ジンが呆れていると、前方の闇から「グルルル……」という低い唸り声が聞こえた。
光を向けると、廃棄された車両の陰から、赤い目が二つ、四つ、六つと光っている。
ジャイアント・ラット。
ダンジョンの魔素を吸って肥大化した、中型犬ほどの大きさがあるドブネズミだ。鋭い前歯は、鉄パイプすら噛み砕く。
「ひぃッ!? ネ、ネズミ!? デカい! キモい! 無理!」
「下がってろ。……汚ねぇ客引きだこと」
ネオンが悲鳴を上げてジンの背中に隠れる。
ジンはため息をつきながら、デッキブラシを構えた。
ネズミたちが一斉に飛びかかってくる。
その動きは速い。だが、ジンにとってはスローモーションだ。
「邪魔だ」
一閃。
ブラシの穂先が正確にネズミの鼻先を捉え、叩き伏せる。
ドゴッ! バシッ!
最小限の動きで、襲い来る三匹を次々と壁に叩きつけ、ゴミの山へと沈めていく。
戦闘時間、わずか三秒。
「……す、すごい……。フレームレートが見えなかった……」
「ただの掃除だ。……さて、着いたぞ」
ネズミの群れを蹴散らした先。
トンネルの最深部に、その「扉」はあった。
かつての保線用通路を塞ぐ、巨大な鋼鉄のゲート。
だが、異様なのはその表面だ。
扉の前には、蜂の巣状(ハニカム構造)の光の壁――強力な電磁シールドが展開されている。空気がビリビリと震え、近づくだけで肌がヒリつくほどの高出力だ。
「……うわぁ。ガチじゃん」
ネオンが息を呑む。
ジンは試しに、辺りに落ちていた石ころを投げつけた。
バチィッ!
石はシールドに触れた瞬間、青白い閃光と共に弾け飛び、粉々になった。
「……硬いな。物理無効(物理耐性100%)ってやつか」
ジンは肩をすくめ、後ろに隠れている少女を振り返った。
「さて、ここからがお前のターンだ、名探偵。……あの扉、こじ開けられるか?」
ネオンは、目の前にそびえ立つ光の壁を見上げた。
その向こう側には、自分たちを狙う敵がいる。未知の脅威が待っている。
怖い。帰りたい。布団にくるまってグミを食べたい。
でも。
彼女は、ジンが背負っている「覚悟」を知っている。
彼がボロボロになりながら、自分たちのような「はぐれ者」を拾い集め、守ろうとしていることを知っている。
なら、ここで逃げるわけにはいかない。
家賃分くらいは、働かなければ。
「……やれるか、じゃないよ」
ネオンは深呼吸をし、リュックから愛用のノートPCを取り出した。
その手はまだ震えている。だが、眼鏡の奥の瞳には、確かなハッカーの火が灯っていた。
「……私がやるしかないの。……接続開始」
彼女はその場にあぐらをかき、コンクリートの床にPCを置いた。
ケーブルを扉の制御パネルに突き刺す。
瞬間、画面に膨大な文字列が滝のように流れ始めた。
リアル・ダンジョンの最深部で、引きこもりの少女の戦いが幕を開ける。




