第62話:おじさんの説教(物理)
「感動の再会」というやつには、大抵の場合、野暮な邪魔が入るのが世の常だ。
映画ならここでエンドロールが流れてハッピーエンドだが、現実はそう甘くない。なぜなら、俺たちはまだ敵陣のど真ん中にいて、俺はただの鉄パイプを持った清掃員で、ヒロインは病み上がりの泥棒猫だからだ。
「――いたぞ! 指揮車だ!」
「囲め! ネズミ一匹逃がすな!」
壊れたドアの向こうから、怒号と足音が津波のように押し寄せてくる。
紅蓮騎士団の増援だ。
外でレオ(全裸)と戯れていた連中が、夢から覚めて戻ってきたらしい。あるいは、新たな部隊が到着したか。
どちらにせよ、今の俺たち――魔力切れの幽霊、武器のない俺、瀕死から蘇生したばかりのガキ、そして医療器具を片付けている変態――で相手にするには、いささか荷が重すぎる数だ。
「……チッ。余韻に浸る時間もなしかよ」
俺、黒鉄ジンは、鉄パイプを構え直し、舌打ちをした。
アリスはまだ、俺の作業着の裾を掴んで呆然としている。その手は小さく震えていた。
「立てるか、クソガキ」
「……う、うん」
「なら走れ。……お前をここまで迎えに来るのに、俺たちがどれだけガソリン代と修理費をかけたと思ってる。ここで捕まってチャラにされたら、末代まで呪うぞ」
俺は憎まれ口を叩きながら、アリスの背中を叩いた。
それが合図だった。
彼女の瞳に、少しだけ生気が戻る。
「ジン君。逃げるのは構わないけど、退路がないよ?」
薬師寺ヤクモが、アタッシュケースを閉じて涼しい顔で言った。
彼は足元に転がる敵兵(気絶中)のポケットから財布を抜き取りながら、指揮車のモニターを指差した。
「外は完全に包囲されている。……正面突破は自殺行為だねぇ。ボクの貴重な『蘇生薬』も、もう在庫切れだ」
「……分かってるよ」
俺は室内を見渡した。
出口は一つ。だが、そこは敵で埋め尽くされている。
壁は分厚い装甲板。鉄パイプで殴ったところで、穴が開くのに何年かかるか分からない。
詰みか?
いや。
俺たちにはまだ、最高に頭の悪い「切り札」が残っているはずだ。
「……おい、ツムギ! 生きてるか!?」
俺はインカム(マシロのスマホ)に向かって怒鳴った。
『はいはーい! こちら現場のツムギです! 現在、敵の密集地帯で「人間ボウリング」を楽しんでまーす!』
能天気な声と共に、ドガン! バコン! という景気のいい爆発音が聞こえる。
「遊んでんじゃねぇ! 退路だ! ここから一番近い壁をぶち抜いて、出口を作れ!」
『えぇー? 壁ですかぁ? 手持ちの火薬、もう「湿気ったねずみ花火」くらいしかないんですけどぉ……』
「知恵を使え! 工夫しろ! お前は爆弾魔だろ!?」
『むぅ……。先輩が無茶振りするぅ……。……分かりました! 「構造計算」と「連鎖爆破」でなんとかします! 座標送ってください!』
俺はマシロに目配せをした。
マシロが即座に座標データを送信する。
『ロックオン! ……あ、先輩たち、壁から離れててくださいね? 「微調整」が効かないので、ミンチになっても責任持てませんから!』
「物騒なこと言ってんじゃねぇ!」
俺はアリスとヤクモの首根っこを掴み、部屋の中央――元・団長の肉体の陰へと飛び込んだ。
肉壁だ。こいつの脂肪と筋肉なら、多少の爆風は防げるだろう。
「3、2、1……オープン・ザ・ドアッ!!」
ツムギの歓声と共に。
ズドォォォォォォォォン!!!!!
世界が揺れた。
指揮車の右側面の壁が、内側へ向かってではなく、外側へと弾け飛んだ。
正確には、外壁の留め具だけをピンポイントで爆破し、装甲板そのものを「扉」のように吹き飛ばしたのだ。
「……やりやがった」
舞い上がる粉塵。
ぽっかりと空いた大穴の向こうに、ダンジョンの暗い天井と、サーチライトの光が見える。
そして。
キィィィィィィィン!!
耳をつんざくスキール音と共に、黒い影が飛び込んできた。
タイヤを白煙させ、車体をドリフトさせながら、強引にその穴へと突っ込んできたのは――俺たちの愛車、霊柩車『ブラック・スワン号』だ。
「お迎えにあがりましたぁぁぁッ!!」
運転席の窓から、ツムギが身を乗り出して手を振っている。
車体はボコボコ、バンパーは外れかけ、ボンネットからは蒸気が噴き出しているが、そのエンジンの咆哮は、地獄の番犬のように力強かった。
「乗れェェェッ!!」
俺は叫んだ。
ヤクモがアタッシュケースを放り込み、自らも滑り込む。
俺はアリスを抱え上げ、スライドドアが開いた後部座席へと放り投げた。
「きゃっ!?」
「ぐぇッ!?」
アリスが誰か(たぶんヤクモ)の上に落ちる音がしたが、構っていられない。
俺も続いて飛び乗る。
「逃がすな! 撃て! 撃てぇぇぇッ!」
背後で、ようやく事態を把握した騎士たちが殺到してくる。
無数の魔法弾が、開いた穴から車内へと降り注ぐ。
「マシロ! 出せ!」
『言われなくても! 舌噛むわよ!』
ナビ席のスマホが叫ぶと同時に、霊柩車がロケットスタートを切った。
キュルルルル……ドンッ!!
タイヤが地面を噛み、車体が跳ねる。
指揮車の壁をさらに破壊しながら、鉄の巨体は外の世界へと躍り出た。
***
車内は、カオスだった。
揺れまくるサスペンション。飛び交う荷物。そして、密集したむさ苦しい男たち(一名除く)の熱気。
「いッ!? 痛い! 誰かの膝が脇腹に!」
「おやおや、密着度が高いねぇ。これが『吊り橋効果』というやつかい?」
「うるせぇヤブ医者! そこどけ!」
俺はアリスを座席に座らせ、自分もその隣に倒れ込んだ。
息が切れている。
全身が痛い。
だが、安堵感で力が抜けていく。
窓の外を、爆発と炎が流れていく。
ツムギが最後にばら撒いた「置き土産(時限発火装置)」が、敵の追撃を阻んでいるのだ。
「……ふぅ」
俺は天井を仰いだ。
終わった。
長かった夜が、ようやく明けようとしている。
「……あの」
隣で、小さな声がした。
アリスだ。
彼女は膝の上で手を組み、小さくなっていた。
その瞳は、不安げに俺を見つめている。
「……なんで」
「あ?」
「なんで、助けたのよ」
アリスの声が震えた。
責めているようにも、縋っているようにも聞こえる、弱々しい声。
「あたしは……泥棒だよ? あんたたちを騙して、ハサミを盗んで、罠にはめて……。敵なんだよ?」
彼女は自分の手を見た。
その手は、たくさんの物を盗んできた、汚れた手だと思っているのだろう。
「置いていけばよかったじゃん。……自業自得だもん。ゴミはゴミ箱へ、でしょ? なんで……わざわざ命がけで……」
言葉が続かない。
理解できないのだ。
損得勘定で動く「大人」の世界において、自分のような無価値な人間に、これほどのコストをかける意味が。
「……はぁ」
俺は深いため息をついた。
めんどくせぇ。
説明するのがめんどくせぇ。
だが、ここで逃げたら、こいつは一生「自分はゴミだ」と思い込んだまま生きることになる。
俺は無言で手を伸ばした。
アリスがビクリと身を縮める。
殴られると思ったのかもしれない。
俺は、彼女の額に、中指を当てた。
そして、親指で弾く力を溜める。
「……え?」
パチンッ!!
乾いた音が、車内に響いた。
デコピンだ。
それも、手加減なしの、骨に響くやつ。
「いったぁぁぁぁッ!?」
アリスが額を押さえてのけぞった。
涙目で俺を睨む。
「な、なにするのよ! 痛いじゃん!」
「痛ぇか?」
俺は意地悪く聞いた。
「当たり前でしょ! 石頭!」
「……痛いなら、生きてるってことだ」
俺は言った。
ぶっきらぼうに。飾らずに。
「いいか、ガキ。よく聞け。……俺たちは『遺失物管理センター』だ。落とし物を拾うのが仕事だ」
「……だから?」
「お前は、落ちてたんだよ」
俺は、窓の外の闇を指差した。
「誰にも拾われず、誰にも見向きもされず、雨の中でずぶ濡れになって……。5年前の俺みたいにな」
アリスが息を呑む。
「俺はな、お前を助けたんじゃねぇ。……ただ、自分のテリトリーに落ちてた『迷子』を、無視して通り過ぎるのが寝覚めが悪かっただけだ」
俺はアリスの頭に、乱暴に手を置いた。
そして、グシャグシャとかき回す。
「盗んでいいのはな、自分の心を満たすものだけだ。……命まで盗まれるようなドジは踏むな。二度とな」
それは、説教だった。
理屈もへったくれもない、ただの感情論。
でも、それが俺の、そして「掃除屋」としての、精一杯の答えだった。
アリスの目が、大きく見開かれる。
そして、みるみるうちに潤み、ダムが決壊するように涙が溢れ出した。
「……う、うぅ……」
声が漏れる。
我慢していた嗚咽が、せきを切ったように溢れ出る。
「うわぁぁぁぁぁぁぁん!! おじさぁぁぁぁん!!」
アリスは俺の胸に飛び込み、子供のように泣きじゃくった。
汚れた作業着に顔を埋め、鼻水をすりつけ、全身で「生」を叫ぶように。
「怖かったぁぁ! 死ぬかと思ったぁぁ! ごめんなさぁぁぁい!」
「……おう。よしよし」
俺は、ぎこちなく彼女の背中を叩いた。
温かい。
この体温。この重み。
これを取り戻すために、俺たちは走ったんだ。
悪くない。……少なくとも、300万の報酬よりはずっと、マシな重さだ。
「……よかったケロ……」
その時、足元から湿っぽい声がした。
見下ろすと、ヤクモが抱えていたビーカーの中で、一匹の奇妙な生物が泳いでいた。
黒く、ぬるりとした流線型のボディ。
手足はあるが、背中には尾びれ。
オタマジャクシだ。
薬の副作用で退化してしまった、元・白銀の騎士レオの成れの果て。
「……ううっ、感動したケロ……! 騎士として……本望だケロ……!」
オタマジャクシ(レオ)が、小さな目から涙を流し、ビーカーの塩分濃度を高めている。
「お前……その姿でいいのか?」
「構わんケロ! ……姿は変わっても、魂は騎士だケロ! それに……水の中は意外と快適だケロ」
「適応力高すぎだろ」
俺は苦笑した。
どいつもこいつも、バカばっかりだ。
でも、このバカたちがいなければ、俺はとっくに野垂れ死んでいただろう。
「……さて」
俺は顔を上げた。
運転席のツムギが、バックミラー越しにニカッと笑う。
「先輩! そろそろ『フィナーレ』の時間ですよ!」
「おう。派手にな」
ツムギがスイッチを押す。
ドゴォォォォォォォォォォン!!!!!
後方で、紅蓮騎士団の指揮車を中心としたエリア一帯が、盛大に爆発した。
赤、青、緑、黄色。
ただの爆発ではない。ツムギ特製の「花火」が混ざった、極彩色の爆炎だ。
夜空に大輪の花が咲き、俺たちの脱出劇を祝福するように輝く。
「た~まや~!!」
「うるせぇよ! 鼓膜破れるわ!」
霊柩車は爆風を推進力に変え、ハイウェイを疾走する。
窓から入ってくる風は、もう冷たくなかった。
朝の気配を含んだ、生ぬるく、そして清々しい風。
俺は、胸元で眠り始めたアリスの頭を、もう一度だけポンと叩いた。
「……帰るぞ。俺たちの家に」
アンラッキー・カルテットの夜は終わった。
借金は増えた。
ハサミは壊れた。
敵は増えた。
けれど、俺たちの「家族」が一人増えたなら、まあ、今夜の収支は黒字ってことにしておいてやるか。
俺は目を閉じ、揺れる車内で、泥のように眠りに落ちていった。




