第59話 全裸のマント騎士
「――撃て! 何をしている、早く撃てェェェッ!!」
紅蓮騎士団の副隊長が、飛び散る唾も構わず絶叫した。
場所は、ダンジョンB3Fの廃棄区画『鉄屑の墓場』。
無数のコンテナが迷路のように積み上げられたその広場は今、魔法の閃光と、怒号と、そして何とも言えない「困惑」という名の粘着質な空気に包まれていた。
彼らが対峙しているのは、軍隊ではない。
ドラゴンでも、凶悪な魔獣でもない。
たった一人の、男だった。
爆煙を背負い、逆光の中に浮かび上がるそのシルエットは、神々しいまでに完璧だった。
黄金の髪は夜風にさらさらとなびき、宝石のような碧眼は鋭い眼光を放ち、ギリシャ彫刻も裸足で逃げ出すほどの均整の取れた筋肉美が、月明かりを弾いて白磁のように輝いている。
その立ち姿は、まさに絵画の中から抜け出してきた英雄そのものだ。
ただし。
その身に纏っているのは、腰に巻いた真紅のマント一枚のみ。
それ以外は、生まれたままの姿――すなわち、全裸だった。
「待たせたな! ここからは僕の独壇場だ!」
男――剣崎レオは、敵陣のど真ん中で仁王立ちし、高らかに宣言した。
そのポーズは英雄的でありながら、露出狂としての風格も漂わせている。
マントが風にはためくたびに、敵兵たちの視線が「見てはいけないもの」を見ないように、必死に泳ぐ。
「ひぃッ! こっち向くな!」
「目が! 僕の純潔な網膜が汚されるぅぅ!」
「隊長! 照準が合いません! モ、モザイクが必要です! 誰かモザイク魔法を使える奴はいないのか!?」
騎士団はパニックに陥っていた。
彼らは訓練された精鋭だ。ドラゴンだろうがキマイラだろうが、眉一つ動かさずに迎撃できるだけの胆力を持っている。
だが、「全裸のイケメンが光速で突っ込んでくる」という事態に対する対処法は、軍規のどこにも、いかなる戦術書にも載っていなかったのだ。
未知の恐怖。
あるいは、生理的な拒絶反応。
「フハハハッ! どうした、攻めてこないのか?」
レオは不敵に笑い、地面に落ちていた敵の剣を足先で器用に跳ね上げ、空中でパシッと掴んだ。
その動作一つとっても、無駄がなく洗練されている。
だが、その背中には、冷や汗がびっしょりと流れていた。
(……あと2分! 残り時間あと2分だケロ! 早く終わらせないと、この姿のまま魔法が解けて、伝説の変態として末代まで語り継がれてしまうケロ!)
彼の内面では、騎士としての高潔なプライドと、社会的な死への恐怖が、核融合のような激しさでせめぎ合っていた。
恥ずかしい。死ぬほど恥ずかしい。
今すぐ穴があったら入りたい。いや、穴を掘って埋まりたい。
だが、今の彼に穴を掘っている時間はない。
あるのは、この恥辱を「速度」に変換し、誰の目にも止まらぬ速さで敵を殲滅することだけだ。
「来るぞ! 魔法部隊、一斉射撃! あいつを蒸発させて、この悪夢を終わらせろ!」
副隊長の号令と共に、数十人の魔導士が杖を掲げた。
炎、雷、氷。
致死性の魔法弾が、雨あられとレオに降り注ぐ。
逃げ場はない。防御する鎧もない。
普通なら、消し炭になる場面だ。
だが。
「甘いッ!」
レオは地を蹴った。
その初速は、音速を超えていた。
ヒュンッ!!
魔法弾が着弾するより早く、レオの体は既にそこにはなかった。
彼は爆風の中を突っ切り、炎の幕を切り裂いて疾走する。
その動きは、まるで風そのものだ。
「なっ、速い!?」
「バカな! 鎧も着ていない生身で、なぜこれほどの機動力が!?」
「その通りだ! 今の僕は……『空気抵抗ゼロ』なのだからなッ!」
レオは独自の(そして科学的に微妙な)理論を叫びながら、戦場を駆け巡った。
重い鎧を脱ぎ捨て、衣服による摩擦係数を極限まで減らした究極のフォーム。
風が肌を滑る。
全身から噴き出す冷や汗が極上の潤滑油となり、空気の壁をするりと抜けさせる。
速いのではない。
「見えない」のだ。
なぜなら、敵兵たちが無意識に「直視すること」を避けているからだ。
人間の脳は、あまりにも衝撃的な映像(全裸の突撃)を捉えた時、自己防衛のために視覚情報をシャットダウンする機能がある――のかもしれない。
「『白銀流・絶対不可視領域』ッ!」
ズバァッ!
すれ違いざまの一閃。
レオが通り過ぎた後、数秒遅れて衝撃波が発生する。
魔導士たちの杖が、そしてベルトが、次々と切断されていく。
「あ、あれ? ズボンが……」
「キャーッ! 私のローブが!」
「パンツ! パンツだけは斬らないでぇぇ!」
魔法部隊が崩壊する。
レオは止まらない。
彼は戦場をスケートリンクのように滑りながら、次々と敵を無力化していく。
殺しはしない。
ただ、自分と同じ「恥辱」を味わわせることで、戦意を喪失させていくのだ。
これぞ、騎士道精神に則った(?)慈悲深い戦法である。
「見るな! 僕を見るなァァッ!」
叫びながら剣を振るうその姿は、羞恥心と闘争本能がカクテルされた、一種の芸術的な狂気だった。
腰のマントが、物理法則を無視した動きではためく。
めくれそうでめくれない。
見えそうで見えない。
そのギリギリの攻防が、敵に極限のストレスを与え、精神を摩耗させていく。
「ええい、埒が明かん! 接近戦だ! 囲んで叩き潰せ!」
業を煮やした重装歩兵部隊が、盾を構えて突進してくる。
巨大なハンマーや斧を持った、パワータイプの騎士たちだ。
彼らは目を閉じ、あるいは薄目を開けて、決死の覚悟で包囲網を縮める。
「囲んだぞ! もう逃げられん!」
「観念しろ、変態!」
四方八方からの同時攻撃。
逃げ場はない。
いかに速くとも、物理的に空間を埋められれば回避は不可能だ。
だが、その時。
戦場の隅、コンテナの上から、楽しげな声が響いた。
「おやおや、寄ってたかって野蛮だねぇ。……ボクも混ぜてくれないかい?」
見上げれば、そこに白衣の男――薬師寺ヤクモが立っていた。
ガスマスクを装着し、手には毒々しい色の液体が入ったフラスコが握られている。
そのレンズの奥の瞳は、実験動物を見るような冷酷な光を宿していた。
「変態のサポートには、これがお似合いだね」
ヤクモがフラスコを投げつける。
ヒュルルル……ガシャン!
レオの足元で瓶が割れ、ピンク色の煙が爆発的に広がった。
「な、なんだこの煙は!?」
「甘い……? 桃のような匂いがするぞ……?」
騎士たちが煙を吸い込む。
その瞬間、彼らの表情から殺気が抜け落ちた。
「……あ、あれ? なんか……力が抜ける……」
「お花畑が見える……。あそこで死んだ婆ちゃんが手招きしてる……」
「うふふ、うふふふふっ! あー、なんかもう、戦争とかどうでもよくなってきたぁ~」
武器を取り落とし、へたり込む騎士たち。
彼らは地面に転がり、空を見上げてキャッキャと笑い出した。
戦意喪失。
思考停止。
そして、括約筋の弛緩。
「『ハッピー・ガス・タイプC(脱力系)』さ。吸うと脳内のセロトニンとドーパミンが過剰分泌されて、世界が平和に見えてくるんだよ。……ついでに、社会的な尊厳も垂れ流しになるけどね」
「貴様ァッ! 味方ごと巻き込む気かケロ!?」
レオも煙の中にいたが、彼は平気だった。
なぜなら、彼の中の「羞恥心」というストレスがあまりにも強大すぎて、薬物の多幸感を完全に相殺していたからだ。
変態的な精神力が、化学兵器を無効化した瞬間である。
「好機だ! 今のうちに片付ける!」
レオは煙の中を疾走した。
ラリって踊っている騎士たちの間を縫い、的確に急所(鳩尾や顎)を打撃して気絶させていく。
ドカッ! バキッ! ズドン!
「うへぇ、星が綺麗だぁ……」
「ママ……おっぱい……」
次々と沈黙していく騎士たち。
数分後。
そこには、幸せそうな顔で折り重なって眠る、数十人の半裸の男たちの山が出来上がっていた。
地獄絵図ならぬ、天国絵図だ。
ある意味、これ以上ない平和的解決(?)かもしれない。
「……はぁ、はぁ……」
レオは剣を杖にして立ち尽くし、荒い息を吐いた。
全身汗まみれだ。
マントはボロボロになり、もはや腰巻きタオル程度の面積しか残っていない。
だが、彼は勝った。
たった一人で、一個中隊を壊滅させたのだ。
「……見たか、ジン。これが……僕の、騎士道だ」
彼は前髪をかき上げ、キメ顔を作った。
月明かりが彼の筋肉を美しく照らし出す。
その姿は、神話の英雄そのものだった。
全裸であることを除けば。
だが。
ドクン。
心臓が、嫌な音を立てた。
胸の奥で、時を刻んでいた魔法の砂時計が、最後の一粒を落とした音。
「……ッ!?」
全身の血管が、冷水を流されたように収縮する。
視界が明滅し、手足の感覚が遠のいていく。
骨が軋み、細胞が悲鳴を上げる。
「ま、まさか……時間か……!?」
レオは腕時計(腕が太くなりすぎて引きちぎれて地面に落ちていた)を見た。
針は、残酷にも3分を経過しようとしていた。
「嘘だろ……! まだ……まだカッコいいところを……アリスに見せて……」
ボシュッ!!
レオの身体から、大量の蒸気が噴き出した。
それは変身解除の合図。
シンデレラの魔法が解ける音。
「う、うわぁぁぁぁッ!! 縮む! 縮むケロォォォッ!!」
レオの悲鳴が、蒸気の中で甲高い鳴き声に変わっていく。
黄金の筋肉が萎み、白い肌が緑色に変色し、骨格がメキメキと音を立てて圧縮されていく。
リバウンド(反動)。
無理やり引き伸ばされたゴムが、バチンと戻るような衝撃。
そして。
ポスッ。
地面に落ちていたマントの中に、何かが落ちた。
蒸気が晴れる。
そこに立っていた英雄の姿は、もうなかった。
残されていたのは、地面に落ちた真紅のマントと、その中でモゾモゾと動く、小さな膨らみだけ。
「……ケロ……?」
マントの隙間から、ひょっこりと顔を出したのは。
カエルですらなかった。
黒く、ぬるりとした、流線型のボディ。
手足はある。だが、それはあまりにも短く、貧弱だ。
そして何より、背中には立派な「尾びれ」が生えていた。
オタマジャクシ(変態途中)。
ヤクモの予言通り、急激なリバウンドによって、彼はカエル以下の存在へと退化してしまったのだ。
もはや陸上生活すら危うい、水生生物。
「……ピ、ピギィ……(終わった……)」
レオ(オタマジャクシ形態)は、涙目で天を仰いだ。
口から、小さな泡が出る。
彼は悟った。
今日この日、白銀の騎士は死に、新たな伝説――「全裸で戦い、最後は魚類になった男」が爆誕したことを。
遠くで、また新たな爆発音が響く。
コンテナの方角だ。
どうやら、もう一人の「掃除屋」が、仕事を終えたらしい。
「……ピギッ(あとは頼んだぞ、ジン……)」
レオは力尽き、マントの中で丸まって気絶した。
その顔は、やりきった男の(魚類の)安らかな寝顔だった。
ただし、あと5分以内に水に入れないと干物になる運命にあるが、それはまた別の話である。




