第57話 突入、紅蓮の包囲網
「――変態だッ!! 全裸のマント男が突っ込んでくるぞォォォッ!!」
紅蓮騎士団の精鋭部隊が敷く、鉄壁の包囲網。
その最前線で、この世の終わりを見たかのような悲鳴が上がった。
戦場において、兵士が恐怖するものは数あれど、それは大抵「死」や「痛み」に直結するものだ。
だが、今彼らの目の前に迫っているのは、そういった生物学的な危機ではない。もっと根源的で、社会的で、そして視覚的な暴力――すなわち、「見てはいけないものを見てしまった」という精神的汚染だった。
爆煙を切り裂いて現れたのは、ギリシャ彫刻のように完璧な筋肉美を誇る、一糸纏わぬ白磁の巨人。
黄金の髪をなびかせ、腰に奪ったマントを一枚巻いただけの、その姿。
「うわぁぁぁッ! 目が! 目がぁぁ!」
「撃て! 網膜に焼き付く前に撃ち殺せ!」
「隊形を維持しろ! ……いや無理だ! あんなのが視界に入ったら、家に帰って娘の顔を直視できなくなる!」
騎士たちがパニックに陥り、魔導ライフルの照準がブレまくる。
無理もない。
シリアスな殺し合いの場に、突如として「公然わいせつ」という日常的な犯罪者が、しかも光速で乱入してきたのだ。脳の処理落ち(フリーズ)を起こすのも当然だ。
「どけェェェェッ!! 僕は見られたくないんだァァァッ!!」
その変態――剣崎レオは、羞恥心を燃料にして加速していた。
薬物(人魚の口づけ・改)によって強制的に全盛期の肉体を取り戻した彼は、さらに「恥ずかしいから1秒でも早く服を着たい」という、人類としてもっとも原始的かつ強力なモチベーションによって、限界を超えた速度を叩き出していた。
「『白銀流・羞恥の剣舞』ッ!!」
ズバァッ!
レオが奪った剣を一閃させる。
刃が見えない。速すぎる。
すれ違いざまに三人の騎士が吹き飛び、鎧が弾け飛ぶ。
「見るな! 剣技だけを見ろ! 股間のマントの翻り具合を計算するなァァッ!」
レオは叫びながら、さらに加速する。
マントが風圧でめくれそうになるたびに、神業的な腰使いでそれを修正し、ギリギリのラインで鉄壁の防御(社会的な意味での)を維持し続ける。
これはもはや剣術ではない。高度な宴会芸であり、精神攻撃だ。
「……たく。あいつ、最強じゃねぇか」
その後方。
霊柩車の陰から飛び出した俺、黒鉄ジンは、鉄パイプを担ぎながら呆れ果てた声を出した。
「おい、見たかよ今の動き。マントの裾がめくれる角度と、剣を振る遠心力を完全に同期させてやがる。……あいつ、普段からあんな練習してんのか?」
「まさか。あれは才能ですよ、先輩」
隣で栗花落ツムギが、発煙筒に火をつけながら真顔で解説する。
「人間、追い詰められると未知の能力が開花すると言いますけど……レオさんの場合、それが『露出のコントロール』に向けられたんですね。ある意味、爆発の衝撃波をコントロールする私に近いものを感じます。……尊敬しますぅ」
「尊敬の方向性が間違ってるぞ。……あと、お前なんで爆竹を口にくわえてるんだ?」
「え? 導火線に着火するライターが見つからなくて。……あ、火がついちゃいました」
「吐き出せ! ここで自爆する気か!」
俺はツムギの後頭部をスリッパ(なぜかポケットに入ってた)で叩き、爆竹を吐き出させた。
パンパンパンッ! と足元で破裂する乾いた音。
緊張感がない。
これから敵の本陣に突っ込むというのに、俺たちの空気感は修学旅行の枕投げレベルだ。
「……はぁ。行くぞ。レオが作った道を無駄にするな」
俺は気を取り直し、鉄パイプを握り直した。
前方では、全裸の騎士が敵陣を切り裂き、モーセの海割りのように道を作っている。
その両脇には、混乱して逃げ惑う騎士たち。
「ヤクモ、援護だ! 敵の増援を断て!」
「了解だねぇ。……ふふふ、この風向きならいけるかな」
薬師寺ヤクモが、ガスマスクを装着し、鞄から怪しい色の瓶を取り出した。
毒々しい紫色と、蛍光ピンク色がマーブル模様を描く液体。
中で何かが蠢いているように見えるのは気のせいだろうか。
「特製『笑い茸抽出液』と『催涙ガス』、それに『腐った牛乳』をブレンドしたカクテルだよ。吸い込むと、悲しいのに笑いが止まらなくなり、同時にお腹が急降下するという、尊厳破壊ガスさ」
「悪趣味すぎるだろ! ……ていうか、腐った牛乳ってなんだよ。それただの生ゴミじゃねぇか」
「発酵食品と言ってくれたまえ。……さあ、深呼吸の時間だよ」
ヤクモが瓶を投げつける。
ガシャン!
瓶が割れ、極彩色の煙が噴き出す。
「ケホッ、ゲホッ……! あはははは!」
「うぐっ、涙が……ぐふふふふっ! お、お腹が……!」
「目が痛いのに……ウケるぅぅぅ! そして漏れるぅぅぅ!」
煙に巻かれた騎士たちが、涙を流しながら大爆笑して転げ回り、さらに股間を押さえて悶絶する。
地獄絵図だ。
騎士団の威厳もへったくれもない。ただの集団食中毒が発生した宴会場だ。
「ヒャッハー! 仕上げですぅ!」
ツムギが花火(打ち上げ用)を水平射撃する。
ヒュルルルル……パンッ! パンッ!
色とりどりの火花が、笑い転げる騎士たちの尻を直撃し、さらなるカオスを生み出す。
「……よし。道はできた」
俺は鉄パイプを肩に担ぎ直した。
目の前には、レオが切り開き、ヤクモとツムギが汚染して作った、敵陣中央への一本道。
その先にあるのは、紅蓮騎士団の指揮官がいるはずの、最奥のコンテナだ。
「行ってくる。……3分以内にカタをつけるぞ」
俺は地面を蹴った。
身体が重い。
あちこち痛い。
昨日の筋肉痛、今日の落下ダメージ、そして慢性的な肩こり。
30手前の体にはキツイ運動量だ。
あーあ、帰りてぇ。
帰って熱い風呂に入って、ビール飲んで、録画しておいた『今週の競馬・名勝負選』を見ながら寝落ちしてぇ。
なんで俺、こんな夜中に鉄パイプ持って走ってんだろ。
これって労働基準法的にどうなんだ? 深夜手当は出るのか? いや、そもそも雇用契約結んでねぇな。完全歩合制のブラック企業だわウチ。
「止まれ! 侵入者だ!」
そんな現実逃避思考を遮るように、ガスを免れた数人の騎士が、俺の前に立ちはだかった。
手には魔導ライフルとスタンバトン。
目は血走っており、殺る気満々だ。
「邪魔だッ!」
俺は止まらない。
思考のスイッチを「日常」から「仕事(掃除)」へと切り替える。
鉄パイプを、槍のように突き出す。
「『床掃除・配管清掃』ッ!」
ドゴッ!!
鉄パイプの先端が、先頭の騎士のみぞおちにめり込む。
鎧の上からでも十分な衝撃。騎士が「ぐべらっ」と変な声を出してくの字になって吹っ飛ぶ。
「なっ、ただの鉄パイプで……!?」
「囲め! 叩き潰せ!」
三方向からの同時攻撃。
バトンが振り下ろされる。
俺は足を止めず、スライディングで股下を潜り抜けた。
地面の砂利が背中を擦る感触。
痛い。服が汚れる。クリーニング代請求してやる。
「遅ぇよ!」
すれ違いざま、鉄パイプで膝の裏を叩く。
ガッ!
人体急所。膝がカクリと折れ、騎士たちが将棋倒しになる。
「うわっ!?」
「どけ! 重い!」
俺はそのまま駆け抜けた。
イチイチ相手にしていられない。
この展開、アクション映画なら見せ場かもしれないが、今の俺にとってはただの尺稼ぎだ。
読者もそろそろ「早くアリス助けろよ」って思ってる頃だろ。俺も思ってるよ。
コンテナ群の迷路を抜ける。
奥へ、奥へと進むにつれて、空気の味が変わっていく。
火薬と笑い声の喧騒が遠ざかり、代わりに肌にまとわりつくような、湿った殺気と、甘ったるい魔力の匂いが濃くなっていく。
この匂い。
遊園地で嗅いだ、「腐った甘さ」と同じだ。
オルゴールの呪い。
人の命を吸って肥え太る、悪意の香り。
「……ここか」
俺は足を止めた。
目の前には、他のコンテナとは一線を画す、重厚な装甲に覆われた指揮車(移動要塞)が鎮座していた。
周囲には誰もいない。
静かだ。嵐の目のように。
俺は鉄パイプを肩に担ぎ、深呼吸をした。
肺に溜まった熱気を吐き出し、冷たい夜気を吸い込む。
肺胞の一つ一つに酸素が行き渡る感覚。
心臓の鼓動が、秒針のように正確なリズムを刻み始める。
「……入るぞ」
俺は指揮車のドアを、ノックもなしに蹴り飛ばした。
ドォォン!!
ロックが破壊され、ドアが内側へと弾け飛ぶ。
俺は土足で踏み込んだ。
中は、薄暗かった。
モニターの明かりだけが、冷たく室内を照らしている。
中央には作戦机。
そして、その奥。
「……よう。随分と賑やかなパーティだな」
部屋の隅に、少女が倒れていた。
アリスだ。
彼女は手枷と足枷を嵌められ、床に転がされていた。
その顔色は蝋人形のように白く、唇からは血の気が失せている。
意識はないようだ。微かな呼吸だけが、彼女がまだ生きていることを告げている。
細い腕には、無数のチューブが繋がれ、そこから赤い液体――おそらくは血液と魔力――が吸い上げられ、巨大な機械へと送られている。
そして、そのアリスを見下ろすように立っている男が一人。
深紅の鎧に、豪奢なマント。
遊園地で俺たちを追い詰めた、あの隻眼の隊長だ。
彼は入ってきた俺を見ても動じることなく、ゆっくりと振り返った。
手にはワイングラスを持っている。中身は赤ワインか、それともアリスの血か。
「……ドブネズミか。しぶといな」
男の声は、感情のない氷のようだった。
隻眼が、俺を品定めするように細められる。
「外の騒ぎ……。あの変態騎士と、爆弾魔か。……まさか、たった数人で一個中隊を撹乱するとはな」
「褒めても何も出ねぇぞ。……出るのはゲロと爆弾だけだ」
俺は鉄パイプを構え、じりじりと間合いを詰める。
男の手には武器がない。
だが、その全身から放たれるプレッシャーは、外の騎士たちとは桁違いだ。
歴戦のオーラ。
何人も殺してきた人間の、特有の冷たさ。
「……返してもらおうか」
俺はアリスの方へ顎をしゃくった。
「そいつは俺の……いや、ウチの『落とし物』だ。管理責任があるんでな」
「落とし物、か」
隊長は鼻で笑った。
そして、足元に視線を落とす。
「この泥棒猫のことか? それとも……これのことか?」
彼が足元の「何か」を拾い上げた。
カチャリ、と金属音がする。
それは、赤錆びた、柄の曲がった園芸用の道具。
『高枝切りバサミ』。
俺の心臓が、ドクンと跳ねた。
視界が狭まる。
周囲の景色が消え、そのハサミだけがクローズアップされる。
「……てめぇ」
「妙な獲物だな」
隊長はハサミをしげしげと眺めた。
まるで汚物を見るような目で。
値踏みをするように、刃先を指で弾く。
キン、という音が、俺の神経を逆撫でする。
「錆びついている。刃こぼれも酷い。魔力伝導率も最低だ。……こんなガラクタを、あの泥棒猫は大事そうに抱えていたぞ」
「……」
「理解できんな。……ゴミはゴミ箱へ、だろう?」
隊長は、無造作に手を放した。
ガシャン。
ハサミが床に落ちる。
冷たい鉄の床に叩きつけられ、悲しい音がした。
まるで、骨が折れるような、痛々しい音。
それだけじゃない。
彼は、そのハサミの上に、鉄板で補強された軍靴の底を乗せた。
「……おい」
俺の声が低くなる。
喉の奥が焼けるように熱い。
「やめろ」
「ん?」
隊長はニヤリと笑った。
挑発だ。
俺がこのゴミくずごときに執着していることを見抜いて、楽しんでいる。
ガキがいじめた虫の反応を楽しむように、俺の心を土足で踏みにじろうとしている。
「聞こえなかったか? ……ドブネズミ」
ギリリ……。
彼が体重をかける。
ハサミの柄が軋む。
5年間、俺の手の形に馴染んできたグリップが、無慈悲な圧力で歪んでいく音。
俺の脳裏に、フラッシュバックが走る。
雨の日の記憶。
泥だらけの瓦礫の中。
全てを失って、空っぽになった俺の手の中に、唯一残った冷たい鉄の感触。
毎晩、震える手でそれを握りしめて、油を差して、刃を研いで。
「まだやれる」「まだ終わってない」と、自分に言い聞かせてきた日々。
その時間が。
その思い出が。
今、目の前で、他人の靴底の下で音を立てて壊されていく。
「やめろッ!!」
俺が叫ぶのと同時だった。
バキッ。
乾いた破砕音が、室内に響き渡った。
ハサミの持ち手の部分、プラスチックのカバーが砕け散り、中の金属フレームがひしゃげた音。
修復不可能な、決定的な破壊の音。
プツン。
俺の中で、何かが切れた。
理性とか、計算とか、生存本能とか。
人間を人間たらしめているストッパーが、音を立てて弾け飛んだ。
世界から、色が消えた。
感情が消えた。
怒りすらも通り越して、あるのはただ、底知れない「虚無」と、目の前の障害物を排除しなければならないという「業務命令」だけ。
「……あーあ」
俺は鉄パイプをだらりと下げた。
視界が、急激に冷えていく。
熱い怒りじゃない。絶対零度の、静かな殺意が脳髄を満たしていく。
「折れちまったな」
「……ほう?」
隊長が眉を上げる。
俺の反応が、予想と違ったからだろう。
泣き叫ぶでもなく、激昂するでもなく、ただ静かに事実を受け止めた俺を見て、彼は少しだけ警戒の色を見せた。
「大事なオモチャが壊れて、泣くか?」
「いや。……感謝するよ」
俺は顔を上げた。
その時の俺の顔を見て、隊長の表情が初めて強張った。
なぜなら、俺は笑っていたからだ。
目が一切笑っていない、貼り付けたような笑顔で。
それは、5年前、魔王の首を刎ねた時と同じ、人殺しの笑顔だったかもしれない。
「おかげで、遠慮なく『掃除』ができる」
俺は鉄パイプを握り直した。
いや、鉄パイプじゃない。
今の俺に見えているのは、棒切れでもハサミでもない。
目の前のゴミ(男)を、この世から抹消するための「処理用具」だ。
「おい。……テメェ今、俺の相棒をゴミっつったか?」
一歩、踏み出す。
床がひび割れる。
殺気が膨れ上がり、室内の空気がビリビリと震える。
「……消毒の時間だ」
俺の姿がかき消えた。
掃除屋のスイッチが入った瞬間だった。




