第56話:シンデレラ・タイム(3分間)
「――人生とは、選択の連続である」
深夜のハイウェイを爆走する漆黒の霊柩車、『ブラック・スワン号』。
その揺れる車内(主に後部座席の棺桶スペース)で、俺、黒鉄ジンは、鉄パイプを抱えながら哲学的な問いに直面していた。
「例えば、今日の晩飯を牛丼にするかカレーにするか。あるいは、トイレットペーパーが切れた時に芯で拭くか諦めてパンツを犠牲にするか。……そういった些細な選択が、人間の運命を決定づけると言っても過言ではない」
「先輩、その例えは最低です。尊厳に関わります」
助手席で爆弾(C4の残りカスをかき集めた手製爆竹)を内職していた栗花落ツムギが、ジト目でツッコミを入れる。
彼女の手元では、爆薬の粉末がサラサラと音を立てており、車が段差を乗り越えるたびに「おっとっと、起爆しちゃう♪」という心臓に悪いジョークが飛び出す。
「うるせぇ。比喩だよ比喩。……俺が言いたいのはな」
俺は視線を落とした。
そこには、俺の足元に置かれたバスタブの中で、緑色の肌をプルプルと震わせているカエル男――剣崎レオがいた。
「今の俺たちの選択肢が、『全滅』か『玉砕』の二択しかないってことだ」
現状を確認しよう。
目的地は、敵対組織『紅蓮騎士団』が包囲網を敷く、アリスの隠れ家(コンテナ置き場)。
敵の戦力は、完全武装の精鋭騎士が約30名。魔導ライフル、魔法使い、そして指揮官クラスの隊長付き。
対するこちらの戦力は――。
1.武器を失い、鉄パイプ一本の掃除屋(俺)。
2.爆薬の在庫が切れかけの爆弾魔。
3.毒ガス切れのマッドドクター(ヤクモ)。
4.実体のないナビゲーター(マシロ)。
5.乾燥肌に悩むカエル(レオ)。
「……詰んでるな」
俺は溜息をついた。
将棋なら投了するレベルだ。
特に痛いのが、主戦力であるレオの無力化だ。
今のこいつは、剣を振るうどころか、自分の体重を支えることすらままならない。戦場に出せば、3秒で干物になるか、踏み潰されてミンチになるのがオチだ。
「……ケロ」
レオが弱々しく鳴いた。
彼はバスタブの縁に顎を乗せ、虚ろな目で車内の天井を見つめている。
「……すまないケロ、ジン。僕が……僕がもっとしっかりしていれば……」
「謝るな。湿っぽくなる。……物理的に十分湿ってるんだからよ」
「違うんだケロ……! 悔しいんだケロ! あの子が……アリスが捕まっているのに、僕は何もできない! 騎士なのに! 団長なのに! ……ただの緑色の粘液製造機に成り下がってしまった自分が、情けなくて仕方ないケロ!」
レオがバスタブの水面を叩く。
バシャッ! と飛沫が飛び、俺のズボンを濡らす。
その涙(と粘液)は本物だった。
薬の副作用で姿は変わっても、その魂までは変質していない。こいつは腐っても「白銀の騎士」なのだ。
「……おや。それなら、いいものがあるよ」
その時、ヤクモが白衣のポケットをごそごそと探り始めた。
彼は不敵な笑みを浮かべ、一本の小瓶を取り出した。
「な、なんだそれは?」
「ふふふ。こんなこともあろうかと、試作品を持ってきておいたんだ」
ヤクモが掲げた小瓶。
中に入っているのは、蛍光ピンク色に発光する、ドロリとした液体だった。
色合いだけで言えば「ゲーミング・スライムの体液」といった風情だが、そこから漂ってくる匂いは、もっと凶悪だった。
腐った桃と、硫黄と、消毒液を混ぜて煮込んだような、鼻毛が抜け落ちそうな刺激臭。
「特製劇薬『人魚の口づけ(改)』だよ」
「……ネーミングセンスが昭和の歌謡曲みてぇだな」
「効果は劇的さ。これを服用すると、体内のDNA情報を強制的にリライト(書き換え)し、一時的に『元の姿』に戻ることができる」
「!!」
レオがガバッと顔を上げた。
その目玉が、希望の光を宿して輝く。
「ほ、本当かケロ!? 人間に戻れるのかケロ!?」
「ああ。筋肉組織、骨格、神経系……全てを全盛期の状態に再構築する。君の身体能力なら、変異種と戦った時の『ドーピング状態』に近いパフォーマンスを発揮できるはずさ」
「す、凄いケロ! ヤクモ、貴様は天才かケロ! いや、神かケロ!」
レオがバスタブから身を乗り出し、小瓶に飛びつこうとする。
だが、ヤクモはそれをヒョイと避けた。
「おっと、早まらないでくれ給え。……『劇薬』と言っただろう? これには、重大な欠点があるんだ」
「……リスク?」
「一つ目。効果時間は極めて短い。……代謝機能が加速するため、持続時間はたったの『3分間』だ」
「さ、3分!?」
俺とレオの声が重なった。
カップラーメンが出来上がるまでの時間だ。
ウルトラマンだってカラータイマーが点滅し始める頃合いだぞ。
「短い……短すぎるケロ! 3分で何ができるんだケロ! カップ麺にお湯を入れて、蓋を開けたら終わりじゃないかケロ!」
「君は戦場にカップ麺を食べに行くのかい? ……まあ、これはいい。問題は二つ目だ」
ヤクモの声色が、一段階低くなった。
彼は楽しそうに、しかし残酷に告げた。
「効果が切れた時の『リバウンド(反動)』だよ。……無理やり書き換えたDNAが元に戻る際、急激な細胞収縮が起こる。その衝撃で……君の身体は、カエルどころか、さらに退化してしまう可能性がある」
「た、退化……?」
「具体的に言うと――『オタマジャクシ』だね」
シン……。
走行音だけが響く車内に、重い沈黙が落ちた。
「オ……オタマ……ジャクシ……?」
レオが震える声で復唱する。
「そう。手足がなくなり、エラ呼吸になり、水がないと5秒で死ぬ。……まさに『出世魚』ならぬ『降格魚』だねぇ」
「笑い事じゃねぇよ!!」
俺は叫んだ。
オタマジャクシ。
それはもはや「騎士」として再起不能を意味する。
剣も握れない。歩けない。会議に出るには金魚鉢が必要になる。
社会的にも生物学的にも「詰み」だ。
「……嫌ならやめてもいいよ? このままカエルとして生きるのも、エコロジーで素敵だしね」
ヤクモが小瓶をしまう素振りを見せる。
「……ま、待て」
レオが、低い声で止めた。
彼は自分の緑色の手を見つめていた。
水かきのついた、ぬるぬるした指。
剣を握ることも、誰かの手を握り返すこともできない、異形の腕。
「……3分、か」
レオが呟く。
「カップヌードルなら、硬めが好きな人には長すぎる時間だケロ。……どん兵衛なら、まだ麺がほぐれていない時間だケロ」
「何をブツブツ言ってんだ。麺の硬さの好みなんて聞いてねぇぞ」
「ジン。……貴様は、麺は硬め派か? それとも柔め派か?」
「あ? ……バリカタだ。粉落としでもいいくらいだ」
「フッ……。気が合うな。僕もだ」
レオがニヤリと笑った。
カエルの顔で、器用に口角を上げる。
「3分あれば……敵を殲滅し、お姫様を抱き上げ、脱出路を確保して、ついでにカップ麺にお湯を注ぐことくらいできるケロ」
「……本気か?」
「愚問だケロ。……僕は『白銀の騎士』だ。レディのピンチに、リスクを計算して日和るような男じゃないケロ!」
レオはバスタブから飛び出し、ヤクモの手から小瓶をひったくった。
迷いはない。
その瞳には、かつて俺が背中を預けた、あの眩しいほどの「英雄」の光が宿っていた。
「上等だ。……オタマジャクシになったら、俺が金魚鉢で飼ってやるよ。エサは高級なイトミミズにしてやる」
「フン、断るケロ! ……行くぞ! 作戦開始だ!」
レオが小瓶の蓋を、歯で噛みちぎって開けた。
プシュッ! という音と共に、強烈な桃の腐ったような臭いが車内に充満する。
「うへぇ、臭っ!」
「毒ガス兵器ですか!?」
ツムギと俺が鼻をつまむ中、レオはその劇薬を一気に煽った。
「ぐ、ボェ……ッ!?」
飲んだ瞬間、レオの目が飛び出した。
喉が焼けただれるような熱さ。
胃の中でマグマが爆発したような衝撃。
全身の血管を、針金たわしで擦り上げられるような激痛が走る。
「ガァァァァァァッ!!!」
レオが絶叫し、のたうち回る。
緑色の皮膚が波打ち、ボコボコと泡立ち始める。
骨格が軋み、筋肉が再構成される嫌な音が響く。
「……変身開始だねぇ。美しい」
ヤクモが恍惚の表情で見守る中、俺はハンドルを切り、アクセルをベタ踏みした。
「マシロ! 突入だ! 壁ごとブチ破るぞ!」
『了解! シートベルトなんて飾りよ! しっかり掴まってなさい!』
ナビ席のマシロ(スマホ)が叫ぶ。
前方に、紅蓮騎士団が包囲するコンテナ群が見えてきた。
無数のサーチライトが交錯し、厳戒態勢が敷かれている。
「止まれ! 何者だ!」
「不審車両発見! 撃て!」
敵の警告など聞く耳持たない。
俺たちの返答は一つだ。
「ツムギ! 挨拶代わりの一発だ!」
「アイアイサー! 『ご挨拶』、発射しますぅ!」
ツムギが窓から身を乗り出し、対戦車ロケットを構える。
狙うは、敵のバリケード中央。
ドシュッ!!
ロケット弾が白煙を引いて飛んでいく。
ズドォォォォォン!!
爆音と共に、バリケードが木っ端微塵に吹き飛んだ。
「ヒャッハー! 道が開きましたよ先輩!」
「行くぞオラァッ!! 死人の配達だ!! 受け取り拒否は認めねぇぞ!」
俺は霊柩車を、爆炎のトンネルへと突っ込ませた。
ガガガガッ! と車体が瓦礫を跳ね飛ばし、敵陣のど真ん中へ。
キキーッ!!
急ブレーキと共に、スライドドアが開く。
白煙の中から、一人の男が飛び出した。
カエルではない。
緑色でもない。
そこには、白煙を切り裂くように輝く、黄金の髪と、宝石のような碧眼を持つ男が立っていた。
その身体は、ミケランジェロの彫刻のように完璧な筋肉美を誇り、肌は陶器のように白い。
ただし。
「……変身完了だ!」
男は叫んだ。
自信満々に。
一糸纏わぬ、生まれたままの姿(全裸)で。
「……服がないッ!!」
俺は思わず突っ込んだ。
そうだ。カエルの時に着ていた作業着は、急激な身体の巨大化(元に戻っただけだが)に耐えきれず、弾け飛んでしまったのだ。
「キャーッ! レオさん変態です! 目の保養です!」
ツムギが指の隙間からガン見している。
「露出狂の騎士か。……新しい属性だねぇ」
ヤクモが感心している。
「ち、違う! これは不可抗力だ! 変身シーンのお約束だろうが!」
全裸のレオが顔を赤くして叫ぶ。
だが、その肉体から放たれるオーラは、確かに「最強」のそれだった。
「残り時間、2分50秒! ……急ぐぞ!」
レオは、敵の兵士が落としたマントを拾い上げ、腰に巻いた。
最低限の防御(社会的な意味での)だ。
「敵襲だ! 囲め!」
「なんだあの変態は!?」
紅蓮騎士団の兵士たちが、槍とライフルを構えて殺到する。
だが、レオは不敵に笑った。
「遅いッ!」
ザッ!
踏み込み一閃。
レオが素手で兵士の懐に飛び込み、その剣を奪い取った。
流れるような動作。
カエルの時の鈍重さが嘘のような、神速の体捌き。
「見るな! 裸を見るな! 剣技だけを見ろ!」
レオが叫びながら剣を振るう。
その動きは、羞恥心と焦燥感によって限界を超えて加速していた。
「見られたくない」という一心が生み出す、光速の剣技。
「『白銀流・目隠し乱舞』ッ!」
キン! キン! ズバァッ!
一瞬にして3人の兵士が吹き飛び、鎧が弾け飛ぶ。
「つ、強い……!?」
「速すぎて見えねぇ! ていうか直視できねぇ!」
敵兵たちが動揺する。
無理もない。戦場に突如現れた全裸のマント男が、人間離れした速度で暴れ回っているのだ。
視覚的な情報量が多すぎて、脳の処理が追いつかない。
「今だ、ジン! 道は開けたぞ!」
レオが叫ぶ。
彼が切り開いた血路。
その先には、アリスが捕らえられているはずの最奥のコンテナが見える。
「おう! 任せとけ!」
俺は鉄パイプを担ぎ、霊柩車から飛び出した。
背後では、ツムギが花火を乱射し、ヤクモが催涙ガスを撒き散らして敵を撹乱している。
「……3分か。十分すぎる」
俺は走った。
全裸の英雄が作った道を。
その背中は、どんな煌びやかな鎧を着ている時よりも、頼もしく、そして輝いて見えた。
(主に汗とローションの残りでテカっているせいだが)。
「待ってろよ、アリス!」
俺の咆哮が、戦場の轟音を切り裂いた。
シンデレラの魔法が解けるまで、あと2分30秒。
俺たちの、最高に無様でカッコいい救出劇が始まった。




