第52話:地獄行きのジェットコースター
信頼という糸は、結ぶのには何年もかかるが、切れるのは一瞬だ。
特に、その糸の先っぽを握っているのが、気まぐれな「泥棒猫」だった場合、最初からハサミで切られる運命にあったのかもしれない。
ダンジョンB2F、廃遊園地『ドリームランド』。
紫色の煙幕が、夜風に流されて薄れていく。
その向こう側にあるはずの少女の姿は、もうどこにもなかった。
俺、黒鉄ジンは、虚空を掴んだ右手をゆっくりと下ろし、腰のホルダーに触れた。
軽い。
あまりにも、軽すぎる。
俺の相棒、ボロボロに刃こぼれした『高枝切りバサミ』が、ホルダーから抜き取られている。
混乱に乗じて、あのガキがすり取っていったのだ。
武器がない。
依頼品もない。
守るべき対象には逃げられ、残ったのは、殺意満々の騎士団と、足元を拘束された役立たずの変人たちだけ。
「……あのアマ、マジかよ」
俺は乾いた笑い声を漏らした。
怒りよりも先に、呆れと、そして妙な納得感が込み上げてくる。
泥棒に背中を預けた俺が馬鹿だったのか。それとも、あのガキの「逃げ足」が一流だったのか。
「……どうやら、仲間割れか?」
煙の向こうから、紅蓮騎士団の隊長の嘲笑うような声が響いた。
包囲網が狭まる。
カシャン、カシャン……という無機質な鎧の音が、処刑台へのカウントダウンのように近づいてくる。
「哀れなものだな、掃除屋。……拾った野良猫に手を噛まれて、野垂れ死ぬ気分はどうだ?」
「……最高だね。ブログのネタに困らない人生だよ」
俺は強がって見せたが、背中を伝う冷や汗は誤魔化せない。
状況は「詰み」の一歩手前だ。
隊長が掲げた宝珠が赤く明滅し、発動している『重力鎖』の拘束力を強める。
俺の両足は鉛のように重く、地面に縫い付けられてピクリとも動かない。
「ヤクモ! 毒ガスの在庫は!?」
「残念ながら品切れだねぇ。……残っているのは『即効性・ハゲ薬』と『猫耳が生える薬(試作品)』だけだ。使ってみるかい?」
「ふざけんな! 萌え要素を追加してどうする!」
「ツムギ! 爆弾だ! 壁をぶち抜いて脱出口を作れ!」
「む、無理ですぅ……! 今の花火で火薬を使い果たしました……! 残ってるのは、お弁当用の『タコさんウインナー製造爆竹』だけですぅ……」
「ピクニックかよ! 役に立たねぇな!」
絶望的だ。
俺たちの手札は、完全に尽きている。
「ケロ……もうダメだケロ……」
足元では、カエル姿のレオが白目を剥いて震えていた。
彼は騎士としての誇りも忘れ、俺の足にしがみついている。
「ジン……最期に頼みがあるケロ……。僕が死んだら、墓標には『ハエが好きだった』と刻んでくれケロ……」
「遺言が情けなさすぎるだろ! 諦めんじゃねぇ!」
俺はレオを蹴飛ばそうとしたが、足が動かない。
その隙に、紅蓮騎士団の包囲網が完成した。
半径十メートル。
逃げ場なしの十字砲火圏内。
先頭に立つ隊長が、巨大なウォーハンマーを振り上げ、勝ち誇ったように鼻を鳴らした。
「終わりだ、ドブネズミども。……貴様らの悪運も、ここまでだ」
「総員、構えッ!」
ジャキッ!
数十丁の魔導ライフルの銃口が、一斉に俺たちに向けられる。
赤いレーザーサイトの光点が、俺の額、心臓、そしてカエルの眉間に集まる。
(……クソッ。ここまでかよ)
俺は奥歯を噛み締めた。
死ぬのは怖くない。5年前に一度死んだようなもんだ。
だが、こんな場所で、あんなガキに道具を盗まれたまま終わるのだけは、死んでも死にきれねぇ。
「……撃てェッ!!」
隊長の号令。
引き金が引かれる、そのコンマ一秒前。
「――あ、先輩。時間です」
俺の隣で、地面に縫い付けられたままの栗花落ツムギが、腕時計を見ながら場違いなほど明るい声を出した。
「……は?」
「お迎えが来ましたよ! 到着予定時刻、ジャストなうです!」
ツムギがニパッ☆と笑い、空を指差した。
いや、空じゃない。
彼女が指差したのは、俺たちの頭上を走る、赤錆びた鉄骨の塊――『ジェットコースターのレール』だった。
キィィィィィン……!!
遠くから、金属が悲鳴を上げるような鋭利な音が響いてきた。
それは次第に大きくなり、地響きのような轟音へと変わっていく。
ガタン、ゴトン、ガタン、ゴトン……!
電車の走行音?
いや、もっと重く、もっと暴力的で、物理法則をねじ伏せるようなエンジンの咆哮だ。
「……なんだ? 何が来る?」
隊長が怪訝な顔で上を見上げる。
射撃命令が一瞬遅れる。
その隙に、暗闇の向こう、レールの彼方から、二つのヘッドライトが魔獣の眼光のようにギラリと輝いた。
ブォォォォォォォォォン!!!!!
爆音。
そして、火花を散らしながら垂直落下の坂を駆け下りてきたのは、コースターの車両ではなかった。
漆黒のロングボディ。
屋根には金色の宮型装飾。
窓には紫色のカーテンがはためく。
そして、タイヤの代わりに、レールを噛むための鉄の車輪を履いた――
「……れ、霊柩車ァッ!?」
誰かが叫んだ。
そう。俺たちの社用車、『ブラック・スワン号』だ。
それが、ジェットコースターのレールの上を、時速150キロで爆走してきていたのだ。
運転席には誰もいない。
いや、ハンドルにガムテープでグルグル巻きに固定されたスマホが、青白く発光している。
『お待たせぇぇぇぇッ!! 地獄行きの最終便、到着よぉぉぉぉッ!!』
車載スピーカーから、マシロの勇ましい声(とデスメタル調の爆音BGM)が轟く。
彼女はスマホのGPSと、ポルターガイストによる物理操作(アクセルベタ踏み)で、この鉄の塊を遠隔操縦して突っ込んできたのだ。
「マシロ!?」
『捕まって! ブレーキなんて積んでないわよ!』
霊柩車は減速するどころか、重力加速度を乗せてさらに加速した。
レールの最高到達点。
そこは、老朽化して途切れていたはずの「魔のカーブ」。
そこから、ジャンプ台のように空へ向かって射出される。
キキィィィィッ!!
空を飛ぶ霊柩車。
月を背負ったそのシルエットは、E.T.の名シーンというよりは、完全に世紀末の悪ふざけだった。
数トンの鉄塊が、美しい放物線を描いて俺たちの頭上に降ってくる。
「く、来るぞ! 撃て! 撃ち落とせェェェッ!」
隊長が絶叫する。
無数の魔法弾が霊柩車めがけて放たれるが、車体は空中でドリフトするように回転し、すべての弾幕を弾き飛ばした。
ズドォォォォォン!!
ギュルルルルルッ!!
アスファルトを削り、強烈な衝撃波を撒き散らして停車する霊柩車。
その着地の衝撃で、地面に描かれていた魔法陣に亀裂が入り、隊長が維持していた『重力鎖』の術式が強制的に解除された。
足が軽くなる。
スライドドアが、プシュッという音と共に勢いよく開いた。
「……タクシーかよ。タイミング良すぎだろ」
俺は呆れながらも、ニヤリと笑った。
着地の衝撃波で、包囲していた騎士たちが吹き飛び、陣形が崩れている。
千載一遇のチャンス。
「全員、乗れェェェッ!!」
俺の号令と共に、アンラッキー・カルテット+カエルが動いた。
「ヒャッハー! ドライブですね! 助手席ゲットです!」
ツムギが一番乗りで飛び込む。
「貴重なサンプルが……まあいい、命あっての解剖だ」
ヤクモがアタッシュケースを抱えて滑り込む。
「待ってケロ! 置いてかないでケロ!」
レオが必死に跳ねて(カエル飛びで)車内へ転がり込む。
最後に俺が飛び乗り、ドアを閉めようとした瞬間。
「逃がすかッ! ……ナメるなぁぁぁッ!」
瓦礫の中から、隊長が鬼の形相で飛び出してきた。
顔面血だらけの彼は、ウォーハンマーを振り上げ、霊柩車のリアガラスを叩き割ろうと迫る。
その距離、あと数メートル。
「……チッ、しつけぇな!」
俺はドアから身を乗り出した。
武器はない。ハサミは盗まれた。モップも折れた。
だが、俺には「これ」がある。
俺は車内に転がっていた、ツムギのリュックからこぼれ落ちた「何か」を掴み、隊長の顔面目掛けてフルスイングした。
ガコォォォォン!!
鈍く、しかし重い金属音が響いた。
「ぐべぇッ!?」
隊長の顔面にクリーンヒットしたのは、ステンレス製の『おまる(介護用・未使用)』だった。
なぜそんなものが車内にあるのかは不明だが(たぶんヤクモの趣味だ)、その硬度と流線型のフォルムは、鈍器として申し分なかった。
「……トイレで頭冷やしてこい」
俺は吐き捨て、ドアを閉めた。
『発車オーライ! 舌噛むわよ!』
マシロの叫びと共に、エンジンが咆哮を上げる。
ブォォォォォォン!!
霊柩車はロケットスタートを切り、再びジェットコースターのレールへと強引に乗り上げた。
ガタンゴトン! と車輪がレールを噛む。
「追え! 絶対に逃がすな! 魔法部隊、撃て!」
背後で隊長の怒号が聞こえる。
無数の火球や氷柱が、俺たちの車を追ってくる。
そしてここから、本当の地獄が始まった。
「うわあああああっ! 揺れるケロ! 揺れるケロ!」
車内は洗濯機の中のような惨状だった。
霊柩車がレールのカーブを曲がるたびに、強烈な遠心力が乗員を襲う。
レオ(カエル)は天井にへばりつき、その上をヤクモの鞄からこぼれ落ちた「劇薬の瓶」や「メス」が凶器となって飛び交う。
「危ないケロ! メスが! メスが尻に刺さるケロ!」
「おや、それは『即効性・痔の薬』だよ。刺されば治るかもしれないねぇ」
「痔じゃないケロ!」
ヤクモは手すりにしがみつきながら、飛び交う薬品を楽しそうに眺めている。
「先輩! 後ろからファイヤーボールが来ます! 迎撃しますか!?」
助手席のツムギが、窓から身を乗り出した。
彼女の手には、車内に転がっていた「クラッカー(業務用特大サイズ)」が握られている。
「爆弾ねぇのかよ!」
「切れました! でも、火薬なら入ってます!」
ツムギは迫りくる火球に向かって、クラッカーの紐を引いた。
パーンッ!!
色とりどりの紙テープと火薬の閃光が弾ける。
威力は皆無だが、目くらましにはなったらしい。火球の軌道が逸れ、レールの支柱に当たって爆発した。
「ナイスだ! ……って、前見ろマシロ! ループだ!」
『分かってるわよ! 加速するわ!』
前方に現れたのは、360度回転のループコース。
霊柩車は減速することなく、垂直の壁へと突っ込んでいく。
「ひぃぃぃッ! 逆さまだケロ! 重力が仕事をしてないケロ!」
車体が逆さまになる。
シートベルトをしていない俺たちは、天井に向かって落下し、もみくちゃになる。
俺の顔面にレオの湿った腹が押し付けられ、ヤクモの膝が脇腹に入る。
「どけ! ヌルヌルすんな!」
「密着取材だねぇ♡」
「吐くケロ! もう吐くケロ!」
地獄の遠心分離機。
だが、そのおかげで追っ手の攻撃はことごとく外れた。
通常の車両ではありえない機動に、騎士団の照準が追いつかないのだ。
「……次はジャンプよ! しっかり掴まって!」
ループを抜けた先。
マシロがハンドルを切る。
そこはレールの切れ目。
その先には、夜空と、ダンジョン外周の荒野が広がっているだけだ。
「飛ぶぞぉぉぉッ!!」
フワッ……。
霊柩車が虚空へと躍り出た。
一瞬の静寂。
無重力の中で、俺たちは窓の外を見た。
眼下に広がる、燃える遊園地と、豆粒のように小さくなった騎士団たち。
それは、最低で最高の、脱出劇のフィナーレだった。
「……ツムギ。仕上げだ」
俺は天井に張り付きながら言った。
「はいっ! お別れの花火ですね!」
ツムギがポケットから、最後の起爆スイッチ(予備)を取り出し、ポチッとな、と押した。
ドゴォォォォォォン!!!!
背後で、ジェットコースターのレール全体が爆破された。
崩れ落ちる鉄骨が、追っ手の進路を完全に塞ぐ。
燃え上がる炎が、夜空を赤く染め上げた。
ドサァッ!
ガシャガシャガシャーン!!
車はダンジョン外周の荒野に着地し、サスペンションを軋ませながら激しくバウンドし、ようやく停車した。
「……はぁ、はぁ。……逃げ切った、か」
俺はシートにもたれかかり(実際は床に転がっていたが)、大きく息を吐いた。
全身汗まみれだ。あちこちぶつけて痛い。
だが、生きてる。五体満足で。
「……助かったケロ……」
レオが白目を剥いて泡を吹き、完全に気絶している。
「また一つ、伝説を作っちゃいましたね! 夜景が綺麗です!」
ツムギが無邪気に笑う。
「やれやれ。これだけのストレスを与えれば、寿命が3年は縮んだねぇ。治療費、上乗せしておくよ」
ヤクモが脈を測りながら涼しい顔で言う。
車内はカオスだ。
散乱した薬品、ゴミ、そして気絶したカエル。
だが、そこに一つだけ足りないものがある。
俺は、窓の外を流れる夜景を見つめた。
命は助かった。
だが、俺の腰のホルダーは軽いままだった。
ハサミは盗まれた。
依頼品も奪われた。
報酬(300万)もパーだ。
残ったのは、修理費と治療費と、カエルの餌代という借金だけ。
そして何より――あの生意気な泥棒猫に、一杯食わされたという事実。
「……クソッ」
俺はダッシュボードを拳で叩いた。
悔しい。
金のことじゃない。
あのハサミは、俺が「掃除屋」として生きるために、必死で磨き上げてきた相棒だ。
それを、あんな風に面白半分で奪われたことが、腹立たしくて仕方がない。
「……帰ったら、反省会だな」
俺は呟いた。
だが、その声には不思議と悲壮感はなかった。
胸の奥で、どす黒い闘志の炎が燃え上がっていたからだ。
アリス・ファントムハイヴ。
あの泥棒猫との「鬼ごっこ」は、まだ終わっちゃいない。
俺の大事なもんを持ち逃げしたまま、勝ち逃げなんてさせてたまるかよ。
「……待ってろよ、ガキ」
俺は、夜空に浮かぶ月に誓った。
「次は地獄の果てまで追いかけて、その根性、叩き直してやるからな」
霊柩車は闇を裂き、ダンジョン都市の深淵へとひた走る。
アンラッキー・カルテットの夜は、まだ終わらない。
次なる戦場は、あの怪盗の隠れ家だ。




