第48話:深夜の遊園地(デッドコースター)
夜の遊園地という場所には、独特の「魔力」がある。
昼間の喧騒が嘘のように静まり返った園内。月明かりに照らされた錆びついた鉄骨。塗装の剥げたピエロの看板。
それらは、かつてそこに在った「歓声」と「笑顔」の残骸であり、夢の終わりを告げる墓標のようにも見える。
だが、ここ『ドリームランド』に漂っているのは、そんなセンチメンタルな感傷ではない。
もっと直接的で、物理的で、そして殺意に満ちた「悪意」の匂いだ。
「……おいおい。歓迎が過ぎるんじゃねぇか?」
俺、黒鉄ジンは、モップを構えたまま顔を引きつらせた。
錆びついたゲートをくぐった俺たちを出迎えたのは、ファンシーなマスコットキャラクターたち――パンダ、ウサギ、クマの乗り物の群れだった。
本来なら、子供を背中に乗せてのんびりと歩く癒やし系遊具のはずだ。
だが、こいつらは違う。
そのつぶらな瞳はセンサーアイのように赤く発光し、可愛らしい口からはガトリングガンの銃身が飛び出し、背中にはニトロ噴射装置が搭載されているという、夢の国ならぬ「地獄の国」仕様に魔改造されていた。
『侵入者検知……排除シマス……お金ヲ入レテネ……♡』
不協和音のような機械音声と共に、先頭のパンダ型ライドが猛スピードで突っ込んできた。
可愛い見た目に反して、その突進エネルギーはダンプカー並みだ。アスファルトを削りながら迫るその姿は、もはや生物兵器に近い。
「ひぃッ!? パンダが! パンダが殺しに来ます! 目がマジですぅ!」
栗花落ツムギが、リュックを抱えて悲鳴を上げ、俺の背後に隠れる。
「落ち着け! 所詮は遊具だ! 電源を落とせば……」
俺が指示しようとした瞬間、パンダの口から豆電球のような――いや、殺傷能力十分な魔力光弾が発射された。
バシュッ! ドガァァァン!!
俺の横にあったポップコーン売り場が、一瞬で消し飛んだ。
弾けたトウモロコシが雪のように舞い散る中、俺は前言を撤回した。
「……訂正する。あれは兵器だ。しかも、タチの悪い自律型だ」
俺は即座に思考を切り替えた。
ここは遊園地じゃない。戦場だ。メルヘンチックな装飾に騙されてはいけない。
相手がパンダだろうがウサギだろうが、俺の平穏を脅かすなら「害獣」として処理するまでだ。
「ツムギ! 迎撃だ! 派手にやれ! ただし俺たちを巻き込むなよ!」
「はいっ! 無賃乗車は許しません! 強制退園(爆破)させます!」
ツムギの目が、恐怖から歓喜へと変わる。
彼女はリュックから「対戦車手榴弾」を取り出し、ボーリングのフォームで華麗に転がした。
「ストライクねらっちゃいますぅ〜!」
コロコロ……と転がった手榴弾は、突進してくるパンダの股下――キャタピラ駆動部の隙間で、見事に起爆した。
ドゴォォォォォォン!!
「アガガガガッ!?」
爆風がパンダを突き上げる。
装甲(FRP製)が弾け飛び、内部の機械部品がバラバラになって降り注ぐ。
中から、チャリンチャリンと大量の小銭が散らばった。
「うわぁ、集金システムは生きてたのか。……世知辛ぇな」
俺は散らばる100円玉を横目に見つつ(拾いたいが我慢して)、次なる敵へと向き直った。
パンダだけじゃない。
右からはウサギ型戦車、左からはクマ型特攻機が迫ってきている。
「マシロ、索敵! 死角を潰せ!」
「右! メリーゴーランドの木馬が離脱したわ! 槍を持ってる!」
マシロ(スマホ)の警告通り、回転木馬のエリアから、極彩色の木馬たちが「ヒヒィィィン!」と機械音を上げて突撃してきた。
その頭には、ユニコーンのような鋭利なドリル角が生えている。
「チッ、どいつもこいつも殺ル気満々かよ! 『床掃除・回転払い』ッ!」
俺はモップを低く構え、独楽のように回転させた。
柄の遠心力を利用し、突っ込んでくる木馬の前脚をすくい上げる。
ガシャン! ズザザザーッ!
バランスを崩した木馬が横転し、後続のウサギ戦車と玉突き衝突を起こす。
火花が散り、オイルと火薬の混じった焦げ臭い煙が立ち込める。
「ふぅ……。キリがねぇな」
俺は額の汗を拭った。
園内は広い。アリスを見つける前に、こちらの体力とツムギの爆薬が尽きそうだ。
***
一方その頃。
戦場の片隅にある『ティーカップ』エリアでは、物理法則を無視した地獄絵図が展開されていた。
「ケロロロロロロ……!!」
高速回転する巨大なコーヒーカップの中で、緑色の物体――カエル化したレオが、遠心力という名の暴力に翻弄されていた。
このエリアのカップは、通常回転の三倍……いや、十倍の速度で回転するように改造されていたのだ。
「め、目が回るケロ……! 三半規管が……限界だケロ……! 世界が……溶けるケロ……!」
レオの体は遠心力でカップの壁にへばりつき、その緑色の顔はもはや液状化しそうなほど歪んでいる。
目は渦巻き状になり、口からは魂のような白い泡が漏れている。
「おやおや、素晴らしいG(重力加速度)だねぇ。パイロットの訓練施設でもここまで回さないよ」
隣のカップでは、薬師寺ヤクモが涼しい顔で回転を楽しんでいた。
彼は白衣をなびかせながら、手元のストップウォッチでタイムを計測している。
「現在の負荷は8G……いや、9Gかな? これなら血液中の成分を一瞬で分離できるかもしれない。ねえレオ君、ちょっと血を抜かせてもらっていいかい?」
「た、助け……オエッ……! 血じゃなくて……胃液が出るケロ……!」
レオの顔色が、鮮やかな緑色から、腐った土のようなドス黒い色へと変わっていく。
限界だ。このままでは、英雄の尊厳に関わる「公共の場でのリバース」という大惨事が起きてしまう。
「……見えたケロ!」
その時、極限状態の中で、レオの中に眠る「騎士としての本能(?)」が覚醒した。
回転の周期。
遠心力のベクトル。
そして、カップの回転が一瞬だけ緩む、コンマ一秒の「脱出の隙間」。
それらが線となって繋がったのだ。
「今だッ! 秘技・『回転・離脱』ッ!!」
レオはタイミングを計り、カップの縁を強靭な脚力で蹴った。
遠心力を推進力に変え、彼は弾丸のようにカップから飛び出した。
ヒュンッ!
美しい放物線を描き、レオはエリアの外へ。
空中で三回転半ひねりを加え、スタッ! と地面に着地する。
そのポーズは、オリンピックの体操選手も裸足で逃げ出すほど完璧なものだった。
「……ふっ。騎士たるもの、三半規管も鍛え上げているのだよ」
レオはバッ! と(マントはないが)背中を反らし、キメ顔を作った。
緑色の肌、水かきのある手足、そしてヌルヌルの体表。
見た目は完全にモンスターだが、その佇まいは確かに英雄のそれだった。
「……ケロ?」
その時。
レオの鼓膜が、戦場の喧騒の裏にある、微かな羽音を捉えた。
プ〜〜〜ン……。
蚊だ。
湿地帯特有の、巨大な吸血蚊が、レオの鼻先をのんきに横切ろうとしている。
(……敵か!? いや、ただの虫か……)
レオは騎士の理性で無視しようとした。
だが。
彼の「騎士の意思」とは裏腹に、薬物で書き換えられた「カエルの肉体」が、勝手に反応してしまったのだ。
動体視力MAX。
捕食本能、強制解放。
シュパッ!!
レオの意思を置き去りにして、口からピンク色の長い舌が鞭のように射出された。
舌先は正確無比に蚊を絡め取り、粘液で包み込み、瞬時に口内へと引き戻される。
「んぐっ……」
ごくり。
レオの喉が、艶めかしい音を立てて鳴った。
「…………」
静寂。
回転するカップの音だけが、虚しく響く。
レオは呆然と虚空を見つめ、それからゆっくりと、震える手で自分の口を押さえた。
「……た、食べた……ケロ?」
口の中に広がる、独特の苦味と、プチッと弾けた時の高タンパクな風味。
そして、喉を通り過ぎていく異物感。
否定しようのない事実。
「ち、違うケロ! これは……呼吸の一環だケロ! たまたま口に入っただけだケロ!」
レオは顔を真っ青にして(元々緑だが)、必死に弁解した。
誰に対して?
もちろん、後ろで冷ややかな目で見ている俺たちに対してだ。
「……食ったな?」
俺はモップを杖にして立ち、ジト目でレオを見下ろした。
木馬との戦闘を終えた俺とツムギが、いつの間にか合流していたのだ。
「い、いや、違うんだジン! これは不可抗力で……! 僕の意思じゃなくて、筋肉が勝手に……!」
「言い訳すんな。……美味かったか?」
「……素材の味がしたケロ。あと、少し鉄分を感じたケロ」
「食レポしてんじゃねぇよ!!」
俺はレオの頭をモップの柄でスパーン! と叩いた。
緊張感が台無しだ。こいつがいると、どんなシリアスな戦場もコント会場になりやがる。
「……でも先輩、あっち見てください」
ツムギが、空を指差した。
彼女の指差す先、夜空に浮かぶ遊具――『ダンボ』型の飛行ライドが、編隊を組んで旋回していた。
その鼻先からは、爆弾らしき黒い球体が投下されようとしている。
「空爆です! 本格的ですねぇ!」
「感心してる場合か! 散開しろ!」
ドガァァァン! ドガァァァン!
爆撃が始まる。
俺たちは爆風を避け、それぞれ物陰へと飛び込んだ。
「まったく、休む暇もねぇな!」
俺は瓦礫の陰で息を整えた。
敵の攻撃は激しいが、統率が取れていない。
ただの自動防衛システムが暴走しているだけだ。
本命の『怪盗』は、どこか安全な場所で俺たちを笑って見ているに違いない。
***
「……キャハハハッ! 何やってんの、おじさんたち! ダンスが下手くそだよ!」
その時、頭上から嘲笑うような少女の声が降ってきた。
園内放送のスピーカーからではない。
生の声だ。
「ッ!?」
俺は弾かれたように顔を上げた。
声の主は、園内を縦横無尽に走る『ジェットコースター』のレールの上にいた。
月明かりとネオンを背に、地上20メートルのレールの上にちょこんと座り、足をブラブラさせている猫耳フードの少女。
怪盗アリス・ファントムハイヴ。
彼女の手には、俺の愛用する『高枝切りバサミ』が握られている。
彼女はそれを指揮棒のように振り回し、地上の俺たちを見下ろしていた。
「遅いよー! こっちこっち!」
「……見つけたぞ、泥棒猫」
俺はギリリと奥歯を噛み締めた。
俺のハサミを。
俺が泥の中から拾い上げ、血と油にまみれながら磨き上げた相棒を。
あんなガキのオモチャにされている。
「返せ! それは俺のだ!」
俺が叫ぶと、アリスはニヤリと笑い、ハサミを頬に擦り寄せた。
その仕草は、愛しい恋人に触れるように優しく、そして不気味だった。
「嫌よ。……これ、すごく手に馴染むの」
アリスの声色が、甘く、熱っぽく変化する。
「ただの古い道具じゃないわね。……手入れの痕跡。研ぎ直された刃の角度。グリップに染み込んだ汗と脂。……おじさんの『匂い』がするわ」
彼女はハサミの匂いを嗅ぐように、鼻を近づけた。
「使い込まれた技術の残滓……。ゾクゾクするわぁ♡ ねえ、どんな風に使ってたの? 何を切ってたの? あたしにも教えてよ」
アリスの瞳が、妖しく光った。
それは宝石を欲しがる子供の目ではない。
もっと根源的な、他人の「人生」そのものを欲しがる、飢えた獣の目だ。
彼女は道具を通して、俺という人間を解剖し、味わおうとしている。
「……キメェこと言ってんじゃねぇよ」
俺は鳥肌が立つのを感じた。
こいつは、ただの泥棒じゃない。
俺の中にある「何か」――掃除屋としての矜持か、あるいは過去の亡霊か――を、本能的に嗅ぎつけてやがる。
「鬼ごっこの続きよ! 捕まえられるもんなら捕まえてみなさい! ……あたしを楽しませてくれたら、返してあげなくもないわよ?」
アリスはレールを蹴り、軽やかに走り出した。
コースターの急勾配を、まるで平地のように駆け上がっていく。
人間業じゃない。重力を無視した猫のような身のこなし。
「逃がすかッ!!」
俺は地面を蹴った。
アリスのいるレールまでは高さ20メートル。
階段なんて探している暇はない。
「ツムギ! 足場を作れ!」
「はいっ! 『ジャンプ台(指向性爆破)』、セット!」
ツムギが俺の足元に小さな爆薬を投げ込む。
ドォォン!
爆風が俺の体を真上に押し上げる。
「うらぁぁぁッ!」
俺は爆風に乗って空へ舞い上がり、コースターの支柱に飛びついた。
猿のように、いや、ゴキブリのようなしぶとさで鉄骨をよじ登る。
「ジン! 無茶よ! あんな高いところ!」
マシロの制止も聞かず、俺はレールの上に躍り出た。
地上20メートル。
風が強く、足場は狭いレール一本。
下を見れば、豆粒のようなレオたちが、まだパンダと戦っているのが見える。
だが、恐怖はない。
あるのは、自分の「半身」を取り戻したいという執着だけだ。
「待てェェェッ!!」
俺はレールの上を疾走した。
バランス感覚? そんなものは5年前に死ぬほど鍛えた。
どんな足場だろうと、俺にとっては「床」だ。掃除すべき場所だ。
前を行くアリスが振り返り、驚いたように目を見開く。
「……へぇ。やるじゃん、おじさん! ここまで追ってくるなんて思わなかった!」
「おじさんじゃねぇ! まだ20代だ!」
「キャハハッ! じゃあ、ついてきて! ……『デッドコースター』の発車だよ!」
アリスが指を鳴らすと、遠くでゴゴゴ……という重低音が響いた。
コースターの車両だ。
無人のジェットコースターが、猛スピードでレールを走り出し、俺たちの方へと迫ってくる。
「……マジかよ」
前方からは、暴走するコースター。
逃げる先は、細いレールの上だけ。
落ちれば即死。轢かれればミンチ。
「上等だ。……スリル満点のデートじゃねぇか」
俺はモップを構え直し、迫りくる死の影と、その上で笑う泥棒猫を見据えた。
深夜の遊園地。
ジェットコースターのレールの上で、常識外れの追いかけっこ(チェイス)が、今まさに最高速で走り出した。




