第47話:出撃、アンラッキー・カルテット
道具には魂が宿るという。
使い手の汗を吸い、脂を吸い、時には血を吸って、ただの物質から「相棒」へと昇華する。
だが、逆に言えば、魂の入っていない道具はただの物質に過ぎない。
それを武器として振るう時、問われるのは道具の性能ではなく、使い手の「殺意」の純度だ。
「……これか」
遺失物管理センター、薄暗い掃除用具入れ。
俺、黒鉄ジンは、モップを一本手に取り、その重量感を確かめていた。
柄は安っぽい木製。先端には、埃と泥を吸って灰色に変色した布束がついている。
ホームセンターで598円で売られている、ごくありふれた清掃用具だ。
名刀でもなければ、魔導兵器でもない。
「……軽ィな」
俺は手首を返し、モップを振った。
ブンッ、と頼りない風切り音がする。
かつて愛用していた『ロング・デッキブラシ(改)』や、盗まれた『高枝切りバサミ』のような、手に吸い付くようなフィット感はない。重心もバラバラだ。
だが、今の俺にはこれで十分だった。
「汚れを落とすのに、名剣は要らねぇ。……こびりついた泥棒猫を『拭き取る』だけだ」
俺はモップの柄を、ガムテープで補強した。
滑り止めのために荒く巻き付けたテープの感触が、掌に食い込む。
殺意という名の研磨剤で、この安物を凶器に仕立て上げる。
「ジン、準備はいい?」
背後から、マシロの声がした。
振り返ると、彼女はすでにナビゲーションモードを起動し、画面にダンジョンの地図を投影していた。
「ああ。いつでもいける」
「……本気なのね。そのモップで」
「文句あるか? こいつは吸水性が高い。泥棒の涙も血も、残さず吸い取ってやるさ」
俺はニヤリと笑い、モップを肩に担いでリビングへと戻った。
そこには、すでに臨戦態勢(?)の仲間たちが待機していた。
「準備完了です! 弾薬補充よし、信管セットよし! 遊園地を更地にする準備は万端です!」
栗花落ツムギが、パンパンに膨れ上がったリュックを背負って敬礼する。
その中身が全て火薬だと考えると、歩く弾薬庫だ。転んだだけでセンターが消滅する。
「ボクも準備万端だよ。麻酔薬、筋弛緩剤、それに死体処理用の袋……ふふ、楽しい遠足になりそうだねぇ」
薬師寺ヤクモが、白衣のポケットにメスを並べながら舌なめずりをする。
遠足の定義が根本から間違っている。
そして。
「……僕も行くケロ」
部屋の隅、バスタブの中から緑色の手が伸びた。
レオだ。
彼はヌルヌルした手でバスタブの縁を掴み、プルプルと震えながら身を起こした。
その顔色は、薬の副作用で鮮やかなアマガエル色をしているが、瞳だけは真剣だった。
「レオ? お前は寝てろ。足手まといだ」
俺は冷たく言った。
今のこいつは、戦闘力皆無の両生類だ。連れて行っても、乾燥して干物になるのがオチだ。
「断るケロ! ……騎士として、泥棒は見過ごせんケロ!」
レオは立ち上がろうとして、足元の石鹸に滑って転倒した。
ビタンッ! という情けない音が響く。
「……ほら見ろ。自分の足元もおぼつかねぇ奴が、何ができる」
「できるケロ! ……僕には、確かめなきゃならないことがあるんだケロ!」
レオは這いつくばったまま、俺を見上げた。
「あの怪盗……僕を気絶させたあの『影』。……ただの泥棒じゃない気がするケロ。あの動き、あの気配……どこかで……」
「……心当たりがあるのか?」
「分からんケロ。だが、胸がざわつくんだケロ。……それに」
レオの視線が泳ぐ。
そして、部屋の中を飛んでいるハエをチラリと見た。
「……置いていかれたら、ハエが食べられないケロ」
「最後の一言で台無しだよ!!」
俺は頭を抱えた。
結局、食欲かよ。騎士の誇りはどこへ行った。
「……はぁ。勝手にしろ。ただし、水切れで干物になっても知らねぇぞ」
「感謝するケロ! ……あ、移動はバスタブごと頼むケロ。乾燥肌なんだケロ」
「注文が多いんだよ!」
俺は舌打ちをしながらも、ヤクモと協力してレオ(バスタブ入り)を台車に乗せた。
ガラガラと音を立てて運ばれるカエル騎士。
シュールすぎて涙が出てくる。
「総員、乗車! 目的地は『ドリームランド』だ!」
俺の号令と共に、アンラッキー・カルテット+1匹は、夜の闇へと飛び出した。
***
一時間後。
ダンジョンB2Fへ向かう搬送用ルートを、霊柩車(ブラック・スワン号)が爆走していた。
「ヒャッハーー! 夜の遊園地! デートスポットですね!」
助手席でツムギがはしゃいでいる。
彼女の膝の上には、デートには似つかわしくないC4爆薬の塊が抱かれている。
窓の外を流れる地下道の壁を見ながら、彼女はウットリと呟いた。
「遊園地って、構造物が密集してるから爆破しがいがありますよねぇ。観覧車を倒して、ドミノ倒しみたいにジェットコースターを崩壊させる……あぁ、想像しただけでヨダレが……」
「静かにしろ。……デートじゃねぇ、害獣駆除だ」
俺はハンドルを握りながら、前方の闇を睨んだ。
この車は相変わらずハンドルが重い。死人の未練でも乗っているのかと思うほどだ。
後部座席(荷台)では、バスタブに浸かったレオが、車の揺れに合わせて「チャプン、チャプン」と波の音を立てている。
カーブを曲がるたびに「おっとっとケロ!」「こぼれるケロ!」と叫び声が聞こえる。
「ねえジン君。もし現地で死体が出たら、この車に乗せて帰っていいかい?」
ヤクモがバックミラー越しに話しかけてくる。
「ダメだ。定員オーバーだ」
「じゃあ、解体してコンパクトにするよ。マシロちゃん、冷凍保存の温度管理頼める?」
「お断りよ! 私のスマホを冷蔵庫のリモコンにしないで!」
ナビ席のマシロ(スマホ)が拒絶する。
カオスだ。
これから命がけの潜入任務だというのに、緊張感の欠片もない。
「……ねえ、ジン」
ふと、マシロの声色が真面目なトーンに変わった。
「相手は『怪盗』なんでしょ? 罠があるかもしれないわよ」
「ああ。分かってる」
俺はアクセルペダルに足を乗せたまま、短く答えた。
罠はあるだろう。
屋敷での陽動、センターへの空き巣。
あのアリスとかいうガキは、俺たちを手のひらで転がして遊んでいる。
遊園地に呼び出したのも、俺たちをオモチャにして楽しむための舞台装置に過ぎない。
「……だが、罠だろうが何だろうが、俺のテリトリー(所有物)に手を出したことを後悔させてやる」
俺はアクセルを踏み込んだ。
怒りが、エンジンを加速させる。
たかがハサミ。されどハサミ。
それは俺のプライドであり、過去との決別であり、そして今の俺を支える「背骨」のようなものだ。
それを奪われたままでは、俺はただの「無気力な負け犬」に戻っちまう。
「見えてきたぞ」
前方に、錆びついた巨大なゲートが見えてきた。
色褪せたネオンサインが、チカチカと不規則に点滅している。
『ドリームランドへようこそ』。
文字の一部が欠け、『ド ーム ドへ う そ』と読める。
「ドームで嘘」。
不吉極まりないアナグラムだ。
ゲートの奥には、巨大な観覧車のシルエットが、月明かり(人工照明)を背にして黒々と浮かび上がっていた。
動いていないはずの遊具たちが、キーキーと風に揺れて、まるで亡者のうめき声のように鳴いている。
「……お化け屋敷だねぇ」
ヤクモが楽しそうに呟く。
「お化け屋敷なら、爆破して浄化しましょう!」
ツムギが信管を取り出す。
「ケロ……。あそこから、嫌な湿気を感じるケロ……」
レオが鼻をひくつかせる。
俺は車をゲートの前に停め、エンジンを切った。
静寂が訪れる。
だが、それは平和な静けさではなく、何かが息を潜めて待ち構えているような、張り詰めた静寂だった。
「……降りるぞ」
俺たちは車を降り、ゲートの前に立った。
俺はモップを構え、深く息を吸い込む。
カビと、鉄錆と、そして微かな甘い香水の匂いが漂ってくる。
「開園時間だ。……チケット(拳骨)は持ったか?」
俺が振り返ると、頼もしい(?)仲間たちがそれぞれの武器を構えていた。
「いつでもどうぞです! 花火の準備は万全です!」
ツムギが火炎放射器の種火をつける。
「メスの切れ味は最高だよ。解剖台はどこかな?」
ヤクモが医療用鋸を回す。
「ケロ! ……あ、ハエ!」
レオが空中の虫を目で追う。
「……はぁ。行くわよ」
マシロが諦めたようにドローンを展開する。
俺は苦笑し、錆びついたゲートを蹴り開けた。
ギィィィィ……!!
重い金属音が響き渡り、俺たちは廃遊園地『ドリームランド』へと足を踏み入れた。
その時。
『――ladies and gentlemen! ようこそ、夢と狂気のワンダーランドへ!』
園内のスピーカーから、ノイズ混じりの、しかし酷く楽しげな少女の声が響き渡った。
大音量のファンファーレと共に、園内のイルミネーションが一斉に点灯する。
パパパパパッ!!
「……ッ!」
まばゆい光が俺たちを包む。
廃墟だったはずの遊園地が、一瞬にして極彩色の光の洪水に飲み込まれた。
ただし、その光は毒々しい紫やピンク色で、メルヘンというよりはサイケデリックな悪夢の世界だ。
『お待ちしておりました、おじさんたち♡ 今夜のメインイベントは、私とハサミを巡る『鬼ごっこ』よ!』
スポットライトがパッ! と点灯し、園内の中央にある広場を照らし出した。
そこには、巨大な噴水(血のように赤い水が出ている)の上に立ち、俺の『高枝切りバサミ』を指揮棒のように振るう、猫耳フードの少女の姿があった。
怪盗アリス・ファントムハイヴ。
彼女はハサミを空に掲げ、クルクルと回してみせる。
俺の愛用品が、あんなガキのオモチャにされている。
その光景を見た瞬間、俺の頭の中で何かが切れる音がした。
「……見つけたぞ、泥棒猫」
俺はギリリと奥歯を噛み締めた。
モップを握る手に、血管が浮き出る。
『ルールは簡単! 私を捕まえればハサミは返すわ! でも……捕まえられなかったら、おじさんの命も、そこのカエルさんの命も、ぜーんぶ私のコレクションに加えちゃうからね!』
キャハハハッ! と無邪気な笑い声が反響する。
同時に、周囲の遊具たち――メリーゴーランドの木馬や、ピエロの人形たちが、ガシャガシャと不気味な音を立てて動き始めた。
その目は赤く光り、口からはオイル(涎)を垂らしている。
「上等だ。……そのふざけた減らず口、掃除機で吸い取ってやる」
俺は地を蹴った。
ゴングは鳴った。
深夜の遊園地を舞台にした、最悪の鬼ごっこが幕を開ける。
(待ってろよ、相棒。……今、迎えに行くからな)
俺のモップが、風を切って唸りを上げた。




