第46話:センター侵入者
緊急事態における人間の反応速度は、その人物が背負っている「守るべきもの」の重さに比例する。
ある者は家族のために、ある者は金のために、そしてある者は――自分の「城」を守るために、限界を超えた速度を叩き出す。
「飛ばすぞ! 舌噛むなよ!」
漆黒の霊柩車『ブラック・スワン号』が、ダンジョン都市のハイウェイを暴走していた。
制限速度? そんなものは道路交通法という名のファンタジーだ。
俺、黒鉄ジンは、ハンドルを握りしめ、アクセルペダルを床まで踏み抜いていた。
キキキキキッ!!
タイヤが悲鳴を上げ、車体が大きく傾く。
後部座席(棺桶スペース)からは、荷物と同居人たちが転がり回る音が聞こえてくる。
「ひぃぃぃッ! 先輩、ドリフトは聞いてません! 爆弾が起爆しちゃいます!」
「おやおや、遠心分離機の中にいる気分だねぇ。内臓の位置がズレそうだ」
ツムギとヤクモの悲鳴(と歓喜の声)をBGMに、俺はバックミラーを一瞥した。
そこには、青ざめた顔でスマホにしがみつくマシロの姿があった。
「ジン! センターの監視カメラ、映像が途切れたわ! 最後の映像には……人影が映ってる!」
「チッ、やっぱりか! 手早いなクソ野郎!」
俺は舌打ちをした。
屋敷への呼び出しは陽動。
本命は、俺たちが留守にしている隙の「空き巣」だ。
狙いは何だ?
金庫の中の三百六十八円か?
それとも、ヤクモが隠し持っている違法薬物の在庫か?
あるいは――マシロの存在に気づいた連中による、彼女の拉致か?
(……どれでもねぇ。もっと嫌な予感がしやがる)
俺の「掃除屋の勘」が、背筋を冷たく撫でていた。
敵は、俺たちの弱点を知り尽くしている。
金でも、薬でもない。もっと致命的な、俺たちの「急所」を狙ってきている気がした。
「着いたぞ!」
キキーッ!!
激しいスキール音と共に、霊柩車が地下駐車場の入り口に滑り込んだ。
俺はエンジンを切るのももどかしく、運転席から飛び出した。
「ツムギ! 裏口を固めろ! ヤクモはカエル(レオ)の生存確認だ!」
「ラジャーです! 逃げる奴は爆殺します!」
「はいはい。死体検分じゃないといいけどねぇ」
俺は鉄扉を蹴り開けた。
「オラァッ!! 泥棒さんのお帰りだぞ!!」
バンッ!!
勢いよく開いた扉が壁に激突し、乾いた音が響き渡る。
俺はデッキブラシ(代用品のモップ)を構え、室内へと踏み込んだ。
殺気。敵意。罠。
あらゆる可能性を想定して身構える。
だが。
「……あ?」
目の前に広がっていたのは、予想外の光景だった。
荒らされていなかった。
書類は散乱しておらず、家具もひっくり返されていない。
マシロが丹精込めて掃除した床はピカピカのままで、ヤクモのホルマリン漬けコレクションも無事だ。
ただ一点を除いて。
「……ケロ……」
リビングの中央。
巨大な水槽の中で、緑色の物体が仰向けになって浮かんでいた。
白い腹を見せ、手足を力なく広げている。
その姿は、夏休みの終わりに田んぼで力尽きたカエルの死骸そのものだった。
「レオ!?」
俺は駆け寄り、バスタブの中を覗き込んだ。
レオだ。
カエルの姿のまま、白目を剥いて気絶している。
口からは魂のような白いエクトプラズムが漏れ出していた。
「おい! しっかりしろ! 死んだか!?」
俺が頬を叩くと、レオはビクリと痙攣し、うわ言のように呟いた。
「……む、虫……ハエが……うまい……ケロ……」
「生きてた。けど尊厳は死んでるな」
俺は安堵のため息をつき、周囲を見渡した。
レオに外傷はない。
ただ、頭に大きなたんこぶができている。
おそらく、不意打ちで気絶させられたのだろう。
「……手練れだな」
俺は目を細めた。
腐ってもレオは騎士団長だ。カエル化して弱体化しているとはいえ、一般人が背後から殴って気絶させられる相手じゃない。
気配を消し、一撃で意識を刈り取るプロの仕業だ。
「ジン! これを見て!」
奥の部屋から、マシロの鋭い声が響いた。
俺は弾かれたように顔を上げる。
「金庫か!?」
「ううん。……あんたのロッカーよ」
俺はロッカーへと走った。
そこは、俺の商売道具や、私物を保管している場所だ。
扉が開け放たれている。
中は、空っぽだった。
「……は?」
俺の思考が停止する。
金庫は無事だ。
ヤクモの薬品棚も手付かずだ。
高価な魔導具や、換金できそうな遺失物には目もくれず、犯人が持ち去ったのは――。
「……俺の、『ハサミ』か?」
ロッカーの奥。
いつもそこに立てかけてあった、赤錆びた園芸用の道具。
『高枝切りバサミ』。
激闘を経て、ボロボロになりながらも俺の相棒として活躍してきた、あのハサミだけが消えていた。
その代わりに、一枚のカードが残されていた。
俺は震える手でそれを拾い上げた。
上質な紙に、流麗な筆記体で書かれたメッセージ。
そして、挑発的なキスマーク。
『おじさんの大事なもの、頂いたわ♡ ――怪盗ファントム』
「……ふ、ざけるな」
俺の手の中で、カードがくしゃりと握り潰された。
「……え? ハサミ?」
遅れて入ってきたツムギが、キョトンとした顔で首を傾げる。
「先輩のハサミって……あの、ホームセンターで買ったボロいやつですか? なんであんなものを?」
「ボクの劇薬コレクションを無視して、園芸用品を盗むとはねぇ。変わった泥棒だ」
ヤクモも肩をすくめる。
彼らにとって、それはただの「ガラクタ」に過ぎない。
金銭的な価値など皆無に等しい、粗大ゴミだ。
だが、俺にとっては違う。
「……おい。誰がボロだ」
俺の口から、地獄の底から響くような低い声が漏れた。
「ひっ!?」
ツムギがビクッと後ずさる。
俺はゆっくりと振り返った。
その時の俺の顔は、おそらく、5年前に魔王と対峙した時よりも恐ろしかったに違いない。
「あいつはな……。あいつは、ただのハサミじゃねぇんだよ」
俺はロッカーの空虚な空間を睨みつけた。
「錆びてるが、噛み合わせは最高なんだ。……グリップの歪みも、バネの硬さも、全部俺の手に馴染むように調整してある。俺が『掃除屋』として生きていくために、泥の中から拾い上げて、磨き直した……世界に一つだけの相棒なんだよ!」
5年前。全てを失って、剣を捨てた俺。
そんな俺が、再び何かを握ろうとした時、瓦礫の下で見つけたのがあのハサミだった。
誰にも見向きもされない、捨てられた道具。
それが、俺自身と重なった。
「誰にも必要とされねぇガラクタでも、磨けば光るってことを……俺が証明してやらなきゃいけねぇんだよ!」
俺の絶叫が、狭いロッカールームに木霊する。
静寂。
ツムギとヤクモは、ポカンと口を開けて俺を見ていた。
「……ジン」
マシロが、呆れたように、でも少しだけ優しげな声で言った。
「……あんた、結構あのハサミ気に入ってたでしょ? 毎晩こっそり油差して手入れしてたものね」
「う、うるせぇ! 道具のメンテナンスはプロの基本だ!」
「はいはい。……でも、名前までつけてたのは引くわよ。『エスカリボルグ・シザース(仮)』だっけ?」
「なっ!? 盗み見したのか!?」
俺は顔を真っ赤にして叫んだ。
中二病全開のネーミングセンスをバラされるのは、ハサミを盗まれるより恥ずかしい。
「……とにかく!」
俺は強引に話を戻した。
恥ずかしさを怒りに変換し、拳を握りしめる。
「許さねぇ。……俺の商売道具を盗んだその度胸だけは買ってやる。だが、代金は高くつくぞ」
俺の目から、理性の光が消え、狩人の色が宿る。
「探すぞ。マシロ、痕跡だ」
「もうやってるわよ」
マシロはスマホの画面を操作し、ARモードを展開した。
空中に浮かび上がる、微かな光の粒。
犯人が残していった魔力の残滓だ。
「……微弱だけど、独特な波長ね。甘い香水みたいな匂いと、焦げ付いたような鉄の臭い。……こっちよ」
光の粒は、床を這い、窓の隙間から外へと続いていた。
「方角は……ダンジョン地下二階(B2F)。エリア『ドリームランド』」
「ドリームランド……? 廃遊園地か」
俺は眉をひそめた。
そこは、数年前に経営破綻し、そのままダンジョンに取り込まれて放置された巨大な遊園地跡地だ。
今ではゴーストタイプの魔物や、暴走した自動人形が徘徊する、悪趣味な心霊スポットと化している。
「ふん。……似合いの隠れ家だな」
俺は掃除用具入れを開け、代わりの武器を探した。
デッキブラシはない(折れた)。
ハサミもない(盗まれた)。
残っているのは――。
「……これか」
俺が手に取ったのは、使い古された『モップ』だった。
柄は木製。先端には薄汚れた布束がついている。
武器としては心許ないが、今の俺にはこれで十分だ。
「上等だ。……モップで泥棒猫に『躾』をしてやる」
俺はモップをバシッと構え、振り返った。
「総員、出撃だ! 俺のハサミを取り返すぞ!」
「了解です! 遊園地ですね! ジェットコースター爆破したいです!」
「死体遺棄には絶好の場所だねぇ。ボクも解剖セットを持っていくよ」
ツムギとヤクモが嬉々として準備を始める。
頼もしいが、動機が不純すぎる。
「……僕も、行くケロ」
その時、バスタブの中から弱々しい声がした。
レオだ。
彼は緑色の手でバスタブの縁を掴み、プルプルと震えながら身を起こした。
「レオ? お前は寝てろ。足手まといだ」
「断るケロ! ……騎士として、泥棒は見過ごせんケロ!」
レオの瞳が、カエルのそれでありながら、確かに騎士の光を宿して燃えていた。
「それに……僕を気絶させたあの『影』。……ただの泥棒じゃない気がするケロ。あの動き、あの気配……どこかで……」
「……心当たりがあるのか?」
「分からんケロ。だが、確かめねばならん。……それに、置いていかれたらハエが食べられないケロ」
「最後の一言で台無しだよ!」
俺はため息をついたが、こいつの頑固さは知っている。
一度言い出したら聞かないカエルだ。
「……勝手にしろ。ただし、水切れで干物になっても知らねぇぞ」
「感謝するケロ! ……あ、移動はバスタブごと頼むケロ」
「注文が多いんだよ!」
***
一時間後。
ダンジョンB2Fへ向かう搬送用ルートを、霊柩車(ブラック・スワン号)が爆走していた。
「ヒャッハーー! 夜の遊園地! デートスポットですね!」
助手席でツムギがはしゃいでいる。
彼女の膝の上には、デートには似つかわしくないC4爆薬の塊が抱かれている。
「静かにしろ。……デートじゃねぇ、害獣駆除だ」
俺はハンドルを握りながら、前方の闇を睨んだ。
後部座席(荷台)では、バスタブに浸かったレオが、車の揺れに合わせて「チャプン、チャプン」と波の音を立てている。シュールだ。
「ねえジン。相手は『怪盗』なんでしょ? 罠があるかもしれないわよ」
ナビ席のマシロ(スマホ)が警告する。
「ああ。分かってる。……だが、罠だろうが何だろうが、俺のテリトリー(所有物)に手を出したことを後悔させてやる」
俺はアクセルを踏み込んだ。
怒りが、エンジンを加速させる。
たかがハサミ。されどハサミ。
それは俺のプライドであり、過去との決別であり、そして今の俺を支える「背骨」のようなものだ。
それを奪われたままでは、俺はただの「無気力な負け犬」に戻っちまう。
「見えてきたぞ」
前方に、錆びついたゲートと、色褪せたネオンサインが見えてきた。
『ドリームランドへようこそ』。
文字の一部が欠け、『ド ーム ドへ う そ』と読める。
不吉極まりない。
ゲートの奥には、巨大な観覧車のシルエットが、月明かりを背にして黒々と浮かび上がっていた。
動いていないはずの遊具たちが、キーキーと風に揺れて鳴いている。
「……お化け屋敷だねぇ」
ヤクモが楽しそうに呟く。
車を停め、俺たちはゲートの前に立った。
俺はモップを構え、深く息を吸い込む。
「開園時間だ。……チケット(拳骨)は持ったか?」
「いつでもどうぞです!」
「メスの切れ味は最高だよ」
「ケロ!」
頼もしい(?)仲間たちを引き連れ、俺は廃遊園地へと足を踏み入れた。
その時。
『――ladies and gentlemen! ようこそ、夢と狂気のワンダーランドへ!』
園内のスピーカーから、ノイズ混じりの、しかし酷く楽しげな少女の声が響き渡った。
「……ッ!」
『お待ちしておりました、おじさんたち♡ 今夜のメインイベントは、私とハサミを巡る『鬼ごっこ』よ!』
スポットライトがパッ! と点灯し、園内の中央にある広場を照らし出した。
そこには、巨大な噴水の上に立ち、俺の『高枝切りバサミ』を指揮棒のように振るう、猫耳フードの少女の姿があった。
怪盗アリス。
「……見つけたぞ、泥棒猫」
俺はギリリと奥歯を噛み締めた。
『ルールは簡単! 私を捕まえればハサミは返すわ! でも……捕まえられなかったら、おじさんの命も、そこのカエルさんの命も、ぜーんぶ私のコレクションに加えちゃうからね!』
キャハハハッ! と無邪気な笑い声が反響する。
同時に、周囲の遊具たち――メリーゴーランドの木馬や、ピエロの人形たちが、ガシャガシャと不気味な音を立てて動き始めた。
「上等だ。……そのふざけた減らず口、掃除機で吸い取ってやる」
俺は地を蹴った。
ゴングは鳴った。
深夜の遊園地を舞台にした、最悪の鬼ごっこが幕を開ける。
(待ってろよ、相棒。……今、迎えに行くからな)
俺のモップが、風を切って唸りを上げた。




