第45話:空っぽの屋敷と、視線
「金持ちの家」というものには、特有の匂いがある。
磨き上げられた床のワックスの匂い、高そうな革張りのソファの匂い、そして何より――「他人を見下す余裕」の匂いだ。
だが、これから俺たちが向かう場所には、そういった人間臭い匂いが一切しないらしい。
あるのはただ、舞台の書き割りのような、ペラペラの虚無だけ。
***
午後八時。
ダンジョン都市の夜景を切り裂くように、一台の漆黒の車が走っていた。
車種はロングボディのバン。ただし、屋根には金色の装飾が施され、窓には紫色のカーテンが引かれている。
どう見ても霊柩車である。
「……ねえ、ジン。一つ聞いていい?」
運転席の俺、黒鉄ジンの胸ポケットから、マシロ(スマホモード)の呆れたような声が響いた。
「なんだよ。運転中は話しかけるな。ただでさえこの車、ハンドルが重くて腱鞘炎になりそうなんだ」
「どうして私たちは、これに乗ってるの? 目立ちすぎじゃない? すれ違う車の人たちが、みんな十字を切ってるわよ」
「失敬な。これはウチの社用車『ブラック・スワン号』だぞ。中古車オークションで競り落とした逸品だ」
俺はハンドルを切りながら答える。
前の持ち主(葬儀屋)の怨念か知らないが、燃費は最悪で、カーナビはたまに墓地を目的地に設定しようとする可愛い奴だ。
「それに、これなら職務質問されても『遺体の搬送中です』で押し通せるだろ。荷台に爆弾魔を積んでるなら、これくらいのカモフラージュは必須だ」
「カモフラージュになってないわよ! 逆に怪しいわ!」
マシロが画面の中でプンプンと怒る。
その時、後部座席(棺桶スペース)から、能天気な声が割り込んできた。
「先輩! 見てください! 夜景が綺麗ですよー!」
栗花落ツムギだ。
彼女は棺桶を固定するレールの上に胡座をかき、窓の外を流れるネオンを眺めていた。
その膝の上には、テディベアのように抱きかかえられたC4爆薬の塊がある。
「あのビル、構造的に爆破しやすそうですね! 三階の柱を二本折れば、綺麗に倒壊させられますよ!」
「やめろ。街並みを『爆破対象』として見るな。テロリストの英才教育か」
「えへへ。職業病ですね! ……あ、でも先輩、今回の現場って『お屋敷』なんですよね? 木造ですか? 石造りですか?」
「石造りの洋館だそうだ。……それがどうした」
「石造りかぁ……。それだと、振動が伝わりにくいので、壁を壊すには指向性の成形炸薬が必要ですね。あ、持ってきてよかったぁ!」
ツムギはリュックをガサゴソと漁り、漏斗状の金属パーツを取り出してニマニマしている。
こいつにとっての「準備」とは、ハンカチとティッシュではなく、信管と起爆装置のことらしい。
「いいか、ツムギ。今回は『隠密行動』だ。潜入任務だ。派手な爆発は厳禁だぞ」
「えぇーっ!? じゃあ、何のためにこれ持ってきたんですか!? 重いのに!」
「お守りだと思え。……あと、もしもの時の『脱出路確保』用だ」
俺はバックミラー越しにツムギを睨んだ。
彼女は不満そうに頬を膨らませたが、しぶしぶ爆薬をリュックに戻した。
「……はぁ。どいつもこいつも」
俺はため息をつき、アクセルを踏み込んだ。
三百六十八円の残高。
迫りくるヤクモの請求書。
そして、この怪しい依頼。
俺たちの行く手には、暗雲しか立ち込めていない気がする。
車はダンジョンへの入り口を通過し、地下へと続く螺旋状のスロープを降りていく。
タイヤが鳴く。
湿った空気が車内に入り込み、霊柩車特有の線香の匂いと混ざり合う。
目指すは地下二階(B2F)。
『貴族屋敷エリア』。
そこは、かつて地上にあった高級住宅街が、ダンジョン発生時の地殻変動でそのまま飲み込まれ、地下空間に保存されてしまった場所だ。
今では、地上の法が届かない無法者たちの隠れ家や、闇取引の現場として利用されている。
「……着いたぞ」
数十分後。
俺は車を停めた。
目の前には、巨大な鉄格子の門がそびえ立っている。
その奥には、闇夜に溶けるようなゴシック様式の豪邸が、不気味に鎮座していた。
「うわぁ……。お化け屋敷みたいですね」
ツムギが車から飛び降り、無邪気な感想を漏らす。
「失礼ね。お化け(私)はもっと清潔よ」
マシロがスマホのカメラで屋敷をスキャンしながら言う。
「……変ね。灯りが一つもついてない。依頼主は在宅のはずでしょ?」
「寝てるんじゃねぇか? それか、電気代を滞納して止められたか」
「あんたと一緒にしないで。……電気が止められてるんじゃなくて、『通ってない』みたいよ。メーターが動いてない」
マシロの言葉に、俺は眉をひそめた。
電気も通っていない屋敷に、三百万円もの報酬を用意できる金持ちが住んでいる?
矛盾している。
「……キナ臭いな」
俺は懐中電灯を取り出し、デッキブラシ(代用品のモップ)にガムテープで固定した。
即席の武装だ。
「ツムギ、下がってろ。まずは俺が様子を見る」
俺は鉄格子に近づき、手をかけた。
鍵はかかっていない。
ギィィィ……と、油の切れた蝶番が、悲鳴のような音を立てて重い扉を開いた。
「お邪魔しまーす……っと」
敷地内へ足を踏み入れる。
手入れされた庭木。石畳のアプローチ。
一見すると、ただの立派な屋敷だ。
だが、俺の「掃除屋」としての勘が、強烈な違和感を訴えていた。
「……綺麗すぎる」
「え? 掃除しなくていいってことですか?」
「違う。……ゴミがねぇんだよ」
俺は足元をライトで照らした。
石畳の隙間には雑草一本生えていない。落ち葉も一枚もない。
まるで、昨日作られたばかりの映画のセットのように、不自然なほど整っている。
「人が住んでりゃ、必ずゴミが出る。足跡がつく。生活の匂いがするもんだ。……だが、ここにはそれがない」
あるのは、冷え冷えとした無機質な空気だけ。
「……マシロ。生体反応は?」
「ゼロよ。……ネズミ一匹いないわ」
マシロの声が硬い。
「それに……この屋敷、空気が『澱』んでる。魔力とか霊気とか、そういうエネルギーの流れが一切ないの。まるで、真空パックされた空間みたいに」
「……なるほどな。歓迎ムードじゃなさそうだ」
俺はモップを構え直し、玄関へと向かった。
巨大な両開きの扉。
そのノブには、埃ひとつついていない。
「行くぞ。……不法侵入だ」
俺はノブを回した。
カチャリ。
鍵は開いていた。招かれているかのように。
***
屋敷の中は、外見以上に異様だった。
広々としたエントランスホール。
高い天井からは、クリスタルのシャンデリアが吊り下げられている。
壁には高そうな絵画が飾られ、床にはふかふかのペルシャ絨毯が敷かれている。
「おぉー! 豪邸ですね! この壺とか高そう!」
ツムギが玄関ホールの飾り棚に置かれた壺をペタペタと触る。
「おい、触るな。呪われてるかもしれんぞ」
「大丈夫ですよ! もし呪いが出てきたら、壺ごと爆破しますから!」
「解決になってねぇよ!」
俺たちは慎重に廊下を進んだ。
コツ、コツ、と俺のブーツの音だけが響く。
絨毯が音を吸い込んでいるせいもあるが、それ以上に、この空間自体が音を拒絶しているような静けさだ。
「……ジン。気づいた?」
マシロが小声で囁く。
「ああ」
俺は壁に飾られた絵画をライトで照らした。
風景画だ。穏やかな田園風景が描かれている。
だが。
「……値札がついたままだ」
額縁の隅に、小さくバーコードシールが貼られていた。
それだけじゃない。
廊下に置かれた観葉植物も、よく見れば造花だ。
ソファにはビニールのカバーがついたままの箇所がある。
「……やっぱりな。ここは『急造された舞台』だ」
俺は確信した。
この屋敷は、誰かが住むために作られたんじゃない。
今日、この時のために、どこかから家具や調度品をかき集めて、体裁だけ整えたハリボテだ。
「誰が……何のために?」
「さあな。俺たちを『おもてなし』するためか、それとも……」
俺が言いかけた時。
ガタンッ!!
奥の部屋から、物音がした。
「ッ!?」
俺は瞬時にモップを構え、ツムギを背後に隠した。
何かが倒れるような音。
無人のはずの屋敷で。
「……ネズミか?」
「いえ、先輩。あの音……質量があります。少なくとも体重50キロ以上の物体が転倒した音です」
ツムギが冷静に分析する。こういう時のこいつの耳は頼りになる。
「行くぞ。……マシロ、索敵頼む」
「了解。……右奥の部屋よ。微弱だけど、魔力の揺らぎを感じるわ」
俺たちは音のした方角へ、忍び足で近づいた。
一階の突き当たり。
重厚なマホガニーの扉が、少しだけ開いている。
俺は扉の隙間から中を覗き込んだ。
そこは、食堂のようだった。
長いテーブルに、燭台が置かれている。
そして、その奥。
倒れた椅子と、床に散らばる食器の破片。
その中心に、何かがうずくまっていた。
「……人?」
ボロボロのローブを纏った、小柄な人影。
背中を向けて震えている。
「おい。大丈夫か?」
俺は声をかけた。
人影がビクリと反応し、ゆっくりとこちらを振り向く。
その顔を見た瞬間、俺は息を呑んだ。
顔が、なかった。
いや、あるはずの場所に、つるりとした白い陶器のような仮面が張り付いていた。
そして、その仮面の額には、魔法陣のような紋章が赤く明滅している。
「……『自動人形』か!」
俺が叫ぶと同時に、人形が奇声を上げた。
『侵入者検知! 侵入者検知! 排除シマス!』
機械的な音声と共に、人形の腕がガシャン! と変形し、回転するブレードが飛び出した。
「うわぁっ!? 殺人ロボットです! SFです!」
ツムギがパニックになる。
「落ち着け! 所詮は警備用の旧式だ! ……ツムギ、閃光弾!」
「は、はいっ! ピカッとさせます!」
ツムギがリュックから手榴弾を取り出し、ピンを抜いて投げつける。
カッッッ!!!!
強烈な閃光が食堂を満たす。
光学センサーを頼りにしているタイプなら、これで目が眩むはずだ。
『視覚センサー、エラー。再起動シマス……』
人形の動きが止まる。
その隙に、俺は踏み込んだ。
「『床掃除・打撃』!」
俺はモップの柄をフルスイングし、人形の頭部を横殴りにした。
ガゴォォォン!!
いい音がして、人形の首が物理的に180度回転した。
火花が散り、その場に崩れ落ちる。
「ふぅ……。脆いな」
俺は残心を示しながら、倒れた人形を見下ろした。
安っぽい量産品だ。
これもまた、この屋敷の「ハリボテ感」を強調している。
「先輩、すごいです! 一撃ですね!」
「まあな。……ん? こいつ、何か持ってるぞ」
俺は人形の手元に落ちていた、一枚の紙片を拾い上げた。
それは、古びた羊皮紙の切れ端だった。
そこには、殴り書きのような文字で、こう記されていた。
『二階……執務室……宝……』
「……宝の地図か?」
「いえ、これは『誘導』よ」
マシロが冷ややかに言う。
「わざとらしいわ。まるでRPGのヒントアイテムみたい。……私たちを、二階に行かせたがってる」
「罠ってことか」
「ええ。でも……行くしかないわね。依頼品のオルゴールがあるとしたら、そこしかないもの」
俺は紙片を握りつぶした。
罠だと分かっていて踏み込むのは癪だが、ここで帰ったら300万がパーだ。
それに、この屋敷の主が何を企んでいるのか、ツラを拝んでやりたい気分にもなってきた。
「上等だ。……付き合ってやるよ、その茶番に」
俺たちは食堂を出て、二階へと続く大階段を登った。
階段の手すりには埃が積もり、俺たちが通った跡だけがくっきりと残る。
二階の廊下は、一階以上に静まり返っていた。
月明かりだけが頼りの薄暗い空間。
俺は手前のドアから順にチェックしていった。
客室。空っぽ。
書斎。本棚には中身のない洋書の箱が並んでいる。背表紙だけ立派だが、中身は空箱だ。
寝室。ベッドには誰も寝た形跡がない。シーツに皺ひとつない。
「……徹底してんな。ここまで虚無だと、逆に感心するぜ」
「ジン、気をつけて。……さっきから、視線を感じるの」
「視線? 監視カメラか?」
「ううん。機械的な視線じゃない。もっと……粘着質な。誰かが、ずっと私たちの背中を見て笑ってるような……」
マシロの声が震える。
霊感のある彼女が言うなら間違いない。
俺たちの行動は、全て筒抜けだ。
「……ツムギ。背後に気をつけろよ」
「はいっ! 背後は地雷で守ります!」
「設置するなよ!? 自分が踏むぞ!」
そんなやり取りをしながら、俺たちは廊下の突き当たりにある、一際大きな扉の前に立った。
重厚な装飾が施された両開きの扉。
ここが、ヒントにあった「執務室」だろう。
「……ビンゴか?」
俺はモップを構え直し、慎重に近づいた。
ドアノブに手をかける。
鍵はかかっていない。
ガチャリ。
ドアが開く。
中は広々とした執務室だった。
月明かりが差し込む窓辺に、重厚なマホガニーの机が置かれている。
そして、その机の上に、ぽつんと一つだけ「置物」があった。
「……あれは」
俺は近づき、それを確認した。
それは、依頼書に同封されていた写真と同じ、古びた銀色のオルゴールだった。
精巧な彫刻。鈍い銀の輝き。
「あった……! ターゲットだ!」
俺は思わず駆け寄ろうとした。
だが、マシロが鋭い声で制止する。
「待って! 触らないで!」
「あ? なんだよ、これが300万だぞ?」
「違う。……あれは『本物』じゃない」
マシロの声が緊張で張り詰めている。
「中身が……空っぽよ。外見は写真と同じだけど、中に込められているはずの『機構』も、魔力も、何も感じない。ただのガワだけ」
「偽物ってことか?」
「ええ。それに……見て。その下に」
言われてよく見ると、オルゴールの下には、白いカードが挟まれていた。
俺はモップの柄の先で、慎重にカードを引き抜いた。
そこには、真っ赤なキスマークと共に、流麗な文字でこう書かれていた。
『残念、ハズレ♡ おじさんの大事なものは、もっと別の場所にあるわよ? ――怪盗ファントム』
「……は?」
俺の思考が一瞬停止した。
ハズレ?
大事なもの?
怪盗ファントム?
「……どういうことだ。俺たちは依頼を受けてここに来たんだぞ。盗まれたものを取り返しに……」
その時。
俺の脳裏に、電流のような嫌な予感が閃いた。
この依頼は「オルゴールを取り戻せ」だった。
だが、もしその依頼自体が、俺たちをこの屋敷に「おびき出す」ための撒き餌だったとしたら?
俺たちをセンターから引き離し、留守にするための――。
「……しまっ、た……!」
俺は顔色を変え、ポケットのスマホを取り出した。
ヤクモに電話をかける。
留守番をしているはずの、あの闇医者に。
プルルルル……プルルルル……。
出ない。
いつもなら即座に出て、「治療費の催促かい?」と嫌味を言ってくるはずのヤクモが出ない。
コール音だけが、静寂な執務室に虚しく響く。
「クソッ、出ろよヤブ医者! 解剖してやるぞ!」
10コール目。
ガチャッ。
『……あー、もしもし?』
繋がった。
だが、聞こえてきたのはヤクモの声ではなかった。
湿っぽく、震える、カエルの声だ。
「レオか!? ヤクモはどうした!?」
『ジ、ジンか……? た、大変だケロ……!』
レオの声は、パニックで裏返っていた。
背後で、何かが破壊されるような轟音と、ガラスが割れる音が聞こえる。
そして、誰かの高笑い。
『敵だケロ! センターに、誰かが入ってきたケロ! 影みたいな奴が……壁をすり抜けて……!』
「影……!? まさか、怪盗か!?」
『分からんケロ! ヤクモは薬品棚の下敷きになって気絶してるケロ! 僕は……僕は水槽ごとひっくり返されて……うわぁっ、来るな! あっちに行け!』
ガシャン!!
何かが倒れる音。
そして、レオの悲鳴。
『ターゲット確認。……これね』
電話の向こうから、聞き覚えのない、しかし酷く楽しげな少女の声が聞こえた。
『もらっていくわよ、おじさんの「商売道具」♡』
「おい! 誰だ! 何をする気だ!」
俺が叫ぶと同時に、ドカァン!! という爆発音が響いた。
そして、通信が途切れた。
「レオ! おい、レオ!!」
ツーツーツー……。
無機質な切断音が響くだけだ。
「……やられた」
俺はスマホを握り潰しそうになるほど強く握りしめた。
完全に、はめられた。
この屋敷はただの陽動。
空っぽの屋敷に俺たちを閉じ込め、その隙に本丸であるセンターを強襲する。
最初から、狙いはそっちだったんだ。
「……ジン、どうするの?」
マシロが不安げに聞いてくる。
「決まってんだろ! 帰るぞ! ツムギを呼べ!」
俺は踵を返し、廊下へと飛び出した。
階段を駆け下りながら、俺の中で怒りの炎が燃え上がる。
俺の城を荒らす奴は許さねぇ。
ましてや、留守番しているカエルと変態をいじめるなんて、言語道断だ。
あそこは、俺たちがやっと手に入れた、吹き溜まりのような安息の地なんだ。それを土足で踏み荒らすなんて……!
「ツムギ! 撤収だ! 全速力で戻るぞ!」
一階で暖炉の中を覗き込んでいたツムギの首根っこを掴み、俺は屋敷を飛び出した。
「えっ? もう終わりですか? まだ何も爆破してないのに!」
「爆破は後だ! 今は……俺たちの『家』を守るのが先だ!」
霊柩車(ブラック・スワン号)に飛び乗り、エンジンをふかす。
キーを回すと、エンジンが獰猛な獣のように唸りを上げた。
「飛ばすぞ! 舌噛むなよ!」
キュルル……ブォォォォン!!
タイヤが悲鳴を上げ、砂利を巻き上げて急発進する。
バックミラーの中で、空っぽの屋敷が遠ざかっていく。
その二階の窓から、誰かがこちらを見下ろして笑っているような気がした。
胸の中にあるのは、焦りと、そして奇妙な違和感。
カードに残された言葉。
『おじさんの大事なもの』。
そして電話越しの声。
『商売道具』。
怪盗は、一体何を盗もうとしているんだ?
金庫の中の三百六十八円か?
それとも――俺が、金よりも大事にしている『何か』か?
(……まさか、あれか?)
俺の脳裏に、一つの可能性が浮かんだ。
倉庫の奥にしまってある、あの錆びた――。
「……手出ししてみろ。地獄の果てまで追いかけて、ケツの毛まで毟り取ってやる」
俺はアクセルを床まで踏み込んだ。
夜風が、嘲笑うように窓を叩いていた。
センターまでの距離が、今は永遠のように長く感じられた。




