第44話:爆弾娘のアルバイト奮闘記
「金がない」という事実は、人の心を荒ませる。
だが、「金がない上に、借金取り(マッドドクター)が同居していて、毎日利息の計算を耳元で囁かれる」という状況は、人の心を通り越して「悟り」の境地へと誘うものだ。
「……あー。ダメだ。これもダメだ」
遺失物管理センター、昼下がりのリビング。
俺、黒鉄ジンは、テーブルの上に広げた求人情報誌『週刊ダンジョンワーク』をめくりながら、死んだ魚のような目で呟いていた。
「『ダンジョン内・荷物運び募集。※ただしオーガの餌になっても文句を言わない方』……ブラックすぎるだろ」
「『魔導実験の被験者募集。日給5万。※溶解・爆発のリスクあり』……ウチの日常と変わらねぇじゃねぇか」
ろくな仕事がない。
このダンジョン都市において、まともな職に就こうと思ったら、それなりのコネか資格が必要だ。
俺にあるのは「清掃員」の肩書きと、「借金王」の不名誉な称号だけ。
「先輩、またため息ですか? 幸せが逃げちゃいますよ?」
その時、横から明るい声が掛かった。
栗花落ツムギだ。
彼女は、いつもの爆破作業用エプロンではなく、どこか清楚な白ブラウスにスカートという、見慣れない「一般人」風の格好をしていた。
「ツムギか。……なんだその格好。コスプレか? 爆弾魔の偽装工作か?」
「失礼ですね! 面接用の勝負服ですよ!」
ツムギは胸を張り、くるりと回ってみせた。
背中のリュック(中身は多分C4)がなければ、普通に可愛い女子大生に見えなくもない。
「面接? お前がか?」
「はい! 先輩だけに苦労はさせられませんから! 私、こう見えても計算は得意ですし、接客だって笑顔でこなせます!」
ツムギは「ニパッ☆」と効果音がつきそうな笑顔を見せた。
確かに、黙っていれば愛想はいい。黙っていれば。
「……まあ、やる気があるのはいいことだが。どこ受けるんだ?」
「駅前のコンビニ『ダンジョン・マート』です! 『明るく元気な方、大歓迎』って書いてありました!」
「コンビニか……。まあ、爆発物は扱わないだろうし、大丈夫か?」
一抹の不安はある。
こいつの思考回路は「問題解決=爆破」で固定されている。
だが、レジ打ちや品出しなら、爆破する要素はない……はずだ。
「行ってきますね、先輩! 初任給が出たら、最高級の火薬をプレゼントしますから!」
「いらねぇよ! 米を買え、米を!」
ツムギは元気よく手を振り、センターを飛び出していった。
その背中は希望に満ち溢れていた。
……この時の俺は、まだ甘かったのだ。
「爆弾魔」という人種が、どれほど「日常」と相容れない存在であるかを、過小評価していた。
***
3時間後。
バンッ!!
センターのドアが乱暴に開かれた。
入ってきたのは、全身煤まみれで、髪の毛がアフロのようにチリチリに焼け焦げた、ボロボロの少女だった。
「……ただいま、戻りましたぁ……」
ツムギだ。
白いブラウスは黒く汚れ、スカートの裾は焦げている。
その目からは、ハイライトが消えていた。
「……おい。何があった」
俺は求人誌を閉じ、戦慄した声で聞いた。
戦場帰りか? それとも、テロリストと遭遇したのか?
「……クビに、なりました」
ツムギはその場に崩れ落ち、シクシクと泣き出した。
「早すぎるだろ! まだ3時間だぞ!? 面接で落ちたのか?」
「いえ……即採用で、そのまま研修に入ったんです。店長さんも『元気でいいね!』って褒めてくれて……」
「順調じゃねぇか。で、何をやらかした」
俺は核心を突いた。
ツムギがビクッと肩を震わせる。
「……その、レジ打ちの練習中に、お客様がお弁当を持ってきたんです。『幕の内弁当』を」
「おう。よくあるな」
「で、マニュアル通りに聞いたんです。『こちら、温めますか?』って」
「完璧だ。何も間違ってない」
「お客様が『ああ、頼む』って言ったので……私、張り切っちゃって」
ツムギが顔を上げ、遠い目をした。
「『分かりました! 芯までホッカホカに加熱しますね!』って言って……電子レンジの出力ダイヤルを回したんです」
「回した?」
「はい。……『最大出力』の、その先まで」
「……は?」
「私、家電の改造癖があって……レンジの出力リミッターを解除しちゃったみたいで……。あと、温めムラが嫌だったので、お弁当の中に少量の『テルミット粉末』を隠し味として……」
「馬鹿野郎!!」
俺はツッコミを入れた。
テルミット反応。酸化鉄とアルミニウムの粉末が反応すると、約3000度の高熱を発する。
それを、電子レンジの中で?
「スイッチを入れた瞬間、ボンッ! って……。レンジの扉が吹き飛んで、お弁当がプラズマ化して……天井に穴が……」
「テロだ! それは温めじゃなくて『焼却処分』だ!」
「店長さんが『ギャァァァ! 店が! 俺の店がぁぁ!』って泡吹いて倒れちゃって……。それで、即日解雇です……うぅぅ……」
ツムギが突っ伏して号泣する。
俺は頭を抱えた。
予想の斜め上を行く破壊力だ。コンビニ弁当を兵器に変える才能なんて、誰も求めていない。
「……賠償金は?」
「……お給料と相殺ってことで、許してもらえました。店長さん、いい人でした……」
「いい人すぎるだろ。二度と近づくなよ」
俺はため息をついた。
これで、ツムギの稼ぎという線も消えた。
やはり、地道に働くしかないのか。俺が。この社会不適合者の集まりを養うために。
「……ケロ」
部屋の隅、バスタブの中から湿っぽい声がした。
レオだ。
カエルの姿のまま、水面から顔だけを出して、泣いているツムギを見つめている。
「……泣くなケロ、ツムギ」
「レ、レオさん……」
レオはバスタブの縁に手をかけ、ヌルリと身を乗り出した。
その緑色の顔は、奇妙なほどに慈愛に満ちていた。
「失敗は誰にでもあるケロ。……僕なんて見てみろケロ。国の英雄から、一転して両生類だケロ。これ以上の転落人生があるかケロ?」
「……うぅ、レオさん……」
「君はまだ若い。爆破の失敗なんて、青春の1ページだケロ。……元気出すケロ」
レオが、水かきのある手でツムギの頭を撫でる。
ヌメヌメしているはずだが、ツムギは嫌がる素振りも見せず、感動で目を潤ませた。
「レオさん……! 優しい……! 私、レオさんがこんな姿になっても、中身はイケメンなままだって分かります!」
「……そうかケロ? へへっ、照れるケロ……」
レオが鼻の下を伸ばし(物理的に伸びた)、照れ笑いを浮かべる。
美しい友情のシーン……に見えるかもしれない。
だが、俺の目は誤魔化されない。
レオの視線が、ツムギの涙ではなく、彼女の髪に止まっているハエに向いていることを。
舌がチロチロと動いているのを。
(……こいつ、慰めるフリしてハエ狙ってやがるな)
俺はジト目で見たが、ツムギは気づいていない。
「ありがとうございます、レオさん! ……私、お礼がしたいです!」
ツムギがガバッと顔を上げ、リュックをまさぐった。
「落ち込んでいるレオさんに、最高のリラックスをプレゼントします! ……これを使ってください!」
彼女が取り出したのは、野球ボール大の、ピンク色の球体だった。
甘い香りが漂っている。
「……なんだケロ、これ?」
「『特製バスボム』です! お風呂に入れると、シュワシュワして気持ちいいですよ!」
「おお! それは気が利くケロ! ちょうど入浴剤が切れてたんだケロ!」
レオが嬉々として受け取ろうとする。
だが、俺の「鑑定眼(掃除屋の勘)」が、そのピンク色の塊から危険なオーラを感じ取った。
「……おいツムギ。それ、成分は何だ?」
「え? 重曹とクエン酸、アロマオイル……あと、発泡力を高めるために『ニトロセルロース』と『C4(プラスチック爆薬)』を少々」
「爆弾じゃねぇか!!」
俺は叫び、レオの手からバスボムを叩き落とした。
「入れるな! その水槽が爆心地になるぞ! 『シュワシュワ』じゃなくて『ドカン』だろ!」
「えぇー? 微量ですよ? 血行が良くなる程度の衝撃波です!」
「内臓破裂するわ! レオを殺す気か!」
「ひぃッ!? ば、爆弾!? 殺す気かケロォォォッ!!」
レオがバスタブの底へ逃げ込み、震え上がる。
せっかくのイイ話が、一瞬でテロ未遂事件に変わった。
「……はぁ。本当に、一秒たりとも気が抜けねぇ」
俺はバスボムを慎重に回収し、ため息をついた。
金はない。
バイトはクビ。
同居人は爆弾魔とカエル。
そして、この家の主導権を握っているのは、今は外出中のマシロ(スマホ)とヤクモだ。
「……詰んでるな」
俺が天井を仰いだ、その時だった。
バササッ!!
「うおっ!?」
突然、壊れたままの窓(ビニールシートで塞いでいたが、隙間だらけ)から、黒い影が飛び込んできた。
鳥だ。
カラス……いや、フクロウか?
漆黒の羽毛を持つフクロウが、無音で舞い降り、テーブルの上に音もなく着地した。
その足には、一通の封筒が括り付けられている。
「……なんだ? ハリー・ポッターか?」
俺は警戒しながら近づいた。
フクロウは金色の目で俺をじっと見つめ、足を差し出してくる。
「取れ」ということらしい。
「焼き鳥にしますか!?」
ツムギが即座にバーナーを構える。
「やめろ。……郵便屋かもしれん」
俺はフクロウの足から封筒を解いた。
ずしりと重い、上質な羊皮紙の封筒。
表書きには何も書かれていないが、封蝋には、見覚えのない紋章――『三日月と猫』のマークが押されていた。
「……怪しいな」
俺はペーパーナイフ(ヤクモのメス)で封を切った。
中から出てきたのは、一枚の便箋と、一枚の写真。
便箋を開く。
そこには、流麗すぎて逆に読みづらい筆記体で、簡潔なメッセージが記されていた。
『依頼書』
『ターゲット: 奪われた家宝「銀のオルゴール」』
『場所: ダンジョンB2F・貴族屋敷エリア』
『報酬: 3,000,000円(成功報酬)』
『期限: 今夜中』
そして、同封されていた写真には、古びた銀色のオルゴールが写っていた。
精巧な彫刻が施された、いかにも高そうなアンティーク品だ。
「さ、さんびゃくまん……!?」
俺の声が裏返った。
今の俺たちにとって、その数字はただの金額ではない。
「生存権」そのものだ。
「すげぇ……! これだ! これさえあれば、今月の利息も、レオの薬代も、壁の修理費も……全部払ってお釣りが来る!」
俺の手が震える。
地獄に垂らされた蜘蛛の糸。いや、極太のロープに見えた。
「……でも先輩、ちょっと変じゃないですか?」
ツムギが写真を覗き込み、首を傾げる。
「差出人の名前がないです。それに、このフクロウ……本物じゃないですよ」
「あ?」
よく見ると、テーブルに止まっているフクロウの目が、時折「カシャッ」と機械的な音を立てて絞りを調整している。
魔導生物か、あるいは精巧なゴーレムか。
「それに、このオルゴール……。なんか、見てるだけで寒気がしますぅ」
ツムギが身震いをする。
確かに。写真越しでも、その銀色の箱からは、どこか不吉な、粘着質な気配が漂っているような気がする。
「……ただの迷子探しや、落とし物拾いじゃなさそうだな」
俺は直感した。
これは「裏」の仕事だ。
正規のギルドを通せない、訳ありの依頼。
300万という高額報酬が、その危険度を物語っている。
ガチャリ。
その時、玄関のドアが開いた。
外出していたマシロ(スマホ憑依中)と、買い出しに行っていたヤクモが帰ってきたのだ。
「ただいまー。……あら、何その鳥?」
「おや、珍しい客だね。解剖していいかい?」
二人がテーブルの上の依頼書に気づく。
「依頼書……? 300万?」
マシロがスマホのカメラで文面をスキャンし、眉をひそめた。
「……怪しいわね。この『三日月の紋章』、どっかで見たことあるような……」
「ボクもだよ。確か、裏社会で噂の『怪盗』が使っているマークに似ているねぇ」
ヤクモがニヤリと笑う。
「怪盗ファントム。……彼(彼女?)からの挑戦状、あるいは罠かもしれないよ?」
「罠……?」
俺はゴクリと喉を鳴らした。
怪盗。罠。危険なダンジョン。
普通なら関わらないのが一番だ。俺は平穏を愛する清掃員なんだから。
だが。
俺の脳裏に、ヤクモの電卓の音が蘇る。
『借金総額、一千二百五十万円』。
『腎臓売る?』
「……やるぞ」
俺は依頼書を握りしめた。
「え?」
「罠だろうが怪盗だろうが関係ねぇ! 金だ! 金になるなら悪魔のパンツだって洗濯してやる!」
俺の目は血走っていた。
背に腹は代えられない。
腎臓を抜かれるよりは、怪盗と鬼ごっこする方が百倍マシだ。
「総員、出撃準備だ! この300万は、俺たちが頂く!」
「了解です! 爆破準備よし!」
ツムギが敬礼する。
「やれやれ、また面倒なことになりそうだねぇ(歓喜)」
ヤクモがメスを磨き始める。
「僕も行くケロ! 騎士として悪は見逃せんケロ! ……あと、ついでに美味い虫も捕まえるケロ!」
レオがバスタブから飛び出す。
「……はぁ。もう、どうなっても知らないから」
マシロが諦めたようにため息をつく。
センターに、久々の活気が戻る。
それは希望への活力というより、破滅へ向かう暴走列車の加速音に近かったが、今の俺にはその違いを聞き分ける余裕はなかった。
こうして。
俺たちは、まんまとその『蜘蛛の糸』にぶら下がった。
その糸の先で、手ぐすね引いて待っている「泥棒猫」と、もっとドス黒い「悪意」の存在になど、気づきもしないで。




