第39話 撤収作業と証拠隠滅
祭りのあとには、必ずゴミが残る。
それが世の常であり、物理法則であり、そして俺たち「掃除屋」のメシの種だ。
ダンジョン中層、『水晶渓谷』最奥部。
かつて神秘的な静寂に包まれていた聖域は、今や見る影もない。
爆心地のようなクレーター。溶解した岩盤。そして、あたり一面に漂う焦げ臭い硝煙と、生き物の内臓が焼けたような鼻をつく異臭。
「――よし、総員配置につけ。これより『完全撤収』を開始する」
俺、黒鉄ジンは、まだ熱を帯びた瓦礫の上に立ち、懐中電灯で現場を照らし出した。
光の先には、無惨な肉塊と化した『変異種キラー・マンティス』の残骸が転がっている。
「目標は『証拠隠滅』だ。俺たちが関与した痕跡、特にプロの犯行と分かる『関節切断』の跡や、『爆破痕』を徹底的に消去する。……いいか、一枚の鱗、一滴の血痕すら残すなよ」
俺の号令に、闇に溶け込んでいた「裏方」たちが一斉に動き出した。
「了解だねぇ。まずは貴重な検体回収といこうか」
白衣を血と泥で汚した薬師寺ヤクモが、電動ノコギリと巨大なピンセットを手に、嬉々として肉塊へ歩み寄る。
その足取りは軽く、まるで高級レストランのビュッフェに向かう美食家のようだ。
「おやおや、素晴らしい断面だ。……見てごらん、この神経束の切断痕。芸術的だよジン君。でも、これじゃあ『素人の騎士が倒した』という筋書きには無理があるねぇ」
ウィーン!
ヤクモは躊躇なくノコギリを起動し、俺が綺麗に切断したマンティスの関節部分を、わざと乱雑に、獣に食い千切られたかのようにギタギタに破壊し始めた。
「毒腺、神経節、それに魔石……ふふふ、宝の山だ。あ、この複眼はホルマリン漬けにしてリビングに飾ろうかな」
「飾るな。見つけ次第捨てるぞ」
俺のツッコミも意に介さず、ヤクモは手際よく臓器を摘出し、アタッシュケース型の保冷庫へと放り込んでいく。
その横では、栗花落ツムギが楽しそうに鼻歌を歌いながら、死骸の周囲にペタペタと粘土状の物体を貼り付けていた。
「仕上げは私にお任せくださ〜い♪ 証拠隠滅にはやっぱり『テルミット焼夷弾』ですよね! 3000度の超高温で、骨までサクサクに焼き上げちゃいます!」
「おいツムギ、火薬量は控えめにしろよ。これ以上地形を変えたら、ギルドから環境破壊で請求書が来る」
「えぇー? でも先輩、中途半端に残すとDNA鑑定されちゃいますよ? ここは一発、地形ごと更地にするのが一番エコです!」
「お前のエコの定義は世紀末か」
さらに上空では、幽霊秘書のマシロがドローンを操作し、現場全体の「霊的残留思念」の除去を行っている。
『はいはい、そこの怨念、まだ残ってるわよー。未練がましいのは男の恥よー。さっさと成仏しなさい』
彼女が指を鳴らすたびに、空中に漂っていたドス黒い靄が浄化され、キラキラした光の粒子となって消えていく。
物理、化学、そして霊的側面からの徹底的なクレンジング。
これがプロの仕事だ。
だが。
そんなテキパキと働く俺たちの輪の外で、一人だけ、体育座りをして小さくなっている男がいた。
「…………」
剣崎レオ。
人類の希望にして、つい先ほどまで画面の中で輝いていた白銀の騎士。
しかし今の彼は、見る影もない。
薬物(トロール用興奮剤)の副作用で全身の肌は鮮やかな緑色に変色し、手足には水かきができ、喉元の袋が呼吸に合わせて膨らんだり萎んだりしている。
「……ケロ」
虚しい鳴き声が、作業音の合間に響いた。
「どうした、英雄様。手が止まってるぞ」
俺は作業の手を休め、缶コーヒーを二本取り出した。
一本を開けてレオに放る。
「……僕には、やることがないケロ」
レオは飛んできた缶を、ヌメリのある手で不器用にキャッチした。
その動きは緩慢で、かつての鋭さは微塵もない。
「見てみろケロ、あの手際を。……解体、爆破、浄化。貴様らの動きには一切の無駄がない。それに引き換え、僕は……」
レオはプルタブを開けようとして指が滑り、三回ほど失敗した末に、諦めて缶を握り潰して中身を啜った。
「結局、僕は何もしていないケロ。魔物はジンが倒し、証拠は貴様らが消す。僕はただ、カメラの前で喚いて、最後においしいところを持っていっただけの……ピエロだケロ」
自嘲気味に笑おうとして、カエルの口角が不自然に引きつる。
その瞳には、深い自己嫌悪の色が浮かんでいた。
画面の向こうの150万人は、彼を称えている。
だが、現場にいる本人が一番よく知っているのだ。その称賛が、虚構の上に成り立つ砂の城であることを。
「……バーカ」
俺は自分のコーヒーを煽り、空になった缶をゴミ袋へ投げ入れた。
カラン、と乾いた音がする。
「勘違いすんな。俺たちは『裏方』だ。ゴミを拾って、舞台を整えるのが仕事だ」
俺はレオの隣にドサリと座り込んだ。
作業着についた泥と、レオの肌のヌメリが混ざり合う。
「でもな、レオ。最後にあの場所に立ってたのは、お前だ」
「……え?」
レオが顔を上げる。
緑色の顔に、大きな目が瞬いている。
「足が震えてても、小便漏らしてても、カエルになっちまっても……お前は逃げなかった。最後の最後まで、カメラの前で『英雄』の看板を背負い続けた」
俺はレオの背中を、バシン! と叩いた。
ヌルッとした感触が手に残るが、気にしない。
「それがどれだけしんどいことか、俺は知ってるつもりだ。……だから、胸張れよ。お前が立ってなきゃ、俺たちの『掃除』も意味がねぇんだからな」
レオはしばらく呆然としていたが、やがて喉を震わせて、低く笑った。
「……フン。貴様に慰められるとは、落ちぶれたものだケロ」
「慰めじゃねぇよ。事実だ」
「だが……そうだな。貴様がそう言うなら、そういうことにしておくケロ」
レオは立ち上がり、ぬるぬるした手でマントを翻した(滑って上手くいかなかったが)。
「見ていろ、ジン。次は……次は必ず、貴様の手を借りずに、本物の輝きを見せてやるケロ。このカエルの姿から人間に戻った暁にはな!」
「おう。期待しないで待ってるわ」
俺たちは笑い合った。
奇妙な友情と、腐れ縁。
そして、このどうしようもない現状への乾いた笑い。
「さあ、作業終了だ! ツムギ、点火!」
「アイアイサー! ファイッヤー!!」
ドゴォォォォォォン!!
俺の合図と共に、ツムギがスイッチを押した。
まばゆい閃光と轟音。
テルミット反応による3000度の高熱が、マンティスの残骸を、俺たちの痕跡を、そしてこの場の空気を全て焼き尽くしていく。
炎の赤が、レオの緑色の顔を照らしていた。
祭りは終わった。
あとは、家に帰るだけだ。
***
「……で、だ」
帰りの車内。
行きと同じ、黒塗りの霊柩車の中で、俺はハンドルを握りながら頭を抱えていた。
「どうすんだよ、これ」
助手席には、マシロがスマホモードで鎮座している。
後部座席には、満足げに寝息を立てるヤクモとツムギ。
そして、荷台(棺桶スペース)には……。
「……狭いケロ。乾燥するケロ。水が欲しいケロ……」
緑色の毛布を被り、ガタガタと震える巨大なカエル男――レオがうずくまっていた。
「目立ちすぎるだろ。その緑色」
「仕方ないだろケロ! 薬の効果が切れるまであと半日はかかるってヤクモが……!」
「半日!? 検問どうすんだよ!」
そう。
行きにも突破した、あの検問所だ。
ライバル騎士団『紅蓮』の連中が、まだ目を光らせている可能性が高い。
行きの時は「死体のフリ」で切り抜けたが、今のレオの状態は死体というより「未確認生物(UMA)」だ。見つかれば即座に解剖コースか、あるいはサーカス団行きだ。
「……変装だ。変装させろ」
俺は路肩に車を停め、後部座席の荷物を漁った。
出てきたのは、予備の作業着と、フルフェイスのヘルメット、そしてガムテープ。
「レオ、これを着ろ。肌を露出するな」
「む、蒸れるケロ……! 皮膚呼吸ができないケロ……!」
「我慢しろ! 捕まりたいのか!」
俺たちは強引にレオに服を着せ、手袋をはめさせ、首元をガムテープで目張りした。
さらに、頭にはフルフェイスのヘルメット。
これで見た目は「怪しい作業員」くらいにはなったはずだ。
「よし。喋るなよ? 『ケロ』が出たら終わりだぞ」
「分かってるケロ……むぐっ」
俺はレオの口にもガムテープを貼った。念には念をだ。
車を再発進させる。
数分後、前方に検問所のライトが見えてきた。
予想通り、まだ検問は続いている。しかも、行きよりも警備が厳重になっているようだ。
「……止まれ」
強面の兵士が、誘導棒を振って車を止めた。
俺は窓を開け、最大限に愛想のいい(疲れた)笑顔を作った。
「へい、お疲れ様ですぅ。……清掃業者ですが」
「清掃業者? こんな時間に?」
兵士が懐中電灯で車内を照らす。
助手席には誰もいない(マシロは隠れた)。
後部座席には爆睡する二人。
そして、荷台には……フルフェイスヘルメットを被り、不自然に丸まった男。
「……後ろの奴はなんだ?」
兵士の目が鋭くなる。
「ああ、こいつですか? ……うちの新人なんですけどね、現場でちょっと『ガス』を吸っちまいまして」
俺は声を潜め、もっともらしい嘘を吐く。
「ダンジョンの瘴気ですよ。幻覚が見えるとかで錯乱しちまって……暴れるんで拘束してるんです。早く病院に連れて行かねぇと、脳が溶けるかもしれなくて」
「瘴気だと? ……おい、ヘルメットを取れ。顔を確認する」
兵士は引かなかった。
マズい。こいつ、真面目だ。
レオがビクリと震える。
「い、いやぁ、今は刺激しない方が……」
「命令だ! 取れ!」
兵士が荷台のドアに手をかける。
万事休すか。
俺が覚悟を決めて、アクセルを踏み込もうとしたその時。
『……ヴゥゥ……』
荷台から、低い唸り声が聞こえた。
レオだ。
ガムテープの隙間から、苦し紛れの声を出している。
『……ケ……ロ……』
「ん? なんだ?」
兵士が耳を近づける。
『……コロ……シテ……』
「!?」
『……ミドリ……イロ……ノ……ネバネバ……ガ……』
レオ渾身のアドリブ。
いや、アドリブじゃない。今の彼の正直な感想だ。
だが、ヘルメットの中で反響したその声は、まるで地獄の底から響く悪霊の呻き声のように聞こえた。
さらに。
タイミングを見計らって、ヤクモが寝言交じりに呟いた。
「……感染……拡大……バイオハザード……」
ツムギも続く。
「……爆発……汚物……消毒……」
完璧な波状攻撃(寝言)。
兵士の顔色がサァーッと青ざめた。
瘴気。感染。バイオハザード。
このダンジョン都市において、最も忌避されるワードの数々だ。
「ひ、ひぃッ!? 感染者か!?」
「だ、だから言ったでしょう! 早く行かせないと、ここで嘔吐しますよ! 緑色の粘液を!」
俺が畳み掛ける。
「行け! 早く行け! ここで撒き散らすな!」
兵士は慌ててゲートを開け、追い払うように手を振った。
「へい、どうも! お勤めご苦労様です!」
俺はアクセルを踏み込み、急発進した。
バックミラーの中で、兵士たちが大量の消毒液を撒いているのが見えた。
***
「……くくっ、はははは!」
検問を抜けてしばらくして、車内は爆笑に包まれた。
「ナイスだ、レオ! あの『コロシテ』は迫真だったぞ!」
『……褒め言葉に聞こえないケロ……』
レオがヘルメットを脱ぎ、ぐったりと項垂れる。
その顔は、酸素不足と脱水症状で、さらに濃い緑色になっていた。
「まったく、スリル満点ね。あんたたちといると寿命が縮むわ」
マシロがスマホから愚痴るが、その声は楽しそうだ。
「まあ、これで一件落着だ。……帰って祝杯と行こうぜ」
俺はハンドルを切り、夜の街を駆け抜けた。
空には星が瞬いている。
長い、長い一日が終わろうとしていた。
だが、俺たちはまだ知らなかった。
この先に待ち受けているのが、安息の眠りではなく、現実という名の『請求書』の山であることを。
(……ま、今は忘れとくか)
俺は口笛を吹きながら、アクセルをさらに踏み込んだ。




