第38話:魔法が解ける時間
『――以上、現場から剣崎レオがお送りしました! みんな、また会おうね! 愛してるよ!』
光り輝く笑顔で手を振る英雄。
その背景には、討伐された巨大な魔物の残骸と、朝日(に見える照明効果)が美しく輝いている。
完璧なエンディングだ。
映画のラストシーンのような、一点の曇りもないハッピーエンド。
だが。
俺たちは知っている。
どんなに美しい魔法も、午前零時の鐘が鳴れば解けることを。
ガラスの靴は泥まみれのブーツに変わり、馬車はカボチャに戻り、英雄は――。
「――はい、カーーーーット!! 配信終了!」
上空でドローンを操作していたマシロの合図。
赤い録画ランプが消灯した、その瞬間だった。
「……ぐ、ボェッ……!?」
先ほどまでカメラの前で爽やかな笑顔を振りまいていた「白銀の騎士」が、糸の切れた操り人形のようにその場に崩れ落ちた。
ガシャン! と鎧(の残骸)が地面を打ち、彼は泥の中に突っ伏して、陸に揚げられた魚のようにピクピクと痙攣し始めた。
「お、終わっ……た……」
レオの口から、魂の抜けたような掠れ声が漏れる。
無理もない。
致死量ギリギリの劇薬によるドーピング、死の恐怖、そして150万人の視線というプレッシャー。
それら全てを「笑顔」という一枚の皮で耐え忍んでいた反動が、今、津波となって彼を襲っているのだ。
「……お疲れさん。生きてるか? 英雄」
俺、黒鉄ジンは、岩陰から這い出し、ボロボロになった高枝切りバサミを畳みながら声をかけた。
全身が痛い。骨がきしむ。
だが、心地よい疲労感だ。
大仕事を終えた後の、職人だけが味わえる充実感。
「ジン……。僕は……やり遂げたのか……?」
レオが泥まみれの顔を上げる。
その瞳は虚ろで、焦点が合っていない。
「ああ。完璧だったぞ。……最後の一撃、なかなかサマになってたぜ」
「そうか……。よかった……。これで、騎士団の予算も……部下たちの生活も……」
レオは安堵の息を吐き、へらりと力なく笑った。
その時だった。
「……ん?」
俺は違和感を覚えた。
レオの顔色が、妙に悪い。
いや、悪いというか……「色が違う」。
さっきまでは蒼白だった肌が、見る見るうちに、鮮やかな若草色に変色していく。
それだけじゃない。
皮膚の質感が、人間のきめ細かなそれから、ヌメヌメとした湿り気を帯びた粘膜質へと変質していく。
「おい、レオ? お前、顔色が……」
「……ケロ?」
「はい?」
レオが首を傾げた。
今、なんて言った?
「なんでもないケロ。……うっ、なんだか喉が熱いケロ……。口の中が……ネバネバするケロ……」
「……お前、語尾がおかしいぞ」
「何を言っているケロ? 僕は普通だケロよ。……ケロッ!? な、なんで『ケロ』って言っちゃうケロ!?」
レオが自分の口を押さえてパニックになる。
だが、その手を見た瞬間、俺は息を呑んだ。
メリ、メリメリッ……。
嫌な音がした。
レオの指と指の間から、半透明な膜が伸びている。
水かきだ。
さらに、爪が退化して丸くなり、指先が吸盤のように膨れ上がっていく。
「ひぃッ!? て、手が! 僕の手がぁぁぁッ!!」
レオが絶叫する。
だが、その叫び声さえも、人間の声帯から出る音ではなかった。
喉元の袋が風船のように膨らみ、空気が漏れるような湿った共鳴音を伴っている。
「あーあ。出ちゃったか」
背後から、呑気な声が聞こえた。
白衣を泥で汚したヤクモが、興味深そうにレオを観察しながら近づいてくる。
その手には、しっかりと観察日記が握られている。
「ヤクモ! これはどういうことだケロ! 説明しろケロ!」
「副作用だよ。言っただろう? あの『緑汁』には、トロールのエキスと、湿地帯のヌシである『ギガ・トード』の粘液がブレンドされているって」
ヤクモは悪びれもせず、ペラペラと解説を始めた。
「爆発的な身体能力向上と引き換えに、薬効が切れると一時的にDNA情報が逆流して、ドナー(カエル)の形質が発現するんだ。要するに、カエル人間になっちゃうんだよ」
「カエル人間だとォォォッ!? ふざけるなケロ! 僕は騎士団長だぞケロ! こんな姿で人前に出られるかケロ!」
レオが激昂して立ち上がろうとする。
だが、膝関節の構造が変わってしまったのか、ガクンとバランスを崩し、四つん這いの姿勢(カエル跳びの構え)になってしまった。
「うっ、うぅ……! 皮膚が……乾く……!」
さらに追い打ちをかけるように、レオが苦しみだした。
皮膚呼吸を始めた身体が、急激な乾燥に悲鳴を上げているのだ。
美しい金髪の間から覗く頭皮までもが緑色に変色し、ひび割れ始めている。
「おっと、乾燥は大敵だねぇ。保湿してあげないと、干物になっちゃうよ」
ヤクモがポケットから『特製ローション(ヌルヌル)』を取り出し、レオの頭からぶっかけた。
「ああっ! 冷たい! でも気持ちいいケロ……! もっとくれケロ!」
「はいはい、たっぷり塗ってあげるからねぇ」
ローションまみれになり、地面に這いつくばって悦に入るイケメン騎士。
その姿はもはやシュールレアリスムの極みだった。
人間としての尊厳が、音を立てて崩れ去っていく。
「かわいい〜! レオさん、ゆるキャラみたいですね!」
そこへ、ツムギが目を輝かせて駆け寄ってきた。
彼女の手には、なぜかC4爆薬が握られている。
「記念に爆破してもいいですか? カエルって爆発すると『パンッ』っていい音がするらしいですよ!」
「やめろケロ! 僕は風船じゃないケロ!」
レオが必死に逃げ回るが、その動きもどこかピョンピョンと跳ねていて、完全にカエルそのものだ。
「……はぁ。どいつもこいつも」
俺はため息をつき、ポケットからスマホを取り出した。
画面の中のマシロも、腹を抱えて笑っている。
『あはははは! 最高傑作よ! これ、配信に乗ってたら伝説になったのに! スクショ撮ってスタンプにしちゃおうかしら!』
「笑い事じゃねぇよ。……これ、治るのか?」
俺はヤクモに聞いた。
「もちろんさ。特製の解毒剤を使えばね。……ただし、材料費が高くてねぇ。一本百万円くらいするかな」
「ぼったくりバーかよ! 足元見すぎだろ!」
「嫌ならそのままでもいいよ? 光合成ができるようになるから、食費が浮いてエコだし、虫も美味しく食べられるようになるよ」
「……む、虫?」
レオがピタリと止まった。
彼の視線が、空中を飛んでいるハエに釘付けになる。
ゴクリ、と喉が鳴る。
舌がチロチロと動き出し、ハエを目で追い始めた。
「食べるなよ!? 絶対食べるなよ!?」
「は、払うケロ! 言い値で払うから元に戻してくれケロォォォッ!」
レオが泣きながらヤクモにすがりつく。
プライドも威厳も、カエルの粘液と一緒に流れ落ちてしまったようだ。
***
「さて、と」
ひとしきり笑った後(俺もちょっと笑った)、俺は空気を切り替えた。
お遊びはここまでだ。
ここからは、プロの「掃除屋」としての仕事が残っている。
「マシロ。配信のアーカイブと、ネットの反応はどうだ?」
『確認中よ。……すごいわ、ジン。同接のピークは150万人。コメント欄も絶賛の嵐よ』
マシロがスマホの画面に、SNSのタイムラインを投影する。
『レオ様最強! 最後の光の剣、神々しすぎた!』
『あの暗闇の中での攻防、映画みたいだったわ!』
『途中、映像が消えたのが逆にリアルで怖かった!』
『やっぱり信じててよかった! 一生ついていきます!』
掌返しの称賛。
数分前まで「雑魚」「やらせ」と罵っていた連中が、今は手のひらを返してレオを崇めている。
大衆なんてそんなもんだ。
勝てば官軍。強ければ正義。
その裏で、どれだけの血と泥と、カエルの涙が流されたかなど知ろうともしない。
「……ケロ」
レオも、スマホの画面を覗き込んでいた。
緑色の顔が、少しだけ緩む。
「……よかったケロ。届いたんだな……僕の嘘が」
彼の目から、大粒の涙がこぼれ落ちた。
それは安堵の涙であり、同時に、自分の無力さを噛み締める悔し涙でもあった。
「嘘じゃねぇよ」
俺はレオの肩を(ヌルヌルして気持ち悪いが)叩いた。
「お前は立った。最後まで逃げずに、あの場所に立ってた。……それだけは、紛れもない真実だ」
「ジン……」
レオが潤んだ瞳(カエルの目だが)で俺を見上げる。
「ありがとケロ。……貴様がいなかったら、僕は今頃、本当の意味で死んでいたケロ」
「礼には及ばん。……請求書に上乗せしとくから安心しろ」
俺はニヤリと笑い、背中を向けた。
感傷に浸っている暇はない。
この場所には、まだ消さなきゃならない「不都合な真実」が山ほど残っている。
「総員、作業開始だ! 撤収準備!」
俺は手を叩き、号令をかけた。
「まずはこの『残骸』の処理だ。変異種の死体、それから戦闘の痕跡……俺たちが介入した証拠を全て消すぞ」
俺が指差したのは、バラバラになったキラーマンティスの死骸だ。
関節が見事に切断され、プロの犯行であることが丸わかりの状態。
これをこのまま残しておけば、専門家が見れば「レオ一人の仕業ではない」と即座にバレる。
「ツムギ! 焼却処分だ! 跡形もなく灰にしろ!」
「はいっ! 待ってました!」
ツムギがリュックから、赤い粉末が入った袋を大量に取り出した。
「今回は『テルミット反応』による超高温焼却プランでいきます! 酸化鉄とアルミニウム粉末の黄金比率……燃焼温度は3000度! 骨も残りませんよ!」
彼女は楽しそうに死骸の上に粉末を撒き散らし、導火線をセットしていく。
その手つきは、料理に塩を振るシェフのように軽やかだが、やっていることは証拠隠滅だ。
「ヤクモ! お前はサンプル回収だ。ただし、綺麗な切り口は残すなよ。魔獣に食い荒らされたように偽装しろ」
「了解だ。……この鎌の毒腺、貴重な神経毒が取れそうだねぇ」
ヤクモが電動ノコギリを取り出し、ウィーン! と音を立てて死骸の解体を始めた。
返り血を浴びながら臓器を取り出し、瓶に詰めていく姿は、完全にホラー映画の殺人鬼だ。
「マシロ! お前は情報の攪乱だ。ネット上の『変な噂』や『不自然な映像』を削除・修正しろ!」
『ラジャー! アンチコメントを書き込んでるアカウント、IPアドレス特定してサーバーごと焼いとくわね』
「やりすぎだ! 削除だけでいい!」
『あら、手滑ったわ。……まあいいわ、これも「正義の鉄槌」よ』
俺たちは動いた。
迅速に。冷徹に。
華やかな英雄劇の舞台裏で、黒子たちが黙々と「ゴミ」を片付けていく。
その手際は、常人の理解を超えた異常なプロフェッショナルさだった。
レオは、その光景を呆然と見ていた。
緑色の肌のまま、瓦礫の上に座り込み、テキパキと働く俺たちを見つめている。
「……僕は、何もできないケロ」
彼の呟きが、風に流れる。
剣も折れ、身体も変異し、ただ守られ、助けられただけの自分。
画面の向こうでは「英雄」と称えられているが、ここにいるのはただの無力なカエル男だ。
「……情けないケロ」
彼は膝を抱え、小さくなった。
「おい、カエル」
俺は作業の手を止めずに声をかけた。
「邪魔だからどいてろ。……お前の仕事は、明日からまた、カメラの前で笑うことだろ?」
「……え?」
「今日はもう休め。泥パックでもして、肌の調子を整えとけ。……あとの汚れ仕事は、俺たちが全部引き受けてやる」
俺は、足元に落ちていた「折れた魔導剣の柄」を拾い上げ、レオの方へ放り投げた。
「持って帰れ。……そいつは、お前が戦った証だ」
レオは慌ててそれを受け取った。
焦げ付き、砕けた、無惨な鉄屑。
だが、彼の手には、確かにその重みが残っていた。
「……ジン」
レオは柄を握りしめ、立ち上がった。
その顔はまだ緑色だし、声も変だが、その瞳には確かに光が戻っていた。
「……次は、負けないケロ。いつか必ず、貴様を驚かせるような『本物』になってみせるケロ」
「おう。期待しないで待ってるわ」
俺は鼻で笑い、デッキブラシ(予備のモップ)を構え直した。
「さあ、仕上げだ! ツムギ、点火!」
「ファイッヤー!!」
ドゴォォォォォン!!
爆炎が上がる。
マンティスの死骸が、俺たちの痕跡ごと燃え上がっていく。
テルミット反応による白い閃光と、猛烈な熱気。
その炎は、まるで祭りの終わりのキャンプファイヤーのように、夜明け前の空を赤く染め上げた。
俺たちは、その炎を見つめていた。
それぞれが、違う想いを抱えながら。
パチパチと爆ぜる音だけが響く中、レオがポツリと言った。
「……懐かしいな」
「あん?」
「昔も、こうやって焚き火を囲んだな。……5年前、ダンジョンの深層で」
俺の手が止まった。
ああ、そうだ。
あの頃も、激戦の後にはこうして火を囲んで、不味い携帯食料をかじりながら、バカ話をしていたっけ。
「……あの頃は、お前が一番のビビリだったな」
「うるさいケロ。……貴様が一番無茶苦茶だったケロ」
レオが火を見つめたまま、クスリと笑う。
「でも、あの頃より……今の焚き火の方が、温かい気がするケロ」
「……そうかよ」
「ああ。……それに、不思議だケロ」
レオが、炎の周りを飛び回る蛾を目で追いながら、真顔で言った。
「あの虫……なんだか、すごく美味しそうに見えるケロ」
「……おい」
「羽の粉っぽさが、絶妙なスパイスに見えて……ジュルリ」
レオの舌が、鞭のように伸びそうになる。
「やめろ! 正気に戻れ! 英雄としての尊厳を保て!」
俺は慌ててレオの口を押さえた。
こいつ、完全にカエルに乗っ取られてやがる。
「……ふふっ」
横でマシロが笑った。
ヤクモも、ツムギも、みんな笑っている。
長い、長い夜が終わる。
そしてまた、騒がしい日常が始まるのだ。
借金と、トラブルと、そして愛すべき仲間たちが待つ、あの「掃き溜め」での日常が。
(……ま、悪くねぇか)
俺はポケットの中の、最後の飴玉を口に放り込んだ。
甘くて、少しだけ焦げ臭い、夜明けの味がした。




