第37話:暗闇のカーテンコール
「――消灯時間だ。子供は寝てな」
俺の合図と共に、世界から光が剥奪された。
バシュンッ! バシュンッ!
上空を旋回していた照明用ドローンが、マシロの遠隔操作によって次々と自爆し、閃光と共に砕け散る。
同時に、ツムギが投げ込んだ軍用発煙筒から、ドス黒い闇色の煙――視界だけでなく、赤外線や熱源探知さえも阻害する『ジャミング・スモーク』が吐き出され、水晶渓谷を塗り潰していった。
「な……ッ!?」
レオの驚愕の声が、粘着質な闇に溶けていく。
配信画面を見ていた数百万の視聴者の前で、映像は完全にブラックアウトしたはずだ。
残るのは、ノイズ交じりの音声と、パニックに陥ったコメントの羅列だけ。
放送事故。
だが、これこそが俺が用意した、最後の「舞台装置」だ。
「……マシロ、ツムギ。位置につけ」
俺は闇の中で囁いた。
自分の声さえも煙に吸われているような感覚。
だが、俺には「見える」。
視覚ではない。
空気の揺らぎ、腐敗臭の移動、泥を踏む微かな振動。
それらが、脳内で立体的な地図となって展開される。
『了解。……暗視モード、起動。私の目を通して、敵の位置情報を送るわ』
『配置完了ですぅ! いつでもドカンといけます!』
インカム越しの呼吸音だけが、この世界に残された唯一の色彩だ。
「よし。……ここからは『R-18G』指定だ。観客には刺激が強すぎるからな」
俺はニヤリと笑い、手に持った高枝切りバサミの刃をカチリと鳴らした。
暗闇。
それは多くの人間にとって根源的な恐怖の対象だが、俺のような「裏方」にとっては、最も居心地の良い職場だ。
誰の目も気にせず、誰の称賛も求めず、ただ淡々と汚れ仕事を完遂できる、聖域。
「……ひッ、く……」
足元で、情けない嗚咽が聞こえた。
レオだ。
彼はまだ泥の中に蹲り、見えない敵の気配に怯えて震えている。
自分がどこにいるのか、何が起きているのかさえ理解できていない、無防備な赤子の姿。
「おい、立てよ。英雄」
俺はレオの襟首を無造作に掴み、強引に引きずり立たせた。
「ひぃッ!? や、やめてくれ……! 来るな……! 食べないでくれぇぇッ!」
「俺だ。落ち着け」
「ジ、ジン……? な、何をしたんだ……? 真っ暗で、何も見えない……」
レオが俺の腕にしがみついてくる。
その手は氷のように冷たく、ガタガタと震えていた。
薬の効果が切れ、恐怖のリバウンドが彼を支配している。
プライドも、虚勢も、全部剥がれ落ちた、ただの弱虫な青年。
かつて俺が憧れた「光」の残骸。
「見えなくていい。……お前の無様なツラも、ビビって漏らした股間も、今は誰にも見えてねぇよ」
俺は彼の頬を、パンッ! と軽く張った。
痛みで正気を取り戻させる。
「……え?」
「安心しろ。ここにはカメラもねぇ。数字(視聴率)もねぇ。あるのは、俺とお前と、あの虫ケラだけだ」
俺はハサミの切っ先を、闇の奥――マンティスの気配がする方角へと向けた。
キチチチチ……。
不快な羽音が響く。
変異種キラーマンティス。
あいつは今、混乱している。
本来なら暗闇でも獲物を狩れるはずだが、ツムギの煙幕とマシロの霊波ジャミングが、その感覚器を狂わせているのだ。
「見えない恐怖」を感じているのは、人間だけじゃない。
「……無理だ。勝てない……」
レオが首を振る。
その言葉には、底なしの諦めが滲んでいた。
「僕の剣は通じなかった……。最強の装備も壊された……。もう、終わりだ……」
彼の言う通りだ。
彼の手にはもう、剣さえない。
さっきの一撃で粉々に砕け散り、ただのガラクタとなって闇に消えた。
丸腰で、心も折れた男に、何をしろというのか。
「終わってねぇよ。まだカーテンコールが残ってる」
俺はレオの耳元で囁いた。
悪魔の囁きのように、甘く、冷徹に。
「勝たなくていい。お前はただ、そこに立ってろ」
「……は?」
「剣を構えて、カッコつけて立ってりゃいいんだよ。……邪魔な枝葉(鎌)は、俺が全部『剪定』してやる」
俺はレオの背中を押し、前へと出した。
強引に、マンティスの殺気の正面へ。
「ちょ、待っ……!」
「動くなよ。動いたら死ぬぞ」
言い捨てて、俺は音もなく横へと移動する。
気配を消し、闇に溶け込む。
5年前、毎日のようにやっていた動きだ。
光が輝けば輝くほど、影は濃くなる。
光が囮となり、影が狩る。
それが俺たちの、黄金パターン(必勝法)だったはずだ。
「……ジン?」
レオが戸惑う声を上げる。
暗闇の中、独り残された孤独。
その恐怖が、彼の体温を奪っていく。
シュッ!!
風切り音。
マンティスが動いた。
レオの「生体反応」だけを頼りに、闇を切り裂いて首を刈り取りに来た。
レオは反応できない。
死の刃が、彼の喉元まであと数センチに迫る。
だが。
ガチンッ!!
硬質な金属音が、闇に響き渡った。
「――『庭師の流儀』・裏式」
俺の高枝切りバサミが、横合いから伸びていた。
鎌の刃を受け止めたのではない。
鎌を振り下ろそうとしたマンティスの右肘――関節の隙間を、ハサミの刃で挟み込んだのだ。
「伸びすぎた枝は、切らなきゃな」
ギチリ。
レバーを握り込む。
テコの原理で増幅された力が、鋼鉄の甲殻を内側から粉砕する。
バキィッ!!
「キシャァァァッ!?」
マンティスが悲鳴を上げた。
右腕が奇妙な方向に曲がり、鎌がレオの目前でピタリと止まる。
「な、なんだ!? 何が起きた!?」
レオが腰を抜かす。
見えていない。それでいい。
お前はただ、奇跡が起きたのだと信じていればいい。
「次だ、ツムギ! 足元!」
『はいっ! 線香花火、点火!』
ドパンッ!
マンティスの足元で、小さな爆発が起きた。
ダメージを与えるほどではない。だが、強烈な閃光と衝撃が、マンティスの平衡感覚を奪う。
「ヤクモ! 薬だ!」
『へいへい。特製『筋肉弛緩剤』、デリバリーだよ』
闇の中から、注射器が飛んできた。
俺はそれを空中でキャッチし、そのままマンティスの関節の隙間――装甲の薄い部分へ突き立てた。
ブスリ。
「キ……ギ……ッ!?」
象をも眠らせる劇薬が、瞬時にマンティスの神経を侵食する。
動きが鈍る。
「……へっ。図体がデカけりゃいいってもんじゃねぇぞ」
俺はハサミを構え直し、マンティスの背後に回った。
こいつは強い。
正面からやり合えば、俺ごときじゃ一瞬でミンチだ。
だが、「掃除」となれば話は別だ。
どんなに頑固な汚れも、構造を理解し、適切な洗剤(道具)を使えば、必ず落ちる。
「『解体作業』開始」
俺は踊った。
暗闇の中で、錆びたハサミを振るう。
その動きは、剣舞のように洗練されてはいなかったが、工場の機械のように正確で、冷酷で、無駄がなかった。
カシャン。
左足の腱を切断。
カシャン。
翅の付け根を破壊。
カシャン。
毒腺のパイプを切断。
「キ……シャ……」
マンティスが暴れるが、その攻撃は全て空を切るか、俺に届く前に「機能不全」を起こして止まる。
俺は攻撃を受け止めない。
攻撃が「発生する前」に、その起点を潰しているからだ。
指を動かす前に腱を切り、踏み込む前に膝を砕く。
「……す、すごい」
レオが呆然と呟くのが聞こえた。
暗闇の中で何が起きているのか、彼には見えていないはずだ。
だが、聞こえる音――硬質な切断音と、魔物の悲鳴――だけで、彼には分かったのだろう。
圧倒的な「技量」の差が。
自分が積み上げてきた剣技が「ごっこ遊び」に過ぎなかったことを突きつけられるような、本物の殺し合いの音が。
「これが……ジンの本当の……」
「ボサっとしてんじゃねぇ!」
俺は叫んだ。
最後の一太刀――マンティスの首の付け根にある神経束を切断し、完全に無力化させた瞬間だ。
「仕上げだ! レオ、剣を構えろ!」
マンティスは既に満身創痍だ。
両腕は垂れ下がり、足は折れ、毒液を垂れ流して痙攣している。
もはや虫の息。あとはトドメを刺すだけだ。
「け、剣……? でも、僕の剣は……」
レオが泣きそうな声を出す。
そうだ。彼の手には何もない。
最強の魔導剣は、さっきの一撃で粉々に砕け散った。
「……あるだろ、そこに」
俺はハサミを収め、レオの背後に立った。
そして、地面に落ちていた「それ」を拾い上げ、彼の手のひらに強引に握らせた。
それは、砕けた魔導剣の「柄」だけだった。
刀身は根元から失われ、焦げ付いたバッテリーボックスと、無惨なグリップだけが残っている。
ただのゴミだ。
「……ジン、これは……ゴミじゃないか……」
「ゴミじゃねぇ。……想像しろ」
俺は彼の手を両手で包み込み、正面に向けさせた。
「お前は英雄だろ? だったら、こんなガラクタの一つや二つ、気合いで光らせてみろよ」
「む、無茶を言うな……! 魔法じゃあるまいし……」
「魔法だよ。……お前がこれから見せるのは、世界中を騙すための『魔法』だ」
俺はインカムのスイッチを入れた。
「マシロ。……準備はいいか?」
『ええ。いつでもいけるわ。……ツムギちゃん、照明用のマグネシウム、セット完了?』
『はいっ! 特大のを、あの「柄」の先にくっつけときました!』
そう。
俺がレオに渡す直前、ツムギが柄の先に「高輝度照明弾(撮影用)」を瞬間接着剤で固定していたのだ。
見た目は悪いが、光れば関係ない。
「立て」
「ジ、ジン……」
「立てよ、英雄。……最後くらい、カッコつけて終わらせろ」
俺は彼の背中を、強く叩いた。
バシンッ!
その痛みが、スイッチになる。
彼の中の「弱虫なレオ」を殺し、「白銀の騎士」を強制起動させるための、いつもの儀式。
「……あ、ああ……!」
レオが立ち上がる。
足はまだ震えている。
涙と鼻水で顔はぐしゃぐしゃだ。
緑色の肌は泥まみれで、とても英雄には見えない。
だが、彼は「柄」を構えた。
震える手で、見えない剣を天に掲げた。
「……僕は……白銀の騎士、剣崎レオだ……!」
「そうだ。……照明、復旧!」
俺が合図を送る。
『了解! 演出照明、最大出力! そして……アクション!』
カッッッ!!!!
ツムギの仕掛けた照明弾が、柄の先で炸裂した。
強烈な白光が、直線状に伸びる。
煙幕の中で拡散した光が、まるで「巨大な光の刃」が形成されたかのような視覚効果を生み出す。
「う、おおおおおおっ!?」
レオ自身が驚いて目を見開く。
折れたはずの剣が、光となって蘇った。
(実際はただの発光現象だが、彼には希望の光に見えただろう)
同時に、マシロが予備のドローンを一斉に点灯させた。
暗闇の世界が、一瞬にして光に包まれる。
スポットライトが、一点に集中する。
そこには、ボロボロになりながらも、巨大な光の剣を振りかざす「白銀の騎士」と、その前で膝をつく巨大な魔物の姿だけが浮かび上がっていた。
俺の姿はない。
光が戻る直前、俺は闇に紛れて物陰へと退避していたからだ。
「……う、うおおおおおおッ!!」
レオが吠えた。
それは、恐怖を振り払うための、魂の叫びだった。
そして、自分を信じて舞台を整えてくれた「裏方たち」への、感謝の叫びでもあった。
「これで……終わりだァァァッ!!」
ズバァァァァン!!
光の剣(ただの照明)が振り下ろされる。
実際には、刃などない。
だが、すでに俺が首の皮一枚残して切断していたマンティスの首は、その風圧だけでポロリと落ちた。
鮮血が舞い、巨大な頭部が宙を舞う。
バックライトに照らされたその光景は、計算され尽くした映画のワンシーンのように、完璧で、美しかった。
ドサリ。
巨体が崩れ落ちる。
静寂。
煙が晴れていく。
そして、次の瞬間。
『うおおおおおおおおおおっ!!』
『勝ったああああああ!!』
『見えなかった! 何が起きた!?』
『暗闇の中で瞬殺!?』
『折れた剣が光った!? 覚醒イベントきたあああ!』
『神速の居合だ! レオ様最強!』
『ごめんなさい疑って! やっぱりあんたがヒーローだ!』
復活したコメント欄が、爆発的な勢いで流れていく。
罵倒は消え、再び称賛の嵐が巻き起こる。
同接数、150万人突破。
レオは、荒い息を吐きながら立ち尽くしていた。
返り血を浴び、泥にまみれ、手には壊れた柄を握りしめている。
その姿は、いつものキラキラしたアイドルではない。
ボロボロで、無様で、滑稽だ。
だが、その「生々しさ」こそが、視聴者の心を打ったのだ。
作り物ではない、本物の「必死さ」が、電波を超えて伝わったのだ。
「……勝った、のか?」
レオが呆然と呟く。
彼は自分の手を見つめた。
光は消え、ただの焦げたゴミが残っている。
震えは止まっていた。
「……フン。世話の焼ける主役だ」
俺は岩陰で、ボロボロになった高枝切りバサミを畳み、ポケットの飴玉を口に放り込んだ。
甘い。
泥と鉄錆の味がする口の中に、安っぽいイチゴの甘さが染み渡る。
「……お疲れさん、ジン」
胸ポケットから、マシロの優しい声がした。
スマホの画面の中で、彼女も安堵の表情を浮かべている。
「ああ。……これにて閉幕だ」
俺は背中を向け、光の当たる場所から静かに歩き去った。
誰にも気づかれることなく。
誰にも称賛されることなく。
だが、それでいい。
あの光の中にいるのは、あいつだけでいいんだ。
俺は掃除屋。
ゴミを片付けて、舞台を整えるのが仕事だ。
主役が気持ちよく踊れたなら、それで十分すぎる報酬だろ?
(……ま、残業代はきっちり請求するけどな。壁の修理費も上乗せして)
俺はニヤリと笑い、闇の中へと消えていった。




