第34話:ドーピング・アイドル
「――カット! 休憩!」
マシロの合図と共に、浮遊していたドローンカメラの赤いランプが消灯した。
その瞬間。
「……ぐ、えぇ……ッ!」
先ほどまでカメラの前で爽やかな笑顔を振りまいていた「白銀の騎士」が、糸の切れた操り人形のようにその場に崩れ落ちた。
ガシャン! と鎧が地面を打ち、彼は水晶の床に這いつくばって激しく嘔吐いた。
「レオ!?」
「……水……水をくれ……!」
剣崎レオの顔色は、もはや土色を通り越して、腐りかけの茄子のような紫色に変色していた。
全身から噴き出す汗は滝のようで、整えられた金髪は額にベットリと張り付いている。
「おいおい、だらしねぇな。まだ配信開始から30分だぞ?」
物陰から現れた俺、黒鉄ジンは、呆れ半分、心配半分でレオにスポーツドリンク(経口補水液)を差し出した。
だが、レオの手は震えてボトルを掴むことさえできない。
「……無理だ。もう、身体が……動かない……」
レオは掠れた声で呻いた。
無理もない。
この30分間、彼はただ戦っていただけではない。
常にカメラの位置を意識し、一番映える角度で剣を振り、被弾(演出)した時は派手に吹き飛び、そしてどんなに息が上がっていても、カメラが向けば「25度の笑顔」を作り続けてきたのだ。
肉体的疲労に加え、精神的な摩耗が限界値を超えている。
「数字は……? 同接は……?」
それでも、レオは這いつくばりながら、空中に浮かぶホログラムウィンドウを見上げようとする。
そこには、無慈悲な現実が表示されていた。
『現在同接数: 105万人 ↘ 98万人』
「……落ちてる」
レオの目が絶望に見開かれた。
「休憩に入った瞬間、5万人も減った……! コメント欄も……『休憩なげーよ』『飽きた』『他行こうぜ』……」
言葉の刃が、弱りきったレオの心臓を容赦なく滅多刺しにする。
ネットの住人は残酷だ。
彼らにとって、画面の向こうの英雄は、コンテンツという名の消耗品でしかない。
常に刺激を与え続けなければ、彼らは潮が引くように去っていく。
「ダメだ……。100万を切ったら、予算が……部下たちの装備が……!」
レオは恐怖に駆られたように、自分の腕を掻きむしった。
その爪が皮膚を裂き、血が滲む。
強迫観念。
「英雄でいなければならない」という呪いが、彼を内側から食い荒らしている。
「……おいレオ、落ち着け。休憩明けにまた派手な演出を……」
俺が肩に手を置こうとした、その時。
「お困りのようだねぇ、騎士団長殿」
ぬるり、とした声が割り込んだ。
岩陰から白衣の男――薬師寺ヤクモが現れる。
彼は手にしたアタッシュケースを、まるで悪魔の契約書のようにレオの目の前に置いた。
「ヤ、ヤクモ……?」
「君の身体は悲鳴を上げている。筋肉中の乳酸値は致死レベル、脳内物質は枯渇寸前だ。……このままじゃ、次の戦闘で間違いなく『醜態』を晒すことになるよ?」
ヤクモは甘く囁きながら、ケースを開いた。
プシューッ、と冷気が漏れ出す。
その中に鎮座していたのは、極太のシリンダーを持つ、金属製の注射器だった。
中には、毒々しく発光する蛍光グリーンの液体が満たされている。
「……なんだ、それは」
「特製『元気一発・緑汁(改)』だよ」
ヤクモは注射器を手に取り、中の空気を抜いた。
ピュッ、と飛び出した液体が地面の草にかかると、草が一瞬で巨大化し、そして枯れ果てた。
「成分はトロールの肝臓エキス、マンドラゴラの濃縮液、そしてドラゴンの副腎皮質ホルモン。……飲むと内臓が溶けるけど、血管に直接ぶち込めば、脳のリミッターを強制解除できる」
「……違法薬物だろうが」
俺は低い声で言った。
ダンジョン法で禁止されているドーピング剤の類いだ。
しかも、ヤクモが作ったとなれば、副作用は未知数だ。
「合法だよ。まだ成分表が登録されていない新薬だからね。……どうだい、レオ君? これを打てば、痛みも、疲れも、恐怖も……全部『快感』に変わるよ?」
ヤクモは注射器をレオの目の前で揺らしてみせた。
悪魔の誘惑。
レオはごくりと喉を鳴らし、その緑色の光を見つめた。
「……断る。騎士としての誇りが……」
「おや、そうかい? でも、数字は待ってくれないよ?」
ヤクモが指差したホログラム。
数字はさらに下がり、『95万人』を表示していた。
「あ……ああ……」
レオの瞳が揺れる。
プライドか、それとも数字(みんなの期待)か。
天秤が揺れ動き――そして、カタンと傾いた。
「……よこせ」
「レオ!?」
俺が止める間もなく、レオはヤクモの手から注射器をひったくった。
「ジン、止めるな……! 僕は……みんなを失望させるわけにはいかないんだ! そのためなら、悪魔に魂だって売ってやる!」
レオは狂気じみた目で叫び、自らの首筋に、太い針を躊躇なく突き立てた。
ブスッ!!
「ぐ、がぁぁぁぁぁぁぁッ!!!」
注入。
緑色の液体が、脈打つ頸動脈へと流し込まれていく。
ドクン! ドクン! ドクン!
レオの心臓の鼓動が、隣にいる俺にまで聞こえるほど激しく打ち始めた。
「う、うおおおおぉぉぉぉぉッ!!」
レオがのけぞり、天に向かって咆哮する。
全身の筋肉がボコボコと波打ち、パンプアップして膨れ上がる。
血管がミミズのように浮き出し、白い肌が――見る見るうちに、鮮やかな『緑色』へと変色していく。
「……あーあ。シュレックになっちまった」
俺は顔を覆った。
副作用だ。
トロールの成分が強すぎて、色素沈着を起こしている。
だが、当の本人はそんなこと気にも留めていなかった。
「……ハッ、ハハッ! 凄い! 凄いぞ! 力が……力が溢れてくる!」
レオが立ち上がる。
その動きには、先ほどまでの疲労感は微塵もない。
むしろ、エネルギーが有り余って制御できていないかのように、ピョンピョンと無意味に跳ね回っている。
「痛くない! 重くない! 僕は……無敵だ!」
瞳孔が開ききり、口元からは涎が垂れている。
完全にキマっている。
「ヤクモ、てめぇ何入れた?」
「通常の3倍のマンドラゴラさ。副作用で幻覚と多幸感がセットで来るけど、まあ、カメラの前で笑うには好都合だろう?」
ヤクモは「素晴らしいデータだ」とメモを取っている。こいつは一度爆破した方がいい。
「マシロ! 配信再開だ! 今のあいつなら、ゴジラとだって踊れるぞ!」
俺はインカムに向かって叫んだ。
もう手遅れだ。
こうなったら、薬の効果が切れる前に撮れ高を稼いで、さっさと終わらせるしかない。
『了解! ……でも、肌の色はどうするの? 完全に緑色よ?』
「フィルター加工でごまかせ! 『森の精霊の加護』とかテロップ入れとけ!」
「配信、再開!!」
ドローンが再び起動する。
カメラが回った瞬間、緑色のレオはバッと振り返り、カメラ目線でポーズを決めた。
「――お待たせ! パワーアップしたレオだよ☆ みんな、僕の筋肉についてこれるかな!?」
テンションがおかしい。
キャラが変わっている。
だが、コメント欄は爆発した。
『うおおおお! なんかオーラが変わった!』
『緑!? 新しいフォームチェンジ!?』
『目がヤバい! 本気モードだ!』
『同接110万突破!』
数字が跳ね上がる。
狂気が伝染し、熱狂へと変わる。
「行くぞ! 次のステージへ!」
レオはダッシュした。
速い。速すぎる。
俺たちが事前に打ち合わせたルートなどお構いなしに、茨の道を直進していく。
「おい待てバカ! そっちは仕込みをしてねぇルートだ!」
俺は慌てて高枝切りバサミを掴み、追いかけた。
ツムギも「待ってください先輩! 爆弾が重くて走れません!」と叫びながら続く。
予定調和は崩れた。
ここからは、台本のない暴走劇だ。
***
「ヒャッハー! 雑魚が! 僕の引き立て役になれぇ!」
レオは笑いながら剣を振るった。
目の前に現れたのは、野生の『ポイズン・リザード』の群れ。
俺たちが「剪定」していない、正真正銘のピンピンした魔物たちだ。
「シャァァッ!」
リザードが毒の爪で襲いかかる。
本来なら回避すべき攻撃。
だが、ハイになったレオは避けない。
「効かぬわぁぁぁッ!」
ガギンッ!
なんと、顔面で爪を受け止めた。
緑色に変色した肌は、トロール並みに硬化しており、爪の方が弾かれる。
「硬っ!? なんだあいつ、人間辞めたのか!?」
俺は追いつき、息を呑んだ。
レオは無防備に攻撃を受けながら、それを笑い飛ばし、力任せに剣を叩きつけている。
技術もクソもない。ただの暴力だ。
「見てくれ、この筋肉! 毒などプロテインのスパイスに過ぎん!」
レオが叫ぶたびに、コメント欄が『マッスル!』『神!』と沸き立つ。
「……ダメだ。あいつ、痛覚が麻痺してやがる」
俺は冷静に分析した。
皮膚は硬くなっているが、ダメージが無効化されたわけじゃない。
毒は体内に回っているし、切り裂かれた傷からは血が出ている。
だが、脳内麻薬がそれを「快感」に変換してしまっているのだ。
このままじゃ、自分が死んでいることに気づかずに動き続け、最後に電池切れの人形みたいに止まるぞ。
「ジン! サポートするわ! 右から3匹!」
マシロがドローンで牽制射撃(閃光)を行う。
「ツムギ! 援護だ! ただしレオを巻き込むなよ!」
「無理です! あんな動き回られたら照準が定まりません! ……ええい、広範囲爆撃で!」
ツムギがグレネードを乱射する。
ドカァァン! ドカァァン!
爆風がレオごと魔物を吹き飛ばすが、レオは「心地よい風だ!」と笑っている。末期だ。
「くそっ、世話が焼ける!」
俺は高枝切りバサミを展開し、戦場へ飛び込んだ。
カメラに映らないギリギリの死角を縫って移動する。
「『庭師の流儀』・弐ノ型――『枝払い』!」
俺はレオが攻撃しようとしているリザードの、死角からアキレス腱を切断した。
ガチン!
リザードが体勢を崩す。
そこへ、レオの大振りの剣が直撃する。
ズバァン!
「見たか! 一撃必殺!」
「俺のお膳立てだろうが!」
俺は心の中でツッコミながら、次々と魔物の関節を破壊(剪定)して回った。
レオの暴走を「華麗な無双劇」に見せるための、涙ぐましい裏工作。
汗が目に入る。息が上がる。
なんで俺がこんな苦労を……。
だが、その甲斐あって、リザードの群れは壊滅した。
レオは死骸の山の上に立ち、勝ち誇ったように剣を掲げた。
「はぁ……はぁ……! どうだ! これが僕の実力だ!」
『レオ様最強!』
『120万人突破!』
『伝説を目撃した!』
数字はうなぎ登りだ。
レオは画面の向こうの称賛を浴び、脳が焼き切れるほどの快感に震えていた。
「……まだだ。まだ足りない」
レオの目が、異様にぎらついている。
「もっと……もっと強い敵を! 僕の筋肉を満足させる獲物はいないのか!?」
彼は飢えた獣のように、さらに奥――『最深部』へと続く道を見据えた。
そこは、俺たちが本来予定していたルートの終着点。
だが、俺の「掃除屋」としての勘が、強烈な警告音を鳴らしていた。
あそこには、俺たちが用意した「弱らせたスライム」はいない。
もっと別の……「招かれざる客」がいる。
「……おいレオ、待て! そっちはヤバい!」
俺が制止しようと手を伸ばした時には、もう遅かった。
「行くぞ! クライマックスだ!」
レオは緑色の残像を残して、最深部の闇へと飛び込んでいった。
「……あのバカッ!!」
俺は舌打ちをし、後を追った。
その背中には、もう「英雄」の輝きはない。
あるのは、薬と数字に踊らされ、破滅へとひた走る「道化」の哀れな姿だけだった。
水晶の輝きが、ドス黒く濁って見えた。




