第33話:数字の暴走と、見えない演出家
「――みんな! 待たせたね!」
ダンジョン中層『水晶渓谷』。
七色の光が乱反射する幻想的なクリスタルの回廊に、その声は朗々と響き渡った。
「僕が来たからには、もう安心だ! さあ、ショータイムの始まりだよ!」
バサァッ!
純白のマントが翻る。
計算され尽くした角度。照明を一身に浴びて輝く金髪。そして、カメラのレンズ越しでも視聴者のハートを射抜く、完璧な25度の笑顔。
剣崎レオ。
人類の希望にして、今まさに崖っぷちに立たされている「白銀の騎士」は、カメラに向かってウインクを飛ばした。
その瞬間。
空中に展開されたホログラムウィンドウの中で、視聴者数の数字が爆発的に跳ね上がった。
『50,000……65,000……80,000人突破!』
流れるコメントの滝。
『キタァァァァァッ!』
『レオ様ァァァ! 今日も肌艶最高!』
『待ってました! 背景のクリスタルより輝いてる!』
『仕事早退して見に来た甲斐があったわ!』
数字。数字。数字。
それは現代の英雄にとっての生命線であり、同時に首を絞める鎖でもある。
だが今のレオにとって、その上昇するグラフは、血管に打ち込まれた覚醒剤よりも強烈な快楽物質となって脳髄を駆け巡っていた。
(……よし。掴みは完璧だ)
レオは内心でガッツポーズをした。
心臓は早鐘を打ち、胃の腑はキリキリと痛むが、薬師寺ヤクモに打たれた『緑汁(トロール用興奮剤)』のおかげで、恐怖心だけが見事に麻痺している。
今の彼は、無敵のアイドルだ。
「グルルルルゥ……!」
その眼前に、巨大な影が立ちはだかる。
『クリスタル・ゴーレム』。
全身が硬度10の水晶で構成された、身長4メートルの巨人。中層エリアの番人とも言われる強敵だ。
本来なら、一撃で岩盤を粉砕するその剛腕に怯むところだが、今のレオにはそれが「ただの動く的」にしか見えていなかった。
なぜなら――。
「……へっ。デカい図体して、足元がお留守だぜ」
ゴーレムの股下。
巨大な水晶の足の陰、カメラの死角となる岩陰に、一人の男が潜んでいたからだ。
黒鉄ジン。
この茶番劇の舞台監督であり、掃除屋である彼は、手に持ったボロボロの『高枝切りバサミ』をカシャカシャと動かした。
「さあ、剪定の時間だ。……伸びすぎた枝は切らねぇとな」
ジンはタイミングを見計らう。
ゴーレムがレオに向かって踏み込み、右足を上げた、その一瞬。
全体重が左足の一点にかかる瞬間。
「そこだッ!」
カシャンッ!!
ジンが高枝切りバサミを突き出し、ゴーレムの左膝――装甲の隙間にある、魔力神経の結節点を挟み込んだ。
そして、レバーを握り込む。
錆びついているように見える刃だが、その切れ味はカミソリだ。
テコの原理で増幅された力が、硬い水晶の腱を「パチン」と切断した。
「ガッ……!?」
ゴーレムの動きが止まる。
支えを失った巨体が、グラリとバランスを崩す。
傍から見れば、レオの覇気に押されて体勢を崩したようにしか見えない。
「今だ、レオ! カッコつけて斬れ!」
ジンの怒号(インカム越しの小声)が飛ぶ。
「はっ! 遅いよ、岩人形くん!」
レオは待っていましたとばかりに踏み込んだ。
地面を蹴り、空へと舞う。
マシロが操作するドローンカメラが、その姿をローアングルから捉え、マントの翻りと背景の太陽を見事な構図に収める。
「君の硬い身体も、僕の剣の前にはバター同然さ!」
「ツムギ! 特効!」
「了解ですぅ! 『キラキラ爆弾・タイプC』、起爆!」
ドォォォォォォン!!
レオが剣を振り下ろすと同時に、ゴーレムの背後に仕掛けられた指向性爆薬が炸裂した。
ただし、殺傷能力のある鉄片などは入っていない。
中身は、マグネシウム粉末と、ピンク色の岩塩パウダー、そして大量のラメだ。
パァァァァァァァン!!
爆音と共に、視界一面にピンク色のキラキラした粉塵が舞い散る。
それはまるで、魔法少女の変身シーンか、あるいは特撮ヒーローの必殺技のような、過剰演出の極み。
「――『白銀流・断空剣』ッ!!」
ズバァッ!
レオの剣が、ゴーレムの胸部を叩く。
実際には、すでにジンによってヒビを入れられていた装甲が、衝撃で砕け散っただけだ。
だが、映像的には完璧だった。
光り輝く剣の一閃が、巨大な怪物を粉砕し、背後でピンク色の爆炎が花火のように咲き乱れる。
ズズズズズ……ドォォォン!!
ゴーレムが崩れ落ち、更なる土煙が舞う。
レオはその場に着地し、カメラに向かってバッと髪をかき上げた。
計算された『残心』。
憂いを帯びた瞳(昨日の特訓で叩き込まれた角度45度)。
「……ふぅ。少し、斬りすぎたかな」
『キャァァァァァァッ!』
『レオ様最強! 最強!』
『一撃!? ゴーレムを一撃で!?』
『演出が神がかってる! エモい!』
『スパチャ投げます! 結婚して!』
コメント欄が加速し、光の奔流となってレオの周囲を取り囲む。
同時接続数、12万人突破。
「……ははっ。見たか、ジン。これが僕の力だ」
レオは震える手で剣を握りしめ、恍惚の表情を浮かべた。
それは薬物の副作用か、それとも承認欲求という名の麻薬に脳を焼かれたせいか。
彼はもう、自分が「作られた舞台」の上に立っていることすら忘れかけていた。
***
「……やれやれ。手間のかかる主演男優様だ」
物陰で、ジンは額の汗を拭った。
作業着はすでに泥と煤で汚れ、高枝切りバサミの刃にはゴーレムの体液(魔力液)が付着している。
英雄が輝けば輝くほど、その影で働く裏方の手は汚れる。
だが、ジンにとってその汚れは、勲章のようなものだった。
「おいマシロ。今の画、撮れてたか?」
『バッチリよ。レオの顔面の毛穴まで4K画質で抜いてやったわ。あとで肌補正かけるのが大変そうだけど』
インカムから、マシロの冷静な声が返ってくる。
彼女は上空のドローンに憑依し、複数のカメラを同時に操作しながら、リアルタイムでスイッチング(映像切り替え)を行っていた。
幽霊ならではのマルチタスク能力だ。
『それにしてもツムギちゃん、火薬量多すぎない? レオの前髪がちょっと焦げてるわよ』
『えへへ、サービスしちゃいました! 次はもっと派手に、ナパームで森ごと焼いちゃいますか?』
通信にツムギの弾んだ声が割り込む。
彼女は少し離れた岩陰で、次の爆破ポイントにC4をセットしながら、子供のように無邪気に笑っているはずだ。
『バカ、森を焼くな。……ヤクモ、レオのバイタルは?』
『心拍数160。アドレナリン分泌過多。軽い躁状態だねぇ。でもまあ、あと30分は持つよ。切れたら追加の「赤汁(興奮剤)」を打つから安心してくれたまえ』
『……死なせない程度にしとけよ』
ジンはため息をつき、次の「仕込み場所」へと移動を開始した。
すべては順調だ。
シナリオ通り。
魔物は弱体化させ、演出は派手に、主役は気持ちよく踊っている。
このままいけば、目標の100万人は達成できるだろう。
――そう、思っていた。
「……ん?」
ジンは足を止めた。
次のポイントへ向かう途中。
本来なら『ジュエル・リザード』の群れが生息しているはずの、湿度の高いエリア。
そこが、妙に静かだった。
「……おい。魔物が、いねぇぞ」
『え? どういうこと?』
「予定していたルート上の魔物が、一匹もいねぇ。……いや、隠れてるんじゃない。『消えて』る」
ジンの「掃除屋」としての勘が、警鐘を鳴らした。
空気の味が違う。
いつものダンジョンの、カビと魔素の入り混じった濃密な空気ではない。
もっと異質な……化学薬品のような、ツンとする刺激臭が漂っている。
「……なんだ、この臭い」
ジンは地面に屈み込み、土の様子を観察した。
水晶の破片が散らばる地面に、奇妙な痕跡が残っている。
引きずったような跡。
そして、その先にある岩陰に、何かが転がっていた。
「……ッ!」
ジンは息を呑み、駆け寄った。
そこにあったのは、魔物の死骸だった。
『アーマー・ベア』。全身を硬い甲羅で覆った、熊型の魔獣だ。
レオでも苦戦するはずのBランクモンスター。
だが、その死に様は異常だった。
斬られた傷も、打撃痕もない。
ただ、口と鼻、そして全身の毛穴という毛穴から、毒々しい「紫色の泡」を吹いて絶命していたのだ。
「……毒殺、か?」
ジンは指先に布を巻き、慎重に泡に触れた。
ジュワッ。
布が一瞬で変色し、溶ける。
強烈な酸と、神経毒の複合体。
「……マシロ。カメラを回せ。Cカメだ」
『え? 配信に流すの?』
「違う、俺のスマホにだ。……これを見ろ」
ジンは死骸を映した。
巨大な熊の身体が、まるで風船の空気が抜けたようにしぼんでいる。
中身が――内臓や筋肉が、溶かされて吸い取られたかのように。
『うわ……グロい……。何これ、病気?』
「いや、捕食だ。……それも、かなりタチの悪い『大食らい』がいる」
ジンは立ち上がり、周囲を警戒した。
背筋に冷たいものが走る。
この死骸は新しい。まだ体温が残っている。
つまり、ついさっきまで、ここで「何か」が食事をしていたということだ。
「……おかしいな」
『何が?』
「このエリアの生態系がおかしい。雑魚がいねぇ。中堅クラスの魔物が死んでる。そして、この強烈な『誘引剤』の臭い……」
ジンは鼻をひくつかせた。
先ほど感じた甘ったるい臭い。
それは、意図的に魔物を一箇所に集めるための撒き餌だと思っていた。
だが、現状を見るに、それは「集める」ためではなく、「餌付け」するために撒かれたものではないか?
誰かが、特定の「何か」を育てるために、このエリア全体を餌場に変えたとしたら?
「……レオの進路、変更できるか?」
『無理よ。もう配信で「次は最深部の『水晶の湖』へ向かう!」って宣言しちゃったわ。コメント欄も「湖!湖!」って大合唱よ』
「チッ、あのバカ……調子に乗りやがって」
ジンは舌打ちをした。
最深部。
この死骸の痕跡と、紫色の泡の点々が続いている先。
そこには、俺たちが用意した「弱らせたラスボス(スライム)」がいるはずだ。
だが、もしそこに、俺たちの知らない「招かれざる客」が先に到着していたら?
『ジン……? どうしたの、怖い顔して』
「……マシロ。警戒レベルを上げろ。ツムギとヤクモにも伝えろ」
ジンは高枝切りバサミを強く握りしめた。
錆びた刃が、微かに共鳴音を立てる。
「このステージには、俺たち以外の『演出家』がいる。……それも、とびきり悪趣味な脚本を書くヤツだ」
ズズズズズ……。
遠く、最深部の方角から、地鳴りのような音が響いた。
それは岩が擦れる音のようでもあり、巨大な蟲が顎を鳴らす音のようでもあった。
配信画面の中では、レオが能天気な笑顔で手を振っている。
「さあ、クライマックスだ! みんな、ついてきてくれ!」
その背後に忍び寄る「本物の死」の気配に、誰も気づいていない。
数字という名の魔物に踊らされる英雄と、それを見つめる数万の観衆。
そして、その熱狂の裏側で、冷たい捕食者が牙を研いでいる。
「……急ぐぞ。最悪のシナリオになる前に、書き換えてやる」
ジンは走り出した。
もはや「掃除」ではない。
これは、「害虫駆除」だ。
水晶の輝きが、不吉な紫色に濁って見えた。
最大の山場が、今、静かに、そして最悪の形で幕を開けようとしていた。
(……間に合えよ、クソッタレ!)
ジンの足音が、クリスタルの回廊に乾いた音を刻んだ。




