第32話:水晶渓谷の「サクラ」たち
ダンジョン中層、『水晶渓谷』。
そこは、この世の景色とは思えないほど美しく、そして残酷な場所だった。
見渡す限り、地面も壁も天井も、すべてが巨大な水晶の結晶で覆われている。
天井の裂け目から差し込むわずかな太陽光が、無数のプリズムによって乱反射し、空間全体を虹色のオーロラで満たしている。
足元には、透き通るような湧き水が流れ、クリスタルのせせらぎ音を奏でている。
まさに、神秘の絶景。
インスタ映え間違いなしの聖地。
……ただし、その輝くクリスタルの影には、硬度10の身体を持つ『クリスタル・ゴーレム』や、迷彩効果で姿を消す『ジュエル・リザード』といった凶悪な魔物がウヨウヨ潜んでいるのだが。
「うわぁ……! キラキラしてますねぇ!」
栗花落ツムギが、目を輝かせて周囲を見渡した。
彼女はリュックからC4爆薬を取り出し、ウットリと頬を染める。
「この美しい結晶を爆破したら、どんな音がするんでしょう……! 破片がダイヤモンドダストみたいに舞うんでしょうか……!」
「やめろ。環境破壊だ。国立公園で花火するよりタチが悪いぞ」
俺、黒鉄ジンは、高枝切りバサミを担ぎながら釘を刺した。
現在の時刻は、配信開始の2時間前。
俺たちはメインルートから外れた岩陰に「前線基地(楽屋)」を設営し、最終準備に入っていた。
「マシロ、カメラの画角はどうだ?」
「バッチリよ。ここは自然光が強すぎるから、少し露出を絞って……よし、レオの肌が陶器のように白く映るわ」
マシロは空中に5台の小型ドローンを展開し、それらを自分の手足のように操っていた。
彼女の霊力とリンクしたドローンは、障害物を神業的な機動ですり抜け、あらゆる角度から被写体を捉え続ける。
「ヤクモ、レオのコンディションは?」
「脈拍120、血圧150。極度の緊張状態だねぇ。胃液の分泌量が異常だ」
ヤクモは、パイプ椅子に座ってガタガタ震えているレオの腕に、聴診器を当ててニヤニヤしている。
「安定剤打っとく? それとも、恐怖心を麻痺させる『脳内麻薬促進剤』がいいかい?」
「……水でいい。普通の水をくれ……」
レオは顔面蒼白で呻いた。
彼の純白の騎士団服は、まだ新品の輝きを保っている。
だが、あと数時間後には、これが泥と血(演出用)と栄光にまみれることになる。
「さて。……俺も仕事にかかるか」
俺は高枝切りバサミのレバーをカシャカシャと動かし、動作確認をした。
刃の噛み合わせは良好。錆びついているように見えるが、研ぎ直した刃先はカミソリのように鋭い。
「行くぞツムギ。俺たちは『下準備(仕込み)』だ」
「はいっ! 爆破ポイントの設置ですね!」
俺とツムギは、レオたちが待機する「本番ルート」の先へと進んだ。
***
作戦名『サクラ・プロジェクト』。
その内容は単純にして極悪だ。
レオが進むルート上にいる魔物を、事前に俺たちが「半殺し」にしておく。
具体的には、足の腱を切る、装甲の隙間を緩める、毒で弱らせる。
そして、弱った魔物がレオの前に現れた瞬間、レオが華麗な剣技でトドメを刺す。
視聴者には「レオが一撃で強敵を倒した」ように見えるが、実際はHP1の敵を叩いただけという、マッチポンプの極みである。
「……いたぞ。クリスタル・ゴーレムだ」
岩陰から覗くと、身長3メートルほどの巨人が、のっしのっしと歩いていた。
全身が硬い水晶でできており、物理攻撃をほぼ無効化する厄介な相手だ。
普通に戦えば、レオでも数分はかかる強敵。
「ツムギ、閃光弾だ。視界を奪え」
「了解です! ピカッといきます!」
ツムギがピンを抜き、手榴弾を放り投げる。
カッッッ!!
強烈な閃光が炸裂し、ゴーレムが動きを止めた。
「今だ」
俺は飛び出した。
手には高枝切りバサミ。
間合いは3メートル。ゴーレムの剛腕が届かないギリギリの距離。
「『庭師の流儀』・壱ノ型――」
俺はハサミの先端を、ゴーレムの膝関節の隙間に滑り込ませた。
そこは装甲が薄く、魔力神経が通っている急所だ。
「――『根切り』」
ガチンッ!!
レバーを握り込む。
テコの原理で増幅された力が刃に伝わり、硬い水晶の腱を断ち切った。
ズズンッ。
ゴーレムの右膝が砕け、バランスを崩して膝をつく。
「次は肩だ」
俺は流れるように回り込み、今度は右肩の関節にハサミを噛ませた。
ガチンッ!
腕がダラリと下がる。
「仕上げに……動力パイプを半断裂」
背中に回り込み、脊髄にあたる魔力供給路を、皮一枚残して切断する。
これでこいつは、立つことも腕を上げることもできない。
ただ、見た目は無傷で元気そうに見える「張り子の虎」の完成だ。
「よし。次行くぞ」
「すごいです先輩! 地味だけどエグいですね!」
ツムギが称賛(?)の声を上げる。
俺たちは影のように移動し、ルート上の魔物を次々と「剪定」していった。
ジュエル・リザードの爪を切り、マンドラゴラの悲鳴袋を潰し、スライムの核にヒビを入れる。
それは戦闘ではない。
淡々とした「整地作業」だ。
かつて剣聖と呼ばれた男が、園芸用品で魔物をいじめている姿は、客観的に見ればシュール極まりないだろう。
だが、これがプロの裏方の仕事だ。
しかし。
作業を進めるうちに、俺の中に違和感が芽生え始めていた。
「……おい。おかしいな」
俺は足を止めた。
目の前の通路――本来なら魔物がひしめいているはずのエリアが、妙に静まり返っている。
「どうしたんですか?」
「魔物が少なすぎる。それに……」
俺は地面にしゃがみ込み、土の匂いを嗅いだ。
湿った土の匂いに混じって、甘ったるい、腐った果実のような臭いがする。
「……『誘引剤』か?」
俺は地面に落ちていた、紫色の染みがついた布切れを拾い上げた。
強力な魔物寄せの香料だ。
しかも、市販品じゃない。軍用か、あるいは違法な裏ルートで出回っている高濃度のやつだ。
「誰かが、魔物を誘導してる」
俺は視線を巡らせた。
この誘引剤の痕跡は、俺たちが設定した「本番ルート」から外れ、さらに奥――人の立ち入りが禁止されている『深層エリア』への入り口へと続いていた。
「……マシロ、聞こえるか?」
俺はインカム(マシロとの通信用)に話しかけた。
『ええ、聞こえてるわよ。どうしたの?』
「状況が変わった。……このエリア、誰かが意図的に『掃除』してやがる。それも、魔物を一箇所に集めるためにな」
『一箇所って……まさか、深層の方へ?』
「ああ。……嫌な予感がする。朝見たあのトラック、やっぱり無関係じゃなさそうだ」
俺の脳裏に、あの黒いトラックの姿がよぎる。
ナンバーのない軍用車。
そして、誘引剤。
点が線で繋がる。
「……罠かもしれねぇな」
俺たちの「やらせ配信」を邪魔するためか、あるいはもっと別の目的か。
どちらにせよ、このステージには俺たち以外の「演出家」がいる。
「ジン、どうする? 中止する?」
マシロの声に緊張が走る。
俺は少し考え、そしてニヤリと笑った。
「いや、続行だ。……ここまで来て尻尾巻いて逃げたら、レオのメンタルが死ぬ」
俺は高枝切りバサミを握り直した。
「それに、俺たちがいるんだ。何が起きてもアドリブで乗り切る。……それが『アンラッキー・カルテット』の流儀だろ?」
『……ふふっ。言ったわね。後悔しても知らないわよ』
通信を切る。
俺はツムギに向き直った。
「ツムギ。予定変更だ。爆薬の設置場所を変える」
「えっ? どこにですか?」
「レオの通り道じゃねぇ。……こっちの『脇道』だ。もしもの時、敵の増援を遮断できるように、岩盤ごと崩せる位置にセットしろ」
「了解です! 最大火力で準備します!」
ツムギが嬉々として作業を始める。
俺は深層へと続く暗い道を睨みつけた。
何が待っているかは分からない。
だが、どんな「シナリオ」が用意されていようと、俺が全部ハサミで切り刻んでやる。
***
1時間後。
スタート地点。
レオは、岩に手をついてえずいていた。
「おえぇ……。気持ち悪い……胃が……」
「大丈夫かい? 胃薬(劇薬)飲む?」
ヤクモが背中をさすっているが、逆に悪化しているように見える。
「……時間だぞ、レオ」
俺が声をかけると、レオはビクリと肩を震わせ、ゆっくりと顔を上げた。
顔色は土気色。目は血走っている。
限界ギリギリだ。
「……ジン。本当に、うまくいくのか?」
「いくさ。舞台は整えた。魔物は全部『半殺し』にしてある。お前はただ、カッコよく剣を振るだけでいい」
俺は嘘をついた。
不穏な空気や、誘引剤のことは言わない。
今のこいつに余計な情報を与えたら、プレッシャーで心臓が止まる。
「……そうか。なら、やるしかないな」
レオは深呼吸をした。
吸って、吐いて。
そして、両手でパンッ! と自分の頬を叩いた。
バシンッ!
乾いた音が渓谷に響く。
その瞬間。
レオの纏う空気が変わった。
背筋が伸びる。
曇っていた瞳に、強い光が宿る。
口角が、完璧な25度で持ち上がる。
「――待たせたね、みんな」
声色までもが変わっていた。
弱気な青年の声ではない。
全人類の希望を背負う、白銀の騎士の声だ。
「行くぞ。……ショータイムだ」
レオがマントを翻し、歩き出す。
その背中は、ついさっきまで嘔吐していた男とは思えないほど大きく、頼もしく見えた。
「……すげぇな。役者だよ、お前は」
俺は感心し、マシロに合図を送った。
「マシロ、配信開始!」
『了解! ……3、2、1、キュー!』
ドローンが起動する。
空中にホログラムウィンドウが展開され、そこにはレオのアップと、リアルタイムのコメント欄が表示された。
『キターーーー!!』
『待ってましたレオ様!!』
『今日の髪型も決まってるゥ!』
『同接いきなり5万人突破!』
数字が跳ね上がる。
それを見たレオの顔が、さらに輝きを増す。
彼はカメラに向かってウインクし、剣を抜いた。
「みんな! 今日の僕は一味違うよ! 最後まで目を離さないでくれ!」
虚構の英雄劇が幕を開けた。
その裏で、俺たちは黒子として闇に溶け込む。
華やかなスポットライトの影で、本物の牙を研ぐ「敵」が待っているとも知らずに、俺たちの命がけの茶番劇が始まったのだった。




