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ダンジョン遺失物管理センター(B3F) ~最強の回収屋は、今日も「思い出」と「未練」を拾いに行く~  作者: AItak
爆裂娘と、見栄っ張りな騎士

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第23話 無免許医の強制開業

 人間の朝というものは、本来もっと希望に満ちているはずだ。

 小鳥のさえずり。焼きたてのトーストの香り。淹れたてのコーヒー。

 そして「おはよう」という家族の温かい声。


 ……だが、俺、黒鉄ジンの朝は、いつだって「不快」と「絶望」の二重奏デュエットから始まるのが相場だ。


「……ん、ぐ……?」


 意識が泥の中から浮上する。

 まず感じたのは、嗅覚への暴力だった。

 消毒液エタノールのツンとする刺激臭。

 ホルマリン特有の、鼻の奥が痺れるような甘ったるい腐敗臭。

 そして、なぜか焦げた醤油の匂い。


(……なんだ? 俺は病院で寝てたんじゃなかったか?)


 重いまぶたをこじ開ける。

 視界がぼやけている。

 白い天井……ではない。

 見慣れた、カビと雨漏りのシミが地図を描いている、遺失物管理センターの天井だ。


 ああ、そうだ。退院して、家に帰ってきて、マシロの手作りハンバーグを食って……。

 そこまでは覚えている。

 平和な日常への帰還。

 だが、今の俺の状況は、どう考えても「平和」とは程遠かった。


「……動け、ねぇ」


 起き上がろうとして、気づく。

 手足が拘束されている。

 俺が寝ていたはずの愛用のソファに、分厚い革製のベルトで、四肢をガッチリと固定されているのだ。

 まるで、処刑台に縛り付けられた囚人のように。


「……んあ? なんだこれ。新手のプレイか? マシロの趣味か?」


 俺は寝ぼけた頭で、状況をポジティブに解釈しようと試みた。

 だが、現実はいつだって無慈悲だ。


「おはよう、実験体その1。……いい目覚めだねぇ」


 耳元で、ねっとりとした声がした。

 爬虫類が皮膚を這うような、湿り気を帯びた男の声。


「!?」


 俺はギョッとして顔を向けた。

 そこには、至近距離に「顔」があった。


 病的なまでに白い肌。

 目の下には、数日間寝ていないことを雄弁に物語る、ドス黒いクマ。

 ボサボサの黒髪は洗っておらず、脂ぎっている。

 そして、その口元は、三日月のように裂けた笑みを浮かべていた。


 薬師寺ヤクモ。

 昨日、突然押しかけてきた、自称・医者(無免許)。


「うわぁぁぁッ!? ち、近けぇよ! 朝イチで見る顔じゃねぇ!」


 俺は悲鳴を上げ、反射的にのけぞろうとした。

 だが、拘束ベルトがそれを許さない。

 ガチャン! と金具が鳴るだけだ。


「暴れないでくれたまえ。せっかく縫合した糸が切れちゃうだろう?」


 ヤクモは白衣のポケットから、血の付いたピンセットを取り出し、俺の目の前でカチカチと鳴らした。


「縫合……だと?」


 俺は自分の身体を見下ろした。

 着ていたはずのTシャツは切り裂かれ、上半身は裸。

 そして、脇腹から背中にかけて、真新しいガーゼと包帯が、グルグル巻きにされている。

 そこから、ジワジワと鈍い痛みが……いや、鋭利な痛みが這い上がってくる。


「君の背中の古傷、昨夜の寝返りでパックリ開いてたからね。サービスで縫い合わせておいたよ。三十針ほど」


「さ、三十針……!?」


「ああ、安心してくれ。ボクの縫合技術テクニックは完璧だ。血管の一本一本、神経の束まで芸術的に繋いだよ。……ただし」


 ヤクモは、悪戯が見つかった子供のような、無邪気で邪悪な笑顔を向けた。


麻酔モルヒネが在庫切れでねぇ。仕方ないから、『気合い』で代用させてもらったよ」


 シン……。

 俺の脳内で、思考回路がショートした。


 麻酔なし?

 寝ている間に?

 三十針?


「ギャアアアアアアアアアッ!!!!」


 遅れてやってきた激痛の情報のビッグウェーブが、脳髄を直撃した。

 脇腹が焼けるように熱い。

 背中を無数の針で刺されているようだ。

 いや、実際に刺されたんだ!


「痛ぇぇぇぇッ! テメェ何してんだ! ここは戦国時代か!? 麻酔なしで手術とか正気かよ!」


「おや、元気だねぇ。痛覚反応リアクション、良好。君の神経系は実にタフだ。普通の人間ならショック死してるよ?」


 ヤクモは俺の絶叫をBGMか何かのように聞き流し、手元のカルテにサラサラと何かを書き込んでいる。


『被験者ジン。覚醒直後の発声量、120デシベル。生命力、ゴキブリ並み』


「ゴキブリ扱いすんな! 解け! 今すぐこの拘束を解け!」


「ダメだよ。術後の安静は絶対だ。それに、君が暴れると、ボクの『診療所』が散らかる」


「診療所……?」


 俺は、激痛に耐えながら周囲を見渡した。

 そして、絶句した。


 そこは、俺の知っている遺失物管理センターではなかった。

 マシロが丹精込めて掃除し、ピカピカにしたはずの事務所が、一夜にして「マッドサイエンティストの実験室」へと変貌していたのだ。


 書類棚には、得体の知れない生物(スライムの死骸や、ゴブリンの目玉など)が入ったホルマリン漬けの瓶がズラリと並んでいる。

 デスクの上には、ビーカーやフラスコ、遠心分離機といった化学実験器具が所狭しと置かれ、紫色の煙を上げている。

 床には、血のついたガーゼ、使用済みの注射器、そしてなぜか動物の骨(大腿骨?)が散乱している。


 そして極めつけは、部屋の隅に設置された、巨大な業務用冷蔵庫。

 扉には、赤いスプレーで殴り書きされていた。


『 新 鮮 な 臓 器 ア リ 〼 』


「……な、なんだこれは」


 俺の声が震える。


「俺の城が……。俺の聖域が……バイオハザード指定区域になってる……」


「快適だろう? 家賃代わりに、少し『模様替え』させてもらったよ」


 ヤクモは満足げに腕を広げた。


「ここは湿気が多くて、菌の培養には最適だ。ダンジョンの魔素も豊富だし、死体の鮮度も保ちやすい。まさに、闇医者にとっては楽園パラダイスだねぇ」


「出て行けぇぇぇッ!! ここは国営施設だぞ! 不法占拠だ! 警察呼ぶぞ変態!」


「呼べばいいさ。……ただし、ボクがいなくなったら、君のその継ぎ接ぎだらけの身体、誰がメンテナンスするんだい?」


 ヤクモの言葉に、俺は口を閉ざした。

 痛いところを突かれた。

 昨日の戦闘で、俺の身体は限界を超えている。レオからの紹介状で正規の病院に行ったが、彼らができるのは「表面的な治療」だけだ。

 『死者の共鳴』による魂の摩耗や、魔力回路の焼き付き、そして背中の「呪い傷」については、現代医学ではお手上げだった。


 それを、この怪しい男は一晩で(手荒だが)繋ぎ止めたのだ。


「……くそっ。足元見やがって」


「君の身体は魅力的だよ、ジン君。……生と死の境界線で反復横跳びをしているようだ。ボクの研究テーマである『完全なる蘇生』のヒントが、君の中には詰まっている」


 ヤクモは白衣を翻し、俺の顔を覗き込んだ。


「だから、ボクはここに居座るよ。君が完全に壊れるか、あるいはボクの研究が完成するまでね」


 その目は、笑っていなかった。

 底知れない探究心の闇。倫理観の欠如した、純粋すぎる狂気。


 ――ガチャリ。


 その時、奥の部屋(元・給湯室、現・マシロの個室)のドアが開いた。


「……うるさいわね。朝から何の騒ぎよ……」


 寝ぼけ眼のマシロが、ふわふわと浮遊しながら現れた。

 彼女は半透明なパジャマ姿(霊体だから着替える必要はないはずだが、気分らしい)で、髪も少し乱れている。

 あくびを噛み殺し、目をこすりながらリビングに入ってきた彼女は、そこでピタリと動きを止めた。


「…………」


 マシロの視線が、部屋の中を巡る。

 ホルマリン漬けの瓶。

 血のついたガーゼ。

 散乱する骨。

 そして、拘束された俺と、ニヤニヤ笑う不潔な男。


 ピキッ。


 空気が凍った音がした。

 マシロの美しい顔から、急速に表情が抜け落ちていく。

 それは怒りではない。「無」だ。

 あまりの惨状に、感情処理システムがエラーを起こしたのだ。


「あ、おはようマシロ。……逃げろ。ここはもう人の住む場所じゃねぇ」


 俺が警告するより早く、ヤクモが反応した。


「おや! おはよう、眠り姫! いや、幽霊姫かな!」


 ヤクモは俺を放置し、マシロの方へ駆け寄った。

 その目は、新しい玩具を見つけた子供のように輝いている。


「素晴らしい……! 霊子エクトプラズムの密度が桁違いだ! 昨日は遠目でしか見れなかったけど、近くで見ると更に興味深いねぇ!」


 ヤクモはポケットからルーペを取り出し、マシロの顔を至近距離で観察し始めた。


「肌の質感、髪の光沢……まるで生きているようだ。ねえ、君の体温はどうなってるの? 内臓はあるの? 代謝機能は? 触覚は?」


 ズイッ、と顔を近づけるヤクモ。

 数日風呂に入っていないであろう男の、独特の体臭と薬品臭が、マシロの鼻腔(あるのか?)を襲う。


「……寄るな」


 マシロが、低く呻いた。


「ん? 遠慮しなくていいよ。ボクは医者だ。君の身体の隅々まで、優しく診察(解剖)してあげるからねぇ……」


 ヤクモが、あろうことかマシロの肩に触れようと手を伸ばした。

 その指先には、銀色に光るメスが握られている。


「サンプル採取だ。ほんの少し、皮膚組織を切り取らせて……」


 ブチッ。


 何かが切れる音がした。

 マシロの我慢の限界リミッターだ。


「――寄るなァァァァァァァッ!!!」


 ドカァァァァァァン!!


 マシロを中心にして、爆風のような衝撃波が炸裂した。

 ポルターガイスト現象・最大出力。


「ぐべっ!?」


 ヤクモが紙切れのように吹き飛ばされ、背後の薬品棚に激突した。

 ガシャーン! パリーン!

 ビーカーやフラスコが粉々に砕け散り、色とりどりの薬品がヤクモの頭から降り注ぐ。


「不潔! 不潔不潔不潔ッ!! 私の神聖なリビングになんてモノ持ち込んでるのよこのバイオテロリスト!」


 マシロの髪が逆立ち、全身が怒りのオーラで発光している。

 彼女は両手を指揮者のように振り回した。


「消毒! 滅菌! 焼却処分よぉぉぉッ!」


 ヒュンッ! ヒュンッ!


 部屋中の物体が凶器と化した。

 ホルマリン漬けの瓶が手榴弾のようにヤクモに投げつけられ、スライムの死骸が顔面に張り付く。

 散乱していた骨が、ブーメランのように旋回してヤクモのすねを殴打する。


「い、痛い! 痛いよ幽霊ちゃん! これ中身は劇薬だよ!? 眼球に入ると失明するよ!?」


「うるさい! その目が腐ってるから失明しても問題ないでしょ!」


「論理が飛躍している! ……ああっ、ボクの貴重な『マンドラゴラの塩漬け』がぁぁ!」


 マシロの猛攻は止まらない。

 彼女は潔癖症だ。

 ゴミ屋敷ですら許せなかったのに、こんな「病原菌の培養室」のような空間、許せるはずがない。


「とっとと出て行きなさい! ここは私の城よ! 菌類と変態はお断りなのよ!」


 マシロが指を突き出すと、重さ数百キロはある業務用冷蔵庫が浮き上がり、ヤクモを目掛けて突進した。


「ひぃぃぃッ! 圧死する! 物理攻撃が過ぎるよ!」


 ヤクモは這いつくばって逃げ回る。

 その悲惨な光景を、俺はソファに縛られたまま眺めていた。


「……ははっ。ざまぁみろ」


 俺は乾いた笑いを漏らした。

 いいぞマシロ、やっちまえ。その変態をミンチにして、燃えるゴミに出してくれ。


 だが。

 俺は忘れていた。

 このポルターガイストが、「無差別攻撃フレンドリーファイア」であることを。


「あ」


 宙を舞ったメスの一本が、綺麗な放物線を描いて、俺の方へ飛んできた。


「おい待てマシロ! こっち向いてる! 刃先がこっち向いてる!」


「巻き込まれる方が悪いのよ! 連帯責任!」


「理不尽んんんんッ!!」


 シュパッ!


 メスは俺の耳の横数ミリのところを掠め、ソファの背もたれに深く突き刺さった。

 あと少しズレていたら、俺の耳はピアス穴どころか切断されていた。


「ひぃぃ……! 殺す気か!」


 さらに、割れた薬品瓶から漏れ出した謎の緑色の煙が、俺の鼻先をかすめる。

 吸い込んだ瞬間、視界がぐるぐると回り出し、目の前に虹色のお花畑が見えた。


(……やばい。これ幻覚剤だ……)


 カオス。

 阿鼻叫喚。

 我が家のリビングは、朝の爽やかな空気とは無縁の、地獄の釜の底と化していた。


 ***


 一時間後。


 嵐は去った。

 ……いや、正確には「一時休戦」となった。


 部屋の中は、台風が通過した後のように荒れ果てていた。

 割れたガラス、こぼれた薬品、散乱した書類。

 その中央で、俺たちはテーブル(奇跡的に無事だった)を囲んで対峙していた。


 俺は拘束を解かれ(自力で引きちぎった)、ボロボロの体でソファに座っている。

 マシロは空中に浮き、腕組みをして鬼のような形相でヤクモを睨みつけている。

 そしてヤクモは、頭に包帯を巻き、全身薬品まみれになりながらも、なぜか満足げにコーヒー(ビーカーに入っている)を啜っていた。


「……で? いつ出て行くんだ、お前」


 俺は疲労困憊の声で切り出した。


「出て行かないよ。言っただろう、ここは楽園だと」


 ヤクモは涼しい顔で答える。


「ふざけないでよ!」


 マシロが叫ぶ。


「こんな汚部屋、私が許さないわ! 今すぐ荷物をまとめて消えなさい! さもないと、次は冷蔵庫の中身をあんたにしてやるから!」


「怖いねぇ。でも、君たちにはボクを追い出せない理由がある」


 ヤクモはニヤリと笑い、懐から一枚の紙を取り出した。

 それは、昨夜の俺の治療にかかった費用の請求書だった。


「はい、これ」


 俺とマシロは、その紙を覗き込んだ。


『請求書』

・緊急外科手術(深夜割増): ¥800,000

・使用薬品代(マンゴラゴラ抽出液他): ¥1,200,000

・技術料(天才外科医特別価格): ¥3,000,000

・精神的慰謝料(ポルターガイスト被害): ¥500,000


『合計: ¥5,500,000』


「ご、五百五十万……!?」


 俺の目が飛び出た。

 昨日のレオへの賠償金(五百万)と合わせたら、借金が一千万を超える。


「払えるかい? 貧乏探偵さん」


 ヤクモはビーカーを揺らしながら言った。


「もし払えないなら……ボクはこの請求権を盾に、ここに住む権利を主張させてもらうよ。家賃は、この借金から毎月差し引く形でどうだい?」


「……っ、卑怯な!」


「ビジネスだよ。それに、ボクがいれば君の治療もタダ(ツケ)だ。マシロちゃんの霊的データの解析もしてあげられる。……ウィンウィンじゃないか」


 俺は唇を噛み締めた。

 反論できない。

 金がないのは事実だ。そして、俺の体がヤクモの腕なしでは持たないのも、悔しいが事実だった。


「……マシロ」


 俺は隣(空中)の幽霊を見た。

 彼女もまた、悔しそうに拳を震わせているが、何も言い返せないでいた。

 彼女の「鑑定眼」をもってしても、この借金の数字は覆せない。


「……はぁ」


 俺は深いため息をついた。

 負けだ。

 完全敗北だ。


「……分かったよ。好きにしろ」


「交渉成立だね!」


 ヤクモは嬉々として手を叩いた。


「じゃあ、今日からここは『遺失物管理センター』兼『薬師寺医院』だ。よろしくね、ルームメイト諸君!」


「……ただし、条件がある」


 マシロが、氷点下の声で言った。


「1.リビングに汚物を持ち込まないこと。

 2.私に許可なく触れないこと。

 3.風呂に入ること。毎日よ!

 ……守れなかったら、その時は本当に殺すわよ」


「善処するよ。……まあ、研究のためなら多少の犠牲は厭わないけどね」


 ヤクモは肩をすくめた。

 全く反省していない。

 こいつは、約束なんて守る気がない。自分の欲望(知的好奇心)のためなら、平気でルールを破るタイプだ。


(……最悪だ)


 俺は天井を仰いだ。

 雨漏りのシミが、俺をあざ笑うように広がっている。


 借金。

 幽霊。

 そして変態マッドドクター。


 俺の「平穏な隠居生活」は、音を立てて崩れ去った。

 これから始まるのは、プライバシーも衛生観念もない、地獄の共同生活だ。


「……誰か、助けてくれ」


 俺の呟きは、誰にも届かず、薬品臭い空気の中に消えていった。

 そして、このカオスな状況こそが、新たなトラブルメーカー(爆弾魔)を呼び寄せる「引き金」になることを、俺はまだ知らなかった。


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