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ダンジョン遺失物管理センター(B3F) ~最強の回収屋は、今日も「思い出」と「未練」を拾いに行く~  作者: AItak
爆裂娘と、見栄っ張りな騎士

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第22話 プロローグ:視聴率(数字)という名の魔物

 世界を救うために必要なものは何か。

 聖剣か? 勇気か? それとも、仲間との絆か?


 ノン。

 現代いまのダンジョン攻略において、最も重要なステータス。

 それは――『好感度インプレッション』である。


 ***


 政府広報局、第1スタジオ。

 その最奥に位置するVIP専用楽屋は、まるで無菌室のように、あるいは死刑囚の独房のように静まり返っていた。


 壁も、床も、天井も、一切の汚れを許さない純白。

 部屋の中央に鎮座する巨大なドレッサーだけが、無機質なLEDライトの光を放ち、鏡の前の男を冷徹に照らし出している。

 空調の低い唸り声と、壁掛け時計が時を刻む秒針の音。

 チッ、チッ、チッ……。

 その規則的なリズムが、男の心拍数と不協和音を奏でていた。


 剣崎レオ。

 国立ダンジョン対策本部・第1特殊部隊隊長にして、人類最強の希望と謳われる「白銀の騎士」。


「……ふぅ」


 レオは鏡の中の自分と睨み合っていた。

 彼の手には、真鍮製の定規が握られている。

 彼はそれを、自らの唇の端に、まるで凶器を突きつけるようにあてがった。


「右口角、上昇角度25度。左口角、23度……いや、低い。2度足りない」


 指先で頬の肉を押し上げ、強引に角度を調整する。

 鏡の中の男が、引きつった笑みを浮かべる。

 それは笑顔ではない。精巧に作られた能面だ。


「よし。25度。……キープだ。この角度を筋肉に記憶させろ」


 彼は呪文のように呟き、鏡の像を凝視した。

 金糸の髪は、ヘアメイクの手によって一本の乱れもなく計算され尽くした流線を描いている。

 碧眼は、照明の反射率を考慮した角度で見開かれ、純白の騎士団服には、埃ひとつ、皺ひとつ存在しない。

 完璧だ。

 誰もが憧れ、誰もが恋し、誰もが崇拝する、完成された英雄の偶像アイドル


 だが。

 ふっ、と彼が息を吐き、表情筋の緊張を解いた、その瞬間。


「…………ぁ」


 鏡の中の像が、崩れ落ちた。

 美しかったはずの笑顔が、重力に負けたように醜く歪む。

 瞳の光は消え失せ、目の下には、ドーランで隠しきれないどす黒いくまが、腐った果実の斑点のように浮き出ていた。

 そこには英雄の覇気など欠片もない。

 過重労働と、期待という名の重圧に内側から食い荒らされ、今にも糸が切れそうな、ただの疲弊しきった青年の顔があった。


「……違う。これじゃない」


 レオは自分の頬を、爪が食い込むほど強く掴んだ。


「笑え。笑えよ、剣崎レオ。お前は希望なんだ。みんなの太陽なんだ。太陽が陰ってどうする」


 無理やり口角を持ち上げる。

 だが、唇は痙攣し、引きつった笑い声のような呼吸音が漏れるだけだ。

 胃の奥が熱い。

 何かがこみ上げてくる感覚を、彼は喉の筋肉を締め付けて飲み込んだ。


 その時。


 コン、コン。


 乾いたノックの音が、静寂を切り裂いた。

 レオの肩がビクリと跳ねる。

 それは来訪を告げる音ではない。執行官が独房の扉を叩く、終わりの合図だ。

 彼は反射的に背筋を伸ばし、鏡に向かって「25度の笑顔」を貼り付けた。


「……入れ」


 ガチャリ、と重い防音扉が開く。

 入ってきたのは、仕立ての良いダークスーツを着た小男だった。

 政府から派遣されている、専属の広報マネージャー。

 彼はタブレット端末を胸に抱き、感情のない無機質な瞳で、鏡越しのレオを見下ろした。

 そこには、命を懸けて戦う騎士への敬意など微塵もない。あるのは、商品タレントの鮮度を見定める、冷徹な査定の目だけだ。


「剣崎隊長。本番5分前です。準備は?」


「あ、ああ。万全だ。今日の僕は、いつにも増して輝いているだろう?」


 レオは椅子を回転させ、キラリと歯を光らせてみせた。

 完璧な演技。完璧な発声。

 だが、マネージャーは眉一つ動かさず、溜息混じりに眼鏡の位置を直した。


「そうですか。では、本番前にこの数字げんじつを見ていただけますか」


 突きつけられたタブレットの画面。

 そこに表示されていたのは、赤い折れ線グラフと、羅列された無数のテキストデータだった。

 グラフの線は、右肩下がり。

 まるで断崖絶壁を転がり落ちるような、見るも無残な急降下曲線を描いていた。


「……これは?」


「先日の深層遠征における、公式配信の同時接続数(同接)推移です」


 マネージャーは、気温のない声で告げた。


「ピーク時は120万人でしたが、中盤の戦闘シーン――貴方が『聖光斬ホーリー・クロス』を放った瞬間から、急激に数字が落ちています。最終的には80万人。……半年前の『水晶渓谷攻略戦』では200万人を記録していたことを考えると、危機的な数字ですよ」


「は、80万……? そんな馬鹿な。あの技は、子供たちに大人気のはずじゃ……」


「それは半年前のデータです。今の視聴者のリアルは、これですよ」


 男が指先で画面をスワイプする。

 流れるコメントログ。そこには、目を覆いたくなるような言葉が並んでいた。


『またその技かよ。飽きたわ』

『溜めが長すぎ。テンポ悪い』

『エフェクトが昭和くさい』

『なんかレオ様、最近太った? 動きにキレがないんだけど』

『もっとギリギリの戦いが見たい。安全マージン取りすぎじゃね?』


 言葉の刃。

 魔物の爪よりも鋭く、毒よりも深く、レオの心をえぐっていく。


「飽きた……? 安全マージン……?」


 レオの声が震えた。

 こめかみに血管が浮き出る。


「ふざけるな……! こっちは毎回、命懸けなんだぞ! 先日の遠征だって、部下が一人、腕を持っていかれそうになったんだ! それをカバーするための『溜め』だろうが! 一歩間違えれば全滅する現場で、これ以上どうしろと言うんだ!」


「その『必死さ』が、画面越しには伝わっていない。それが問題なんですよ」


 マネージャーは冷ややかに切り捨てた。


「視聴者が求めているのは、教科書通りの安全な攻略じゃない。もっと派手なエフェクト、もっと際どいピンチ、もっと劇的な逆転劇……そう、『映える』絶望と、そこからのカタルシスです」


「部下を危険に晒せと言うのか!?」


数字しじりつが取れない英雄に、予算を割く価値はありませんよ」


 男は端末を閉じ、レオに顔を近づけた。


「予算委員会から通達が来ています。次の遠征で『バズる絵』が撮れない場合、騎士団の活動予算を30%削減すると。……ポーションの配給も、装備のメンテナンス費用も、3割カットです」


「さ、3割……ッ!?」


 レオは絶句した。

 それでは、部下たちの命を守れない。

 最前線で戦う彼らにとって、ポーション一本の有無は、生と死を分ける境界線だ。


「貴方は希望だ。みんなの光だ。……数字が取れる限りはね」


 マネージャーは皮肉っぽく口角を歪め、きびすを返した。


「期待していますよ、英雄様。……これ以上、我々を失望させないでくださいね」


 パタン、と扉が閉まる。

 再び訪れた静寂。

 だが、その空気は先ほどよりも遥かに重く、部屋中の酸素が抜かれたように息苦しかった。


「……ふざけるな」


 レオは呟いた。

 拳を握りしめる。爪が皮膚を裂き、赤い血が滲む。

 だが、その痛みさえも、胸の内に渦巻く焦燥感に比べれば微々たるものだった。


「……くそッ」


 レオはドレッサーの引き出しを乱暴に開けた。

 ガシャリ、と音を立てて取り出したのは、無骨な銀色のシェイカーだった。

 中には、ドブ川の底に溜まったヘドロのような、深緑色の液体が入っている。


 特製・激マズ青汁プロテイン。

 ダンジョンの奥地に生える希少な薬草と、高タンパクの魔物肉を乾燥粉末にしてブレンドした、栄養価「だけ」を追求した劇薬だ。


「筋肉だ……。筋肉マッスルが足りないから、こんな不安に襲われるんだ……」


 レオは震える手でシェイカーの蓋を開けた。

 鼻をつく強烈な腐臭。

 錆びた鉄と、生臭い獣の脂が混ざり合ったような、生物としての本能が拒絶する匂い。

 だが、彼は躊躇わなかった。

 これは栄養補給ではない。儀式だ。

 弱音を吐く自分自身を罰し、内側から無理やり作り変えるための、自傷行為に近い儀式。


 彼はシェイカーを煽り、一気に喉の奥へと流し込んだ。


 ゴクッ、ゴクッ、ゴクッ……!


 泥を啜っているような味が口内に広がる。

 喉が焼け、食道が痙攣し、胃袋が異物の侵入に悲鳴を上げて収縮する。

 嘔吐感がこみ上げる。

 だが、彼はそれを歯を食いしばってねじ伏せた。


「ぐっ、ぅぅぅ……ぷはぁっ……!」


 空になったシェイカーを叩きつける。

 口元を拭うと、彼は荒い息を吐きながら立ち上がった。


 鏡を見る。

 そこにはもう、疲れた青年の顔はない。

 不味い青汁への怒りと、理不尽な世界への反骨心、そして何より「英雄」という呪いに取り憑かれた、狂気じみた光を宿した男が立っていた。


「……裏切らないのは、筋肉だけだ」


 彼は自分に言い聞かせるように呟いた。

 数字は裏切る。視聴者は飽きる。上層部は掌を返す。

 だが、鍛え上げた肉体だけは、嘘をつかない。

 そう信じなければ、今この場で足がすくんで崩れ落ちそうだった。


「いいだろう。見ていろ、愚民ども」


 レオは純白のマントを翻した。


「僕が『英雄』だ。誰がなんと言おうと、僕が光の中に立ち続ける限り、ダンジョンは世界を飲み込めない。……そうだろ、ジン?」


 ふと、脳裏に浮かんだのは、路地裏で背中を向けた、薄汚れた清掃員の姿だった。

 黒鉄ジン。

 かつての友であり、自分より遥かに強く、遥かに自由な男。

 誰にも知られず、誰にも称賛されず、ただ黙々とゴミを拾い、あくびをして、不味い缶コーヒーを啜る男。


 羨ましいと、思ってしまった。

 あの日陰の安らぎが。

 汚れた作業着の気楽さが。

 数字にも、予算にも縛られず、自分の信じる「正義」のためだけにブラシを振るう、あの生き方が。


(……僕は、何のために戦っている?)


 ふとした疑問が、胸をよぎる。

 だが、彼は即座にその思考を振り払った。


「……ッ、弱音を吐くな! 僕は剣崎レオだ! あいつに……あいつに背中を預けられる男になるために、ここに立っているんだろうが!」


 彼は両の手のひらで、パンッ! と自らの頬を叩いた。

 乾いた音が、銃声のように部屋に響く。

 その痛みは、スイッチだ。

 弱気な青年「剣崎レオ」を殺し、虚構の英雄「白銀の騎士」を起動させるための、引き金。


 ブザーが鳴る。

 本番の合図だ。


 彼は25度の笑顔を完璧に貼り付け、ドアノブに手をかけた。


 ガチャリ。


 扉が開く。

 その先には、廊下を行き交うスタッフたちの姿があった。

 だが、誰一人としてレオと目を合わせようとはしない。

 彼らが見ているのは、レオの持つ魔導剣のバッテリー残量や、マイクの位置、あるいはスケジュールの進行表だけだ。

 ここには、人間などいない。

 あるのは、「英雄」という名の舞台装置と、それを動かす裏方たちだけ。


「スタンバイ願いまーす!」

「レオ様、入りまーす!」


 事務的な声が飛び交う中、レオは足を踏み出した。


 その先には、網膜を焼くほどの眩いスポットライトと、地鳴りのような歓声が待っていた。


 ワァァァァァァァァッ!!


 光の洪水。

 それは祝福ではない。無数の視線という名の「槍」だ。

 歓声は称賛ではない。血に飢えた猛獣の「咆哮」だ。

 彼らは待っているのだ。

 英雄が華麗に舞う姿を。

 あるいは――無様に引き裂かれ、絶望に顔を歪める瞬間を。


 レオは光の中へ進む。

 戦場よりも残酷で、ダンジョンの最深部よりも孤独な、輝かしい処刑台ステージへ。


「さあ、行こうか! みんなの笑顔のために!」


 白銀の騎士は、完璧な笑顔で手を振った。

 その背中が、泣いているように小刻みに震えていることに気づく者は、数百万の観衆の中で、誰一人としていなかった。


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