第21話:エピローグ・日常という名の戦場
知らない天井だ。
……なんていう、ラノベ主人公みたいな感傷に浸る余裕すらなかった。
「い、痛い痛い痛い! ギブ! ギブアップ!」
俺、黒鉄ジンの悲鳴が、清潔な病室に響き渡る。
「はいはい、暴れないでくださいねー。包帯交換しますからー。じっとしてないと、傷口に『消毒用エタノール(原液)』ぶっかけますよー?」
「看護師のセリフじゃねぇだろ! 拷問官か!」
目の前には、白衣の天使ならぬ白衣の鬼軍曹(ベテラン看護師)が、俺の全身をミイラ男のように拘束していた。
全身打撲、肋骨三本骨折、筋肉断裂、魔力欠乏症。
全治一ヶ月。
これでも「奇跡的な回復力」らしいが、俺の体感としては「交通事故に遭った直後にダンプカーに轢かれた」気分だ。
「ったく……。なんで世界を救った(かもしれない)英雄が、ベッドの上で亀甲縛りされなきゃなんねーんだよ」
俺はふてくされて、サイドテーブルの上の花瓶を見た。
そこには、毒々しいほど大量の献花が飾られている。
「あら、人気者なんですね。さっきも可愛い女の子たちが泣きながら来てましたよ。『また依頼します!』って」
「……勘弁してくれ。次はもっと楽な依頼にしてほしいもんだ」
ミナとカレンだ。
二人は俺が寝ている間に来て、泣きじゃくりながら感謝の言葉と、大量の「お見舞いフルーツ(高級メロン)」を置いていったらしい。
メロンか。悪くない。換金すればパチンコ一回分にはなる。
コンコン。
「入るぞ」
ノックと同時に、返事も待たずにドアが開いた。
現れたのは、無駄にキラキラしたオーラを纏った男。
剣崎レオだ。
ただし、いつもの純白の騎士団服ではなく、ラフな私服(ただしブランド物)にサングラスという、「お忍び芸能人」スタイルだった。
「……うわっ、眩しっ。カーテン閉めてくれ。お前のオーラで網膜が焼ける」
「失礼な奴だな。……具合はどうだ?」
レオはサングラスを外し、丸椅子に優雅に腰掛けた。
その手には、ナイフとリンゴが握られている。
「見舞いだ。栄養をつけろ」
「へぇ、気が利くじゃねぇか。剥いてくれんのか?」
「フン。私にかかれば、リンゴの皮むきなど造作もない」
レオは自信満々にナイフを構え、リンゴに刃を当てた。
シュッ、シュッ。
鋭い音がする。
その手つきは、まるで剣術の型のように洗練されていたが――。
「……おい」
数分後。
皿の上に置かれたのは、皮が厚く剥かれすぎて、元のサイズの半分以下になった「多面体のナニカ」だった。
「……なんだこれ。幾何学の教材か? 食えるのか?」
「う、うるさい! 皮の近くには農薬があると言うだろう! 安全のために厚く剥いただけだ!」
「芯しか残ってねぇよ! 不器用かお前は!」
俺はため息をつき、その不恰好なリンゴを齧った。
シャリ。
……味は、悪くない。
「……で? 報告書はどうなった?」
俺は声を潜めた。
今回のB5Fでの一件。
俺が「黒の剣聖」の力を使ったことや、マシロがレギオンを浄化したことは、公になれば面倒なことになる。
「ああ。抜かりはない」
レオは懐から一枚の書類を取り出し、ヒラヒラとさせた。
「公式発表では、『大規模な魔力溜まりの暴走に対し、第一特殊部隊が総力を挙げて鎮圧。その際、民間協力者一名が負傷』となっている」
「民間協力者、ね。……まあ、妥当なとこだな」
「それとな、ジン。……今回の件、礼を言う」
レオは真剣な顔で、俺を真っ直ぐに見た。
「貴様がいなければ、私は……いや、市民は全滅していた。貴様のその『掃除屋』としての矜持、しかと見届けたぞ」
「……よせよ。気持ち悪い」
俺は顔を背けた。
こいつに褒められると、背中が痒くなる。
「その代わり、報酬は弾んでおいた。……これを見ろ」
レオが差し出したのは、銀行の振込明細書だった。
そこに印字された数字を見て、俺の目が飛び出た。
『振込額: ¥5,000,000』
「ご、五百万……!?」
「私のポケットマネーと、今回の『特別功労金』だ。これだけあれば、当分は遊んで暮らせるだろう」
「レオ様! いや、レオ神様! 一生ついていきます!」
「現金な奴め。……まあ、せいぜい養生しろ」
レオはフッと笑い、立ち上がった。
帰り際、彼は背中越しにポツリと言った。
「……また、飲みに誘え。あの屋台のラーメン、悪くなかった」
「ああ。次は割り勘な」
レオが出て行った後、俺は明細書を抱きしめてベッドの上で悶えた。
五百万。
これで借金生活ともおさらばだ。
新しいデッキブラシも買える。
限定フィギュアもコンプリートできる。
魔導パチンコの新台も打ち放題だ!
「うひょひょひょ! 人生バラ色! 神様仏様レオ様!」
その時の俺は、まだ知らなかった。
天国と地獄は、常に背中合わせだということを。
***
数日後。
退院した俺は、スキップ混じりの足取りで『遺失物管理センター』へと帰還した。
「ただいまー! 黄金の風を纏って帰ってきたぞー!」
ガチャリ。
ドアを開けると、そこにはピカピカに磨き上げられた床と、空中に浮遊して腕組みをするマシロの姿があった。
「おかえり、退院早々うるさいわね。……体は大丈夫なの?」
マシロはジト目だが、その声色は少しだけ弾んでいた。
彼女も、俺が帰ってくるのを待っていたのだろう。……たぶん。
「おうよ! 見てくれこの通帳! 俺たちは今日から富裕層だ!」
俺は通帳をマシロに見せびらかした。
だが、マシロの反応は冷ややかだった。
「ふーん。……で? そのお金、もう『ない』わよ」
「……は?」
俺の動きが止まる。
「ないって、何が? え、強盗? スキミング?」
「違うわよ。……これを見て」
マシロが指を鳴らすと、デスクの上に積まれていた「請求書の山」が、雪崩のように俺の足元に崩れ落ちてきた。
「え……なにこれ」
一枚一枚、拾い上げて確認する。
『請求書:国立ダンジョン対策本部』
・ゲート強行突破による機材破損賠償金: ¥1,200,000
・第1特殊部隊隊長・制服クリーニング代(泥汚れ・血液除去): ¥300,000
・魔導剣(エクスカリバー・量産型改)破損弁償金: ¥2,500,000
・ダクト内清掃・消毒費用: ¥800,000
・その他、精神的慰謝料(警備員一同): ¥200,000
「……」
俺は震える手で、電卓を叩いた。
五百万の収入。
対して、請求書の合計額は――。
『合計: ¥5,000,000』
「プラマイ……ゼロ……?」
「いいえ。昨日の夕飯の買い物で、私があなたの財布から千円使ったから、正確には『マイナス千円』よ」
「う、うそだろぉぉぉぉッ!!!」
俺は床に崩れ落ち、絶叫した。
「なんでだよ! なんでレオの剣の弁償まで俺に来るんだよ! あいつが勝手に壊したんだろ!?」
「『民間協力者の過失による破損』として処理されたみたいね。……ま、命が助かったんだから安いもんじゃない」
「安くねぇよ! 俺の命より高いよ五百万は! 俺のパチンコ代が! 俺の老後資金が!」
床を転げ回る俺を見て、マシロは「はぁ……」と深いため息をついた。
そして、ふわりと俺の目の前に降りてくる。
「……バカね。お金なんて、また稼げばいいじゃない」
「簡単に言うなよ幽霊! こっちは霞食って生きてるわけじゃねぇんだぞ!」
「はいはい。……ほら、ご飯できてるわよ。今日は奮発して『ハンバーグ』よ」
「……え?」
顔を上げると、ローテーブルの上には、湯気を立てるハンバーグと、大盛りのご飯、そしてコンソメスープが並んでいた。
焦げ目がついた、手作り感満載のハンバーグ。
「……材料費は?」
「だから、さっき言った『マイナス千円』よ」
マシロは悪戯っぽく舌を出した。
「……チッ。勝手なことしやがって」
俺は渋々テーブルにつき、箸を手に取った。
「いただきます」
一口食べる。
……少し焦げているが、肉汁が溢れ出し、口いっぱいに旨味が広がる。
悔しいが、美味い。
「……どう? 私の『憑依調理』の腕前は」
マシロが不安そうに顔を覗き込んでくる。
「……まあ、食えなくはねぇな。ファミレスのランチくらいにはなる」
「素直じゃないわね! 『世界一美味しいです、マシロ様』って言いなさいよ!」
「誰が言うか。……でも、まあ」
俺は箸を止め、マシロを見た。
彼女は半透明な体のまま、満足そうに俺が食べる姿を見つめている。
「……悪かったな。無理させた」
「え?」
「あの戦いで……お前、消えかけたんだろ。俺を守るために」
俺は自分の胸元を押さえた。
あの時、剣を通じて感じた彼女の痛み。そして、彼女が俺の痛みを半分背負ってくれた感覚。
あれがなければ、俺は今頃、瓦礫の下で冷たくなっていたはずだ。
マシロは少しだけ目を見開き、それからフイッと顔を背けた。
その白い頬が、ほんのりと朱に染まっているように見えた。
「……別に。勘違いしないでよね」
彼女はツンとした声で言う。
「あんたがいなくなると、私の記憶探しを手伝う人がいなくなるからよ。……ただの、利害の一致なんだから」
「へいへい。そういうことにしておくよ」
俺は苦笑し、再びハンバーグを口に運んだ。
利害の一致。共犯者。
呼び名は何でもいい。
ただ、この温かい食卓があるなら、借金生活も悪くはないか――なんて、少しだけ思った。
その時。
マシロが洗い物をしようと(スポンジを浮かせて)キッチンに立った瞬間。
ピカッ。
彼女の左手の指輪が、一瞬だけ光った。
今までの不吉な「赤色」ではない。
澄んだ、夜明けの空のような「青色」の輝き。
「……?」
マシロは気づいていない。
俺も、見間違いかと思った。
だが、同時に俺の背中――包帯の下の古傷が、チリリと熱を持った気がした。
(……なんだ、今の感覚は)
予感。
一つの戦いは終わったが、もっと大きな「何か」が動き出したような、ざらついた予感。
5年前の因縁は、まだ終わっちゃいない。
むしろ、ここからが本番だと言わんばかりに。
「……ま、今は考えるのはよそう」
俺は最後の一口を飲み込み、満腹の腹をさすった。
今はただ、この騒がしくて穏やかな時間を噛み締めよう。
***
翌朝。
センターに、場違いなチャイムの音が響いた。
ピンポーン♪
「……んあ? 誰だよ、朝っぱらから。新聞の勧誘なら塩撒くぞ……」
俺はソファから這い出し、寝癖のついた頭をかきながらドアを開けた。
朝の日差しが目に染みる。
そして、逆光の中に立っていたのは――。
「やあ。おはよう、諸君」
そこにいたのは、季節外れのロングコートに白衣を羽織り、点滴スタンドをガラガラと引きずった、不健康そうな男だった。
目の下には濃いクマ。病的なまでに白い肌。
そして、その瞳は、獲物を解剖する前の爬虫類のように、ねっとりと俺を見つめていた。
「……誰だ、あんた。保健所の回し者か?」
「失礼だねぇ。ボクは通りすがりの医者だよ。……薬師寺ヤクモ」
男――ヤクモは、ニタリと笑った。
その笑顔には、生理的な嫌悪感を催させる「狂気」が含まれていた。
「ここが噂の『死に損ない』がいる店かな? うん、素晴らしい。……君の身体、最高にいい『腐敗臭』がするねぇ」
ヤクモは鼻をクンクンと鳴らし、俺の胸元に顔を近づけてきた。
「内臓がパズルみたいに継ぎ接ぎだ。魂と肉体がズレてる。……ねえ、解剖させてくれない? 今なら麻酔サービスするよ?」
「……は?」
俺は思考停止した。
後ろから、マシロが「ひっ、変質者!?」と悲鳴を上げる。
「あら、そこにいるのは美しい幽霊さんかな? 君も興味深いねぇ。死んでるのに生きてる。……標本にしたら、いくらで売れるかな?」
ヤクモは懐からメスを取り出し、舌なめずりをした。
「……ジン。塩よ。特盛の塩を持ってきて!」
「ああ、同感だ」
俺は溜息をつき、ドアを思い切り閉めようとした。
だが、ヤクモの革靴がドアの隙間にねじ込まれる。
「つれないなぁ。……ボクは君たちの『主治医』になりに来たんだよ。そのボロボロの身体、ボク以外には治せないだろう?」
ヤクモの言葉に、俺の手が止まる。
治せない。
その言葉が、図星だったからだ。
「……チッ。また厄介なのが来やがった」
俺は頭を抱えた。
借金、幽霊、そして今度は変態ドクター。
俺の平穏な日常は、どこまで破壊されれば気が済むんだ。
「ようこそ、遺失物管理センターへ。……ただし、診察料はツケだぞ」
俺は諦めて、ドアを開け放った。
新しい一日が始まる。
それは昨日までと同じようで、決定的に違う、騒がしい日々の幕開けだった。
「お、お客さんか? どんな『忘れ物』だい? ここなら何でも見つかるぜ」
俺はいつもの営業スマイル(ひきつり気味)で、そう言った。




