第20話:共犯者たちの誓い(ラスト・ダンス)
「必殺! 『強制・契約解除』だァァァァッ!!」
俺たちは、最後の壁を突き破った。
突き破った瞬間に広がっていたのは、物理法則が崩壊したカオス(混沌)だった。
巨人の体内。
そこは、肉と泥と、そして凝縮された絶望が渦巻く、小宇宙のような空間だ。
『……ヤメテ……』
『……イカナイデ……』
『……ヒトリハ、イヤ……』
四方八方から、無数の手が伸びてくる。
それは物理的な触手であり、同時に精神を絡め取る「呪いの言葉」でもあった。
「死にたくない」「痛い」「寂しい」。
何千人もの断末魔が、鼓膜を突き破って脳髄を直接レイプしてくるような、おぞましいノイズの暴風雨。
「……ッ、うぐ……!」
俺の意識が、一瞬だけホワイトアウトしかける。
あまりにも濃すぎる「死」の気配。
生身の人間が触れれば、即座に精神崩壊を起こして廃人になるレベルの猛毒だ。
だが。
『――前だけを見てなさい!』
脳内で、凛とした声が響いた。
マシロだ。
彼女の声が、ノイズを切り裂く楔となって、俺の意識を現実に繋ぎ止める。
『雑音キャンセリングは私がやる! あんたは、あの汚い核を叩き割ることだけ考えればいいのよ!』
「……へっ。優秀な秘書様だ!」
俺は歯を食いしばり、さらに加速した。
俺の体表を覆う白い光――マシロの霊力障壁が、迫りくる呪いの手在这个瞬間に弾き飛ばし、焼き尽くしていく。
ジュッ、ジュワワ……と、霊体が蒸発する音が絶え間なく続く。
(……相当無理してやがるな)
剣を通じて伝わってくるマシロの魂が、悲鳴を上げているのが分かる。
彼女だって怖いのだ。
本当なら耳を塞いで蹲りたいほどの恐怖の中にいる。
それでも、彼女は俺のために、その恐怖を全部飲み込んで「道」を作っている。
なら、俺がやるべきことは一つだ。
「……見えたぞ!」
混沌の渦の中心。
そこに、心臓のように脈打つ、どす黒い光の球体があった。
直径はおよそ二メートル。
表面には無数の血管のような管が張り巡らされ、そこからドロリとした汚泥を全身に供給している。
あれが、核。
全ての未練の吹き溜まり。
『……キタ……』
『……キタ、キタ、キタ……!』
核が、俺たちを認識した。
瞬間、巨人の体内壁全体が波打ち、全方位から槍のような棘が一斉に射出された。
回避不可能の飽和攻撃。
数は千、いや万か。
逃げ場なんてどこにもない。
「ジン! どうする!?」
「どうもしねぇよ! 真正面からブチ抜く!」
俺は剣を構え直した。
避ける? 防御する? そんな小細工をしている暇はねぇ。
ここで止まれば、勢いを殺され、泥の底に沈むだけだ。
「マシロ! 全魔力を剣先に集中させろ! 防御は捨てる!」
『はぁ!? あんたバカなの!? 死ぬわよ!?』
「死なねぇよ! 俺とお前なら、あの程度の雨あられ、突っ切れるだろ!」
俺は吠えた。
根拠なんてない。ただのハッタリだ。
だが、今の俺たちには、そのハッタリを現実に変えるだけの「熱」がある。
『……もうっ! 知らなくなっても!』
マシロが叫び返す。
同時に、俺の体を守っていた障壁が消え、その全ての光が剣の一点に収束した。
「うらぁぁぁぁぁッ!!」
俺は突っ込んだ。
棘の雨の中へ。
生身の体を晒して。
ドスッ! ブスッ! ザシュッ!!
肩が、太腿が、わき腹が貫かれる。
焼けるような激痛。
肉が削げ、骨が砕ける感触。
だが、止まらない。
致命傷だけは、マシロが剣で弾いている。
それ以外の「死なない傷」は、全部無視だ。
痛みは半分こ。
今の俺には、二倍の耐久力がある。
「あと……十歩ォッ!!」
距離を詰める。
血飛沫を撒き散らしながら、鬼の形相で迫る俺を見て、核が恐怖に震えたように見えた。
『……コワイ……』
『……クルナ……』
「怖がる必要はねぇよ。……すぐに楽にしてやる」
俺は、最後の力を振り絞って踏み込んだ。
だが、その瞬間。
『イカセナイ……!!』
核の直前から、巨大な「壁」が出現した。
今まで取り込んできた瓦礫や、冒険者の装備品を圧縮して作った、物理的な障壁。
厚さは数メートル。
鋼鉄よりも硬い、絶望の断絶壁。
「……チッ、最後の悪あがきかよ!」
今の俺の速度では、激突して砕けるのがオチだ。
かといって、減速すれば棘の餌食になる。
「詰んだ、か……?」
その時だった。
「――飛べぇぇぇぇッ!! ジン!!」
下界から、野太い声が轟いた。
「レオ!?」
俺が視線を落とすと、そこには信じられない光景があった。
瓦礫の山を駆け上がり、ボロボロになったレオが、頭上に「何か」を掲げて構えていた。
それは、ミナが持っていた小さな鉄の盾だ。
「僕を踏み台にしろッ!!」
レオは叫んだ。
プライドの塊である彼が。
誰よりも「上」に立つことにこだわっていた彼が。
自ら、俺のための「踏み台」になることを選んだのだ。
「……ハッ。上等だ、税金泥棒!」
俺は迷わず、落下エネルギーを乗せて、レオの掲げた盾に向かって着地した。
ガギィィィン!!
凄まじい衝撃音。
レオの足元の瓦礫が粉砕され、彼の膝が地面にめり込む。
腕の骨がきしむ音が聞こえた。
「ぐ、おぉぉぉぉッ!!」
レオが苦悶の声を上げながらも、盾を押し上げる。
その反動。
俺の落下エネルギーと、レオの全身全霊の筋力が合わさり、爆発的な推進力を生み出す。
「行けぇぇぇぇッ!! その一撃で……全てを終わらせろォォォッ!!」
「おうよッ!!」
俺は空気を蹴り、再加速した。
まるでロケットのように、真下から垂直に上昇する。
狙うは、壁の上――核の無防備な頭上だ。
「マシロ! 合わせろ!」
『ええ! 私の全部、持ってきなさい!』
空中で、俺は剣を真上に掲げた。
その瞬間、時間が止まったように感じた。
俺の中にある、全ての感情。
5年間の後悔。
仲間を失った悲しみ。
一人で生き残ってしまった罪悪感。
そして、マシロと出会ってからの、騒がしくて温かい日々。
それら全てが、光となって剣に吸い込まれていく。
「……重いな」
俺は呟いた。
物理的な重さじゃない。
何千人もの「想い」が、この一振りに乗っている。
「でも、悪くねぇ」
俺は剣を振りかぶった。
巨人の核が、真下に見える。
まるで、泥の海に浮かぶ黒い太陽だ。
「これが俺たちの……『掃除』だァァァッ!!」
俺は、重力と想いの全てを乗せて、剣を振り下ろした。
「『剣聖技・終ノ型』改め――」
閃光が走る。
それは、単なる破壊の光ではない。
優しくて、温かくて、そしてどこまでも悲しい、鎮魂の輝き。
「――『遺失物回収・強制執行』ッ!!」
ズドォォォォォォォォォン!!!!
剣が、核を貫いた。
物理的な外殻を粉砕し、その奥にある「呪いの中心点」に、マシロの浄化の光を直接叩き込む。
『ギャァァァァァァ……ア……ア……?』
巨人の断末魔が、世界を震わせた。
だが、その叫びは次第に変化していく。
苦痛から、安堵へ。
恐怖から、解放へ。
『……アッタカイ……』
『……アカルイ……』
『……モウ、イタクナイ……』
核が、内側からひび割れ、まばゆい光を放ちながら崩壊を始める。
連鎖的に、巨人の全身が光の粒子となって分解されていく。
黒い泥が、金色の光の砂へと変わる。
それはまるで、汚れた雪解け水が、春の日差しを浴びて澄んだ川へと戻っていくような、美しい光景だった。
「……あ」
空中に投げ出された俺の視界の中で、信じられないものが映った。
光の粒子の中から、無数の人影が浮かび上がってくる。
囚われていた魂たちだ。
彼らはもう、苦痛に顔を歪めてはいなかった。
皆、穏やかな顔で、空へと――本来還るべき場所へと昇っていく。
その中に。
一際輝く、見覚えのある五つの影があった。
ガードナー。
テツヤ。
サクラ。
ボブ。
そして、リーダー。
彼らは、光の中で俺の方を向き、ニカッと笑った。
声は聞こえない。
でも、口の動きで分かった。
『――よくやったな、ジン』
『――ありがとな』
『――またな』
ガードナーが、俺に向かって親指を立てた。
あの時と同じ。
最後に俺を逃した時と、全く同じ笑顔で。
「……バカ野郎」
俺の目から、熱いものがこぼれ落ちた。
風に流され、光の中に消えていく。
「またな、なんて……言わせんじゃねぇよ」
二度目の別れ。
でも、今度は絶望じゃない。
ちゃんと、「さよなら」が言えた。
5年間、俺の胸に刺さっていた氷の棘が、ようやく溶けていくのを感じた。
彼らの影は、光の渦に巻かれ、やがて夜空の星へと消えていった。
「……ふぅ」
全てが終わった。
俺の体から、力が抜けていく。
剣の光も消え、ただの錆びた鉄塊へと戻っていく。
当然、俺は空中にいる。
支えを失った俺の体は、重力に従って落下を始めた。
(……やべ。着地のこと考えてなかった)
地面までは十数メートル。
今のボロボロの体で落ちれば、ただじゃ済まない。
まあ、いいか。
十分に働いた。これくらいの罰なら、甘んじて受け入れよう。
俺は静かに目を閉じた。
だが。
「……もう。本当に世話が焼けるんだから」
ふわり。
落下する俺の体を、柔らかな何かが包み込んだ。
「……あ?」
目を開けると、そこにはマシロの顔があった。
剣から実体化し、空中で俺を抱きとめていたのだ。
彼女の体は半透明で、向こう側の星空が透けて見えている。
今にも消えてしまいそうなほど儚い。
けれど、俺を抱く腕の力だけは、確かにそこにあった。
「……お前、消えそうじゃねぇか」
「あんたのせいで魔力使い果たしたからよ。……責任取りなさいよね」
マシロは悪態をつきながらも、泣きそうな顔で笑った。
「……ああ。ツケにしといてくれ」
俺たちは、ゆっくりと地上へと降り立った。
ふわり、と羽毛が落ちるような着地。
俺の足が地面につくと同時に、マシロの姿が霧のように揺らぎ、スウッと消えた。
実体化を維持できなくなり、指輪の中――あるいは剣の中へ戻ったのだろう。
静寂が戻った。
灰色の世界は晴れ、B5F本来の湿った空気が戻ってきていた。
ただ、あの腐臭だけは消え去り、雨上がりのような清々しい匂いが漂っている。
「……ジン!」
レオが、足を引きずりながら駆け寄ってきた。
ミナも、カレンたちに肩を貸しながら、涙ぐんでこちらを見ている。
「……よう、レオ」
俺はその場に大の字に倒れ込み、夜空(といっても天井だが)を見上げた。
「……残業終了だ。帰って……メシにしようぜ」
「……ああ。そうだな」
レオは俺の横にドサリと座り込み、深く息を吐いた。
「貴様の奢りだぞ。……命を救ってやったんだからな」
「はぁ? 踏み台にしたレンタル料でチャラだろ」
俺たちは顔を見合わせ、泥だらけの顔で笑い合った。
遠くから、岩を砕く重機音と、救助隊のサイレンが聞こえてくる。
長い、長い夜が明ける音がした。




