第19話:痛み分け(シェア・ザ・ペイン)
「――行くぞ」
俺が踏み込んだ瞬間、世界から摩擦が消えた。
これまで鉛のように重かった四肢が、嘘のように軽い。
泥濘に足を取られることもない。
まるで背中に見えない翼が生えたかのように、俺の身体は風を切って加速した。
「速ッ!?」
俺自身の思考すら置き去りにする速度。
目の前に迫っていた巨人の触手が、止まって見える。
『右! 来るわよ!』
脳内にマシロの声が響くのと同時だった。
俺の意思とは無関係に、右手が勝手に跳ね上がった。
ギンッ!!
握りしめた白と黒の魔剣が、死角から伸びてきた影の槍を正確に弾き飛ばす。
俺が反応したんじゃない。
剣が――いや、マシロが俺の腕を引っ張り、最適な防御行動を取らせたのだ。
「……ははっ。こいつは便利だ」
俺は嗤った。
自動防御。
それも、全方位の魔力感知能力を持つ幽霊付きだ。
今の俺は、最強のナビゲーションシステムを搭載したミサイルみたいなもんだ。
「これなら、掃除も捗るってもんだ!」
俺は空中で体を捻り、遠心力を乗せて剣を振り抜いた。
ザンッ!!
一閃。
たった一振りで、巨人の左腕が根元から吹き飛ぶ。
断面から黒い瘴気が噴き出すが、それすらも剣が放つ白い燐光に触れた瞬間に浄化され、霧散していく。
『……スゴイ……』
『……ナニ、アレ……』
巨人の表面に浮かぶ無数の顔が、驚愕に目を見開いている。
今まで俺たちを餌としか見ていなかった奴らが、初めて「狩られる側」の恐怖を抱いたのだ。
「いい気味ね。……さあジン、次は胴体よ! 一気に切り裂いて!」
マシロの声は高揚していた。
彼女もまた、この全能感に酔いしれている。
だが、俺は知っている。
この力には、必ず「ツケ」が回ってくることを。
「ああ、やってやるよ。……歯ァ食いしばれよ、マシロ!」
俺は更に加速し、巨人の懐へと飛び込んだ。
剣を横薙ぎに振るう。
その瞬間。
ドクンッ!!!!
心臓が破裂するような衝撃が走った。
「が、ぁっ……!?」
俺の喉から、声にならない悲鳴が漏れた。
能力『死者の共鳴』の代償。
巨人の腕を斬り飛ばした反動として、かつてその腕に押し潰されて死んだ誰かの「断末魔の激痛」が、俺の神経を逆流してきたのだ。
全身の骨が砕ける感覚。
内臓が裏返るような嘔吐感。
視界がホワイトアウトする。
(……クソッ、やっぱりキツいな……!)
いつもなら、ここで膝が折れている。
だが、今回は違った。
『――きゃぁぁぁぁぁっ!!』
脳内で、マシロの絶叫が響いた。
「ッ!?」
痛みが、引いた。
いや、消えたわけじゃない。
俺の身体を駆け巡っていた激痛の奔流が、剣を通じてマシロの方へと流れ込み、分散されたのだ。
『……い、たい……熱い……! なによこれ……!?』
マシロの苦悶の声。
彼女の霊体が、剣の中で激しく明滅しているのが分かる。
「マシロ!?」
俺は思わず足を止めた。
「おい、大丈夫か!? 接続を切れ! お前じゃ耐えられねぇ!」
彼女はただの幽霊だ。生前の戦闘経験なんてない一般人だ。
そんな奴が、歴戦の冒険者ですら発狂するような「死の疑似体験」に耐えられるわけがない。
『……だ、黙りなさい……!』
だが、返ってきたのは、震えるけれど力強い拒絶だった。
『切らない……! 絶対、切らない!』
『あんた……いつも、こんなの耐えてたの……? こんな、焼けるような痛みを……一人で……?』
マシロの声が、泣き出しそうに歪む。
それは痛みへの恐怖ではなく、俺への怒りと、悲しみだった。
『バカじゃないの!? なんで平気な顔して笑ってられるのよ!』
「……慣れだよ。職業病みたいなもんだ」
『慣れるわけないでしょ! ……いいから、前を見なさい!』
剣が、グンッ! と俺の手を引いた。
強制的に、俺の意識を戦場へと引き戻す。
『半分よ。……痛みも、苦しみも、全部半分こ! あんたが背負ってる荷物、私が半分持ってあげるって言ってんのよ!』
マシロの叫びと共に、剣の輝きが増した。
白い光が俺の腕を包み込み、ボロボロになった筋肉を霊力で補強する。
俺の右腕の痛みが消えた。
代わりに、剣が軋むような音を立てる。
「……ハッ。生意気な秘書だ」
俺は口元を歪めた。
目頭が熱い。血の涙で汚れた視界が、少しだけ滲む。
俺はずっと、一人だと思っていた。
5年前、仲間たちが死んでからずっと、この痛みは俺だけの罰だと思っていた。
誰にも理解されない。誰とも分かち合えない。
そうやって孤独に閉じこもることで、自分を保っていたんだ。
だが、違った。
俺の背中には今、こんなにも口うるさくて、お節介で、温かい奴がいる。
「……ああ、そうだな。半分こだ」
俺は剣を強く握り直した。
二人分の魂が重なり合い、共鳴する。
その振動が、俺の中の恐怖を完全に焼き尽くした。
「行くぞ、相棒! 請求書は全部、あのバケモノに払わせる!」
『了解! 高くつくわよ、私たちの残業代は!』
俺たちは再び翔けた。
今度は、迷いなく。
ザシュッ! ザシュッ! ズバァァァァン!!
踊るような連撃。
右から迫る触手を自動防御で弾き、その反動を利用して回転し、左の胴体を切り裂く。
俺の剣技と、マシロの全方位知覚。
二つの才能が完全に噛み合い、戦場を支配していく。
『ハヤイ……』
『ミエナイ……』
『トメロ……トメロォォォ!!』
巨人が焦燥の声を上げる。
再生速度が追いつかない。
マシロの霊力が付与された斬撃は、傷口の断面を「浄化」し、再癒着を阻害しているのだ。
「見えた! 核の位置!」
俺の目が、巨人の胸の奥深くに蠢く、どす黒い光の塊を捉えた。
あそこだ。
あそこに、全ての未練が集約されている。
だが。
『サア、ミンナ……マモッテ……』
巨人が最後の悪あがきに出た。
周囲の影を全て引き寄せ、胸の前に分厚い「肉の壁」を作り出したのだ。
何層にも重なった影の防壁。
その厚さは数メートルにも及ぶ。
「チッ、引きこもりかよ!」
俺は舌打ちした。
今の俺たちの火力なら、一枚や二枚は貫ける。
だが、あの厚さは無理だ。
貫通する前に勢いが殺され、その瞬間に押し潰される。
「どうする!? 迂回するか!?」
『ダメよ! 時間が掛かりすぎる! 正面突破しかない!』
「壁が厚すぎる! こじ開けるための『一発』が足りねぇ!」
その時だった。
「――どけぇぇぇぇッ!! ジン!!」
背後から、聞き慣れない野太い怒号が響いた。
いや、聞き慣れた声だ。
ただ、今まで一度も聞いたことのないほど必死で、なりふり構わない声だったから、一瞬誰だか分からなかっただけだ。
「レオ!?」
俺が振り返ると、そこには信じられない光景があった。
ボロボロの白銀の騎士が、ミナが持っていた小さな鉄の盾を構え、まるで闘牛のように突進してきていたのだ。
魔力も尽き、剣も砕けたはずの男が。
ただの肉体一つで。
「貴様らには指一本触れさせんッ!!」
レオは俺たちの横を駆け抜け、そのまま巨人の展開した「肉の壁」へと突っ込んだ。
ドゴォォォォォッ!!
「ぐあぁぁぁぁぁッ!!」
激突音。
レオの肩が外れる音がした。
盾がひしゃげ、彼の身体が影の中にめり込む。
「レオ!!」
「うおおおおぉぉぉぉッ!! 開けぇぇぇぇッ!!」
レオは退かなかった。
血反吐を吐きながら、全身の筋肉を膨張させ、泥の壁を無理やり押し広げようとする。
その姿は、スマートな騎士なんかじゃない。
泥臭く、無様で、そして誰よりも「英雄」らしい姿だった。
「僕を見ていろ!! 僕が……道を作るッ!!」
ミチチチチッ……!
レオの気迫に押され、影の壁に亀裂が入る。
僅かな隙間。
だが、そこからは確かに、核の不吉な光が漏れ出していた。
「……へっ。やるじゃねぇか、税金泥棒」
俺はニヤリと笑った。
あいつは、分かってる。
俺が必要としていた「一瞬」を、完璧なタイミングで作ってくれた。
『ジン! 今よ!』
マシロが叫ぶ。
剣が唸りを上げる。
俺とマシロの全魔力を、この一撃に注ぎ込む。
「ああ、分かってる! これでおしまい(閉店)だ!」
俺は地を蹴った。
レオがこじ開けた、針の穴のような隙間へ。
一直線に。
「合わせろマシロ! タイミングは一瞬だ!」
『ええ! 私の全部、持ってきなさい!』
俺たちの身体が、一つの光の矢となった。
痛みも、恐怖も、過去の亡霊も、全てを置き去りにして。
狙うは一点。
あの汚れた核のど真ん中。
「必殺! 『強制・契約解除』だァァァァッ!!」
俺たちは、最後の壁を突き破った。




