第17話:死神の舞踏会(ダンス・マカブル)
「……速い」
思考するよりも先に、その言葉が漏れた。
僕、剣崎レオは、目の前で繰り広げられる光景に釘付けになっていた。
ジンが黒い渦の中に飛び込んだと思った次の瞬間、そこには銀色の閃光が幾重にも走っていた。
斬撃の音が、あとから追いついてくる。
キィィィン!!
空間を埋め尽くすような触手の嵐が、ジンの身体に触れることさえできずに弾け飛ぶ。
それは魔法ではない。純粋な剣技と、彼がその身に宿した「能力」による物理現象だ。
「鉄壁」の防御と、神速の剣技の融合。
かつて僕が憧れ、背中を追いかけ、そして二度と戻らないと諦めていた「最強」が、今目の前で蘇っていた。
泥にまみれた作業着の背中が、あの頃の黄金の鎧よりも眩しく見える。
「……くっ、ははっ! 見たか! あれが俺の友だ!」
僕はカレンを抱えたまま、場違いな笑い声を上げていた。
恐怖で震えるミナが、狂人を見るような目で僕を見ている。
だが、笑わずにはいられない。
そうだ。これだ。僕が見たかったのは、この強さだ。
だが、同時に理解してしまう。
今の彼が纏っている空気が、かつてのような「頼れるリーダー」のものではないことに。
あれは――「修羅」だ。
死に場所を求めて踊る、狂気の剣鬼だ。
***
「――『剣聖技・弐ノ型』、千刃」
俺は手首を返した。
ただそれだけの動作で、錆びついた剣(ガードナーの遺品)が、視認できない速度の斬撃を生み出す。
ザザザザザザッ!!
迫りくる無数の触手が、賽の目に刻まれて空中に散る。
黒い肉片が雨のように降り注ぐ中、俺は一歩も足を止めずに踏み込んだ。
『オカシイ……』
『ナゼ……コワレナイ……?』
巨人の表面に浮かぶ顔たちが、困惑に歪んでいる。
今まで絶対的な捕食者だった奴らが、初めて「恐怖」を感じている。
そのことが、たまらなく愉快だった。
「どうした。餌はここだぞ。食ってみろよ」
俺は嗤った。
口の端から、温かいものが垂れるのを感じる。
血だ。
剣を振るうたびに、俺の全身の血管が悲鳴を上げ、プチプチと破裂している。
ドクンッ! ドクンッ!!
心臓が早鐘を打つ。
ガードナーの能力『鉄壁』は、本来「受けるダメージを無効化する」ものじゃない。「鋼のように身体を硬化させて耐える」スキルだ。
それを、生身の人間が、しかもリミッターを外して常時発動させている。
全身の筋肉が岩のように収縮し、骨をきしませ、内臓を圧迫する。
「ぐっ、ぅぅぅ……ッ!」
激痛。
万力で全身を締め上げられるような、圧死寸前の苦しみ。
5年前、ガードナーが瓦礫の下で味わった最期の痛みが、俺の神経を焼き尽くす。
だが、止まらない。
この痛みが燃料だ。
痛ければ痛いほど、俺の意識は研ぎ澄まされ、剣速は加速する。
「死神の舞踏会へようこそ。……パートナーは俺が務めてやる」
俺は地面を蹴った。
縮地。
一瞬で巨人の懐へ潜り込む。
「オラァッ!!」
下段からの斬り上げ。
巨人の足元を薙ぎ払う。
バランスを崩した巨体が傾くその隙に、俺は瓦礫を足場にして空へと跳んだ。
目指すは胸部。
さっき一瞬だけ見えた、あの「新しい顔」が取り込まれた場所だ。
『アガガガガッ!!』
巨人が絶叫し、全身から棘のような影を全方位に放出した。
回避不能の飽和攻撃。
「ジンさん!?」
下でミナが悲鳴を上げる。
避ける場所なんてねぇ。
なら、突っ切るだけだ。
「『鉄壁』・最大出力!」
ガギィィィィン!!
俺は剣を盾のように構え、棘の雨の中を直進した。
頬が裂ける。肩が貫かれる。
だが、致命傷だけは避ける。肉を斬らせて骨を断つ、なんて生易しいもんじゃねぇ。
骨ごと砕かれても、魂だけで食らいつく。
「とぉぉぉりゃぁぁぁッ!!」
俺は棘の嵐を突破し、巨人の胸元に剣を突き立てた。
ズブッ!
「捕まえたぞ……!」
切っ先から伝わる、ドロリとした感触。
俺はそのまま、重力に任せて剣を引き下ろした。
ザァァァァァッ!!
巨人の胸が縦に裂け、中から黒い汚泥が滝のように溢れ出す。
「マシロ! いるんだろ! 返事しやがれ!」
俺は裂け目に手を突っ込んだ。
強酸性の瘴気が、俺の皮膚を焼き、指の肉を溶かす。
構うもんか。
あいつは、こんなドロドロの場所で、一人で泣いてるんだ。
早く引きずり出して、文句の一つも言ってやらなきゃ気が済まねぇ。
だが。
「……あ?」
俺の手が掴んだのは、虚空だった。
裂け目の奥には、何もなかった。
ただ、底なしの闇が広がっているだけ。
『……イナイヨ……』
『……ミンナ、溶ケタ……』
『……オマエモ、混ザロウ……』
巨人の傷口が、ニチャリと音を立てて再生を始めた。
俺の腕を飲み込もうと、傷口が口のように閉じていく。
「チッ!」
俺は慌てて腕を引き抜き、巨人の体を蹴ってバックジャンプした。
着地と同時に、膝がカクンと折れる。
「ガハッ……!」
大量の血を吐いた。
地面が赤く染まる。
限界か。早すぎる。
5年のブランクと、借り物の身体。
今の俺は、ガス欠寸前のポンコツ車だ。
「はぁ……はぁ……くそっ……」
顔を上げる。
目の前には、傷一つなく再生した巨人が、嘲笑うように聳え立っていた。
「……嘘だろ。あれだけ斬って、効いてねぇのかよ」
物理攻撃は通じるようになった。
だが、再生速度が異常だ。
核にある怨念そのものを浄化しない限り、こいつは何度でも蘇る。
『アソボ……』
『モット……切ッテ……』
巨人が分裂した。
本体から分離した影が、十体、二十体と人の形を取り、俺を取り囲む。
「……数で押す作戦かよ。芸がねぇな」
俺は剣を杖代わりにして、震える足で立ち上がった。
視界が霞む。
失血で意識が飛びそうだ。
「ジン! もういい! 下がれ!」
レオが駆け寄ろうとするが、影の群れに阻まれて近づけない。
「来るなレオ! ……こいつは俺の獲物だ」
「何を言っている! その体で何ができる! 死ぬ気か!」
「死なねぇよ。……まだ、分別が終わってねぇ」
俺は剣を構え直した。
手が震えて、うまく力が入らない。
それでも、俺は笑った。
「来いよ。……第二ラウンドだ」
影たちが一斉に襲いかかってくる。
ザンッ! ザンッ!
俺は無心で剣を振るった。
一体倒すたびに、身体の一部が壊れていく感覚がある。
右肩の腱が切れた。
肋骨がさらに二本折れた。
左目が見えなくなった。
それでも、剣は止まらない。
ガードナーが、背中を押している気がしたからだ。
『まだだ』『まだやれる』『守れ』と。
だが、肉体の限界は精神論では覆せない。
ガクッ。
踏み込んだ右足が、何の前触れもなく機能を停止した。
支えを失った俺の身体が、スローモーションのように崩れ落ちる。
「……あ」
隙だらけの俺に向かって、影の槍が迫る。
避けられない。
鉄壁を発動する魔力も残っていない。
「ジンッ!!」
ドガッ!!
横から飛び込んできた影が、俺を弾き飛ばした。
レオだ。
彼は電池切れの魔導剣を盾にして、俺への一撃を受け止めたのだ。
「ぐぅぅぅッ!!」
レオが吹き飛ばされ、瓦礫に叩きつけられる。
魔導剣が粉々に砕け散った。
「レオ!?」
「バカ者が……! 英雄の前で……死ぬことなど……許さん……!」
レオは血まみれの顔で、それでもニヤリと笑ってみせた。
こいつも、限界だ。
魔力切れの身体で、無理やり動いている。
「……クソが。どいつもこいつも、貧乏くじ引きやがって」
俺は這いつくばりながら、折れかけた剣を握りしめた。
万策尽きた。
俺も、レオも、もう動けない。
『オワリ……』
『サア……イコウ……』
巨人が、ゆっくりと腕を振り上げる。
それは、俺たち全員を飲み込むための、慈悲なき断頭台。
俺は空を見上げた。
灰色の天井。
そこに、マシロの姿はない。
「……マシロ」
俺は掠れた声で呼んだ。
「どこだ。……返事しやがれ」
俺の声は、誰にも届かず、闇に吸い込まれて消えた。
そして、黒い波が俺たちを飲み込んだ。




