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ダンジョン遺失物管理センター(B3F) ~最強の回収屋は、今日も「思い出」と「未練」を拾いに行く~  作者: AItak
第六章:裸の騎士と、鉄の処女

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第133話 メッキが剥がれた黄金の鎧は、ただの重たい鉄屑にすぎない

ズシャァァァァァンッ!!


 その轟音を最後に、クレーターの底から一切の動的エネルギーが消失した。

 いや、正確には「消失したように錯覚する」ほどの、圧倒的で絶対的な『死』の静寂が降り注いだのだ。

 岩壁に深く、あまりにも深く突き刺さり、完全に沈黙した黒鉄ジン。

 空中に舞い上がった土埃の粒子が、スローモーションのように重力に逆らって浮遊している。その微小な粒子のひとつひとつが、ダンジョンの異常な磁場と瘴気を反射し、まるで腐ったエメラルドのような不気味な瞬きを繰り返している。


(……おいおい、背景美術のスタッフ、一枚のレイヤーに何時間かけてんだ。この砂埃の粒子エフェクトだけでPCのメモリが爆発するぞ……)


 誰も口に出さないメタ的な幻聴が、静まり返った空間に溶けていく。

 岩壁にめり込んだジンの姿は、まるで新興宗教の狂信者が作り上げた悪趣味な磔刑のオブジェのようだった。

 右腕は肩の関節から完全に外れ、ありえない――そう、軟体動物のようにグニャリとした角度でだらりと垂れ下がっている。前髪が深く翳り、表情は一切読み取れない。ただ、彼の指先からポタ、ポタリと規則的なリズムで滴り落ちる黒い煤(血)だけが、この空間において唯一の「時間が進んでいる証拠クロック」だった。


 ズリッ……、ベチャッ。ジュルルルルッ……!


 絶対的な静寂を汚すように、神の嘔吐物キメラが、不快極まりない粘液の音を立てて這い進む。

 自らの最大の障壁であった「仮組みの武器」を粉砕し、ジンを活動停止に追い込んだキメラは、歓喜に打ち震えるように黒い泥の巨体を波打たせた。

 それは、ただの破壊衝動ではない。ジンから漏れ出す高密度の『未練の魔力』を、極上のフルコースディナーだと認識した捕食者の、制御不能な涎の音だ。

 顔が存在しないはずののっぺりとした頭部が、パカッと縦に裂け、中から何百もの歯車状の牙が覗く。そこから吹き出すのは、三日間放置された夏場の生ゴミと、ホルマリンと、焦げた配線が混ざり合ったような、脳細胞を直接破壊する狂気の悪臭。


 キメラが、岩壁にめり込んだジンに向かって、ゆっくりと、しかし確実に距離を詰めていく。


(……動け)


 その両者の間に、ガチャリ、と滑稽な金属音を立てて歩み出た影があった。

 紅蓮騎士団・団長、ガレス。

 彼の手には、刃が半ばから欠け落ちた大剣。

 だが、その両足は、立っているのが物理学的な奇跡に思えるほど、生まれたての小鹿のように、あるいは致死量のカフェインを過剰摂取したように、ガクガクと激しく震えていた。


 カチカチカチカチカチカチカチカチッ……!!!


 静まり返ったクレーターの底に、カスタネットの乱れ打ちのような異音が響く。

 それは、ガレスの上下の歯が、極限の恐怖によって制御不能となり、激しく打ち鳴らされる音だった。

 心臓が、肋骨を内側からハンマーで粉砕しようとするかのような不整脈ビートを刻んでいる。ドッドッドッという音が、骨伝導で直接鼓膜を殴りつけてくる。

 喉の奥は、砂漠で三日間水を飲まなかったかのようにカラカラに乾き、舌は上顎に強力な接着剤で張り付いたように動かない。全身の毛穴という毛穴から、冷たい脂汗が滝のように噴き出し、黄金の重鎧の内側を不快な粘度で濡らしている。


(……逃げろ。足よ、動け。振り返って、崖をよじ登れ。そうすれば助かる。金はいくらでもあるんだ。口座にはまだ一生遊んで暮らせるだけのルピアがある。あの最高級の霜降り肉のステーキを、ワインと一緒に流し込む人生が待っているんだ。逃げれば、またやり直せる……っ!)


 大脳辺縁系が、生存本能という名の警報アラートを最大音量で脳内に鳴り響かせている。

 逃げろ。逃げろ。逃げろ。

 だが、ガレスの足は、泥に太い釘で打ち付けられたように、その場から一歩も退かなかった。

 凍りついた時間。アドレナリンの過剰分泌により、周囲の色彩が極彩色に歪み、視界の端がぐにゃぐにゃと脈打つ心象風景の中で、ガレスの脳裏に、かつて自分が捨て去ったはずの記憶が、鮮烈なフラッシュバックとして突き刺さる。


 ――『団長! 俺、絶対に立派な騎士になって、困ってる人たちを助けますよ!』


 それは、泥だらけの安い鉄鎧を着た、若い頃の自分と部下たちの姿だった。

 純粋だった。ただ「弱きを助ける盾になりたい」という、子供じみた、しかし焼けるように熱い理想だけがあった。傷だらけの手で握り合った、あの日の誓い。

 それが、いつから歪んでしまったのか。

 スポンサーの莫大な資金提供。メディアの持て囃し。地位、権力、見栄。

 気づけば、純粋だった剣の腕を磨くのをやめ、総工費100億ルピアの『全裸トラップ要塞』などという、今思えば頭にウジが湧いているとしか思えないふざけた違法建築に熱中し、ただ重くて目立つだけの「黄金の重鎧」で自分を大きく見せるだけの、薄っぺらいハリボテの豚に成り下がっていた。

 その結果が、これだ。部下たちはキメラの腹の中で泣き叫び、自分は、ゴミだと見下していた男の背中に庇われて、ただ漏らしかけの膀胱を抱えて震えているだけ。


「……俺は」


 ガレスは、ひび割れた唇を無理やりこじ開け、血と泥が混じった唾液と共に言葉を絞り出した。

 顔面は涙と鼻水と泥でぐちゃぐちゃになり、もはや威厳の欠片もない。だが、その収縮した瞳孔の奥にだけは、決して消えない「本物」の火種が、狂気のような熱を帯びて宿っていた。


「……俺は、紅蓮騎士団・団長、ガレス……ッ!!」


 ガレスの血を吐くような咆哮が、クレーターの底の瘴気を切り裂いた。

 声帯が引き裂かれ、口の端から真っ赤な飛沫が散る。


「俺の部下を……俺の誇りを……これ以上、好きにはさせんッ!!」


 ガレスは、限界を超えた恐怖を、脳味噌が沸騰するほどの怒りでねじ伏せ、欠けた大剣を上段に構えた。

 それは、騎士としての、遅すぎる、あまりにも遅すぎる矜持の証明だった。


 キメラが、極上のディナーの進行を邪魔する「燃えないゴミ」に気づき、煩わしそうに巨大な魔力腕を横薙ぎに振るう。

 大気を圧縮し、空間そのものを歪めるほどの暴風。

 だが、ガレスは、その重たいだけの黄金の鎧を軋ませながら、奇跡的なステップでそれを躱した。火事場の馬鹿力、あるいは過去に泥まみれになって磨いた剣技の細胞記憶が、彼の肉体を反射的に動かしたのだ。


 ズォォォォォォォォォッ!!

 触手がガレスの頭上数ミリを通過し、黄金の兜を吹き飛ばす。

 乱れた金髪を振り乱し、ガレスはキメラの巨大な懐へと、決死の覚悟で飛び込んだ。

 コンマ一秒の特攻。アニメーターが筋肉の収縮と黄金の鎧の反射光を描き込むために、ペンを握る右手が腱鞘炎で砕け散るほどの、狂気に満ちた作画カロリー。


「おおおおおおおッ!!」


 喉が千切れるほどの絶叫。

 ガレスは、残された全魔力と、これまでの自分の後悔、無様さ、部下への謝罪、そのすべてを折れた大剣の刃に乗せ、キメラの分厚い胴体に向かって最強の剣技を叩き込んだ。


 ドスゥゥゥゥゥゥゥゥンッッ!!!


 会心の一撃。

 ガレスの両手には、確かに「肉を断つ」強烈な手応えがあった。

 いける。このまま魔力を爆発させれば、内部からこいつを抉り出せる――!


 だが。

 その微かな希望は、コンマ一秒後に、最も残酷で冒涜的な形で打ち砕かれた。


 シュウゥゥゥゥゥ……、ジュプッ。


「……なっ!?」


 ガレスの目が、眼窩からこぼれ落ちそうなほど限界まで見開かれる。

 彼が全存在を懸けて叩き込んだ大剣の刃は、キメラの黒い泥のような皮膚に「刺さった」のではない。

 まるで、底なし沼に小さな角砂糖を投げ込んだかのように、刃も、込められた魔力も、衝撃すらも、波紋一つ立てずに「吸収」され、溶かされていたのだ。


 キメラの顔のない頭部が、ガレスを見下ろし、まるで「それで終わりか? 歯応えもないゴミめ」と嘲笑うように、ギーギーと不快なノイズを鳴らした。


 絶望を認識するよりも早く。

 ガレスの無防備な腹部に、死角から振り抜かれたキメラの巨大な魔力腕が、隕石のような質量で直撃した。


 ゴグシャァァァァァァァッ!!!


 それは、有機体と無機物が同時に粉砕される、この世の終わりのような音だった。

 ガレスの誇りであり、最強の防御力カタログスペックを誇るはずだった「黄金の重鎧」の腹部が、まるで薄っぺらいアルミ缶をプレス機にかけたように、エグい角度で内側へとひしゃげた。

 同時に、分厚い金属を貫通した衝撃波が、ガレスの肋骨を数本まとめて粉砕する。

 肺に溜まっていた空気が一瞬で圧縮され、ガレスの口から大量の鮮血と胃液がゲボッと吐き出された。

 かつて彼が経験した、馬車に轢かれた交通事故のトラウマ。それを千倍に濃縮し、直接内臓にミキサーを突っ込まれてかき回されたような、発狂寸前の激痛。


「ガ、ハッ……、ゴボッ……!!」


 ガレスの巨体は、黄金の金属片を撒き散らしながら、数十メートル後方へと無様に吹き飛ばされ、泥水の中を何度もバウンドして転がった。

 ズザザザザッ! と不快な摩擦音を立てて停止したガレスは、仰向けのまま、ピクリとも動けなくなった。

 折れた肋骨が肺に突き刺さり、呼吸をするたびに、口からゴポゴポと血の泡が漏れる。


「あ……が……っ」


 全身の神経が焼き切れるような激痛。

 だが、その痛みを凌駕するほどの「宇宙的な絶望」が、彼を上から押し潰そうとしていた。

 倒れ伏すガレスを見下ろすキメラの表面。その黒い泥の中から、再び、吸収された部下たちの顔がボコボコと浮かび上がってきたのだ。


『だんちょう……にげて……』

『いたい……いたいよォ……溶けるぅぅ……ッ』

『なんでオレたちを見捨てたんだ……! オレたちはお前の飾りじゃないぞ……ッ!』


 死者たちの声帯を模倣した、おぞましい怨念のコーラス。

 さらに、キメラの頭部に走る亀裂の奥から、通信機越しにノイズ混じりの冷徹な声が響き渡った。


『――クハハハハ! 滑稽だな、紅蓮騎士団団長殿!』


 それは、この地獄を設計した張本人、『あのスポンサー』の狂気に満ちた嘲笑だった。


『尺稼ぎの回想シーンまで挟んで特攻した結果がそれか? 金で買ったその金ピカの鎧が、貴様を守ってくれたか? 100億もかけた要塞はただの瓦礫になり、最新鋭の兵器もゴミと化した。何もかもが偽物だ! 貴様のその薄っぺらい誇りごと、這いつくばるモルモットらしく、惨めに無様に死ぬがいい!!』


 あの方の嘲笑が、クレーターの底に木霊する。

 ガレスの心は、完全に限界を迎えた。

 金も、要塞も、部下の命も、自分の命すら守れない。この重たいだけの黄金の鎧は、自分の愚かさを証明するただの鉄屑ギプスにすぎなかったのだ。


(……すまない……みんな……。俺は、ダメな……団長だった……)


 ガレスは、薄れゆく意識の中で、血の涙を流しながらゆっくりと目を閉じた。

 彼を見下ろすキメラが、トドメを刺すべく、これまでのすべての攻撃を凌駕する「最大質量の触手」を、大気を引き裂きながら真上から振り下ろした。

 影が、ガレスの全身を覆い尽くす。

 万事休す。完全に、終わった。


 ――ズガァァァァァァァァァァァァァァンッッ!!!!!


 ガレスの身体が、トマトのように潰されて肉塊に変わる、ほんのコンマ一秒前。

 空間が、爆発した。

 いや、それは爆発ではない。圧倒的な「理不尽」が、物理法則をねじ伏せた音だった。


「……え?」


 痛みが、来ない。

 ガレスが驚愕して薄く目を開けると、彼の視界を覆っていた巨大な影が、空中で「ピタリ」と停止していた。

 何かに阻まれているのではない。巨大な質量そのものが、まるで強固な見えない岩盤に激突したかのように、完全に動きを止められているのだ。


 ガレスの目の前に、真っ黒な背中があった。

 岩壁にめり込み、完全に活動を停止したはずの男。

 右腕の関節を外し、だらりと力なく下げ、全身から呪いの代償である黒い煤(血)を滝のように滴らせながら。

 その男――黒鉄ジンは、振り下ろされた最大質量の触手を、**ただの「左手一本」で、正面から鷲掴みにして受け止めていた**。


「……ッ、お前……!!」


 ガレスの瞳孔が、極限まで収縮する。

 人間が出していい力ではない。武器すら持たず、素手で、しかも利き腕ではない左手一本で。

 その背中からは、先ほどまでの「未練の魔力」とは次元の違う、空間そのものを黒く染め上げるほどの絶対的な冷気と殺意が立ち昇っていた。


「な……ぜだ……! なぜ、動ける……!? お前の身体は、もう……ッ!! 右腕は砕け、全身の骨が……ッ!」


 戦慄するガレスの問い。

 だが、その背中の主、ジンの脳内では、極めて冷静かつ狂気に満ちたメタ的なバグ処理が展開されていた。


(……いやぁ、俺にもわからん。右腕は外れてるし、肋骨も多分三本はいかれてる。普通ならショック死確定のダメージなんだが……痛覚ストッパーが完全にイカれてるせいで、脳味噌がエラー信号を全開で無視してやがるんだ。「あ、なんか血が出てるけど、痛くないからヘーキヘーキ!」って、致死量のドーパミンとアドレナリンをドバドバ垂れ流して錯覚してやがる。限界突破サバイバーも真っ青の、最悪の主人公補正バグ・キャラクターってやつだ。これ、戦い終わった後、絶対に反動で三途の川の向こう岸まで吹っ飛ぶやつだろ。ていうか、今日の夕飯なんだっけ。マシロのやつ、ハンバーグ作るとか言ってなかったか……?)


 そんな、どうでもいい夕飯の献立への脱線(現実逃避)をフル回転させながら。

 痛みという安全装置を失い、完全に「人間を辞めた狂気」の領域へと足を踏み入れたジンは、口内に溜まった黒い血を「ペッ」と地面に乱暴に吐き捨てた。


「……シッ!!」


 短い呼気と共に、ジンが左手に力を込める。

 メチャァッ!! という悍ましい音と共に、キメラの最大質量の触手が、左手の握力だけで内側から爆散し、黒い泥となって弾け飛んだ。


 キメラの巨体が、信じられないものを見たかのように、大きくのけぞる。

 崖の上で絶叫していたマシロたちも、通信機の向こうの『あの方』も、すべての存在が、この異常な光景の前に息を呑み、完全に動きを止めた。


 ジンは、弾け飛んだ触手の泥を払うこともなく、ゆっくりと振り返った。

 そして、地面にへたり込み、血まみれになって呆然とするガレスの胸倉を、「左手」で乱暴に掴み上げ、強引に立たせた。


 至近距離で交差する視線。

 ガレスを睨みつけるジンの瞳は、絶対零度の氷のように冷たく、それでいて、深淵の泥よりも昏く濁っていた。

 圧倒的な強者の気迫。有無を言わさぬ、凄まじい「狂気」の波動。


 ジンは、ガレスの顔面に黒い血の飛沫を飛ばしながら、静かに、だが確かな殺意を込めて言い放った。


「……起きろ、三流騎士」


 ジンの低い声が、クレーターの底に反響する。


「……掃除の邪魔だ。とっとと退け」


 メッキが剥がれた黄金の鎧の重さを嘲笑うかのように。

 不死身の清掃員バグ・キャラクターが、完全なる絶望のどん底から、再びその理不尽な狂気の牙を剥いた。

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