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ダンジョン遺失物管理センター(B3F) ~最強の回収屋は、今日も「思い出」と「未練」を拾いに行く~  作者: AItak
第六章:裸の騎士と、鉄の処女

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第131話 過保護な家族の手は届かない。底なしの泥で足掻くのは、いつだって大人の役目だ

――世界が、真っ二つに割れる音がした。


 ガラガラガラガシャァァァンッ!!


 B60Fの要塞跡地を丸ごと飲み込んだ大崩落の轟音が、鼓膜の奥でいつまでもハウリングしている。

 だが、その暴力的で絶対的な質量を持った音の暴力さえも、俺たち『アンラッキー・サーティーン(13人の迷子たち)』の脳髄には、まるで水中で聞く花火のように、ひどく現実味を欠いた鈍いノイズとしてしか響いていなかった。


 視界を埋め尽くす猛烈な土煙。肺の奥まで入り込んでくる乾いた砂の匂い。

 つい数秒前まで平坦だった大地は、無慈悲な断層によって真っ二つに引き裂かれた。

 地盤がスライドしていくその瞬間、時間の流れは極限までドロドロに引き伸ばされていた。

 宙に舞う拳大の岩の破片が、一つ、また一つとゆっくりと落下していく軌跡。空中に立ち昇る粉塵の粒子が、非常口の緑色のランプのような不気味な瘴気の光を反射してキラキラと輝いている。

 そのスノードームのように美しくも絶望的な静止画の中で、俺たちの戦場は、物理的かつ絶対的に「崖の上」と「クレーターの底」へと分断されてしまった。


「ボス! ボスゥゥゥッ!!」


 崖の上。今にも足元から崩れ落ちていきそうな地盤の端で、ツムギが喉を掻き切るような悲痛な絶叫を上げた。

 彼女の小柄な身体が、崩落する砂利と一緒に数十メートル下の暗闇へとダイブしようとする。コンマ数秒の硬直から、最も早く絶望のトリガーを引いたのは彼女だった。

 だが、その寸前で、白銀の甲冑を纏った大きな腕が、ツムギの細い腰を後ろから強引に羽交い絞めにし、後方へと引き倒した。


「落ち着け、ツムギ殿!! 今下手に動けば、崩落の連鎖(土砂崩れ)でジン殿たちを生き埋めにしてしまうぞ!」

「離せレオ! 離せってばァァッ!! ボスが、ボスがあのバケモノと下で二人きりなんだぞ!? あんな仮組みの武器で、しかも右腕が炭化してるのに……ッ!! このままじゃボスが、死んじゃう……っ!!」


 レオの冷たい金属の腕の中で暴れるツムギの目から、大粒の涙がぼろぼろとこぼれ落ちる。

 彼女の絞り出すような叫び声が、崖の上に取り残されたメンバー全員の心臓を、冷たい氷の杭で串刺しにした。

 彼女の言う通りだった。

 俺たち家族が共有していた、血を吐くような覚悟で決めた一つの絶対的なルール。ジンを前線に出さず、後方から過剰火力で敵を蹂躙し、彼の寿命(残り半年)を一日でも長く引き延ばすための『プランB(過保護)』。

 それが今、敵の知略でも強力な魔法でもなく、「ただの足場の崩落」というあまりにも理不尽で原始的な物理要因によって、完全に破綻したのだ。


(……くそっ、なんでこんな時に……! よりによって、一番最悪のタイミングで……ッ!)


 鋼テツコは、溶接マスクの下で唇を噛みちぎらんばかりに悔しがった。口内に広がる鉄の血の味が、彼女の焦燥感をさらに煽る。

 ジンに渡した『仮組みデッキブラシ』は、あくまで数秒の時間稼ぎをするための、文字通りの「仮初めの代用品」に過ぎない。

 ジンの放つ高密度の呪い(死者の共鳴)と、あのキメラの規格外の魔力が正面衝突ハレーションを起こせば、柄の黒鋼コーティングごと木端微塵に砕け散ることは、製作者である彼女が一番よく理解していた。

 物理的な分断。手出しができないという事実が、重い鉛のようにメンバーの胃袋を底へと引き摺り下ろしていく。絶望が、空気感染していく。

 読者ですら「おいおい今週の引き、絶望感ハンパねぇな。これどうやって挽回すんの? 作家、風呂敷広げすぎて畳めなくなってね?」とレビュー欄でざわつくレベルの、完璧な詰み盤面。


「――泣き言は後よ!!」


 その凍りついた空気を、鼓膜を直接張り飛ばすような冷徹な声が切り裂いた。

 声の主は、マシロだった。

 生前(?)の記憶を失い、普段はジンの背中に張り付いて「お腹すいた」「アイス食べたい」「ジンは私に甘すぎる」と騒いでいるだけの、能天気な幽霊。

 だが今の彼女の瞳には、一切の揺らぎがなかった。透き通るような青い瞳は、氷点下の湖面のように冷え切り、眼下の土煙の奥の暗闇を睨みつけている。

 彼女は半透明の両手を、爪が手のひらに食い込むほど強く握り締め、幽霊らしからぬ、軍の指揮官のような冷徹なリーダーシップを発揮した。


「ネオン! アイアン・マザー号のセンサーを最大出力にして! 地形のスキャンと、クレーターの底へ降りる安全なルートの算出を最優先で急いで!」

『ラジャ! すでに演算回してる。ただ、磁場がグチャグチャで精度が出ない……クソッ、サーバーの予備電源全部回す! 熱暴走? 知るか、マザーボードごと焼き切れろ!』

「ピコちゃんたちは、車載スピーカーとあんたの音響兵器で、キメラの注意をこっちに逸らすの! 少しでもジンの負担を減らすわよ!」

「了解でしゅ! 鼓膜ぶっ破る最高にロックな新曲、爆音で流すでしゅよ!! ボスをいじめる悪いバケモノは、アタシたちのノイズで蜂の巣でしゅ!!」


 マシロの矢継ぎ早の指示に、パニックに陥りかけていたメンバーたちが、弾かれたように即座に動き出す。

 彼女の脳裏には、ヤクモから「ジンの余命は長くても半年」と告げられたあの日の、冷たい夜風の記憶がフラッシュバックしていた。

(……待ってて、ジン。絶対に、私があなたを死なせない。死ぬ時は一緒って、あの時約束したでしょ……!)


     * * *


 一方、クレーターの底。

 上空のパニックや悲痛な叫びなど一切届かない、恐ろしいほどの静寂と暗闇が支配する閉鎖空間。

 そこで俺――黒鉄ジンは、迫り来る黒い泥の触手を、テツコ製の『仮組みデッキブラシ』で淡々と弾き落としていた。


 シュバババババッ!!

 ガンッ! キィンッ! ズゴンッ!!


(……なんだか、やけに足場が悪いな)


 俺は、迫り来る触手の群れを最低限の動きで躱しながら、呑気にそんなことを考えていた。

 暗闇の中で飛来する触手。常人なら目で追うことすら不可能な速度。

 それを回避するために、俺の肉体は無意識のうちに「自分の限界を超えたステップ」を踏み続けていた。

 右へ、左へ。時には空中で体勢を捻り、重力を無視したような動きで触手の雨を潜り抜ける。


 だが、その代償は、俺の肉体の内側で確実に悲鳴を上げていた。


 メキャッ。


 右足を踏み込んだ瞬間、膝の軟骨がすり潰される嫌な音が、俺の鼓膜ではなく、骨伝導で頭蓋骨に直接響いた。

 続いて、足首の靭帯が、限界まで引き伸ばされた古いゴム紐のように『ミシミシッ』と断裂の音を立てる。

 本来であれば、脳髄が白濁するほどの激痛が走り、その場にうずくまって脂汗を流すレベルの重傷だ。三十代目前のオッサンが、準備体操もなしにフルマラソンをダッシュで逆走した上に、階段から転げ落ちたようなダメージ。

 足の裏の皮がめくれ、筋肉の繊維が一本、また一本と引きちぎれていく。


(……やれやれ。最近運動不足だったからか? それとも、そろそろ本格的に老化が始まってるのかね。昨日、夕飯の後にアイスを二個食ったのがマズかったか。帰ったらヤクモに強力な湿布でも貰うか。それかマシロにマッサージでも……)

 

 だが、痛覚が完全に消失している俺にとっては、「なんか関節から嫌な音がしたな。油の切れたドアノブみたいだ」程度の認識でしかなかった。

 痛みがないからこそ、筋肉や骨の限界をストッパーとして認識できず、さらに無茶な動きで身体を壊していく。ブレーキの壊れたダンプカーが、アクセル全開で下り坂を爆走しているような、極めて危険な状態だ。

 読者の皆様には「いやお前、靭帯切れてるから! 軟骨すり減って粉出てるから! 呑気に夕飯のこと考えてる場合じゃねぇよ!」と総ツッコミを入れられそうな、あまりにも痛々しい自傷行為サイレント・ブレイク


 おまけに、頼みの綱である『仮組みデッキブラシ』も、致命的な限界を迎えていた。

 俺の『死者の共鳴(未練の魔力)』を流し込み続けた結果、黒鋼コーティングされた柄は異常な高熱を持ち、ブラシの刃先部分は、まるで真夏のダッシュボードに放置された安物のチョコレートのように、ドロドロと無様に溶け始めている。


「……テツコの言う通り、長くは保たねぇな。こりゃ、始末書に加えて罰金モノだぜ」


 俺が溶けゆくブラシを見つめ、舌打ちをした瞬間。

 キメラの顔のない頭部が、不気味に蠢いた。

 チョコマカと逃げ回り、触手を弾き落とす俺を「即座に処理できない面倒なエサ」と判断したのか、その狙いを、もう一つの「動かないエサ」へと切り替えたのだ。


「あ……ああ……」


 クレーターの隅。

 そこには、部下たちを目の前で吸収され、完全に精神が崩壊した紅蓮騎士団・団長ガレスが、誇りであったはずの黄金の大剣を放り出し、うつろな目でうずくまっていた。

 キメラの表面に浮かび上がる、吸収された部下たちの顔。


『ダ、ダンヂョォォ……』

『ニゲテ……アツイ、トケルゥゥ……』

『イタイイタイイタイイタイ……ッ! なんでオレたちが……ッ!』


 死者の苦悶の声を合成し、幾重にもエフェクトをかけたような、悪趣味極まりない音声がクレーターの底に響き渡る。

 ガレスは両手で耳を塞ぐが、その呪詛の声は頭蓋骨を貫通し、直接脳髄を削り取ってくる。

 彼の脳裏に、かつて「弱きを助ける」と誓い合った若き日の騎士としての記憶がフラッシュバックする。泥に塗れながらも、笑顔で肩を叩き合った仲間たち。

 それなのに、いつしかスポンサーの金に目が眩み、滑稽な黄金の重鎧を着込んでふんぞり返っていた。全裸トラップ要塞などというくだらない見栄のために、最も大切な部下たちを地獄へ突き落としたのは、他ならぬ自分自身だ。

 激しい自己嫌悪が、彼の精神の最後の一線を噛みちぎる。


「ああ……俺のせいだ……。俺が、あんなスポンサーの甘い言葉を信じたから……お前たちを、こんな地獄に……許してくれ……いや、許されるはずがない……」


 ガレスは懺悔の言葉を口にしながら、もはや逃げる気力すら失い、絶望の泥沼に沈むようにゆっくりと目を閉じた。

 その無防備な頭上へ向かって、キメラの巨大な魔力腕が、大気を圧縮しながら無慈悲に振り下ろされる。

 一撃で、黄金の鎧ごとガレスを肉塊に変える必殺の質量。

 俺の頭の片隅で、「ここでこいつを見殺しにすれば、少しは魔力の節約になる」という冷徹な計算が弾き出された。


 だが。


 ズガァァァァァァァァァァァァンッ!!!!!


 クレーターの底を揺るがす、耳をつんざくような重い衝撃音。

 閉じた目を開けたガレスの視界に飛び込んできたのは、彼を押し潰すはずだった巨大な魔力腕と――その圧倒的な質量を、ドロドロに溶けかかったデッキブラシの柄で、下から強引に受け止めている真っ黒な背中だった。


「……ッ、グ、ゥゥ……ッ!!」


 俺の口から、無意識の呻き声が漏れる。

 重い。尋常じゃない重さだ。上空から高層ビルが降ってきたのを、素手でキャッチしたかのような理不尽な圧力。

 デッキブラシを通して伝わる衝撃で、俺の両足は足首まで深く地面の岩盤にめり込んでいた。


 ブチッ。ブチブチブチブチッ!!!


 静かな暗闇の中で、極めて鮮明な、悍ましい破断音が響いた。

 巨大な腕を押し返そうと力を込めた俺の右腕。

 すでに炭化の呪いが進行し、限界を超えていた筋肉の繊維が、この理不尽な重圧に耐えきれず、悲鳴を上げて次々と千切れていく音だ。

 皮膚の下で、極限まで張られた太いワイヤーケーブルが何百本も同時に弾け飛ぶような、エグすぎる感触。

 本来なら、ショック死してもおかしくない激痛。過去にぎっくり腰をやった時の「ピキッ」というあの絶望的な音を、千倍に増幅して直接脳内再生されたような感覚。


(……あー、これ、マジでヤバい音がしたな。明日筋肉痛確定だわ。サロンパスじゃ絶対に効かねぇぞ、これ。ヤクモに頼んで、モルヒネでも打ってもらうか。あいつ、絶対に嫌な顔するだろうな……)


 そんな現実逃避のメタ的な思考どうでもいいことをフル回転させながら、俺は奥歯が砕けるほどギリッと噛み締めた。


「……ッ」


 ゴボッ。

 限界を超えた肉体への過剰な負荷が、俺の内臓を強烈に圧迫した。

 肺の奥からせり上がってきたのは、赤い血ではない。呪いの代償である、どす黒い煤(インクのような体液)だった。

 それが唇の端から溢れ出し、ポタ、ポタリと地面に滴り落ちる。

 その一滴が、呆然と見上げるガレスの頬に落ちた。


 生ぬるい、泥のような感触。

 目を開けたガレスは、震える唇を動かした。

 彼の目には、敵であり、つい先程まで全裸にして殺そうとしていた「遺失物管理センターのゴミ」が、両足から血を流し、腕の筋肉を引きちぎりながら、ボロボロの身体で自分を庇っている信じられない光景が映っていた。


「……な、なぜだ……」


 ガレスの声は、掠れていた。


「俺は、お前をずっと……殺そうとしていたんだぞ……! なのに、なぜ……なぜ俺を庇う……!」


 理解できない。そんな表情で、ガレスは血を吐くように問うた。

 俺は、キメラの重圧を耐え凌ぎながら、口元から垂れる黒い血を手の甲で乱暴に拭い去った。

 そして、後ろを振り向くことすらなく、吐き捨てるように言い放った。


「……勘違いすんな。俺は『掃除屋』だ」


 ギギギギギギッ……!

 デッキブラシの柄に、致命的なひび割れが走る音が響く。

 だが、俺の声は、この絶望的な暗闇の中でも、決して折れることはなかった。


「……こんな悪趣味な生ゴミ(キメラ)と一緒に、お前らみたいな可燃ゴミを同じゴミ袋に突っ込むような分別ルーズな真似は……親父(俺のルール)に止められてるんでね」


 俺は口の端を歪め、最強のキメラの眼窩を睨みつけながら、減らず口を叩いた。

 だが、事態は最悪を更新し続けていた。

 俺の持つ『仮組みデッキブラシ』の柄には、すでに無数の亀裂が走り、今にも粉々に砕け散ろうとしている。右腕の筋肉は完全に千切れ、最早感覚すらまともに存在しない。両足は岩盤にめり込み、靭帯もいかれている。

 頭上には、さらに圧力を増してくるキメラの狂気と質量。

 圧倒的な絶望の底で、ただ不格好に足掻き続ける俺の背中を見つめるガレスのうつろな瞳の奥に、ほんの微かな光――あるいは、さらなる後悔と葛藤の炎が揺らめいた。


 上空からは、マシロたちの必死の呼び声が、微かに、本当に微かに聞こえた気がした。

 だが、過保護な家族の手は、この底なしの泥の底には届かない。

 ここで足掻き、泥を啜り、生ゴミの処理をするのは、いつだって大人の(俺の)役目なのだ。

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