第129話 空から降ってくるのは、女の子か絶望の二択と相場が決まっている
ギャグとシリアスの境界線というものは、いつだって残酷なほどに唐突で、理不尽なノイズと共に引かれる。
ここ、ダンジョンB60F『関所エリア』。
ほんのコンマ数秒前まで、この空間は間違いなく「男たちの意地と全裸を懸けた、どうしようもない学園祭の悪ふざけ(ラブコメ風ハプニング)」の特設ステージだった。
紅蓮騎士団・団長ガレスが、総工費100億ルピア(あくまで俺の貧相な金銭感覚による推定だが、実際はもっとかかっているかもしれない)を注ぎ込んだ違法建築要塞の瓦礫の上で、見掛け倒しの黄金の重鎧をガチャガチャと滑稽に鳴らしながら、『超高水圧・衣類溶解スライムバズーカ・ギガント』なる、深夜のB級アニメの三話目あたりでしかお目にかかれない狂気の産物のトリガーを、今まさに引き絞ろうとしていた。
対する俺――黒鉄ジンもまた、テツコ特製の『仮初めの杖(激重の黒鋼コーティング・デッキブラシ)』に、寿命を前借りする致死量の呪い(死者の共鳴)を流し込み、迎え撃つ態勢に完全に入っていた。
緑色の悪意が射出される寸前。
俺の右腕の筋肉が限界まで収縮し、ガレスの指の第一関節がトリガーに食い込む。
まさに、物語のテンションがメーターを振り切り、読者が「いい加減にしろ、いつまでこのおっさん同士の全裸ドタバタ劇を見せられるんだ」とスマホを放り投げたくなる一歩手前の、そのコンマ数秒の絶対的な隙間だった。
――ブツッ!!!!!!!!
B60Fという空間の「電源プラグ」が、巨大な見えざる手によって、根元から物理的に力任せに引っこ抜かれた。
階層全体に、鼓膜を直接、零下五十度の氷の千枚通しで突き刺すような、強烈で、無機質で、絶対的な『電子ノイズ』が響き渡ったのだ。
同時に。
要塞の残骸を無駄にケバケバしく照らしていた、パチンコ屋の新規オープンもかくやという極彩色のネオン管や、俺たちを東京ドームのセンターステージの主役のようにロックオンしていた対空サーチライトの群れが、一斉にバチッ! という断末魔の破裂音を立ててショートし、完全に沈黙した。
光が、死んだ。
訪れたのは、網膜が闇に慣れることすら許容しない、暴力的で高密度な『絶対暗黒』。常闇の樹海本来の、光の粒子すらも喰らい尽くし、肺の奥底まで真っ黒に染め上げるような、瘴気の底なし沼。
「な、なんだ!? 停電か!? 誰だブレーカー落とした奴は! 俺の輝き(金メッキ)が見えないではないか!」
完全な暗闇の中で、ガレスの慌てふためく、ひどく情けない声が響いた。
俺の主観時間が極限まで引き伸ばされたスローモーションの世界の中で、彼の声だけが間抜けなほど等速で響く。バズーカのポンプ音も完全に停止している。彼の中のジャンル認識は、まだ「お色気ハプニング」の延長線上にあるらしい。
すると、瓦礫の下の暗がりから、部下の一人が泣きそうな、胃粘膜が剥がれ落ちたような声で叫び返した。
「だ、団長! だから言ったじゃないスか! 全裸トラップ要塞なんかに総工費100億ルピアも注ぎ込んで、無駄にイルミネーションとかピカピカ光らせて一晩中回してるから、経費削減の煽りを受けて電力会社に電気代止められたんスよ! 経理のオバチャン、今月の請求書見て泡吹いて倒れて、そのまま救急車で運ばれましたよ!」
「バカな! スポンサー(あの方)の資金力は無限のはずだ! 電気代ごときで止められるわけがない! はっ、もしやこれは……アレか!? 激闘の最中に突然暗くなって、ハッピーバースデーの音楽と共に巨大なケーキとクラッカーが出てくる、サプライズの停電ドッキリか!? 激務を労うサプライズボーナスか!?」
ガレスの、あまりにも的外れで、救いようのないほど能天気なギャグ的勘違いが、漆黒の樹海に虚しく木霊する。
俺の脳内(CPU)が、この場違いな長台詞を処理しきれずに、強制的に思考を明後日の方向へと脱線させ始める。
(……お前の誕生日は知らねぇし、祝う気も微塵もねぇよ。ていうか、B60Fのこんな地下深くに、地上から電力会社の送電線が引っ張ってこられてるわけねぇだろ。常識で考えろ。自家発電の魔力炉か何かのショートだろ。ツッコミどころが多すぎて、俺の脳の処理限界が完全にオーバーフローしてる。だいたい、この緊迫した状況で経理のオバチャンの健康状態を心配してる場合か。労災は下りるのか? いや、そもそもお前らブラック騎士団に労災なんて概念があるのか? ……って、尺稼ぎのメタ発言もいい加減にしろ! 第四の壁を越えて読者の溜息が聞こえてくるぞ!)
だが。
俺は、口に咥えていたタバコを、ペッと地面に向かって吐き捨てた。
ジュッ、と火種が暗闇の高密度の瘴気に触れて、一瞬でかき消される音。
俺の身体は、いや、細胞の奥底に眠る生存本能は、これがただのギャグ的な停電や、魔力炉のトラブルなどではないことを、はっきりと肌で感じ取っていた。
空気が、違う。
つい数秒前まで空間を満たしていた、男たちの汗と泥と変態的な熱気が入り混じったバラエティ番組の緩い空気が、一瞬にして『無機質な灰色のコンクリートで覆われた処刑室』のそれへと変質している。
肌をチクチクと刺す瘴気の密度が、先ほどまでの比ではない。まるで粘り気の強いコールタールの中に全身を沈められ、鼻と口を塞がれているような、圧倒的な重圧感。
――チクタク、チクタク、チーンッ!!
俺の脳内で、常時鳴り続けている『ガードナーの懐中時計』の秒針が、突如としてBPM180の限界値を振り切り、狂ったような、ノイズ混じりの不協和音を奏で始めた。
右手が。
ズボンのポケットに突っ込んでいた俺の右手が、本人の意思とは無関係に、ガタガタガタッ! と激しく痙攣し始めた。
痛覚はない。だが、痛覚がないからこそ、身体が「異常事態」を直接脳に警告してくるのだ。神経の束が細胞レベルで融解し、千切れていくような『死の幻痛』。
五感の過剰インストール。思い出すのは、二十歳の時に引越しのバイトで、先輩に無理やり持たされた業務用冷蔵庫を一人で持ち上げようとして腰椎から「パキッ」と致命的な音が鳴った、あの『ぎっくり腰』の激痛。あれを百倍に濃縮して、右腕の血管に直接極太の注射器で打ち込まれたような、逃げ場のない破滅の感覚。
額から噴き出した冷や汗が、顎のラインを伝ってポタポタと落ちる。心臓が、肋骨の裏側で暴走族のバイクのように不規則な爆音(不整脈)を立てる。喉が張り付く。唾液腺が完全に砂漠化し、舌が上顎に接着剤で貼り付けられたように動かない。
「……チッ」
俺が奥歯を噛み砕くほどの力で痙攣をねじ伏せようとした、その時だ。
カチッ。
完全な暗闇と静寂の中。
半壊した要塞の最も高い塔の先端に設置されていた、巨大なメインスピーカー。
そこに、まるで墓標の陰で灯る鬼火のような、あるいは暗闇に潜む巨大な深海魚の充血した単眼のような、不気味な『赤いランプ』が点灯した。
そして。
スピーカーのコーン紙を微かに震わせて、機械で合成されたような、感情の起伏が一切存在しない無機質な合成音声が降り注いだ。
『――テストフェーズ1、終了。騎士団の疲労度、規定値に到達』
ゾワァァァァァッ。
俺の全身の毛穴が、一斉に開いた。強烈な鳥肌が立つ。
冷酷無比。ただ、その一言に尽きる声だった。体温というものが微塵も感じられない、純粋な『システム』の声。
「モ、モルモットだと……? スポンサー殿、どういう意味だ!」
暗闇の中で、ガレスが手探りで拾い上げた拡声器越しに、ひしゃげた、かすれた声で怒鳴った。
ドッキリの線が完全に消え、得体の知れない不安に突き動かされた、すがるような声。
「答えろ! 俺たちは、誇り高き紅蓮騎士団だぞ! 貴方の命を受け、この忌まわしい樹海に身銭を切って要塞を築き、遺失物管理センター(ゴミ拾い)の連中をここで完全に排除するために……!」
『言葉通りの意味だ、誇り高き騎士団長殿』
ガレスの必死の、肺の底から絞り出したような抗議を、『あの方』の合成音声は、読み込みの遅いパソコンの煩わしいポップアップ広告を無慈悲にバツ印で閉じるように、あっさりと、一刀両断に遮った。
『君たちがこの樹海に無駄にきらびやかで無意味な要塞を築いたのも、遺失物管理センターと不毛な小競り合いをして貴重な体力を消耗したのも、すべては「この後」のための舞台装置に過ぎない』
「な……っ」
ガレスの喉の奥で、言葉が完全に凍りついた。
俺の視界の中で、赤いランプの薄明かりに照らされたガレスの瞳孔が、極限まで収縮するのが見えた。額から噴き出した脂汗が、金メッキの頬当てを伝い、重力に従ってゆっくりと落ちていく。
『要塞の建設費として君に投資した資金も、最新鋭の兵器群も、決して君たちをB100Fへ到達させるためではない。ただ、ここB60Fという適切な環境下、外部のノイズから完全に遮断された密室に、「ある生体兵器のテスト場(箱庭)」を作るための、ただの撒き餌だ。よくやってくれたよ、実験動物諸君。君たちの見事なまでの無能っぷりが、彼ら(センターの連中)の疲労度と、君たち自身の絶望値を、計測に最適な規定値へと導いてくれた。感謝する』
静寂。
宇宙空間のような、酸素すら存在しない真空の静寂。
その中で、ガレスの黄金の鎧のパーツが、カシャン……と、地面に一つ、零れ落ちた。
安物の接着剤で止められていた装飾が、主の絶望という名の重力に耐えきれなくなったのだ。
「俺たちは……騎士団は、ただの実験動物だと言うのか……!」
ガレスが、その場に力なく両膝を突いた。
ギャグ時空で全裸になろうとも、爆発に巻き込まれようとも、決してへし折れなかった彼の『騎士としての矜持』と『団長としての責任』が、今、無機質な合成音声の数秒の宣告によって、ガラス細工のように粉々に粉砕されたのだ。
先ほどまで彼を権威づけていた黄金の鎧が、今はまるで、自分の意志では出ることの許されない、重く冷たい『滑稽な鳥かご(檻)』のように、彼の全身にのしかかっている。
精神が完全に崩壊しかけている。可哀想に。俺の心象風景の中で、彼に薄暗いピンスポットライトが当たり、哀愁のドナドナがフルオーケストラで流れ始めた。シリアスへの急転直下がエグすぎる。さっきまでのギャグパートの生ぬるい空気を返してやってくれ。
『これより、本命のデータ採取に移行する』
赤いランプが、人間の瞬きのように、チカッ、チカッと二回、血の色で点滅した。
『餌諸君。精々、良い悲鳴を聞かせてくれ』
その冷徹な言葉を最後に。
プツンッ! と、通信が完全に途絶え、赤いランプの光も空間から消滅した。
残されたのは、真の暗闇と、鼓膜が痛くなるほどの、重すぎる絶望の沈黙。
――その直後だった。
ドクンッ!!
俺の心臓が、肋骨を内側から蹴り破らんばかりの異常な跳ね上がり方をした。
右手の痙攣が、限界を迎えた。
「……ッ! なんだ、この波長は……!」
俺は、ガチガチと鳴る奥歯を噛み砕くほどの力で噛み締めながら、天空を見上げた。
B60Fの上空。常闇の樹海の「天井」にあたる厚い岩盤が、まるで水面に石を投げ込んだように、ぐにゃりと不気味に歪んだのだ。
そして、空間そのものがドロドロに酸で溶け落ちたように、巨大な『黒い渦(転移ゲート)』が、音もなく、しかし星を一つ飲み込むような圧倒的な質量を伴ってポッカリと出現した。
渦の奥底から、ドス黒い、そして俺にとってあまりにも馴染み深く、胃液が逆流するほど吐き気を催す「呪いの気配」が、滝のように降り注いでくる。
(ウソだろ……俺の『死者の共鳴』と、全く同じ波長、だと……!?)
俺の中に蓄積された『未練』の魔力が、上空の黒い渦の圧倒的な負のエネルギーと共鳴を起こし、激しい拒絶反応を示している。
胃液が食道を駆け上がる。俺の右腕に封じ込めていた魔力が、まるで同族の呼び声に応えるように、皮膚を突き破って暴走しようと肥大化していく。
ヤバい。制御が効かなくなる――。
――ギシッ……! ギギギギギギッ!!
その時。俺の左手が握りしめていた、テツコ特製の『仮組みのデッキブラシ』が、悲鳴を上げた。
黒鋼のコーティングが、俺の腕から逆流しようとする膨大な魔力の暴走を、その極限の「靭性(粘り強さ)」で、物理的にガッチリと抑え込んでくれたのだ。
「アタシの打った鉄が、怯えてる……!? なんなのよ、上空のあの気持ち悪い塊は!」
暗闇の向こうから、テツコが巨大なハンマーを構えながら驚愕の声を上げる。
同時に、俺の横の空間のノイズが乱れ、幽霊のマシロが、青白いプラズマの光を明滅させながら空中に実体化した。
彼女の顔は、かつてないほどに蒼白に引き攣り、両手で頭を抱えていた。
「ジン! 上から、とんでもない質量の『怨念』が落ちてきます! ギャグで済むレベルじゃありません、警戒レベルMAXです!!」
マシロの霊的な警告が響き渡った、まさに次の瞬間。
ズドォォォォォォォォォォォンッッッ!!!!!
空気を切り裂き、重力に逆らうようにゆっくりと落下してきた「巨大な肉塊」が、紅蓮騎士団の半壊した要塞の中庭に激突した。
B60Fの大地が悲鳴を上げて陥没し、直径数十メートルの巨大なクレーターが穿たれる。
凄まじい土煙と、周囲の木々を一瞬で枯死させるほどの濃密な瘴気の爆発。
俺はデッキブラシを盾にして強風に耐えながら、目を細めてその爆心地を凝視した。
濛々と立ち込める土煙のド真ん中。
そこから、ズリッ……ズリッ……と、肉と骨が不快な摩擦音を立てて擦れ合うような、冒涜的な足音が響いてきた。
舞い上がる土煙の中から姿を現したのは、神が嘔吐した悪夢そのものだった。
人間のシルエットではない。
過去に俺たちがダンジョンで倒してきたボスクラスの魔物たちの死体――巨大なドラゴンの鱗、スライムの粘液、蜘蛛の節足、そして何人もの「人間だった何か」のパーツ。
それらが、狂気の外科医によって無理やり太い黒いワイヤーで縫い合わされたような、醜悪の極みたる継ぎ接ぎの化け物。
そして何より異常なのは、その肉塊の全身から、俺の『死者の共鳴』と全く同じ、どす黒い未練の擬似エネルギー(黒い魔力)が、まるで陽炎のように立ち昇っていることだ。
パチパチと黒い稲妻を纏い、周囲の空間の色彩を奪っていく。
――『実験体』。
キメラが、ズンッ、と一歩踏み出した。
そして、のっぺらぼうの、眼球も口も存在しない「顔のない頭部」を、ガレスと、白旗を振って震えている騎士団員たちの方へと、ギキィッ……と錆びた鉄扉のような嫌な音を立てて向けたのだ。
「ヒィィィィッ……!!」
「バ、バケモノォ……!!」
圧倒的な捕食者のプレッシャー。
腐った内臓とオゾンが混ざったような悪臭。
食物連鎖の絶対的な頂点に立つ者の気迫を前に、歴戦の紅蓮騎士団の男たちが、恐怖で指一本動かすことができなくなっている。呼吸すらも忘れた、完全なる金縛り。
空から降ってくるのは、可愛い女の子か、それとも手に負えない絶望の二択と相場が決まっているが、今回は文句なしに後者のウルトラハードモードらしい。
「…………」
静まり返る絶望の戦場で。
俺は、痙攣の治まらない右手をポケットに深く隠したまま、左手一本でテツコ製のデッキブラシの柄を肩に担ぎ直した。
ひび割れた唇を、極限まで吊り上げる。
恐怖はない。あるのは、ただ、俺の命を削って使っているこの忌まわしい力を、こんな醜悪な形でパクリやがった見えざる敵に対する、純粋で絶対的な「殺意」だけだ。
「……おいおい」
俺の低く濁った声が、静寂のクレーターに響き渡る。
「どこの馬鹿だか知らねぇが……俺の特許(呪い)を、無断でパクって商品化してやがる。ギルドの法務部に意匠権の侵害で訴える前に、俺自身が直々にクレーム処理をしてやるよ」
俺の全身から、キメラの瘴気に対抗するように、漆黒の『死者の共鳴』が爆発的に立ち昇る。
絶望の化け物と、死に急ぐ掃除屋の視線(片方は顔がないが)が、空中でバチバチと火花を散らして交錯する。
前座の茶番劇は終わった。ここから先は、俺の残された寿命の火を限界まで燃やし尽くす、完全なる死闘の幕開けだ。




