表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ダンジョン遺失物管理センター(B3F) ~最強の回収屋は、今日も「思い出」と「未練」を拾いに行く~  作者: AItak
第1章:遺失物管理センター、本日も営業中

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
13/193

第12話:音のない世界と、笑う影

 ダクトの出口は、まるで巨大な怪物の食道のように湿り気を帯びていた。


 錆びついた梯子はしごを降り、最後の鉄格子を蹴り開ける。

 本来なら、そこにはB5F特有の「むせ返るような湿気」と「腐葉土の臭い」、そして「カエルの合唱」が広がっているはずだった。


 だが。


「……おいおい」


 俺、黒鉄ジンは、梯子の最下段で足を止め、目の前に広がる光景に息を呑んだ。

 背後から降りてきたミナが、俺の背中にぶつかって小さな悲鳴を上げる。


「きゃっ……ご、ごめんなさいジンさん。急に止まって……」

「シッ。静かに」


 俺はデッキブラシを横に薙ぎ、二人を制した。

 懐中電灯タクティカル・ライトの光束が、闇を切り裂く。

 だが、その光が照らし出したのは、数日前に見たあの「極彩色の湿地帯」ではなかった。


「……色が、ない」


 マシロが震える声で呟いた。

 その言葉通りだった。


 そこは、灰色の世界モノクロームだった。


 鬱蒼と茂っていたはずの巨大なシダ植物は、枯れ果てて石膏のように白く硬直し、触れれば粉になって崩れ落ちそうだ。

 足元の泥水は、墨汁を流したように黒く濁り、粘度を増してドロリと淀んでいる。

 天井の苔が放っていた幻想的な緑色の光は消え失せ、代わりに空間全体が、壊れた蛍光灯のような明滅を繰り返す薄い灰色に染まっていた。


 そして何より、異常なのは――。


「……音が、しねぇ」


 俺は耳を澄ませた。

 本来なら聞こえるはずの、水滴の落ちる音、風の音、魔物の羽音。それら一切が遮断されている。

 完全な無音サイレント

 自分の心臓の鼓動と、血流の音がうるさいほどに耳元で鳴り響く。

 まるで、世界中の空気が真空パックされちまったみたいだ。


「これ……本当にB5Fですか……?」


 ミナが俺のコートの裾を握りしめる。その指先が白くなっている。

 彼女の知っている「冒険の場所」ではない。ここはもう、現世のルールが通用しない「冥府」の入り口だ。


「……空間が変質してる。高濃度の『怨念』が、物理法則を上書きしてやがるんだ」


 俺はデッキブラシの先端で、白く枯れた草を突いた。

 パサッ。

 乾いた音さえ響かず、草は灰となって崩れ去った。


「マシロ。センサーはどうだ?」


「……最悪よ。ノイズだらけで何も拾えない。まるで、砂嵐の中に放り込まれたみたい」


 マシロは実体化した姿で、不安げに周囲を見渡している。

 霊体である彼女にとって、この空間は「居心地が良すぎる」と同時に「吐き気がするほど濃い」のだろう。

 彼女の輪郭が、時折テレビの受信障害のようにザザッと乱れる。


「……行くぞ。案内しろ、ミナ」


 俺は声を張り上げることもせず、低く囁いた。

 この静寂を破るのが、何かの「スイッチ」になりそうで怖かったからだ。


 ***


 灰色の森を進む。

 足元の泥は、歩くたびにネットリと靴底に絡みつくが、その音さえも「ヌチャ……」という湿った音ではなく、くぐもった重低音として足の骨に響くだけだ。


 視界が悪い。

 懐中電灯の光が、数メートル先で闇に吸い込まれて拡散してしまう。


『……ねえ、ジン』


 突然、俺の脳内にマシロのテレパシーが響いた。

 声を出さず、念話を使ったようだ。


『さっきから……視線を感じるの』


『ああ。俺もだ』


 俺はデッキブラシを構えたまま、視線だけを巡らせた。

 気配遮断ステルス? いや、違う。

 これは「いない」んじゃない。「そこら中にいる」んだ。

 枯れた木の陰。岩の隙間。濁った水面の下。

 無数の目が、俺たちを値踏みするようにじっと見つめている。


「……ヒヒッ」


 不意に。

 耳元で、乾いた笑い声がした。


「!?」


 ミナがビクリと肩を跳ねさせ、振り返る。

 誰もいない。ただの枯れ木があるだけだ。


「……ケケケッ」

「……クスクス」

「……アソボ?」


 声が増える。

 前後左右、そして頭上から。

 それは言葉というより、壊れたラジオが拾った混線ノイズのような、不快な周波数の集合体。


「来るぞ! 固まれ!」


 俺が叫んだ瞬間。


 ズズズズズッ!!


 地面の影が、沸騰したように泡立った。

 そこから、黒いタールのような人型の「ナニカ」が、次々と這い出してきた。


「ひっ……う、あぁ……!」


 ミナが悲鳴を上げて腰を抜かす。

 現れたのは、目も鼻も口もない、のっぺらぼうの黒いシャドウ

 だが、その頭部には、三日月型に裂けた「笑い顔」のような白い亀裂だけが走っていた。


「……シャドウ・ストーカーか。いや、もっとたちが悪いな」


 俺は前に出て、ミナを庇う。

 数は十体……いや、二十体。

 奴らはユラユラと頼りなく揺れながら、しかし明確な殺意を持って包囲網を縮めてくる。


「『床掃除・戦闘バトルモード』!」


 俺はデッキブラシを旋回させ、先頭の一体に踏み込んだ。


「まずは挨拶代わりの一掃きだ! そこどけ、邪魔だ!」


 ブンッ!!


 フルスイング。

 カーボン製の柄が空を切り、影の胴体を薙ぎ払う――はずだった。


 スカッ。


「……は?」


 俺の手には、何の感触も残らなかった。

 ブラシは影の体を、まるで煙かホログラムのようにすり抜けた。

 勢い余って俺の体勢が泳ぐ。


「ヒヒッ! アタラナイネェ!」


 影がわらった。

 その直後、影の手――鋭利な黒い刃に変形した腕が、俺の首筋めがけて振り下ろされた。


「クソッ!」


 俺は咄嗟に身を捻り、ブラシの柄でガードする。


 ガギィィィン!!


 重い。

 こっちの攻撃はすり抜けるくせに、向こうの攻撃は物理的な質量を持って叩きつけてきやがる。理不尽な一方通行だ。


「物理無効(物理耐性100%)かよ! 一番嫌いな汚れだ! タチの悪い油膜かお前らは!」


 俺は衝撃を利用してバックステップし、距離を取る。

 掃除屋として、これほど腹立たしいことはない。

 擦っても落ちない。削っても取れない。

 こちらの干渉を拒絶するくせに、向こうからは汚泥を塗りつけてくる。


「ジン! 下がって!」


 マシロが俺の前に飛び出した。

 彼女の髪が逆立ち、白いオーラが全身から噴出する。


「同じ『幽霊』なら、触れるはずよ! ――『ポルターガイスト・ナックル』!」


 マシロが見えない念動力の塊を拳状に固め、影に向かって叩きつけた。


 ドゴォッ!!


「ギャッ!?」


 今度は当たった。

 影がくの字に折れ曲がり、後方へ吹き飛んで木に激突し、黒い霧となって四散した。


「効いた! さすが幽霊秘書!」


「ふふん! 伊達に死んでないわよ!」


 マシロが得意げに振り返る。

 だが、その余裕は一瞬で消え失せた。


 ワラワラワラ……。


 霧散したはずの影が、再び地面から湧き出し、元の形に戻っていく。

 それどころか、周囲の闇からさらに新たな影が這い出し、その数は倍以上に膨れ上がっていた。


「うそ……増えてる?」


「分裂しやがったな。切っても切っても出てくる金太郎飴かよ」


 俺たちは背中合わせになった。

 足元の泥沼からも、手首だけの影が伸びてきて、俺のブーツを掴もうとする。


「キリがないわ! 私の魔力(MP)が持たない!」


「落ち着け。数は多いが、知能は低そうだ。一点突破で抜けるぞ!」


 俺はポーチに手を突っ込んだ。

 指先が触れたのは、ザラリとした粒子の感触。

 業務用食塩(1キロ)。


「ミナ! 耳を塞いで伏せてろ!」


 俺は叫び、塩の袋を空中に放り投げた。

 そして、デッキブラシを一閃。


 バシュッ!


 袋が裂け、真っ白な塩の結晶が雪のように舞い散る。


「『除霊清掃エクソシズム・クリーニング』――塩分濃度300%散布!」


 俺はブラシを高速回転させ、舞い散る塩を竜巻のように拡散させた。

 塩。

 古来より清めの儀式に使われるそれは、科学的に言えば「霊体の電磁的結合を阻害する絶縁体」だ。


 ジュワワワワッ!!


「ギヤァァァァァッ!?」

「イタイ! シミル! カラァァァイ!」


 塩を浴びた影たちが、ナメクジのように身をよじらせて絶叫する。

 その輪郭が溶け出し、黒い煙が上がる。


「今だ! 走れッ!」


 怯んだ隙に、俺はミナの手を引き、マシロを先導させて包囲網を突破した。

 背後からはまだ、怨嗟の声が追いかけてくるが、構っている暇はない。


 ***


 十分ほど全速力で走り続け、ようやく「笑い声」が遠ざかった頃。

 俺たちは灰色の森の開けた場所に出た。


「はぁ……はぁ……! も、もう走れません……!」


 ミナが膝をつき、肩で息をする。

 彼女の体力は限界だ。恐怖と疲労で、顔面蒼白になっている。


「……ここ、見覚えあるか?」


 俺は懐中電灯で周囲を照らした。

 そこは、巨大な岩場だった。

 かつては滝が流れていたと思われる崖があるが、今は水も涸れ、黒いシミのような跡が残っているだけだ。


「……あ、あそこ……!」


 ミナが震える指で、岩場の窪みを指差した。


 その窪みの奥。

 瓦礫によって塞がれた狭い空間から、淡い、今にも消えそうな青白い光が漏れていた。


「『結界石』の光ね」


 マシロが呟く。


「でも、あんなに弱い……。もう魔力が切れかかってる」


 俺たちは瓦礫の隙間から中を覗き込んだ。

 そこには、地獄のような光景があった。


 五人の冒険者が、身を寄せ合うようにして倒れていた。

 装備はボロボロで、全員が意識を失っているか、うわ言を呟いている。

 中央に置かれた『結界石ポータブル・バリア』は、ひび割れ、豆電球ほどの頼りない光を発しているだけだ。


 そして。

 その結界の外側には、無数の「影」がへばりついていた。

 結界の光を嫌がって中には入れないようだが、ガラスに張り付くヤモリのように、影たちはじっと中の獲物を見つめ、囁き続けている。


「……ねぇ、開けて?」

「寒イヨ……」

「コッチニオイデ……」


 それは、精神汚染マインド・ハックだ。

 物理的に殺すのではなく、心を壊して結界を内側から解かせるための、執拗な囁き。


「……カレン!」


 ミナが叫ぼうとした口を、俺は手で塞いだ。


「大声を出すな。影が集まってくるぞ」


 俺は視線で中を示した。

 倒れている冒険者の一人、栗色の髪をした少女がカレンだろう。

 彼女の足は不自然な方向に曲がっており、包帯からは黒い血が滲んでいる。

 だが、一番危険なのは怪我じゃない。


 彼女の腕。

 そこが、すでに「黒く」変色し始めていた。

 壊死ではない。

 影と同化アシミラレートしかけているのだ。


「……手遅れ一歩手前だな」


 俺はポーチから『銀粉スプレー』と『ニンニクアンプル』を取り出した。


「マシロ。あそこの影どもを剥がせるか?」


「やってみる。でも、あの子たち……もう精神ココロが限界よ。私が干渉したショックで、魂が砕けちゃうかもしれない」


「優しく、かつ迅速にだ。お前の得意分野だろ? 部屋の埃を払うみたいにな」


 俺はニヤリと笑ってみせたが、内心は冷や汗ものだった。

 同化が進んだ人間を引き剥がすのは、癒着したガーゼを傷口から剥がすより難しい。失敗すれば、彼らは影の一部になって永遠にここを彷徨うことになる。


「ミナ。お前は声をかけ続けろ。あいつらの名前を呼んで、こっち側(生者)の世界に繋ぎ止めろ」


「は、はい……!」


「行くぞ。……強制退去の時間だ」


 俺はデッキブラシを構え、影たちの群がる瓦礫へと踏み込んだ。


 音のない世界。

 そこで俺たちの「掃除レスキュー」が、静かに、しかし激しく幕を開けた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ