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ダンジョン遺失物管理センター(B3F) ~最強の回収屋は、今日も「思い出」と「未練」を拾いに行く~  作者: AItak
第六章:裸の騎士と、鉄の処女

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第124話 オヤジの愛車が痛車になる時、それは大抵取り返しのつかない事態だ

男にとって、「車」というものは単なる移動手段を意味しない。

 それは外界の不条理から身を守る鋼の鎧であり、自らの支配権が及ぶ唯一の城であり、そして時には己の魂の形そのものを体現する、ロマンの結晶にして神聖なる領域である。

 俺――黒鉄ジンにとって、重装甲車『アイアン・マザー号』はまさにそれだった。

 無骨で、傷だらけで、リッター3キロという劣悪な燃費で、冬場は暖房の効きが異常に悪い。だが、分厚い装甲の奥底には、どんな過酷なダンジョンの環境にも耐え抜くタフで無骨なディーゼルエンジンが積まれている。俺たち「遺失物管理センター」の、誇り高き移動拠点にして揺りかご。

 その愛すべき鋼の城が、今。

 物理的にも、デザイン的にも、そして俺の男としての尊厳という意味でも、致死量の「汚染」を受けようとしていた。


「いや、マジで待て。同行するって、お前、その……体格的に助手席には乗れねぇだろ。サスペンションが物理的に死んで、車軸が折れるんだよ」


 俺は、先ほどのアイアン・メイデンをも凌駕する『熱烈なハグ(という名の頸椎粉砕技)』から辛くも解放され、ぜぇぜぇと浅い呼吸を繰り返しながら、目の前の巨大なピンク色の乙女(筋肉ダルマ)――鋼テツコを必死に説得しようと試みた。

 現在地、B51F『常闇の樹海』の深部、不法投棄されたゴミ山の頂上。

 俺の背後では、アイアン・マザー号のフロントガラスにへばりついたマシロとヤクモたちが、『ボスの貞操が!』『新しいママ!?』などと血走った目で騒ぎ立てている。


「あらん♡ 心配ご無用よ、ジン! アタシの『Sweet Atelier♡』はね、いつでも運命の殿方とロマンチックな愛の逃避行に出られるように、最新鋭のシステムを導入してあるの!」

「最新鋭のシステム? 嫌な予感しか――」


 俺の喉仏が震え、言葉が空気を振動させるより早く。

 俺の主観時間は、コンマ一秒の世界で完全に凍結した。

 時間が止まる。網膜に映るすべての光景が、コマ送りのスローモーションへと変貌する。

 テツコの丸太のように太い腕が、ゆっくりと空気を切り裂いて振り上げられる。血管が鋼のワイヤーのように浮き出た前腕の筋肉が収縮し、極彩色に彩られた親指が、ピンク色のバラック小屋の壁面に設置された、無駄にハート型にデコレーションされた『緊急用ボタン』へと吸い込まれていく。

 ダメだ。押すな。

 俺の生存本能と、アイアン・マザー号の所有者としての魂が、警鐘をハンマーで打ち鳴らしている。

 だが、肉体が追いつかない。

 指先とボタンの表面が接触するミクロの距離。

 そして。


 ――ポチッ♡


 魔法少女の変身ステッキから鳴るような、ひどく場違いでファンシーな電子音が、B51Fの瘴気の森に響き渡った。


 直後、足元のゴミ山全体を揺るがすマグニチュード7の直下型地震が発生した。

 ガションッ!! ギュイィィィィィィィンッッ!!!

 鳴り響くのは、重機特有のけたたましい油圧シリンダーの駆動音と、歯車が噛み合う暴力的な金属音。

 バラック小屋の下部のトタン板が吹き飛び、中から泥にまみれた巨大なキャタピラが飛び出してくる。さらに、ピンク色の壁面の一部がトランスフォーマーのように展開し、巨大な接続用のアームがガシャガシャと伸びてきた。

 ウソだろ。家が、動いた。

 自走式・ピンクのバラック小屋は、土煙を上げながらズンズンと前進し、あろうことか俺の愛車、アイアン・マザー号の最後尾(居住区のケツ)に向かって、猛スピードで突進を始めたのだ。


「オィィィィィィッ!! 何してんだお前ェェェ!!」

「合・体・よぉぉぉぉっ♡♡ 愛のドッキィィィィィングッ!!」


 時間が、極限まで引き伸ばされる。

 迫り来るピンク色の悪夢。

 俺の脳内(CPU)は、この耐え難い現実から逃避するため、強制的に走馬灯を起動した。

 思い出すのは、三年前にアイアン・マザー号を中古で買った日のこと。頭金ゼロ、60回払いの無謀なローン。初めて洗車場に持って行き、マシロと一緒にカーワックスをかけた日。手が滑ってスポンジを落とし、ヤクモに「泥を塗りつけているのか」と鼻で笑われた日。車内でカップ麺の汁をこぼして、一週間ニオイが取れなくてファブリーズを一本使い切ったあの絶望。

 ああ、俺の青春オッサンだけど。俺の城。俺のローン残高、あと24回も残ってんのに!!

 ていうか、なぜロボットアニメの合体バンクみたいな超絶作画カロリーを、こんなバラック小屋と中古車の激突シーンに割いてるんだ! 制作陣の尺と予算の使い方が完全に狂ってるだろ!


 ガガァァァァァァァァンッッ!!!


 鼓膜を突き破り、三半規管を粉砕する凄まじい衝突音。

 強烈な衝撃波が周囲の鉄クズを吹き飛ばし、俺はなす術もなく吹き飛ばされて地面を転がった。

 濛々と立ち込める土煙と、ピンク色の塗料の粉塵。

 それが晴れた後。

 そこには、俺の眼球の処理能力を破壊する、おぞましい『キメラ車両』が誕生していた。

 フロントから中間までは、今まで通りのミリタリー調の無骨な装甲車。

 しかしその後ろ半分は、目に痛いパステルピンクの塗装、ヒラヒラと風に舞う白いフリル、ハート型の窓枠、そして屋根の上で不規則に明滅するシャンデリアが、完全なる物理的結合(溶接)を果たしていた。


「だ、誰がお義父さんだ! ていうか俺の装甲車を勝手に痛車キメラにすんじゃねぇぇぇ!!」


 俺の魂の底からのツッコミが、漆黒の樹海に虚しく吸い込まれた。

 オヤジの愛車が痛車になる時。それは大抵、人生において後戻りできない、取り返しのつかない事態(バッドエンドの分岐点)なのだ。


     *


「さあさあ皆さぁん♡ テツコの特製、『愛のプロテイン・スムージー(筋肉と愛の完全栄養食)』よぉ! いっぱい飲んで、筋肉の繊維ハートをドバドバにパンプアップさせましょうねぇ♡」


 合体を果たした装甲車(痛車仕様)の車内。

 キャタピラの激しい振動が尻から直接脳天へと突き抜ける中、新しく増設された「ピンクの居住区」で、テツコ(フリルエプロン着用)がご機嫌なステップを踏みながら、銀色のピッチャーを振り回していた。

 そのピッチャーの中に入っているのは、どう見ても地球上の物質とは思えない、ドギツイ紫色のドロドロとしたヘドロ状の液体だった。

 表面には、沼地で発生するメタンガスのような緑色の気泡がボコボコと弾け、その気泡が割れるたびに、車内の空気が紫色に染まっていく錯覚すら覚える。

 嗅覚の過剰インストール。

 硫黄、ベビーパウダー、生乾きの雑巾、そして化学薬品ストロベリー香料。それらがミキサーで粉砕され、高温で煮詰められたような、致死性の異臭が鼻腔を暴力的に犯す。


「ひぃぃぃっ! 来るな! 私は致死量のカロリーと謎の化学物質を摂取すると、脳内シナプスがショートして爆弾の配合を間違える体質なんだッ! アタシの胃袋はゴミ箱じゃねぇッ!」

「医学的見地から言って、それは経口摂取可能な代物ではない! 厚生労働省の劇薬指定リストを三周回ってオーバーフローした代物だ! 防護服を持てェッ! ガスマスクを被れェッ!」


 爆弾魔のツムギと闇医者のヤクモが、完全に顔面蒼白になり、強張る筋肉と引き攣る呼吸で狭い車内を猿のように逃げ回っている。

 だが、テツコの理不尽なまでの筋力と射程範囲から逃れることは不可能だった。

「はい、あ〜ん♡」と、逃げ惑う二人の口を片手でこじ開け、無理やり紫色のヘドロを致死量流し込んでいく。


「ごふっ……! あ、あはは……お花畑が見える……おじいちゃんが、三途の川で手招きを……」

「胃壁が……融解して……無念……ポーションを……」


 二人は白目を剥き、口から七色の泡を吹いて痙攣しながら床に崩れ落ちた。

 その地獄絵図を、俺は運転席からバックミラー越しに眺め、深くため息をついた。

 もはやバイオハザードどころではない。クトゥルフ神話のSAN値直葬イベントである。


「ジン! アナタも運転お疲れ様♡ はい、テツコの愛情たっぷりスムージー! 徹夜明けの体に染み渡るわよぉ!」


 助手席の窓から、テツコが俺の顔の前にジョッキを突き出してきた。

 鼻孔を突き刺す、細胞を破壊する匂い。

 ジョッキの表面には不気味な結露が浮かび、紫色の液体がドクン、ドクンと脈打っているように見える。

 だが。

 俺は『死者の共鳴』の代償により、すでに味覚と嗅覚の大半を失っている。


「おう。サンキュ」


 俺はハンドルを左手で握ったまま、右手でジョッキを受け取り、一気に喉の奥へと流し込んだ。

 ドロリとした粘着質の物体が、食道を滑り落ちていく。

 胃に到達した瞬間、胃液と謎の物質が化学反応を起こし、ドゥルン、と不気味な熱を持ったのが分かった。昔、健康診断で飲まされた発泡剤入りのバリウムを、炎天下で三日間放置してから飲んだような喉越し。

 味は、全くしない。ただの温かい泥の塊だ。

 虚無である。

 食事という行為の根源的な喜びが欠落した、俺の身体の悲しい欠陥。


「……悪くねぇな。ちょっとドロドロしてるが、腹の足しにはなる」


 俺が平然と空のジョッキを差し出すと。

 ピタッ、と。

 テツコの動きが、映像がフリーズしたように完全に停止した。


「え……?」


 溶接マスクの奥から、信じられないものを見るような、しかし猛烈な熱を帯びた声が漏れる。


「ウソ……私の手料理を、美味しい(?)って言って、全部飲んでくれたの……? 王子様が、初めて……ッ!!」


 ブワァァァァァッ!!

 テツコの巨体から、再びマゼンタピンクのオーラが火山噴火のごとく大爆発を起こした。

 両手で顔を覆い、内股で身悶えしながら「あぁん♡ もう離さないわぁ♡」と奇声を上げ、車内をドスドスと跳ね回っている。サスペンションが悲鳴を上げている。


(……ちょっと待ってくださいよぉぉぉ!!)


 ダッシュボードの影で、幽霊のマシロが頭を抱えて一人泣き叫んでいた。

(ボスの味覚障害が! こんな最悪な形でラブコメ(?)フラグを乱立させてしまうなんて! 『プランB』でボスの体を気遣うって決めたから、味覚がないことをテツコさんに指摘して場の空気を壊すこともできないし! 私のツッコミの処理限界キャパシティが完全にオーバーフローしてますぅぅ! だいたい、このドロドロのラブコメ展開、誰得なんですか!? 読者層を完全に置いてけぼりにしてますよ!)


 マシロの霊的なプラズマが、ダッシュボードを濡らしていく。

 俺は、彼女が何を一人で激しく葛藤しているのか全く理解できなかったが、とりあえず右手の震えを誤魔化しながら「なんかごめん」と心の中で謝っておいた。


     *


 新たなトラブルメーカー(専属鍛冶師)を乗せ、半分ピンク色に染まった痛車『アイアン・マザー号』は、B51F〜B59Fの『常闇の樹海』を爆走していた。

 当然、無傷で進めるわけがない。

 高密度の瘴気に当てられ、凶暴化した固有モンスター『シャドウ・ストーカー』や、巨大な猛毒蜘蛛の群れが、ヘッドライトの光を憎むように次々と装甲車に襲い掛かってくる。


「チッ、数が多いな。俺が出る」


 俺はルーフハッチを蹴り開け、時速80キロで爆走する装甲車の屋根の上に躍り出た。

 吹き付ける瘴気の風が、刃物のように俺の頬を裂く。

 右手には、テツコが打ってくれた『仮初めの杖』――黒鋼でコーティングされた、激重のデッキブラシ。


「ジン! 愛の援護射撃よぉ♡」


 後方のピンク色の居住区の屋根から、テツコが身の丈ほどもある巨大なハンマーを構えて飛び出してきた。


「オラァッ!!」


 俺は右手に『死者の共鳴』の魔力を流し込む。

 その瞬間、右腕の神経がチリチリと焼け焦げる音(幻聴)が脳内に響き渡る。

 痛覚がない分、生命力が直接削り取られていくような強烈な焦燥感。二十歳の時の引越しバイトで、冷蔵庫を一人で持ち上げようとして腰椎から「パキッ」と音が鳴った時と同じ、あの「あっ、これ終わったわ」という絶望的な生理的感覚がフラッシュバックする。

 だが、テツコのコーティングが見事に機能し、魔力は柄の中で反発することなく、先端のブラシ部分へとスムーズに圧縮されていく。

(……あと十回。十回だけなら、全力で振れる)


 俺は極限まで圧縮した黒い衝撃波を、迫り来る巨大蜘蛛の群れに向けて一閃した。

 ズバアァァァァァンッ!!

 空間が歪み、一撃で数十匹の蜘蛛が漆黒の魔力に飲み込まれ、蒸発する。

 だが、その反動で俺の姿勢が一瞬崩れた。右手が痙攣し、次の攻撃にコンマ数秒の遅れが生じる。


「甘いわよッ!!」


 その俺の死角を完璧に埋めるように、テツコのハンマーが空から降ってきた。

 ドゴォォォォンッ!!

 装甲車の脇に回り込もうとしていた残りの蜘蛛たちを、物理法則を完全に無視した圧倒的な筋力で、森の大地ごとクレーターに変えて粉砕する。ハンマーの風圧だけで、俺の髪が強烈に煽られる。


「……助かった」

「ふふっ、共同作業(初めての)ね♡ 息ピッタリじゃない!」


 テツコが溶接マスク越しにウィンク(推測)を飛ばしてくる。

 正直、精神的な距離感は最悪だが、背中を預けるアタッカーとしては、これ以上ないほど頼もしい。

 俺たちは、迫り来るモンスターを、黒い魔力と物理のハンマーによる狂気の連携で次々とミンチに変えながら、常闇の樹海を突破していった。


     *


 そして。

 長かった漆黒の樹海エリアを抜け、ついに俺たちはB60Fの『関所エリア』へと到達した。


「……なんだ、ありゃ」


 運転席のフロントガラス越しに、俺は思わずブレーキペダルを床まで踏み込み、アイアン・マザー号を急停車させた。

 光を一切拒絶していた、これまでの『常闇の樹海』。

 だが、その空間のド真ん中だけが、まるで深夜の歌舞伎町のネオン街、あるいはラスベガスのカジノ街のように、ギラギラとした下品な原色で暴力的に発光していたのだ。


 強烈な光のシャワーが網膜を焼き、俺は思わず目を細め、生理的な涙をこぼした。

「樹海の木々を……不法伐採してやがるのか?」


 ヘッドライトが照らし出したのは、自然の景観を完全に破壊し尽くして建造された、無駄に豪華で、バカでかい石造りの城塞だった。

 壁面には極彩色のサーチライトが乱舞し、城門の前には、環境破壊の象徴のような巨大なブルドーザーと重機が何台も停まっている。

 そして、その城塞の最も高い塔から、ご丁寧に一本の巨大な垂れ幕が下がっていた。


 ――『打倒! 遺失物管理センター! 正義は我らにあり!』


「……なんだあの景観をガン無視した違法建築は。エコの欠片もねぇな。SDGsのパンフレットで角からぶん殴ってやろうか。だいたい、垂れ幕のフォントがダサすぎる」


 俺が呆れ果ててタバコを取り出し、火をつけようとした、その時だ。


 ブォンッ! ブォンッ! ブォンッ!!

 城塞の壁面に設置された無数の対空用サーチライトが一斉に起動し、俺たちの痛車(アイアン・マザー号)を、舞台の主役のように強烈に照らし出した。

 逃げ場のない光の中。

 城壁の最も高い場所、サーチライトの逆光を背負って、一人の男のシルエットが浮かび上がった。

 燃え盛るような紅蓮の鎧。手には、俺たちとの因縁を象徴するような、巨大な戦斧。


「……こんな目立つ登場シーンのために、わざわざ照明係に合図出させたのか。ご苦労なこった」


 俺は右手の痙攣をポケットの奥深くに隠し、ひび割れた唇を不敵に歪めた。

 紅蓮騎士団・団長、ガレス。

 B100Fへの死に急ぎの道を阻む、最初のバカとの、第2章の幕が開こうとしていた。

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