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ダンジョン遺失物管理センター(B3F) ~最強の回収屋は、今日も「思い出」と「未練」を拾いに行く~  作者: AItak
第六章:裸の騎士と、鉄の処女

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第120話 優しい嘘で塗り固めた装甲車は、今日も爆音で闇を征く

プシュウゥゥゥゥ……。


 それは、重装甲車『アイアン・マザー号』の排気ダクトが、過酷な環境変化に耐えかねて吐き出した、文字通りの溜息だった。

 ゲートを抜け、俺たちが足を踏み入れたのは、ダンジョンB51F『常闇の樹海』。

 B30F台の、マイナスイオンと過剰な緑が乱舞する「ジュラシック・パークの休日」みたいなふざけた生態系とは打って変わり、ここは徹底的に光を拒絶する世界だった。


 視界を埋め尽くすのは、墨汁をぶち撒けたような漆黒の木々。

 ヘッドライトの光すら、数メートル先で物理的に「飲み込まれて」しまうような、濃密な暗闇。

 そして何より、窓ガラスを這い上がり、車内の装甲越しにすら骨髄まで沁みてくるような、じっとりとした冷気だ。

 まるで、巨大な冷凍庫の中に閉じ込められ、外から無数の亡者に撫で回されているような嫌悪感がある。


「……暗ぇな」


 運転席でハンドルを握りながら、俺――黒鉄ジンは、ひび割れた唇からぽつりと呟いた。

 カチッ、カチッ。

 手探りでポケットから百円ライターを取り出し、親指でフリントを擦る。

 視界が利かないため、手元の感覚だけが頼りだ。

 だが、何度火花を散らしても、タバコの先端に火が移る気配がない。


 おかしいな。ガスはまだ残っているはずだが。

 そう思いながら、俺はさらに強くライターの石を擦った。


 シュボッ。


 ようやく小さな炎が灯る。

 だが、その炎の揺らめきと一緒に、車内に「ある匂い」が漂い始めた。

 豚肉を直火でこんがりと、いや、もっと嫌な、タンパク質が急速に炭化していくような焦げ臭さ。


「ああっ! ジン! ストップ! ストォォォォップ!!」


 助手席の空間から、幽霊のマシロが、かつてないほどの金切り声を上げて飛び出してきた。

 実体を持たないはずの彼女が、物理法則を無視したダイビングキャッチで俺の右手に飛びつき、猛烈な勢いで息を吹きかける。


 フゥゥゥゥゥッ!!


「……お前、車内で歩きタバコ(歩いてないけど)は条例違反とか、そういう自治体みたいなツッコミはもういいから……って、おいィィィ!?」


 マシロが吹き消した炎の先を見て、俺は目を瞬かせた。

 タバコじゃない。

 俺の親指が、ライターの青白い炎で、文字通り直火焼きのバーベキュー状態になっていたのだ。

 しかも、こんがりとウェルダンに。


「いや、熱ッ!? 普通気づくだろ! 俺の痛覚どうなってんだよ!」

「それがこっちのセリフですよ! なんで自分の指燃やして無反応なんですか、この鈍感親父! あなたの痛覚はログアウトしちゃったんですか!?」


 マシロが半泣きになりながら叫ぶのと同時、後部座席のドアが蹴り破られんばかりの勢いで開き、白衣を着た闇医者、ヤクモが弾丸のように飛び出してきた。


「指先の消毒だな!!」


 シュッ! シュッ! ズサァァァッ!!


 意味不明な掛け声と共に、ヤクモは俺の親指に謎の冷却スプレーを致死量ぶちまけ、さらに包帯を光の速さで巻き付けた。その間、わずか三秒。F1のピットクルーもドン引きの早業である。


「いや、消毒ってレベルじゃねーぞ。完全に燃えてたろ、今」

「……気のせいだ。少し乾燥していただけだ。保湿は大事だからな」


 ヤクモは眼鏡をクイッと押し上げながら、滝のような冷や汗を流して明後日の方向を見ている。

 なんだこいつら。

 急に過保護というか、妙にテンションがおかしい。


 俺は「死者の共鳴」の代償で、すでに全身の痛覚や味覚の大半を失っている。それは自分でも分かっている。

 だが、いくらなんでも、ただの火傷にここまで大騒ぎするか?


「お前ら、何か隠してねぇか?」


 俺が訝しげに目を細めると、マシロとヤクモは「ひっ」と短い悲鳴を上げ、まるで文化祭の準備をサボっていたのを見つけられた高校生のように、不自然な作り笑いを浮かべた。


「そ、そんなことありませんよ! ほら、暗闇での火器の取り扱いは危険ですから! 防災訓練の一環です!」

「そうだ、防災だ。火の用心だ。マッチ一本火事の元だ」


 ガタッ。

 装甲車が、道に落ちていたソフトボール大の石を乗り越え、少しだけ揺れた。


「ボス!! 骨は!? 骨折れてない!? 内臓破裂してない!?」


 後部座席から、爆破魔のツムギが窓ガラスを突き破る勢いで身を乗り出してきた。

 その目には、なぜか涙が浮かんでいる。


「いや、ただの段差だろ。俺をスペランカーか何かと勘違いしてねぇか?」

「だ、だってボス、最近顔色悪いし! もしちょっとの衝撃で粉砕骨折とかしたら、アタシ……アタシ……ッ!」

「ジン、安心して」


 今度は、モニター越しにハッカーのネオンがサムズアップを決める。

 彼女の背後では、なぜか軍事衛星の照準画面が無数に立ち上がっていた。


「この先のルート上の小石、全部レーザーでチリ一つ残さず焼却しておくから。あと、段差も全部ナノマシンで舗装し直す手配をしたわ」

「お前のハッキング能力の無駄遣い、そろそろ国際問題になるぞ」


 俺がツッコミを入れる間にも、今度は元マフィアのシェフ、ワン・チャンが、湯気を立てる寸胴鍋を抱えて現れた。

 鍋の中身は、どう見ても魔女が煮込んだヘドロ、あるいは紫色の沼だった。

 ボコッ、ボコォッ、と、マグマのような気泡が弾けている。


「親父さん、特製・闇鍋シチューだ。栄養満点、滋養強壮に効くぜ」


 ワンの言葉とは裏腹に、そのシチューからは、鼻粘膜を破壊し尽くすようなカプサイシンと謎のハーブの暴力的な匂いが漂っていた。

 常人なら一口で胃に穴が開くレベルの劇薬だ。


「……おう、悪くねぇな」


 俺は木べらを受け取り、その紫色のマグマをすくって口に運んだ。

 味覚がない俺にとっては、ただの熱い粘土でしかない。

 涼しい顔で三口、四口と平らげていく俺を見て、ワン・チャンは突然、後ろを向いて肩を震わせ始めた。


(……味覚がねぇからって、あんな劇薬みたいな激辛シチューを、涼しい顔で……ッ! 親父さん、あんたって人は……!)


 いや、なんか泣いてるぞあいつ。

 本当に今日のこいつら、どうしたんだ。


「お前ら、全員変なキノコでも食ったか? それともB51Fの瘴気のせいか?」


 俺は首を傾げながらも、ため息をついた。

 まあいい。こいつらが何を焦っているのかは知らないが、俺はこいつらの「親父」だ。

 親父がどっしり構えていれば、子供たちは安心するもんだ。

 そう思い、俺は無理をして背筋を伸ばし、堂々と腕を組んだ。


 ――メリッ、メリメリッ。


 背中から、広範囲に炭化した皮膚と筋肉が、車のシートに擦れて剥がれ落ちる嫌な音が響いた。

 痛覚がないから平気だが、確実に俺の肉体は崩壊に向かっている。

 その音を聞いた瞬間、車内の空気が一瞬にして凍りついたのが分かった。

 全員が、息を止め、俺の背中を凝視している。


「……なんだよ」

「な、なんでもないです! 座席の軋む音ですね! 古い車ですから!」

「そ、そうだ! オイルでも差しておこう!」


 あからさまな誤魔化し。

 こいつら、俺が自分の余命(あと半年)と、この体の限界に気づいていないとでも思っているのか?

 過剰な接待、不自然な気遣い。

 これが、こいつらなりの「プランB」ってやつか。


 バカな奴らだ。俺はもう、死ぬことなんて恐れちゃいないのに。


 俺が苦笑を漏らした、その時だった。


 ドゴォォォォンッ!!


 装甲車の側面に、隕石でも衝突したかのような激しい衝撃が走った。

 重さ数十トンの車体が、きしみを上げて片輪走行になる。

 窓の外、ヘッドライトの光が届かない絶対の暗闇の中から、無数の「目」が浮かび上がった。


 赤い、飢えた獣の瞳。

 B51Fの固有モンスター『シャドウ・ストーカー(影の獣)』の群れだ。

 闇と同化し、獲物の死角から音もなく襲い掛かる厄介な連中。ざっと見積もって、五十匹以上はいる。


「チッ、歓迎会にしては手荒だな。一仕事するか」


 俺はシートベルトを外し、助手席の足元に転がっている、愛用のデッキブラシ(3代目)に手を伸ばそうと腰を浮かせた。


 その瞬間だった。


「「「ボスは座っててえええええええええええええええええええ!!!!」」」


 鼓膜が破れるかと思うほどの、全員による大合唱。

 俺がブラシの柄に触れるより早く、後部座席のドアが弾け飛び、13人のイカれた家族たちが、弾丸の雨を潜り抜けるコマンドーのごとく外へ飛び出していった。


「食らいなさい! 『超絶・爆滅・ハルマゲドン・ボム』ぅぅぅッ!!」


 ツムギが、普段ならボス戦でしか使わないような特大サイズの爆弾を、惜しげもなく獣の群れのど真ん中に放り投げる。

 ドグシャァァァァァァァッ!!!

 森の一部が、太陽が落ちてきたかのような閃光と共に消し飛んだ。


「光よ! 我が主の安眠ドライブを妨げる愚者どもに、等しく浄化の鉄槌を!」


 白銀の騎士レオが、聖剣の出力を限界突破(リミッター解除)させ、文字通り地形を変えるレベルの巨大な光の斬撃を放つ。

 ズバアァァァァァンッ!!

 闇を切り裂き、大地を抉り、数十匹の獣が一瞬にして蒸発した。


「ピコちゃんの! 鼓膜ブレイカー・ライブ、スタートだよぉぉッ!!」

「音響兵器、出力120%。対象、完全殲滅」


 アイドル・ピコの超高音域の歌声と、ネオンのハッキングによる指向性音波が共鳴し、生き残っていた獣たちの三半規管を物理的に破壊し尽くす。

 グチャッ、という嫌な音を立てて、獣たちが次々と自壊していく。


 時間にして、わずか十秒。

 装甲車の周囲百メートルの森が、完全に更地(という名のクレーター)と化していた。

 もう一度言うが、相手はただの道中の雑魚モンスターである。


「……お前ら、弾薬と魔力の無駄遣いにも程があるだろ」


 焦げ臭い煙が立ち込める中、俺は呆れ果てて窓から顔を出した。

 肩で息をしているレオやツムギたちが、ビクッと肩を震わせ、全員で一斉に目を泳がせる。


「た、たまにはストレス発散したかっただけだし!」

「そ、そうです! 最近運動不足だったので、素振りの延長です!」

「親父さんは、車の見張りをお願いします! 動いちゃダメですよ!」


 全員が口々に言い訳を並べ立て、そそくさと装甲車の後部スペース(居住区)へと戻っていく。

 まるで、俺にこれ以上何も言わせない、何もさせないと言わんばかりの逃走劇。


 バタン、とドアが閉まり、運転席には俺一人が残された。

 外の熱気とは裏腹に、車内には再び元の冷たい静寂が戻ってくる。


「……バカ野郎どもが」


 俺は一人、ふっと息を吐いた。

 優しい嘘。

 不器用すぎる過剰保護。

 あいつらなりに、俺の残された時間を、少しでも長く、穏やかにしようと必死なのだろう。

 その気持ちは痛いほど分かる。俺だって、あいつらのために命を懸けてきたんだから。


 だが、現実は甘くない。

 俺は再びタバコを取り出し、今度こそ一服しようとライターに手を伸ばした。


 ――チクタク、チクタク。


 脳内で常に響き続けている、胸元に提げた『ガードナーの懐中時計』の秒針の音。

 普段ならBPM180の一定のリズムを刻んでいるその音が、一瞬だけ。

 本当に一瞬だけ、不協和音を奏でた気がした。


 ギィンッ。


 頭の中で、錆びついたワイヤーが弾け飛ぶような鋭い音が鳴る。

 その直後だった。


 ビキッ、ガタガタガタガタッ!!


 俺の右手が、本人の意思とは全く無関係に、痙攣を始めた。

 指先が奇妙な角度に曲がり、手首が痙攣し、腕全体が制御不能のバイブレーターのように激しく震え出す。

 指に挟んでいたタバコが、ポロリと床に落ちた。


「……ッ」


 痛覚はない。

 だが、内側から「神経の束が焼き切れ始めている」という絶望的な事実を、俺の生存本能がはっきりと告げていた。

 肉体の限界。

 炭化していく細胞が、ついに運動神経にまで浸食を開始したのだ。


 震える右手。

 自分の体でありながら、全く別の生き物になってしまったかのような醜い痙攣。

 俺は左手を伸ばし、ガッチリと右の手首を掴み、力づくでその震えをねじ伏せた。


「……急がねぇとな」


 かすれた声が、暗い車内に溶けていく。

 もう、時間は残されていない。

 俺が完全に壊れる前に、こいつらを、一番下(B100F)まで連れて行かなければ。


 荒い呼吸を整え、俺は痙攣を無理やり押さえつけた右手を、ポケットの奥深くへとねじ込んだ。


「ジン! 外の片付け終わりましたよ! ちゃんと座ってましたか?」


 助手席の空間に、マシロがふわりと戻ってくる。

 彼女の心配そうな顔を見た瞬間、俺の顔の筋肉は自動的に「いつもの不敵な笑み」を作り出していた。


「おう。完璧な警備だったぜ。さて、ドライブの続きと行くか」


 優しい嘘で塗り固めた装甲車は、今日も爆音を上げて、底なしの闇へと突き進んでいく。

 エンジン音に、俺の右手の痙攣を隠すように。

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