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ダンジョン遺失物管理センター(B3F) ~最強の回収屋は、今日も「思い出」と「未練」を拾いに行く~  作者: AItak
泥沼の運び屋と、壊れた味覚

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第110話:ツムギの激辛爆弾飯


 カチャ、カチャ、カチャ……。


 その音は、ダンジョンB11F『水晶渓谷』の荒涼とした岩場に響く、なんとも侘しい、魂の抜けたようなリズムだった。

 乾パンと、乾燥した豆の缶詰を、コンビニでもらった安物のプラスチックスプーンでかき混ぜる音。

 それは食事というよりは、明日出荷される家畜への餌やりに近かった。


「チッ、ふざけやがって……! なんだこの湿気ったビスケットは! 俺の料理人としてのソウルが泣いてるぜ! 全米が泣くレベルで俺も泣きたい!」


 中華鍋をフルフェイスヘルメットのように被り、お玉をマイクのように握りしめたワン・チャンが、地面に缶詰を叩きつけた。

 ガァァァァン!!

 無駄にいい音が水晶に反響する。

 彼の充血した目には、禁断症状にも似た渇望が宿っていた。

 料理を作りたい。

 フライパンを振るいたい。

 誰かの胃袋を、美味という名の暴力で蹂躙し、ひれ伏させたい。


「パンチが足りねえんだよ! 水晶だらけで食材がねえ! あるのは硬い石ころと、賞味期限の切れた缶詰だけ! このままじゃ俺たちは栄養失調で死ぬ前に、味覚の退屈さでショック死するぞ! 俺の舌が『ニートになりたい』ってストライキを起こしてやがる!」

「贅沢言うなよワン。カロリーが摂れれば十分だろ。宇宙食だと思えばロマンがある」


 俺、黒鉄ジンは、味のしない乾パンを口に放り込み、砂を噛むような虚無感と共に飲み込んだ。

 喉を通る時の、ザラザラとした不快感だけがリアルだ。

 どうせ何を食っても同じだ。

 タイヤのゴムを食おうが、最高級A5ランクのステーキを食おうが、今の俺には「固形物」というデータでしかない。

 味覚というドライバがアンインストールされた俺の脳内PCは、食事を「給油作業」としてしか認識していない。


「ねえワンちゃん。パンチが足りないなら、これ使ってよ」


 その時、空気の読めない爆破魔・ツムギが、ニヤニヤしながらトラックの荷台から降りてきた。

 彼女の手には、野球のソフトボールほどの大きさの、毒々しい赤色をした球体が握られていた。

 表面には血管のような筋が浮き上がり、ドクン、ドクンと微かに脈打っているようにも見える。

 そして何より、黄色と黒の警告色で彩られたドクロマークのシールが貼ってある。


「……なんだそりゃ。トマトか? ずいぶん凶悪な品種改良を施されたトマトだな」

「ううん。B20Fの武器庫跡で拾った『レッド・ドラゴンの心臓(激辛の実)』だよ。これを濃縮して、カプサイシンを臨界点まで圧縮した、私の手作り『クラスター爆弾』なんだけど」

「待ってくださいツムギさん」


 ピガガッ!

 ドット絵(省エネモード)のネオンが、けたたましい警告音と共に割り込む。

 頭上に『DANGER』の文字が点滅している。


「データベース照合。それは食材ではありません。ジュネーブ条約で禁止されそうな対戦車用の焼夷兵器として登録されています。成分分析……カプサイシン濃度、警察用催涙スプレーの五〇〇〇倍。通称『食べるナパーム弾』です。摂取した場合、消化管が溶鉱炉と化します」

「えー? ちょっと舐めたらピリッとして美味しかったよ? 舌が痺れて三時間くらい喋れなくなったけど、ダイエットにはいいかも」

「それは『美味しい』ではなく『麻痺』です。そしてダイエットではなく『やつれている』だけです」


 ネオンの正論を無視して、ワン・チャンがその赤い球体をひったくった。

 彼の目が、怪しく輝く。

 マッドサイエンティストが、核融合の実験に成功した時のような、倫理観の欠如した目だ。


「兵器? 上等だ! 胃袋を爆破するくらいの刺激がなきゃ、この退屈な渓谷は越えられねえ! 料理とは爆発だ! 芸術だ!」

「ちょ、待てワン! それは流石に……!」


 俺が止める間もなく、ワンは赤い球体を中華鍋に放り込み、最大火力(魔力バーナー)で着火した。


 ドガァァァァァァン!!(調理音)


 瞬間、周囲の空気が赤く染まった。

 比喩ではない。

 揮発した超高濃度のカプサイシンが赤い霧となって拡散し、空間そのものが物理的な「痛み」を持ったのだ。

 視界が歪む。

 蜃気楼のように、岩場が揺らぐ。


「目が! 目がぁぁぁぁ! コンタクトが溶ける! マシロちゃん、結界張って! 早く! 私の瞳の輝きが失われるわ!」


 ピコが顔を押さえてのたうち回る。

 俺も慌ててサングラスの上から目を覆った。

 鼻の粘膜が焼けるような感覚。

 吸い込んだ空気が、無数の針となって肺胞を突き刺す。

 喉がヒリヒリと痛み、咳が止まらない。

 換気扇が回っているのに、まるで火事現場のど真ん中にいるようだ。

 いや、火事の方がまだマシだ。これは化学兵器テロだ。


「カッカッ! 懐かしい匂いだねぇ! 昔、東南アジアの戦場で嗅いだナパームの香りだ! 飯が美味くなるぞ! 白米を持ってきな!」


 ドロシー婆さんだけが、恍惚の表情でその毒ガスを深呼吸している。この婆さんも大概、脳の回路が焼き切れている。


「完成だァァァ! 名付けて『特製・爆縮麻婆丼デッド・オア・アライブ』!!」


 ドンッ!!

 ワンが長机に叩きつけた大皿。

 そこには、煮えたぎるマグマのような粘着質の物体が盛られていた。

 色は、血よりも濃い赤黒さ。

 グツグツと泡立つ表面から、ドクロの形をした湯気が立ち上り、空中で「死」という文字を描いて消えていく。

 豆腐は溶けて原形をとどめておらず、挽肉は炭化し、唐辛子の粉末だけが飽和状態で存在している。

 もはや料理ではない。

 皿に盛られた「呪い」だ。


「……毒物だろ、これ。保健所が来るぞ」

「失敬な! 漢方薬だ! 身体の芯から温まるぞ! さあ食え! 早い者勝ちだ!」


 ワンに促され、まずは「食いしん坊」キャラを演じているネオン(ドット絵)が、恐る恐るスプーンを伸ばした。

 彼女は幽霊データだが、味覚エミュレータを搭載しているため、食事を楽しむことができる。……普段なら。


「……いただきます。有機物の摂取によるエネルギー変換効率を……ガッ」


 パクッ。

 ネオンが一口食べた瞬間。

 時間が凍結した。


 彼女のドット絵の動きが止まる。

 一秒。

 二秒。

 三秒。

 その沈黙は、爆発の前の静けさではなく、システムの完全な崩壊を意味していた。


「……ピ、ピガ……味覚センサー、オーバーフロー。辛味判定……不能。……熱源反応、規定値を突破。……痛覚として処理……あ、あ、エラー……システム、強制シャットダウン。再起動ヲ試ミマス……」


 プツン。

 ネオンのドット絵が消失し、本体のノートPCからプスンと黒い煙が上がった。

 気絶した。

 幽霊データが、あまりの刺激(情報量)に耐えきれず、サーバーごと落ちたのだ。


「ネオンちゃん!? う、嘘でしょ……あたしは負けないわよ! 美肌のためにカプサイシンは必須なんだから! 新陳代謝を高めて毛穴を開くのよ!」


 ピコが果敢に挑む。

 震える手でスプーンを握り、決死の覚悟で一口。


「んんっ!? ……あ、ぐ、ぅぅぅぅ……!!」


 ピコは声を出さなかった。出せなかったのだ。

 白目を剥き、口から泡を吹きながら、無言で地面を転がり始めた。

 バタンッ、バタンッ!

 まるで、殺虫剤を浴びたゴキブリのような動き。

 喉が焼けて声帯が麻痺しているらしい。

 彼女の脳内では今頃、走馬灯として「初めてメイクをした日」の記憶とかが流れているに違いない。尺稼ぎのために描写したいところだが、今はそんな余裕はない。


「あ、これ爆弾よりヤバイかも。私の火薬調合ミスったかな? ニトログリセリン入れすぎた?」


 犯人のツムギですら、涙目になって後ずさりしている。

 地獄絵図だ。

 生物災害バイオハザードレベルの食事風景。

 だが、その中心で、一人だけ動じない男がいた。


「……ジン、ダメです! それは食べ物じゃありません! 自殺行為です!」


 マシロが俺の腕を掴み、必死に止める。

 彼女は知っている。俺の味覚が死んでいることを。

 そして、これが「味」などという次元を超えた、物理的な攻撃であることを理解している。


「大袈裟だな。ワンの料理はいつもこうだろ。……せっかく作ってくれたんだ。残すのは流儀に反する」


 俺はマシロの手を優しく、しかし拒絶の意志を込めてほどき、いつもの仏頂面で言った。

 ここで食わなきゃ、怪しまれる。

 味覚がないことを隠すには、誰よりも平然と食ってみせるしかない。

 それが、俺の浅はかな計算だった。


 俺はスプーンを手に取った。

 赤いマグマを掬い上げる。

 スプーンの金属が、熱で変色しているように見えるのは気のせいか?

 いや、実際に溶けかけているかもしれない。

 俺は、それを口へと運んだ。


 スローモーション。

 マシロの悲鳴も、ワンの期待に満ちた視線も、すべてが遠のく。

 背景が流線となって消え去り、俺と「赤いスプーン」だけが世界に残る。

 俺の口が開く。

 赤い塊が、舌の上に乗る。


 ジュゥッ……。


 口内の水分が一瞬で蒸発する音が、骨伝導で響いた。

 舌の表面の細胞が、数万個単位で死滅していく感覚。

 だが、俺の脳は沈黙を守っていた。


(……うん。温かいな)


 それだけだ。

 ネオンを気絶させ、ピコを発狂させた「致死量の激痛」が、俺の神経回路を素通りしていく。

 本来なら脳髄を焼き尽くすはずの電気信号が、断線したケーブルの先で虚しく消滅している。


 味覚センサー:応答なし(404 Not Found)。

 痛覚センサー:閾値いきち設定エラー(System Halt)。

 熱源探知:微弱反応。


 俺は咀嚼し、飲み込んだ。

 喉を通る時、何かが焼け焦げるような物理的な感覚はあった。

 食道の内壁がただれ、胃袋に到達するまでのルートが、熱を持った鉄球が転がり落ちるように鮮明に分かる。

 だが、「熱い」とも「痛い」とも感じない。

 ただ、異物が胃袋へと落下しただけ。

 感情のない情報処理。


「……うん。悪くない。ピリッとして食欲が湧く」


 俺は平然と言い放ち、二口目を口に運んだ。

 汗一つかいていない。

 表情筋一つ動かさない。

 まるで、機械が燃料を補給するように、淡々と、猛スピードで丼を空にしていく。


 パク、パク、パク……。

 赤い山が消えていく。

 周囲の時間が止まっているかのように、俺だけが高速で動いていた。


 だが、身体は正直だった。

 俺の意思とは無関係に、肉体は悲鳴を上げている。

 首筋の血管がミミズのように浮き上がり、こめかみが痙攣している。

 心拍数は急上昇し、冷や汗が出ようとして、毛穴が詰まったように止まる。

 胃袋の方からは、ギュルルルッ、バキバキッ、という、まるで工事現場で岩盤破砕機を動かしているような異音が漏れ出している。

 内臓が暴動を起こしているのだ。

 「止めろ! これ以上入れたら死ぬぞ! 緊急停止ボタンを押せ!」と。


 しかし、司令塔である脳がそれを認識していない。

 「異常なし」と誤認し続けている。

 防衛本能(嘔吐反射)が働かない。

 壊れた焼却炉に、ダイナマイトを投げ込んでいるような光景。

 爆発寸前のボイラーを、計器が「正常」と表示している恐怖。


「……ごちそうさん」


 最後の一口を飲み込み、俺は手を合わせた。

 完食。

 カチャリ、と空になった皿にスプーンを置く。

 俺の唇は、恐らく倍くらいに腫れ上がり、タラコ唇の化け物みたいになっているはずだ。

 喉の粘膜はただれ、血が滲んでいるかもしれない。

 だというのに、俺はコップの水を一杯、無造作に煽っただけで席を立った。


「……ちょっとトイレに行ってくる。出物腫れ物所嫌わずってな」


 俺はニヤリと笑い(頬がひきつったが、それを笑顔だと思い込んだ)、悠然と岩陰へと消えていった。

 その背中は、ハードボイルドを気取っているが、実際にはただの「感覚麻痺した壊れかけのオッサン」の哀愁が漂っていた。


 残されたのは、空になった皿と、呆然とするワン・チャン。

 そして、顔面蒼白のマシロだけ。


「……嘘だろ。今の……致死量だぞ?」


 ワンが震える声で呟いた。

 中華鍋を持つ手が、カタカタと震えている。

 彼は自分が作った料理の鍋に残ったソースを、指先にほんの一滴だけつけ、舐めた。


「ぐわぁぁぁぁッ!!」


 次の瞬間、彼は絶叫し、地面にのたうち回った。

 たった一滴だ。

 それだけで、舌が引きちぎられ、脳天をハンマーで殴られたような激痛。

 走馬灯が見える。幼い頃、母ちゃんに作ってもらったお粥の味が……いや、そんなセンチメンタルな回想をしている場合じゃない。


 痛い。死ぬほど痛い。

 だというのに、あの男は、これをドンブリ一杯平らげたのか?

 汗もかかずに?

 水一杯で?


「……味が、分かってねえのか? いや、それどころか……」


 ワンは腫れ上がった舌を押さえながら、戦慄した。

 味音痴などというレベルではない。

 生物としての危険信号アラートが、完全に切断されている。

 『痛み』すら感じていない。


 ワンの視線が、マシロと交差する。

 彼女は何も言わなかった。

 ただ、悲しげに目を伏せただけだ。

 それが、答えだった。


 料理人として、客の体調を見抜けないはずがない。

 あれは「我慢強い」のではない。

 「壊れている」のだ。

 ブレーキの壊れた車が、猛スピードで崖に向かって走っているのと同じだ。


 ゴンッ!!

 ワンは拳を握りしめ、中華鍋を力任せに殴りつけた。

 金属音が、水晶渓谷に虚しく響く。


「……クソが。張り合いがねえ客だ。……作り甲斐がねえだろうがよ……!」


 ワンの声は、怒りよりも、深い無力感に震えていた。

 最高の刺激を提供しても、それを受け取る器が壊れていては、何の意味もない。

 料理人としての敗北。

 そして、仲間としての絶望的な予感。


 ***


 岩陰の裏側。

 誰からも見えない場所で、俺は膝をついていた。

 冷たい岩肌に額を押し付ける。


「……ぅ、ぐッ……!」


 胃袋の中で、暴動が起きている。

 熱い。

 いや、熱いという感覚すら鈍い。

 ただ、腹の中に「燃える鉛」が入っているような、不快な重みがあるだけだ。

 内臓が溶けているのかもしれない。

 それでも、痛みはない。

 だからこそ、怖い。

 身体が壊れていく音が聞こえるのに、痛みというブレーキが踏めない。


 俺は懐から、常備している強力な胃薬(業務用・ヤクモ処方)の瓶を取り出し、蓋を噛み開けた。

 ジャラララッ。

 白い錠剤を、手の中に山盛りにする。

 用法用量? 知ったことか。今は消火活動が最優先だ。


 一気に口に放り込み、唾液で流し込む。

 ボリボリと噛み砕く。

 チョークの粉のような味……すらしない。

 粉薬が喉に張り付く不快感だけがある。


「……腹が熱いな。やっぱり少し効きすぎたか」


 俺は誰に聞かせるわけでもなく呟いた。

 額に冷や汗が滲んでいるのが、指先の感覚で分かった。

 だが、鏡がないから分からないが、俺の瞳には、苦悶の色も、後悔の色も浮かんでいないのだろう。

 ただ、暗い水面のような、死んだ魚のような静寂があるだけだ。


 身体が悲鳴を上げても、心はもう、何も感じなくなっているのかもしれない。

 それが、今の俺の強さであり――終わりへのカウントダウンだった。


 遠くで、クリスタル・ガーディアンの咆哮が聞こえた。

 日常が戻ってくる。

 俺はゆっくりと立ち上がり、ズボンの泥を払った。

 さあ、仕事の時間だ。

 味もしない、痛みもしないこの世界で、俺はまだ踊らなきゃならないらしい。

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