プロローグ:ゴミ捨て場の白雪姫
ダンジョン。
そこは、富と名声、そして未知なる冒険が眠る場所。
現代のゴールドラッシュ。英雄たちが夢を追いかけ、輝かしい伝説を紡ぐ希望の大地――。
……なんていうのは、地上の向こうの煌びやかな話だ。
実際の現場ってのは、いつだってカビと鉄錆、それから饐えた汗の臭いで満ちているもんだ。
「……あー、めんどくせ」
俺、黒鉄ジンは、大きくあくびを噛み殺しながら、愛用のロング・デッキブラシを杖代わりにして、その場にしゃがみ込んだ。
現在地、ダンジョン地下三階(B3F)。通称『掃き溜め』。
薄暗い洞窟の広場には、天井の鍾乳石から落ちる水滴の音だけが、ピチャ……ピチャ……と虚しく響いている。
そして俺の目の前にあるのは、金銀財宝の山ではない。
折れた剣。
ひしゃげた盾。
片方だけの鉄靴。
誰かが書き残した遺書。
中身の入っていないポーションの空き瓶。
冒険者たちが使い潰し、不要になって捨てていった――あるいは、持ち主が死んで主を失った――ガラクタの山だ。
「なんで俺が、こんな産業廃棄物の分別をしなきゃなんねーんだよ。今日は燃えるゴミの日じゃなくて、燃えないゴミの日だろ……」
俺はボヤきながら、腰に下げたポーチから激甘の缶コーヒー(マックスコーヒー的なやつ)を取り出し、プルトップを開けた。
カシュッ、という小気味いい音が、静寂な墓場に響く。
糖分を脳にぶち込まないと、やってられない。
俺の仕事は『遺失物管理』。
聞こえはいいが、要するにダンジョンの清掃員だ。
冒険者が落としたアイテムを回収し、管理センターへ持ち帰る。持ち主が現れれば返却し、現れなければ……こうして分別して処分する。
「おーおー、立派な剣だこと。これ、『勇者の剣(量産型)』じゃねぇか。まだローン残ってんだろこれ」
刀身が半ばからへし折れた剣を、ブラシの先端で器用に弾いて「金属ゴミ」の袋へ放り込む。
ガシャリ、と無機質な音がした。
ダンジョンってのは残酷だ。
英雄になれるのは一握り。残りの大多数は、こうして夢の残骸を積み上げて消えていく。
「……ん?」
作業を再開しようとした俺の手が止まる。
薄汚れたゴミ山の奥深く。
錆びた鎧と、カビたパンの間に、異質な『光』が見えた。
ダンジョン・ドロップか?
いや、それにしては輝きが白すぎる。禍々しい魔力光じゃない。もっとこう、透き通るような……。
俺は面倒くさそうに舌打ち(チッ)を一つ落とすと、ゴミの山をかき分けた。
ズズッ、とガラクタが崩れる。
そして、その全貌が露わになった瞬間、俺は思わず持っていたデッキブラシを取り落としそうに――
ならなかった。
「……はぁ」
そこには、女が埋まっていた。
いや、正確には『女の形をしたナニカ』か。
ゴミの山に似つかわしくない、純白のドレス。
雪のように白い肌。
艶やかな黒髪は、泥一つついておらず、重力に逆らうようにフワフワと浮いている。
死体じゃない。
その身体は半透明で、向こう側の岩肌が透けて見えていた。
「おいおい、マジかよ。誰だよ、こんなとこに『未練』たらったらの粗大ゴミ捨てたのは」
幽霊。
この業界じゃ珍しくもないが、ここまでハッキリした輪郭を保っているのは稀だ。
しかも、顔がいい。
閉じた瞼と長い睫毛。黙っていれば深窓の令嬢か、物語に出てくる白雪姫かといったところだが……残念。ここは王子様のキスが待っている城じゃなく、俺みたいなオッサンが徘徊するゴミ捨て場だ。
「……これ、回収日が違うんだよなぁ」
俺はポリポリと頭を掻いた。
見なかったことにするか?
いや、このレベルの霊体を放置すれば、数日で周囲の魔素を吸って『怪異』――つまり、手がつけられない化物に変わる。
そうなれば、後始末をするのは結局、掃除屋である俺だ。
「あー、めんどくせ。残業確定じゃねぇか」
俺は拾ったデッキブラシの柄で、その幽霊の頬をツンツンとつついた。
物理干渉できるかどうかの確認だ。
「おい。起きろ。邪魔だ」
ツンツン。
反応がない。
「死んでるのか? あ、死んでるんだったな。おい、朝だぞ。カラスがゴミ漁りに来る時間だぞ」
ツン、と強めにつついた瞬間。
バチッ!
静電気のような火花が散り、その『白雪姫』の瞼が、ゆっくりと持ち上がった。
露わになったのは、全てを見透かすような、深いアメジスト色の瞳。
「…………」
彼女はゆっくりと身を起こす。
ゴミの山の上で、ふわりと宙に浮きながら、周囲を見渡した。
そして、視線を俺の顔で止める。
「……ここは?」
鈴を転がすような、涼やかな声だった。
俺は缶コーヒーの残りを飲み干し、空き缶を握りつぶしながら答える。
「職場放棄された夢の墓場。……お前、名前は?」
彼女は小首を傾げた。
長い黒髪が、水中のように揺らめく。
「……分からない」
「は?」
「名前も、自分が誰なのかも……何も思い出せないの。ただ、すごく……悲しいような、悔しいような気がして……」
彼女は自分の半透明な掌を見つめ、眉間にシワを寄せた。
「チッ。記憶喪失かよ。一番タチが悪いパターン引いたな」
俺は露骨に嫌な顔をした。
名前も分からない遺失物は、書類作成の手間が三倍になる。
「ま、いいや。とりあえずそこの通路からどいてくれ。掃除の邪魔だ」
「……え?」
「聞こえなかったか? お前は今、分類上『所有者不明の廃棄物』なんだよ。そこにいられると作業が進まねぇんだ」
俺がシッシッ、と野良猫を追い払うようなジェスチャーをした、その時だ。
ピキッ。
彼女のこめかみに、青筋が浮かんだような気がした。
「……廃棄物?」
ドォォォォォン!!
突如、彼女の周囲から爆風のようなプレッシャーが吹き荒れた。
積み上げられていたガラクタの山が、見えない力――ポルターガイスト現象によって空中に舞い上がる。
「レディに向かってゴミ扱いは何よ! 私にも人権……霊権はあるのよ! この無精ヒゲ!」
ヒュンッ!
彼女の叫びと共に、空き缶が弾丸のような速度で俺の顔面めがけて飛来した。
――速い。
一般の冒険者なら、眉間を撃ち抜かれて即死するレベルだ。
だが。
「……危ねぇな」
俺はあくびの続きをしながら、首をわずかに右へ傾けた。
空き缶は俺の頬を掠め、背後の岩壁に突き刺さった。メリッ、と岩が砕ける音がする。
「は?」
幽霊の目が点になった。
「あー……元気そうで何よりだ」
俺は驚く彼女を無視して、デッキブラシを肩に担ぎ直した。
こいつは『怪異』になる一歩手前だ。強い未練と、強大な魔力を持っている。
ここで祓うか?
いや、俺の仕事は『回収』だ。それに、今の攻撃には明確な殺意がなかった。ただの癇癪だ。
「……ついてこい」
俺は背中を向けて歩き出した。
「は? ちょっと、どこ行くのよ! 私を置いてく気!?」
「置いてったら『地縛霊』になるだけだろ。ウチに来い」
俺は肩越しに振り返り、ニヤリと笑った――つもりだが、多分ひきつった営業スマイルになっていただろう。
「ウチは『ダンジョン遺失物管理センター』。持ち主が見つかるまで、棚の隅っこに置いといてやるよ」
「……管理、センター?」
「ああ。安心しろ、冷暖房完備(すきま風あり)、三食昼寝付き(幽霊は食わないが)だ」
幽霊の少女は、しばらく呆気にとられた顔をしていたが、やがてフイッと顔を背けた。
「……フン。ゴミ捨て場で野宿するよりはマシね。案内しなさいよ、清掃員」
「はいはい。……ったく、生意気な拾いモンだ」
俺は歩き出す。
背後から、フワフワと浮遊しながらついてくる気配を感じる。
真っ白で、空っぽな幽霊。
名前がないと呼ぶのに不便だな。
「……『マシロ』」
「え?」
「お前の名前だ。白くて記憶がない(真っ白)から、マシロ。文句あるか?」
「……安直。センスのかけらもないわね」
そう悪態をつきながらも、彼女――マシロの声は、少しだけ嬉しそうに聞こえた。
こうして。
俺と、この生意気な幽霊との、奇妙な共同生活(と、世界の命運をかけた厄介ごとの数々)が幕を開けたのだった。
あーあ。
やっぱりあの時、燃えるゴミに出しときゃよかった。




