第四話 姫君の朝 3
「はぁ…やっぱり、自分でお料理出来る様になりたいな…」
リリシュナは窓の外を見ながらぼんやりと言う。そこからは澄渡った大空が木々の間に見えた。
初めて知ったリウの夢を壊さないべく、台所建設の案は諦めたが、料理は作れるようになりたいと思うリリシュナだった。
(そうすれば、リウにお手製の料理を食べさせてあげられるのにな…)
「シュナはお姫様ですから、料理は出来なくてもいいと思いますよ?」
「リウ、私はね、お姫様である前に一人の女の子なんだよ?女の子なら普通、料理くらい出来て当然でしょう?
男の子のリウだって料理出来るのに…私、女の子失格?」
「そんなことありません、女性でも料理が出来ない人なんて普通に居るものですよ。」
リウは自信たっぷりな口調で言う。
そのせいか、またもやリリシュナはすんなりと流された。
「…そう?」
「はい、ですから落ち込まないで下さい」
満面の笑顔で答えるリウ。
はっきり言って、あんまりフォローになっていない言葉だったが、ぼけっとしたリリシュナは、何も感じることなくコクンと頷いた。
そして、今更ながら気づいたことがひとつ。
リウの将来の夢のこともそうだが、リリシュナは彼の素性についてあまり詳しく認識していない。
――良く考えて見れば、彼が城で働き始める前の事などひとつも知らないし、今までこの手の話はしたことがなかった。
(なんで、今までまったく気づかなかったのかしら…これでは堂々と友達を名乗る資格もないわ…)
そう思い、リウの幼い頃の話でも聞かせてもらおうかと考えた。
「シュナ…?急に黙り込んでしまってどうしたのですか…?」
リウの言葉を聞いた瞬間、リリシュナは脳裏に一つの疑問が浮かんだ。
「あの、リウって初めて会った時から、私に限らず誰にでも敬語を使って喋っているけど、子供の頃からそうなの?」
「? いえ、違いますけど…。何故、突然その様なことを?」
前の話題と何の関係もないと思われる事を聞かれて、リウは首を傾げた。
「あっ…ちょっとね、気になっただけで…」
リリシュナの心境が分かる筈もなく、リウはただ、「何だ、そう言うことですか」と納得した。
こちらも、リリシュナに負けないほど、感情沙汰に疎い性格をしていた。
「僕が子供の頃は環境のせいも有り、もっと砕けたしゃべり方でしたよ。
敬語とはまったくの無縁で、一人称も‘僕’ではなく、‘俺’でしたから」
「え、本当?すごく意外だわ」
思いも寄らなかった告白に、リリシュナは驚いた。
よほどな事がない限り取り乱したりはしない、物腰柔らかなリウしか知っていないので、言葉使いが荒い彼などまったく想像がつかない。
外見も整っている為、それなりに上質な衣類を身に纏ってしまうと、どこかの貴族の子息に間違えられそうなリウだ。
「本当ですよ、十歳までですが…。その後は少しきっかけが有りまして、礼儀作法に詳しい友人に一通りのマナーと読み書きを教えてもらったのです」
「リウの側にはそんな人が居たんだ…」
普通は‘きっかけ’ が気になる所だが、リリシュナはそっちの方が気になった様だ。
「ええ。僕よりひとつだけ年上なんですけど、身分が高い人に従えていた事が有るらしくて」
「ひとつだけ年上…ということはその子は当時十一歳?賢い子なのね・・・」
「はい、ですが…学ぶ過程はものすごいスパルタで…。教え込まれた、と言うよりは叩き込まれました。
――それはもう…思い出すだけでも恐ろしいほどに…」
リウは「ハハハ…」とから笑いをしているが、よく見ると、カタカタと小刻みに震えていた。
「そ…そんなに、厳しいの?」
リリシュナは信じられないわと思いながら、恐る恐る聞いてみる。
「始めて間もない頃、うっかり口調が元に戻ってしまうと、四方からナイフが飛んできました」
「そ…それは確かに、怖いわね…」
リウの過酷な遭遇を脳に思い浮かべて、リリシュナもぶるりと震えた。
一瞬、リウはどうやってそれを回避したのかと思ったが、怖いので聞かない事にした。
「いったん了承すると、最後まできちっとやりこなすと言う感じな人なので…」
「すごいわ……まさに文武両道な人ね」
(リウは、今年で十七歳だから…その子はもう十八歳かしら?)
リリシュナは頭の中にその人の姿を思い描いてみた。
―時には優雅な姿勢で主人の身の周りを世話する侍女で、また時には剣を片手に凛々しく戦う女戦士…
その目には尊敬の眼差しを浮かべていた。
(えっ?そう言う事になるんですか…?)
リウはそう思ったが、とりあえず気にしない事にした。
「それは勿体なきお言葉です。でも実の所は、ただの腹黒い人ですから」
(はらぐろい?)
あまり聞き馴れない単語を耳にして、どう言う意味だろうかと少し首を傾げたが、またもや気にすることなしに聞き流した。
「でも…少し、会ってみたい気もするわ。リウの恩師であり、お友達だもの」
リリシュナの言葉にリウはギョッとした。
(あ…あのような物騒で、頭の中で何を考えているのやら分からない人などに会ってみたいなんて!小羊が自分から、狼に寄っていくと同じじゃないですか!)
これはまずい、と思いそれ以上リリシュナの興味を引かせない為に、リウはとっさに思い出した事を話題に切り出した。
「あっ、そう言えばですね、昨日町に出た時にこの前、頼まれていた物を買ってきました」
言いながら、リウが懐から取り出したのは一冊の本。表紙はあさがおの花の様な紫色をしていて、金の文字で《森の館の愉快な仲間達~其六~》と書いてあった。そして、タイトルの下には細かい文字で作者、リリアン・ルイムと記されていた。
「あっ、覚えていてくれたんだ。ありがとう、昨日ちょうど、前の本を読み終わったところだったの」
そう言いながら、本を受け取った。とっても嬉しそうだ。
本を胸に抱えて、リリシュナは部屋の角に置いてある古い本棚に歩み寄る。
四段ある本棚の中には、厚さが異なる本が敷き詰められていて、横幅の狭い本棚はすでにぎゅうぎゅう詰めだ。
下の段は、表紙の色と大きさもばらばらないたって普通な本だが、一番上と二番目の段は、全て紫色。それぞれ色の濃さが少しずつ違っていて、薄い方から濃い方へと順に並べられている。その本の作者は全てリリアン・ルイムと書いてあった。
「随分前からそのシリーズを読んでらっしゃる様ですけど…そんなに面白いのですか?」
リウが知る限り、この本の作者はそんなに有名ではない筈だ。
作者名はどうせ偽名だから、性別が女だとは限らないし、何故か年齢と本名も臥せてあるので、謎の多い人物だ。
なのにリリシュナはこの人の大ファンで、出版された本は全部持っていて、今でも新しく出版された本は片っ端から買い締めている。勿論自分のお金でだ。
「うん、本当に面白いわよ。今回のシリーズは、森にひっそりと暮らす人達のお話でね、可愛い妖精さんとかも出てきてとっても愉快なの」
本の表紙に描かれた小さな女の子の妖精を指さして言った。
「あれ?でもどうして全部表紙の色が紫なのかな?」
本棚に向かって、リリシュナは今更浮かんだ疑問に首を傾げた。
「さぁ、多分自分の髪の色とかに合わせているのでしょう…」
「そうか…。私は色んな人が書いた本を読んできたけど、この人が書いたお話が一番のお気に入りなの」
(あんな人の書いた物が、シュナのお気に入りになるんなんて…)
リウは悔しいと心の中で思ったが、顔にも出てたらしくリリシュナは声をかけてきた。
「リウ、どうかしたの?何だか複雑な表情をしているわ…」
「い…いえ、何でもありません。この人の名前が苦手な人の名前と少々似ていたので重ねてしまって…」
「リウにも苦手な人っているんだ…」
「幼い頃のトラウマと言うやつですよ」
リウはただ苦笑いをして誤魔化した。
(リウにトラウマとかあるんだ…)
そのリウにトラウマをあたえた人物と、彼に礼儀作法を教えた子と、リリシュナが愛読する本の作者が同一人物だとは全然思いつかないリリシュナだった。
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本棚に向い、どこかに本を入れるスペースは余ってないか探した。でも見つかったのは小さな隙間だけ。
(ここに入るかな…)
躊躇してると、隣からリウの手が伸ばされてきた。
「良ろしければ、僕が手伝いましょうか?」
何時の間にやら、すぐ後ろまで歩み寄ってきたリウを見て、リリシュナはドキッとした。リウはリリシュナより頭一つ分程背が高くて、後ろに立たれると包み込まれている様でどうも落ち着かない。
「う、うん…」
リリシュナが頷いたのを見るとリウは、両手でよいしょっと本を横に詰めた。そして、リリシュナは素早く手に持っている本を開いた場所に押し込む。リウが手を放すと本はピッタリと本棚に収まった。
「あ、ありがとう…リウ」
リリシュナが赤面状態で礼を言うと、リウはどういたしまして、と言うような笑顔を向けてきた。はたまた心臓が跳ね上がった。これでは当分治りそうにない…
そしてリウがその場を離れようとした時、本棚辺りの木製の床がキシキシッと音を立てた。
「「え…」」
二人が同時に声を上げると、突然何かが崩れる音がした。
いち早く異変に反応したリウは、とっさに守るべき姫に駆けつけ、リリシュナを軽々と抱え上げ、跳ね退いた。
部屋の中に埃が派手に立ち篭もり、何が起こったのか把握できない。すると、頭上からリウの心配そうな声が聞こえた。
「大丈夫ですか?シュナ」
周囲の埃にむせて何回か咳込んだが、すぐに治まった。
「ゴホッ。う…うん…大丈夫。でも、何があったの?」
リリシュナはまだ状況が掴めていないようだ。
「どうやら、本棚の下の床が重みに堪えらなくて、抜け落ちてしまった様です。この頃大雨が続いて、板が腐ってしまったのでしょう・・・」
リリシュナをゆっくりと下ろすと、リウは本棚のあった場所を指さして言った。確かに、そこの床に穴が開いて本棚がめり込んでいた。 仕切りが外れて、本があちらこちらに散乱している。
「あぁ…私の本が…」
リリシュナは自分の部屋の床よりも、本の無様な姿に心を痛めた。
リウは、本棚に歩き寄ろうとしたリリシュナの手を掴んで、慌てて止める。
「シュナ、あまり近付かないほうがいいですよ。あそこは床が丈夫ではありません」
「でも、片付けなきゃ…」
「ここに居ると危ない、あれは僕が片付けておきますから」
その時、ボーンボーンと時計の鳴る音がした。
リウはふと壁に掛けてある古い時計を見ると、リリシュナに言った。
「もうこんな時間じゃないですか、早く出掛けたほうが良いのでは…?」
リウに言われて、リリシュナもつられて時計を見ると、針は朝の九時を指していて、確かにもうそんな時間だ。だが、リウだけを置いていくのは良くないと思った。
「で…でも、リウもお仕事とかあるんじゃないの…?」
「今日の仕事は昼からなので大丈夫です。この床も修理しませんとね…
これぐらいの修復作業、僕の手に掛かれば、あっと言う間ですよ!ですからお気になさらず行ってきて下さい」
リウの表情を見ると、もはや譲る気はないのだと悟り、リリシュナは諦めた。
彼は何時もリリシュナの安否が事に関わると、聴く耳を持たない。
「そうなの…、じゃあリウに悪いけど…お願いするわ…」
「はい、僕に任せて下さい。これが終われば、後で僕もそちらに行きますから。それより、本当にもうお時間が…」
「あっ…そうだわ、いけない。じゃあ、行ってくるわ。くれぐれも無理はしないでね」
「はい。仰せのままに…」
リウの言葉に安心すると、リリシュナはドアの横に置いていたホウキを掴んで外に出ていった。
そしてリウは一人、黙々と作業を始めた。