第三話 姫君の朝 2
「あの、ひめ…じゃなくて、シュナ、これは…?」
目の前の物を指差して、リウはオズオズとリリシュナに聞いた。
「リウが作ったオムレツ。見れば分かるでしょ?」
少し戸惑っているリウを見て、リリシュナは何を言い出すの、と言わんばかりの目線で聞き返す。
「いえ。聞いているのはその様な事ではなくて、何故僕の目の前に差し出されているのかな…と思いまして」
リウが戸惑うことにも無理はなかった。
リリシュナがやっと席に着いて食事をしているな…と思いきや、フォークに突き刺したオムレツを差し出されたのだ。
「もしかして、毒見しろと…?」
リウの疑う様な口調に、リリシュナは頬をぷくっと膨らませた。
「もうっ!そんな分けがないでしょう?」半場、呆れたように言う。
「これは貴重な卵だから、リウに日ごろの感謝の気持ちをこめておすそ分けしようと思ったの…」
リリシュナの言葉に、リウはジーンと感動した。
だが、その後に紡がれた言葉は感謝の気持ちと断りの言葉。
「ありがとうございます、シュナ。ですが、これはあなたのお食事です。僕のような使用人が口にしていいものでは有りません。それに、朝食ならここに向かう前に済ませましたので、どうぞお気を遣わずに」
リウは気持ちだけ受けとっておきます、と言いながら丁寧に断る……が、リリシュナは引かなかった。
「食べたと言っても、パン一切れだけでしょう?」
彼女は知っていた、リウがいつも食事をきちんと取っていないこと。
毎日早く起きて、リリシュナの食事を準備し、更には与えられた仕事もこなさなければならないので、時間を惜しんでつい適当に済ませてしまうのだ。
「まだ育ち盛りなんだから、リウはもっと食べなきゃ!」
「何だか、思いっきり子供扱いされているような気がするのですが…気のせいでしょうか―」
ショボンと言うリウにはかまわず、リリシュナは続けた。
「それと、何度も言うけど、リウは使用人以前に私の友達なの。友達を側に立たせて自分はお食事なんて出来ないわ。
だから、変な遠了はしないの。リウがお腹空かせて倒れちゃったら、私も困るわ…」
彼女の言葉に、リウは感激した。
「シュナ…なんて心の優しいお方!こんな僕を友達だと仰ってくれるなんて。一生あなたにお使えします!」
涙目で勢い良く言うと、彼は膝を折って、頭を下げた。
「リ…リウッ、頭を上げて。友達同士はそんなことしないわ!」
リリシュナはリウの行動に少し驚き、あわてて椅子から立ち上がり、彼を起こした。
もう何年もの間、お姫様として生活していないリリシュナにとって、他人に跪かれるのは非常に重いものと感じられるのだ。
リリシュナに促されてしぶしぶリウは立ち上がった。
「もう、相変わらず大げさなんだから…」
思わず溜息をついて考えた。
(ふぅ…何でオムレツからこんな展開になったのかしら…?)
思い返してみると、前にもこんな事があったような気がする…――
リウに出会ったのは今から四年前、リリシュナが一人生活を始める前のこと。
まだ十三歳のリウは、王宮の長い廊下の掃除中、うっかり花瓶を割ってしまったのだ。
厳しい管理長に知られると、必要以上の罰を与えられてしまう。オロオロしているリウにリリシュナは迷わず手を差し伸べて、厳罰から救った。
元から他の使用人の嫌がらせだったので、直ぐに犯人を突き止め、事は丸く収まった。
そしてその後、リリシュナがお姫様だと知った瞬間、リウは今のように地面に跪いて、どこから学んだのか完璧な騎士流の忠誠を誓った。
でも結局、リウは正式な騎士ではないので、誓いは成り立たなかったのだが、リリシュナはちゃんとリウの忠誠心が本物だと分かっている。
それは、リウがリリシュナに向けた真剣な眼差しがそう語っていたからだ。
そして、リリシュナが城を出る時、リウも附いて行こうとしたが止められる。
理由はいたって簡単、一人暮らしを始めるうら若き乙女の側に男が居ると何かと不便だからだ。
そう言うことなので、リウは今まで通り城に住み、朝昼晩の時だけ食事を届けに来るという事になって、今に至る。
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オムレツを巡った口論は最終的にリリシュナが勝ち、リウが一歩譲って、言葉に従うことになった。
「では、お言葉に甘えていただきます」
そう言ってリウはオムレツを口に入れた。
オムレツは出来てから少し時間が経っている為、冷めていたが、中身はとろっとしていて良い食感だった。
「我ながら、なかなかの出来ばえです」
満足げに笑う彼は、だれが見ても微笑ましいものだった。
向かいの椅子に座ったリリシュナも食事を口に運び、味を堪能していた。
城の料理長から教わったリウの料理の腕前はプロ級で、ほかの貴族からもぜひ我が家の厨房師にと、直々にスカウトが来るほどだ。
だが、リリシュナ用に準備された食材はどれも水ぼらしいもので、リウがいくら頑張っても、それを豪華な一品にするには難しかった。
卵を得るために庭で飼っている鶏も、リリシュナによりおいしいもの食べさせてあげたくて、リウが自腹で町から買ってきたのだった。
「もう少し良い食材があれば、もっとおいしいものを作って差し上げられるのに……本当に王妃様は酷いですよ、城で暮らすべきシュナをこの様な場所に住ませて、着るものも食べるものも庶民以下ではないですか」
リウが少し声を荒げて言うと、リリシュナは穏やかな口調で止めた。
「リウが怒りたいのも分かるけど、エヴィル様の悪口を言ってはだめよ。誰かに聞かれたら咎められるわ…」
それに、とリリシュナは言葉を続ける。
「城を出たいと申し出たのは紛れも無い私自身なの、エヴィル様は悪くないわ…
日用品も、豪華なものじゃなくていいって頼んだの。
願いを聞き入れてくださったことだけでも感謝しなきゃ…」
「はい…」
まだ納得がいかなかった様だが、リウは素直に頷いた。
リリシュナが城を出ようとした理由は母の死にあった。
唐突なリルセラ王妃の死は、リリシュナに相当なショックを与えていた。
それからの二年間、リリシュナは事実を受け入れたつもりで、ただボーッと暮らしていた。
自室の中に篭もりっぱなしの日々が続き、ふと思い出したのが幼い頃、一回だけ家族三人揃ってお忍びで町に出た時のこと。
初めてお城から出られたあの日の喜びは、今でも忘れられない。
庶民の衣服を身に包み、護衛もつけずに歩いた町はとても賑やかだった。見えるもの全てが新鮮で、当時まだ六歳のリリシュナは胸を弾ませていたことをまだよく覚えている。
もう一度その日の気持ちを味わいたくて、リリシュナは無理を承知で王に頼み込んだ。町で住みたい、と…
当たり前のように、その頼みは却下されたのだが、王妃の提案で、代わりに城の裏に位置する林に住むことになったのだ。
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食事が終わって、リリシュナは牛乳を飲んでいた。するとコップの中を覗いて「あらっ?」と首を傾げた。
食器を片付けていたリウは直ぐに手を止めて、どうしたのかと声を掛けてきた。
「お飲み物に何か問題でも?」
「コップの中に葉っぱが入っているわ…」
リウもコップを覗いてみると、確かに小さな黄色い葉っぱが一枚浮かんでいるのが見えた。
「これはもしかしてクルシェの葉っぱ…?」
リリシュナは葉の形を見て、そう呟いた。
クルシェの葉とは、グラディス王国の料理によく使われる、調味用の葉だ。
星の形をしたその葉は、食欲をそそる爽やかな香りがして、飾りつけにもよく使われている。
「これは、新しい牛乳の頂き方?」
「そんな分けないでしょう…」
目を輝かせながら言うリリシュナに対して、リウは呆れたように言った。
「おそらく、僕がこちらに歩いて来る途中、偶然入ってしまったのでしょう…。裏庭も通りましたから」
クルシェの木は食事用にと、城の裏庭にも何本かが植えられているのだ。
「今は秋ですので、落ち葉が後を絶ちません」
「そう言えば、何日か前は紅葉が入っていたわね…」
二日ほど前にも、食事を乗せたトレイの上に赤く染まった葉が落ちていた事を思い出した。
「気をつけてはいるのですが…すみません、僕の不注意でした…」
「ううん、謝る事じゃないわ。それに、明日から、どんな葉っぱが落ちているか楽しみになるわ」
「そうですか…それなら、良かったです」
下に落としていた視線を戻すと、リリシュナが手の平にパンくずを乗せ、ランニアに餌やりをしているのが見えた。
「いつもご苦労様、いっぱい食べてね、ランニア。
あっ、リウも座って、長い道のりを歩いて来たのだし、まだ次の仕事まで時間はあるでしょう?」
「はい、ありがとうございます」
振り返ったリリシュナに、ついでのように言われて、少しばかり気を落とすリウだったが、まだ暫らくここに居られることに喜んで、椅子に腰掛けた。
そして、数分間沈黙が続いたが、先に口を出したのはリリシュナだった。
「ねえ…リウってやっぱり疲れとか溜まったりする?
毎朝早く起きて、夜遅くまでお仕事している分けだし……」
リウは毎朝、日の出と共に目覚めて、働き始める。
その前に、リリシュナの朝食も用意して、家まで三十分も林の中を歩いて来るのだ。それを毎日、往復を三回も。それはかなりハードな事ではないかと思えた。
食事を取る時間も一定ではないし、リリシュナはリウの体調が気になっていた。
「いいえ、特には…。まだ若いですし、これぐらい何てこと有りません、大丈夫ですよ!」
そう言われても、やはりリウの苦労を減らしてやりたくて、何か策は無いのかと考える…。
そして、ある適切な案を思いついて、ポンッと手を叩いた。
「そうだわ、王妃様に頼んでこの家の外に台所を建ててもらうのはどう?」
「何に使うのですか?」
「もちろん私が料理を作る為に建てるの。そうすれば、リウの手間が省けるし、私も料理が出来るようになる。一石二鳥だわ!」
良いアイディアを思いついた!と喜んでいるリリシュナはさて置き、
リウはそうなった時、起きる可能性がある事に気づいた。
(シュナと会える貴重な時間が無くなってしまう!)
失礼を承知で、慌てて反対した。
「は、反対です!」
リリシュナは、思いもよらなかったリウの反対意見に多少驚いた。
「え、なんで?リウはもう毎日わざわざここに来なくても良くなって、朝はゆっくりできるわよ?」
「それが僕にとって不都合なのです」
きっぱりと言うリウの態度で、ますます意味が分からなくなった。
リウはリリシュナと居るこの時間をとても大切に思っていたのだ。
食事の時だけ、と限られているが、それはかけがえの無い時間…。
それさえ叶わなくなる、慌てることに無理は無い。
全てはリリシュナに抱く思いによるもの、だが彼女が知っている筈もない。
リウはこのようなこと、口が裂けても言えないからだ。
さすがに、なんと答えれば良いか困った。そして、とっさに思い付いた事を口にする。
「あっ、あれですよ、追いかけている夢の為。」
「夢…?」
突然出てきた単語の意味についていけなくて、もう一度つぶやいた。
「あぁ、将来の夢のことね…」
「はい。僕、実は料理師になることを目指していまして…」
正直言って、この理由でうまく誤魔化せるとは思っていなかった。
だがリリシュナはリウの言葉を信じ切っていた。
彼女は申し訳なさそうに言う。
「そうだったの、それで料理の練習がしたいのね…。リウの夢を断ち切るような行動に出てごめんなさい。じゃあ、これからもお食事の用意お願いね。がんばって! 応援しているわ」
「は、はい!お任せください」
微笑んだリリシュナを見られて上機嫌になるリウだったが、一筋の不安も浮かび上がった。
(しかし…こんなに容易く人の言葉を信じてしまうなんて…。危なっかしいです―…)
あっさり信じてくれたシュナの未来が多少心配になったが、そこまで自分は信用されているんだ、と喜んだ。
そして同時に、騙した罪悪感にも駆られるリウだった。
何故だか朝だけでこんなに長くなってしまいました。
ほかのナイトに出会う日はもうちょっと先です。