第二話 姫君の朝
早朝、
ちょうど、暗闇に包まれていた空が色つき始めた頃、グラディス城から一羽の鳥が放たれた。
その鳥はツバメくらいの大きさで羽は明るい青色といった、グラディス王国の森に多く栖息するランニアと言う種類の鳥だ。
よく目にはするものの、あまり人に懐かない性格なので、その鳥に触れられることは滅多に無いのだが、城にはその鳥を飼っている人がいた。
放たれた後、鳥は真っ直ぐ城の裏まで飛んで行った。
グラディス城の裏には小さな林があり、青い鳥はある場所を目掛けて迷わず木々の間を飛び抜けていく。
そして、辿り着いたのは林の奥に建てられた一軒の一階建ての小さな木造の家。
鳥は優雅にその家の窓に舞い降りて、窓ガラスをコンコンと口ばしで叩いた。
しばらくすると、家の中から人が近づいて来る気配がして、「カチャリ」と窓がゆっくりと開け放たれた。
鳥は開けられた窓にぶつからないように器用に跳ね除けて、再び窓の枠にとまった。
窓から顔を出したのは黒い瞳に、腰まで伸ばしたサラサラな黒髪を持つ少女だった。
少女は小鳥の姿を見るとフワッと微笑んで、澄んだ声で朝の挨拶をした。
「おはよう、ランニア。今日はいい天気ね」
小鳥も返事をするように、少女に向かって「ピィ」と鳴いた。
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グラディス城の裏に位置する林の奥深く、そんな所に小さな一軒家は建っていた。
城からはだいぶ離れている為、あまり人も来ないし気に留める人もいやしない。
城の禍々しいフインキとは裏腹に、ここだけは空気が澄んでいた。
だが疑問がひとつ。
何故このような場所に家が立っているのか……だ。
本来ならばこの林もグラディス城の敷地に含まれているのだ。城の敷地内に平民が家を建てるなど有り得ないこと。
その様な愚民がいれば、まず問答無用で処刑されているだろう。
城の敷地内をお構いなしに使って良いのは王族のみ。
そう、この木造の一軒家に住まう者はグラディス王国の姫君、リリシュナだった。
彼女は十二歳になった頃からそこに移り住んで、もう四年という年月が経っていた。
そして、はたまた浮かび上がる疑問は、何故一国の王女たる者が好んで林の奥に一人で住んでいるのか。
一般人に知られるといい笑い事だ。
だが幸いにも、事情を知っている少数の大臣とたびたび顔を合わせる使用人以外は、そこに姫様が住んでいることなど知っていないので、変に思われることは無かった。
リリシュナ姫は生まれてから此の方、公の場所にあまり顔を出していなかったため、世間で姫の容姿と名前を知っている者は数少ない。
そんな姫が民間で噂されていることが、母君を幼くして亡くされて、傷心のあまり病にかかって城から一歩も出ずに療養中との事、だが実のところはまったく違っていた。
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毎朝小鳥の訪問によって目覚めることは、王女リリシュナのひとつの習慣となっていた。
目覚めたばかりのリリシュナは窓から顔を出し空を見上げ、大きく息を吸った。
「晴れてよかったわ。今日はね?特別な日なの」
小さくウィンクして小鳥に話しかけるが、小鳥のランニアは何故今日が特別な日か分からないとばかりに首を横にかしげた。
いつものかわいい訪問者と挨拶を交わした後、リリシュナは寝台の横に置いてある盆に入った水で顔を洗い、衣装棚に向かった。
扉を開けると中にはシンプルなドレスが何着かあるだけ。どれも淡い色合いの生地で作られているがその布質はというと、王族の衣装に使われる上質な絹ではなく、一般市民が着るような綿質だった。
「今日は暖かいから半袖でいいかな。ねぇ、ランニアどっちがいいと思う?」
そう言って棚から二着のドレスを引っ張り出してランニアに聞いた。
右手のほうのドレスは薄いピンク色で、左手のほうは晴れた空のような色をしたブルーのドレス。両方ともデザインはどこか似通っていて、レースやフリルがあまり使われて無い、動きやすさを重視したつくりだ。
ランニアは迷わずブルーのドレスのほうに飛んで来た。
「ランニアとお揃いのブルーね。じゃあ、あなたの言うとおりに」
リリシュナはそう言ってピンクのドレスを棚にしまいこんで、ランニアに選んでもらったドレスに着替えた。
ドレッサーの前に座って少し絡まった黒髪を梳かしていると、ランニアがどこからか青いリボンを見つけ持ってきた。
丁度ドレスに似合う色だ。
「あら、ありがとう、ランニア。気が利くわね」
笑顔でリボンを受け取って、頭の上で蝶結びにした。
これで朝の身支度は終わりだ。リリシュナは再びベッドに腰掛けた。
部屋を見回すといつもの風景。一目でその全てが目に収まるくらいの広さの部屋の中には、木で出来た必要最低限の家具だけしかない。
リリシュナが住んでいる場所は一軒家といえば聞こえがいいが、実際は一人部屋と言ったほうが相応しいだろう。屋根は今にも崩れ落ちてきそうなほどにボロボロで、床も所々腐っていた。新築の頃は今よりも頑丈だったのだが、手入れされてない為このような状態となってしまった。
彼女はもう、かれこれ四年間もここに住んでいて、今日はその四周年記念日なのだった。
「もう四年が経ったんだ……時間が過ぎるのって早いわね」
リリシュナがなにやらボーとしているとランニアが目の前に飛んで来た。指を差し出すと、ちょこんと指先にとまる。
するとリリシュナは何やら思い出したように言った。
「そう言えば、あなたのご主人様まだこないわね。どうしたのかしら」
このかわいいランニアという種類の小鳥にそのまんま、ランニアと言う名前を付けた、ネーミングセンスに欠けるご主人様は。
ランニアと共に首を傾げた時、部屋の唯一のドアがコンコンと敲かれた。
「姫様、ご起床なされましたか?」
部屋のドアから響いたのは若い男の声だった。
「噂をすれば……ね。――ええ、入っていいわよ、リウ」
ランニアに笑いかけて、立ち上がると直ぐに返事をした。
「では、失礼します」
ガチャとドアが開かれたと同時に現れたのは、手にトレイを持った、リリシュナとあまり年の変わらない少年だった。
この国では珍しくない、夜の海を連想させる深い藍色のサラサラな髪と瞳に、城の使用人の制服をきちっと着こなした姿はとても凛々しい。さらに、彼はとても整った容姿をしていて、女性なら誰もが見とれてしまいそうな程だ。
彼はリリシュナの姿を確認すると満面の笑顔で朝の挨拶をした。
「おはようございます、姫様」
「おはよう、リウ。今日はちょっと遅かったわね。---どうしたの?」
いつもきちっと時間通りに現れる彼が珍しく遅れたので、心配して聞いたのだが、彼は意外にも軽やかな口調で返事をした。
「実はですね、裏庭で飼っていた鶏がやっと卵を産んでくれたんです」
「卵……?」
リリシュナは今一理解できなくて、聞き返した。
リウは朝食の乗ったトレイを机に置きながら言う。
「はい。ですから僕張り切って、せっかくの卵をどのようにして食べれば良いかと考えていたんですけど……迷ってしまって、少し調理に時間を掛けてしまいました。お待たせしてすみません」
リウが途中から少し申し訳なさそうに言うと、リリシュナは彼が遅れたのは自分の朝食の為だと聞いて、微笑んで礼を言った。
「ううん。それはいいのよ。がんばってくれてありがとう」
リウはリリシュナがこの部屋に移り住んでからずっと身の回りの世話をしてくれた有能な世話役だ。王妃エヴィルに進まれて城を出る時、自ら進んでリリシュナの付き人となる事を望み、今に至る。その時の彼はリリシュナより一歳年上の十三歳で、ただの新入りの雑用係だった。
もう四年の付き合いとなる。彼の性格など分かりきったものだ。
リウは時々鬱陶しいほどに生真面目で、何事にも一生懸命な人だ。リリシュナの付き人になった後、彼は苦手だった炊事をどうにかして城の料理長から教わり、姫の生活に役立ててきた。何処から習ったのか、武術にも長けていていざと言う時はリリシュナの護衛にもなる。
いつの間にかリリシュナの肩に乗ったランニアが「ピィ」と鳴いた。
すると、リウがランニアの存在に気づくきあっと声を上げた。
「ランニア~!あなたという鳥はまた姫様の所にお邪魔して」
実はランニアはリウが半年ほど前から飼っている鳥だ。ネーミングセンスに欠けるご主人様とは彼の事。
話によると、ランニアは遠くに住んでいる友達からもらった……というよりは無理やり押し付けられたそうだ。
何でも、連絡手段として手紙を運ばせるためだとか……。
この国では手紙の配達は一般的にハトに任せるものだが、そのお友達は普通の鳥では到達できない場所に住んでいるらしいので伝書鳩は使えないと言う。なんだかんだ言って、謎に包まれたお友達だ。
ランニアが初めてリリシュナに会ったのは城に来てまもなくの頃。
いつもリウにくっついていたランニアだが、リリシュナを見てからは、相当リリシュナのことが気に入ったらしく、常に彼女の側で飛び回るようになった。
さすがに姫様にご迷惑かと思い、普段は鳥かごの中に入れることにしたのだ。
「四六時中檻の中に入れられると可哀相かと思って、朝だけ外に放してあげているというのに、隙を狙って姫様の部屋まで押しかけるとは・・・・なんて図々しい鳥なんですか!」
「いいのよ、リウ。ランニアは私の大切な友達なの。それに、毎朝起こしてもらっているからちゃんと役に立っているの。だから怒らないでやって。ね?」
リリシュナが上目遣いで頼むと、怒っていたリウはウッと唸った。
「し、仕方ありませんね……分かりましたよ、姫様がそうおっしゃるのなら」
リウが溜め息しながら言うと、リリシュナは両手を上げて喜んだ。
「ありがとう、リウ!」
「姫様・・・その様な言動は慎むようにしましょう。いつも忘れがちですがあなたはお姫様なんですからね。お姫様は両手を上げて喜んだりしません。
――さて、お食事が冷めてしまいます。早くお召し上がりください。今日の朝食は豪華ですよ?いつものパンと牛乳以外に、新鮮な卵で作ったオムレツがついています!」
自分が一国の姫だという意識が薄いリリシュナを軽く注意して、リウは気分を切り替えるべく手をパンッとたたいて、ニコニコと言った。
「わ~本当だ……じゃなくて、その前に。リウ、実はちょっとしたお願いがあるの」
危うく状況に流されて、食事に手をつけそうになったが、ふと違和感に気づき手を止めた。先程とは違って真剣な眼差しで言った。
「はい。何でしょうか、姫様。僕に出来ることなら何でもおっしゃってください」
「たいした事じゃないの。ただ……前々から思っていたの、いつからリウが私のことを姫様って呼ぶようになったのかなって。もう四年間も一緒にいるのに、ちゃんと名前で呼んでほしいの」
「そ……そんな恐れ多いことは出来ません!」
リウは姫様の為なら何でも出来ると思っていたが、こればかりはさすがに無理に思えた。
「なんでなの?去年まではシュナって親しく呼んでくれていたのに。なんだかリウに一線おかれているって感じがして悲しいわ・・・」
リリシュナは目に涙を浮かばせて言う。
「お父様は病で臥せっているし、お母様はもういないし、もうどこにも私を名前で呼んでくれる人はいないわ。リウは私の友達なのに、あなたにまで姫様って呼ばれたら、私には名前なんて無いのかなって思えちゃう……」
リリシュナの言葉を聞くと、リウは申し訳なく思った。彼女を名前で呼ばないことにしたのは、立場を考えての行動だった。
だがその行動がリリシュナを悲しませるとは考えつかなかったことに、彼は自分を咎める気持ちでいっぱいになった。
「すみません、あなたが悲しんでいることにも気づかずにいて。
――分かりました、これからは改めて名前でお呼びしましょう。ただし二人きりの時だけですよ?人前だと厄介なことになりかねないですからね」
リウは少し苦笑いしながら答えると、リリシュナは涙目の顔に笑顔を浮かべて頷いた。
「うん!それでいいわ」
「では、改めて朝食にしましょう。僕の姫君、シュナ」
「う…うん」
優しく囁かれてリリシュナは少し顔を赤らめた。
いつものほのぼのな、朝の時間がそこに流れていた……