第一話 魔城の魔女
何故かまだ主人公が出てきません……
グラディス王国の中央部に立てられた王宮、グラディス城の周りは今日も雷雲に包まれていた。
町の人々は城の方を向いては、首を横に振るばかりだ。
今日もか…と心の中で溜め息をつく。
城下の人々がその様な反応をしてしまう事に無理はなかった。
なぜだか近ごろ、敷地から五キロも離れていない場所は晴天だと言う事にもかかわらず、城の周りだけが異常なほどに雷雲が発生するのだ。
黒い雲はグラディス城の上空を覆い隠し、時々落ちる雷の光に照らされて、不気味な気配を漂わせる。
昔からこんなことが起きている分けではないのだ。
何年か前には城の周囲はおろか、グラディス王国で雷雨が起きることは稀に無かった。
多くても一年に二、三回。それが今となっては週に一回は起きる。
この様な事が始まったのはわずか数年前。
強いて言うならば前の王妃が亡くなって、新しい王妃が迎え入れられた後当たり。
グラディス城に起きた変化は人々に不吉と思われ、さらに、王妃が異様なほどの美女だと噂されてからは、
旅の人の間で密かに<魔女の住む魔城>と呼ばれていた。
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グラディス城の中、城の最も奥に位置する部屋、ここは王妃、エヴィルの一室となっていた。
外は未だに雷雲が立ちこもっている為、まだ真昼だというのに、室内は暗闇に包まれていた。
今にも消えそうな蝋燭の光に照らされて、薄暗い部屋の真ん中に浮かび上がったのは一人の女性の姿。
この人こそが現王妃、エヴィルだった。
漆黒のドレスで身を包み、腰まで伸びた銀色の髪はゆるく波打って、はたから見れば絶世の美女とも言えよう。
だが、彼女の表情はその立ち姿に似合わず、口元はニヤリと曲がっていて、黒い影が見て取れた。
その瞳は、全てを凍らせるような冷めたい水色に対して、唇には血を連想させるほど毒々しい赤い紅が塗られている。
エヴィルがこの国に嫁いでもう早五年、当時の彼女は王よりも十歳年下の35歳だった。
今年で40歳になる筈だが、彼女の面立ちは常に当時のまま、まるで年を取っていない。
何故かというと、エヴィルは旅人に噂されているどおり、魔女だったからだ。魔術を極め、悪魔に魂を売った者は年を取らない。
この事は彼女の少数の手下以外、誰にも知られてはいなかった。それは彼女が人前に顔をさらす時、魔術で年相応の容姿に化けていたからだ。
そして、人に魔女だと悟られた時、エヴィルは得意の魔術で相手を巧みに欺いた。
今、彼女は部屋の壁に掛けられた一枚の鏡の前に立っている。
鏡は骨董品かとも思わせるほど古びた物で、この豪華に飾られた部屋には不釣合いだった。
形は楕円形でいたって普通の作りだが、黄金色の枠にはいくつか宝石が嵌められている。
何処にでもあるような鏡だが、明らかに特別だと言う事を示す点があった。
鏡の前に立っているエヴィルの姿を映していないのだ。
そう、この鏡は魔術によって作られた魔法の鏡だった。
今まさに、彼女は月に一度の問いかけの儀式を行なおうとしていた。
エヴィルは手を広げて鏡に語りかけた。
「この世の全てを知り尽くす魔鏡よ!我の問いかけに答えよ!
この世で一番美しいのは誰だ。その者の姿を映し出しなさい!」
やがて、何も映さなかった鏡は濁り始め、渦を巻き、エヴィルの上半身を映し出した。
鏡に映った自分の姿を見て、エヴィルは満足げにニンマリと笑ったが、次の瞬間、驚愕で目を見開いた。
魔鏡に映った自分の姿は直ぐに消え、別の者の姿を映し出したからだ。
映し出された者は一人の二十歳も満たない少女の横顔だった。
少女は濡れた様な黒い長髪を持ち、同じく神秘的な夜を連想させる黒い瞳を持っていた。
凛とした目元は真っ直ぐ前を向き、何も塗っていないと言うのに唇は艶やかな赤色で、その頬は薄っすらと桃色に染まった清純な少女。
エヴィルはその少女を知っていた。
悔しさと恨めしさが入り混じり、彼女は自らの美しい顔を歪めた。
この時、窓の外で「ドーン!」と雷が落ちた。今にも雨が降り出しそうだ。
怒りで震える唇で少女の名を呼ぶ。
「リリシュナ・フィクシル・グラディス!」
そう、この少女こそがアデル王と前王妃の間に生まれた唯一の娘だった。
「何故!何故この小娘がわたくしより美しいと言うの!」
エヴィルは鏡の枠を掴み、左右に強く揺らしながら訴える。
「この様な事は有り得ないわ!わたくしは悪魔にも魂を売って今の地位と不老不死の体を手に入れたのよ!?
このエヴィルがあの忌々しい女の娘よりも醜いとでも言うの?
答えなさい!」
命じられると、魔法の鏡に映ったリリシュナ姫はフッと消え、代わりに黒い人型のシルエットが現れた。
そして、シルエットから若い男の声が発せられた。
「どうか怒りをお静め下さい、エヴィル様。
リリシュナ姫がエヴィル様より美しい所と言うのはあくまで心です、外見ではありません、ですからご安心下さい」
「心が美しい?」
動きを止めて、エヴィルは怪訝そうな顔をした。
魔鏡は淡々とした口調で続ける。
「はい、リリシュナ姫は外見こそエヴィル様にかないませんが、誰よりも奇麗で汚れ無き心を持っておられます。それ故に多くの人から愛される、神の愛し子なのです。お言葉ですが…この様なもの、エヴィル様には不必要では…?」
「汚れ無き心…?誰からも愛される神の愛し子…?そうね、その様なもの私には不必要…」
魔法の鏡の言葉を聞いて、言語こそは落ち着いたが、心の中では何やら邪悪な策を練っていた。
「あなたの言う通り、でもこの世で最も美しい者は二人も要らない!
調度良い機会だわ。前々からあの娘の存在が気に入らなかった、この機を持って目の前から排除するとしましょう」
口をニヤリと歪ませて言う。
「財力と権力も手に入れた今、後は一番の美女と言う称号のみ!」
言い終えると、エヴィルはハハハハーッ!と高笑いを始めた。
部屋中に響いた笑い声は、やがて降りだした大雨によってかき消される。
その光景を魔鏡の少年はただ黙って見ていた……