第十一話 渦巻く夜の陰謀 4
ここは王の寝室より一部屋挟んだ場所に設けられた接客室。
文字通り王様が高貴な客人を持成すための部屋で、見渡す限りの調度品はどれも高価で、品が良い。
リリシュナとエヴィル王妃はそんな部屋のソファーに、向かい合わせで座っていた。
あの騒ぎがあった後、父の事が気になり、直ぐには立ち去る事が出来ず、とりあえず場所をここへ移して様子を窺う事にしたのだ。
リウは王妃に紅茶を淹れて、リリシュナにはホットミルクティーを用意すると、隣にそっと控えた。
「先ほどは驚きの余り身動きが取れませんでしたわ…」
エヴィル王妃は紅茶に口をつけると俯き、弱々しい口調で言った。
カチャっとコップをテーブルに戻すと、両手で自分の頬を包み、怯える仕草。まるで、自分が先程微塵も動揺しなかった事に理由を付けているようだ。
「はい…」
リリシュナは気が抜けた返事しか出来なかった。
対して、リウはとことん冷めた視線を王妃に向ける。同時に何かを探ろうと目を光らせ、心でこっそりと悪態をついた。
(ほう?全然そうは見えませんでしたが…?)
エヴィルはその冷ややかな視線を直ぐに感じ取ったが、あえて気付かぬ振りを装った。
リリシュナは王妃に気になっていた事を聞いた。
「あの…良くこのような事があるのですか?」
「ええ、一種の発作のようなものです。突然人に物を投げつけたり、魔女呼ばわりしたりと…。何かの幻影でも見てらっしゃるのでしょうか…」
エヴィルは考える振りをするが、王が取り乱す理由には既に心当たりが一つあった。
(王様があの様になったのは、わたくしに対して限り…)
アデル王はおそらくエヴィル王妃が魔女だと言う事を知ったのだ。そして、自分の身体を蝕む病の根源も彼女だと。
それで毎回エヴィルが寝室に踏み込んだと知るたびに暴れだし、部屋から追い出そうとする。
「あの様に取り乱したお父様を見るのは初めてです…」
リリシュナはますますシュンとなる。リウは慰めたい気持ちでいっぱいだが、使用人の身分上、王妃の前でその様な行動を取る事は些か不妥当なので、押し黙った。
そんなリウの代わりに、と言うように、エヴィルはリリシュナに言った。
「どうかお気を落とさないで下さい、姫様。王は重い業務の故、体調をお崩しになられただけですわ。直ぐにとは言いませんが、いずれは回復するでしょう。どうか王様をご信用なさってくださいな」
「はい…王妃様」
不安を完全に拭い去る事は出来なかったが、リリシュナは静かに頷いた。
暫くすると、扉をノックする音と共に一人の兵士が現れ、王が気をお静めになられた事を報告した。
「本当ですか?では、今お伺いに…」
リリシュナは直ぐに立ち上がり、父の元へ向かおうとした。だが、隣の部屋へ続く扉に近づく前に、行く手を阻まれた。止めに入ったのはエヴィル王妃だった。
「姫様、王はすでに眠っているとの事です。もう夜遅いことですし、今日はゆっくりと休ませてあげてはいかがでしょうか?」
「え、ですが…」
納得がいかないと言った様子のリリシュナは、続いて現れた王専属の医師にも説得される羽目となった。
六十歳は当に超え、白髪も目立つ老医師だが、長年王の容態に関わって来たお方なので、彼の言う事のほうが正しいことは一目瞭然だ。リリシュナはしぶしぶ言葉に従うしかなかった。
「そ…そうですね、お父様はお疲れなのよね…。分かりました、お見舞いはまたの日に改めます」
肩を落とし、リリシュナはリウを伴い、部屋を出た。エヴィル王妃も後ろに続く。夜の帳が完全に下りた今、長い廊下は弱々しい黄色い光のランプに照らされ、薄暗かった。
リリシュナは振り返ると、スカートの両端を摘み優雅に膝を折って、王妃に一礼した。
「では王妃様、私は先に…」
「ええ、気をつけて帰りなさい」
リリシュナは「はい」と一言だけ答え、その場を離れた。
▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽
「シュナ…」
廊下の曲がり角を曲がったところ、リウは周りに誰も居ない事を確認してから、物言いたげにリリシュナの名前を呼んだ。
だが、彼が言いたい事はすでに分かっている。要するに心配のし過ぎは良くないので、もう少し気を楽にしろと。
「ええ分かっているつもりよ、でもやっぱり心配せずには要られないの…」
リリシュナはトボトボと前方を歩きながら答えた。
「はい、シュナのたった一人の家族ですからね…。その気持ちは良く分かります」
リウがふと悲しい表情を浮かべたことに気付き、リリシュナは慌てて謝った。
「あ、ごめんなさい…」
リウには親どころか肉親という者が居ないのだ。つまり孤児。無意識とは言え、その部分に触れてしまい、リリシュナは申し分けなく感じた。
「いえ、大丈夫です。――それよりですね、僕が言いたことは他にあります、シュナ」
真面目な表情のリウに思わずリリシュナまで緊張気味に姿勢を正した。
「なに…?」
「使用人の分際でこのようなことを申し上げるのはどうかと思いますが…王妃様とはあまりお近づきにならないほうが良いかと思います」
「…なんで、そう思うの?」
彼が唐突にこの様な事を言い出す筈がないと分かっているので、リリシュナは冷静に聞き返した。
リウは言うか言いまいか戸惑いながらも、彼女に話した。
「王妃様からは邪悪な気配を感じます。瞳も、途轍もなく冷たくて…。僕の目には彼女全ての行動が芝居懸かっているように見えました。何を考えているのやらさっぱり。彼女は危険です」
「そんなの思い過ごしよ、リウ。私は全然そう感じなかったわ、大丈夫よ」
「ですが…」
一向に動じないリリシュナにリウは食い下がろうとしたが、突然前方から彼の名前を呼ぶ声がした。
「リウ先輩―!こんなところに居たのですか、探しましたよ~。助けてください~」
明るい声の持ち主は、真新しい使用人の制服を着ており、リウに助けを求めていた。どうやら新入りのようだ、道理でリウを先輩と呼ぶわけだ。
一方、尊敬の眼差しを受けているリウは呆れた表情を浮かべていた。
「またあなたですか、今度は一体何事です?――シュナ、少しお待ちください。直ぐに戻りますので」
呆れ顔でもきちんと後輩を助けに行くリウに、リリシュナはクスクスと笑って頷いた。
「ええ、いいわ。行ってらっしゃい」
(リウって本当に頼りにされてるいのね…)
少し離れた場所から大人しくリウを待っていたリリシュナだが、リウの周りには段々と人が集まってきて、やがて完全に人混みに埋もれて姿も見えなくなった。
(あらら、あれじゃ当分抜け出せないわ…。かわいそうに)
▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽
自分のお姫様がとんでもなく落ち着きがない事はリウが一番理解していた筈なのに、この時、彼は迂闊にもリリシュナを一人にしてしまった。
案の定、リウが身元を離れて暫く経たない間、リリシュナは一つの考えを思いついた。
(お父様は本当に大丈夫かしら。一目だけ覗いて行っても良いんじゃない…?)
思いつくと居ても経っても居られなくなり、リリシュナは踵を返して今来た道を辿った。
部屋の前に着くと、リリシュナは息を吸って扉をノックしようとした。
その時、微かに扉の向こう側から話し声が聞こえ、リリシュナは慌てて手を引っ込めた。
(部屋にはお父様しか居ない筈よね…?誰か来たのかしら)
変に思い、盗み聞きは良くないと思いながらも、リリシュナは恐る恐る耳を扉に近づけた。
所詮扉越しなので、鮮明には聞こえないが、その声が女性のものだとは分かった。その人が一方的に話しているようだ。
リリシュナはその人が誰か知りたくて、気付かれないようにドアをそっと開け、覗き込んだ。
室内は目を見張る光景が広がっていた。そこには先ほど部屋の前で別れ、別々に反対方向へ歩いていった筈のエヴィル王妃が居たのだ。
(王妃様はお父様に話しかけているの…?)
寝台の上には上半身を支えながら起き上がったアデル王が居た。彼は歯を食い縛って王妃を睨んでいるようだ。良く見ると、部屋の床にはクッションや割れた花の花瓶と言ったあらゆる物が落ちていた。
王妃はこちらに背中を向けているので表情まで見ることは出来ないが、その雰囲気が友好的とはとても言えない。
(一体何があったの?)
リリシュナは混乱するばかりだ。
暫くの沈黙の後、エヴィル王妃は再び口を開いた。
耳を澄ましてやっと聞き取れた言葉の内容はとっても衝撃的だった――…
「気付いたのね、わたくしが魔女だと言う事を…」
未熟者ですので、色々修正しながらちょくちょく更新していっています。