第九話 渦巻く夜の陰謀 2
リリシュナは庭を出ると、即門から城の中に入り、真っ直ぐな廊下を延々と歩いて行った。
秋は日が沈むのも早く、長い廊下の窓から見える空はすでに真っ赤に染まっていた。もう暫くすると、夜が訪れる。時々すれ違う使用人達に挨拶はするが、やはり王女だと知られていないようで、大した反応はない。
リリシュナは王の寝室へ向かう道を熟知しているので、広い城の中でも迷うことはない。
幾つもの角を曲がり、階段を上がると一枚の大きな扉の前で足を止めた。扉の横には当然のように衛兵が二人立っており、突然やってきたリリシュナを警戒していた。いつもの顔見知りの年取った衛兵さんなら、直ぐに通してくれるのだが、この二人はどうやら新入りの様で、リリシュナのことを知らない。
「お前、王の寝室に何しにきた」
衛兵の荒い物の聞き方に気にせず、リリシュナは礼儀正しく言った。
「私は王女、リリシュナ・フィクシル・グラディスです。お父様のご様態を伺いに来ました、ここを通してくれませんか?」
端麗な容姿をしたリリシュナの微笑みに、まだ若い衛兵は一瞬頬を染めたが、もう一人に肘を突かれ我に帰ると、何かに気付き怪訝そうに表情を歪めた。
「嘘をつくのは止しなさい、姫様は病弱なんだ、出歩き回れる筈がない。ここは君みたいな娘が来ていい場所じゃない。早く元いた場所に戻りなさい」
「嘘では有りません!私はアデル王の娘です!」
リリシュナは胸を張って言うが、どうやら彼女の服装からして説得力がない為、彼らは一向に信じてくれないのだ。
「君の茶番に付き合っている暇はないんだ。帰った、帰った」
(そ、そんな…)
もう一人が言ったと同時、リリシュナの背後から突然女の声がした。
「王の寝室の前で、いったい何の騒ぎです」
「え…」
振り向いた先にはエヴィル王妃が二人の侍女を伴って立っていた。
彼女は今日もやはり漆黒のドレスを身に纏っているが、所々にダイヤモンドのような宝石が散りばめられており、普段よりも一段と豪華に仕立て上げられていた。銀色に光る長い髪は高く結い上げられ、豪華に飾り付けされている。
突然現れた王妃にリリシュナは少し驚くも直ぐに気を取り直し、膝を折って優雅に一礼した。
「ご機嫌麗しゅうございます、王妃様」
頭を垂れているリリシュナには見えなかったが、険しい表情だった王妃はリリシュナを見た途端、更に表情を歪めた。だが彼女は人に気付かれない様に直ぐ愛想の良い表情に変えた。
「あら、リリシュナ姫でしたの。さ、顔をお上げなさい、王の御様態を伺いに来たのですね。…でもなぜこの様な場所にお立ちになって中へ入らないのです?」
「あ、いえ…そうではなくて…」
リリシュナは少し言葉に詰まった。衛兵に、自分が王女だと信じてもらえなくて部屋の中に通してくれない、と言うようことが口に出せるはずもなかった。
彼女たちをよそに、衛兵達は顔を見合わせていた。王妃の突然の現れにも驚いていたが、冷酷なエヴィル王妃がリリシュナに対して愛想よく接する所を目の当たりにした事はそれ以上の衝撃だった。
彼らはリリシュナと王妃との会話のなかで真実を悟ったらしく顔が真っ青になった。緊張しながらも背筋を伸ばしてリリシュナに謝った。
「こ、これは失礼しました!姫様だとも知らずに、お…追い返すようなまねをしてしまって…」
「なんですって?!姫様を追い返すなど、身の程知らずを弁えなさい」
多少大げさに反応したエヴィル王妃に恐れて、ふたりはより一層頭を深く下げた。
「ほ、本当に申し訳ありません!つ、謹んで処分をお受けします」
「それは当然のことです」
二人とも声が震えていた。王族に対しての無礼は重罪だ、どんな罰が下されるかも分からず、ガクガクと震える二人の衛兵を眼にして、リリシュナは少し気の毒に思い、止めに掛かろうとした。
だが、王妃はそれを許さなかった。
「いいえ、それはいけません、姫様。どんなに小さな罪でも、罪を犯した者にはきちんと罰を与えるべきです。疎かにしては他の者への申しがつきませんし、城内の秩序も乱れます」
弁解の余地など与えずぴしりと言うと、再び無礼を働いた衛兵達に向き直り、意志の強い口調で言い放った。
「処分は後ほど下します。あなた達、この二人を連れて下がっていなさい」
エヴィル王妃に付いてきた二人の侍女は命令を聞き、「はい」と短く答えた。リリシュナはこの時気付いていなかった、エヴィル王妃が二人の侍女へ目で何らかの合図をし、彼女たちが頷いたところを…。
「では、王の元へ参りましょう。わたくしも実は王のご様態が気になって、こちらへ出向いたんですの」
「…はい」
遠ざかって行く四人の背中を見守りながら、リリシュナはふと二人の侍女に違和感を覚えた。だがそれが何かも分からず、王妃に促されるまま王の寝室へ入っていった。
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部屋の中に入ると、まず目にするのは幾つかの素朴な家具と飾り気のない床や壁。王の寝室にしては多少地味ではあるが、広さは十分にある。
その広い部屋の真ん中に置かれた大きな寝台の上に、アデル王は弱々しく横たわっていた。
「お父様!」
父の姿を確認すると、リリシュナは直ぐに寝台の元へ駆け寄った。だが、エヴィル王妃は少し離れた場所に立ったまま、近づこうとしない。
「お父様…?」
アデル王の目は虚ろで、リリシュナの二回目の呼びかけでやっと目の焦点を彼女に移した。すると、王はリリシュナの顔を見て目を見開いた。
「セ…ラ…」
王が口にしたのはリリシュナの母、リルセラ王妃の名前だった。彼はゆっくりと腕を上げて、リリシュナの顔に触れようとする。
王は前回リリシュナが見舞いに来たときよりも衰弱しているように見えた。
元々深い茶色だった筈の髪には白髪が混じっており、顔色も悪い。まだ五十歳の彼をより老いているように見せる。
リリシュナは王の様態の悪化に心を痛め、伸ばされた手をそっと握り締めると、王に語りかけた。
「お父様、私はお母様では有りません、あなたの娘リリシュナです。覚えてらっしゃらないのですか…?」
王がリリシュナをかつての妻と見間違えるのも無理はなかった。リリシュナはリルセラ王妃特有の黒髪と黒い瞳を受け継いでおり、成長するにつれ顔立ちまでも王妃に似てきたのだ。
「リリ…シュナ」
「はい、お父様、私はここに居ます…」
リリシュナは名前を呼んでもらえたことが嬉しくてより一層強く手を握り締め、微笑んだ。