第9話「腕に抱けなかった命」
ふと見た夢の中で、
おなかの赤ちゃんは元気に動いていた。
ぴくぴくと小さく動く手足に、彼女はほっと息をついていた――
「全部、悪い夢だったのかもしれない」と。
でも、目を覚ましたとき、
濡れた頬と、暗い病室の天井が、
それが“現実ではない”ことを優しく、でも残酷に教えてくれた。
あなたには、忘れられない日がありますか?
私には、人生を変えた日があります。
この話は、35年経った今も私の心の奥にある傷です。
でも同時に、あの出来事が私の人生の“強さ”の根になりました。
誰にも言えなかった胸の奥の痛み。
でも、ただ悲しいだけでは終わらなかった。
あの子が私に教えてくれた“強さ”と“光”を伝えたい。
同じような想いを抱えるすべての方に寄り添えますように。
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その夜、彼女は夢を見ていた。
おなかの中で、赤ちゃんが元気に動いていた。
小さな手足がぴくぴくと動いて、
「お母さん、ここにいるよ」って言ってくれているような気がして――
ああ、よかった。
やっぱり全部、悪い夢だったんだ。
あの診断も、あの絶望も、あの涙も。
夢の中の彼女はそう思って、ほっと息をついていた。
目を覚ましたとき、暗い病室の天井と、濡れた頬が、
それが“現実ではなかった”ことを、
優しく、でも確かに知らせてきた。
夢だったのは、幸せな方だった。
胸がぎゅっと締めつけられ、涙が止まらなかった。
長くて、苦しい陣痛の末――
彼女の身体から、小さな命が生まれ落ちた。
けれど、その子はもう――
息をしていなかった。
産声も、泣き声も、何もなかった。
ただ静かに、淡々と生まれてきた。
分娩室には、凍りついたような沈黙が流れていた。
誰も言葉を発しないまま、時間だけが過ぎていった。
処置の合間、赤ちゃんの姿は、夫にだけそっと見せられた。
彼女は……見ることができなかった。
(それが、当時の一般的な対応だったことを、あとから知った。)
でも本当は、見たかった。
抱きしめてあげたかった。
何もしてあげられなかった自分にできる、最後のことだったから。
夫は、赤ちゃんを見たあと、長い間黙っていた。
やがて、ぽつりと一言だけ告げた。
「……男の子だったよ」
その瞬間、胸の奥に何かがこみあげてきて、
彼女は泣いた。泣いて、泣いて、ありがとうと心の中で何度もつぶやいた。
抱くことも、名前を呼ぶこともできなかったけれど、
その子は確かに、彼女たちの子どもだった。
おなかの中で過ごした10か月。
どんな日も、ふたりだけの時間だった。
あの子は、彼女たちのもとに来て、
何も語らず、何も求めず――
そして静かに、空へと帰っていったのだろう。
その小さな背中は、今も、彼女の心に残り続けている。
この話を書くとき、今もあの夜の夢を思い出します。
夢の中で、赤ちゃんは生きている。
「全部悪い夢だったんだ」と思えたあの短い時間が、とても幸せで――
目が覚めたとき、現実の重さに押し潰されそうでした。
何回も、何回も、この悲しい現実が「夢であってほしい」と心の中で叫びました。
どんなに願っても、どんなに叫んでも、あの子は戻ってきてはくれない。
その事実を受け入れるのが、どれほど苦しいことか――
言葉では言い尽くせません。
【次回予告】
この物語も、いよいよ最終話を迎えます。
あの子との別れから35年。
最終話では、当時の医師から知らされた「死産になった本当の理由」、
そして、あの子が私に遺してくれた最後の贈り物をお伝えします。
-どうか最後まで、静かに見届けていただけたら嬉しいです。




