表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

5/10

第5話「あの朝、世界が止まった」

「赤ちゃんの心音が……聞こえない」

その言葉を聞いた瞬間、世界は音を失い、すべての景色が遠ざかっていきました。


どんなに苦しくても、「生きていてくれればそれでいい」と願い続けた日々。

でも、その願いが、ある朝、あっけなく崩れ去ることになるのです。


今回は、悲しみが訪れた瞬間のことを、できるかぎり丁寧に描きました。

どうか最後まで、静かに見届けていただけたらと思います。


待合室の静けさが、妙に重たく感じられた。

彼女は椅子に深く腰をかけたまま、自分の名前が呼ばれるのをじっと待っていた。



診察室に入ると、医師は古いタイプの聴診器を手に取り、無言のまま診察台へ促した。

彼女が横になると、医師はおなかに器具を当てて、ゆっくりと場所を移動させながら耳を澄ませていく。

「……どこだ?……おかしいな?……うん?、、、、まさか……」

ぽつりと漏れたつぶやき。

その声が、彼女の胸に、冷たい石のように落ちてきた。



胸の鼓動が激しくなり、手も足も震えが止まらなかった。

息をするのもつらくなる。

――お願い、生きていると言って。



数分にも思える沈黙ののち、医師は顔を上げ、彼女の目をまっすぐに見て告げた。

「……心音が、聞こえません。

妊娠10か月で心音が止まるのは、非常にまれなことです」



その瞬間、世界が音を失った。

目の前がスッと暗くなり、医師の声は遠く、霞んだ空の上から聞こえるようにぼやけていった。


自分の体が自分のものでなくなったような、現実感のない時間が流れた。

「気づけば彼女は、自宅の床に座り込んでいた。


震える指で、夫の番号を押していた。

「赤ちゃんの心音が……聞こえないの……

死んじゃったんだって……」


受話器の向こうからは、何も言葉が返ってこなかった。

でも、夫がその場で息を詰め、言葉を探している気配が、はっきりと伝わってきた。


しばらくの沈黙のあと、彼は、ただ一言だけつぶやいた。

「……すぐ帰る。待ってて」


その声を聞いた瞬間、彼女はようやく、現実の世界にしがみつくことができた。





10か月もの間、おなかで育ててきた命。

「生きていてくれさえすればいい」

-ずっと、そう願ってきました。

なのに、ある朝、その願いが静かに崩れ去る瞬間が訪れます。

悲しみは、音もなくやってきて、

現実を引き裂くように心を覆いました。

でも、まだそれは“始まり”でしかありませんでした。

あの日から、私たちの時間は、別のかたちで動き始めたのです。次回予告(第6話)

「泣き崩れる私を、黙って抱きしめてくれた夜」

すぐに駆けつけてくれた夫。

言葉ではなく、ただそばにいてくれた人。

胸が張り裂けそうな夜、

私は、ただ静かに涙を流すことしかできなかった -。





評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ