「貴方を愛することはありません」と旦那様に毎晩言われるので多分洗脳されている
儚げな美青年だなあ、とミシェルは結婚相手を仰ぎ見た。
ベッドの縁に座りながら見る旦那様は、まさしく女性の夢に見る美しい男の形をしている。ふわふわと癖のある金髪に、雲ひとつない晴れ渡った空のような青い瞳。エルフのように浮世離れした中性的な容姿は、彼が社交界に現れるたびに女性たちが舐めるように見つめたと言われても過言ではないだろう。
男臭さとは無縁のその相貌は、まさしく芸術品だ。神が精魂こめて作り上げた最高傑作──などと美辞麗句を並べていたゴシップ紙を笑い飛ばすことはもうできない。
「ミシェル」
美しい人は声も美しい。ミシェルは感心しながら、「はい、エヴァン様」と返事をした。そのふわふわと夢心地な声音に、エヴァンは苛立ったように眉根を寄せた。
ミシェルは「まあ、イライラしたお顔も美しいのね……!」と酷く感銘を受ける。
エヴァン・オルドリッジ──ミシェルの結婚相手は、オルドリッジ侯爵家の三男として生を受けた。そしてミシェルはカールトン伯爵家の四女として生まれて、同じ皇帝派としての政治背景から──というよりも普通に付き合いが長いので「三男の相手にうちの子どう? 四女なんだけど」「え、いいじゃん結婚させよ」と政略結婚よりもカジュアルな口約束で結婚する運びとなった。
血統書付きの犬のマッチングの方がまだ熱が入っていただろう。そもそものところ二つの家門は遠縁でもあるので、結びつきは特に必要とされていない。
しかしながら、ミシェルは思うのだ。
三男のエヴァンは絶世の美男子として有名であり、実のところもっと上の家門に婿養子にも行けたのではないかと。
エヴァンは光溢れるアトリエで油絵に塗れながらキャンバスに絵を描いていそうな美青年であるが、ゴリゴリの軍人であった。騎士としての能力も高く、最近は治世も安定してることから目立った功績が無いだけで、時代が時代なら英雄と呼ばれていたかもしれない。
なので伯爵家の四女と結婚して何も旨味がないのだが、これで良かったのだろうかとミシェルの方が不安になってしまうぐらいだ。
そんなこんなでカジュアル面談からの本採用になった結婚だが、ミシェルは美しい夫と「ぶつかっただけかしら?」みたいな誓いのキスを済ませて、結婚初夜の真っ只中である。
「結婚は済ませましたが、貴方を愛することはありません」
「まあ」
まあ、である。
普通の令嬢なら卒倒しそうな宣言に、ミシェルは緑の目をぱちぱちと瞬かせた。
「決して、貴方を愛することはありません」
「まあ……!」
ダメ押しのように言われて、ミシェルはさらに強めに瞬きをした。その様子を見て、エヴァンは美しい尊顔をさらに歪める。おそらくミシェルが言葉の意味をわかっていないと感じたのだろう。
「理解してますか?」
「しておりますわ。できれば、理由を聞きたいのですが……」
「理由などありません。なので貴方に私が手を出すことはありません。安心して眠ってください」
取り付く島もない、とはこのことである。エヴァンはミシェルが座ったベッドの縁とは反対側に腰をかけてから、湯から上がったあとから首にかけていたタオルを手に取り、キッとミシェルを睨みつけた。
「このタオルがベッドの境界線です」
ベッドの中央にタオルが横たわった。しっかりと五対五のスペースの比率である。
「まあ」
さすが騎士様である、七対三などの卑怯なスペースの取り方など発想にないのだろう。
「ここから決して領域侵犯をしないでください。あと私には必ず背を向けて寝てください。これがルールです」
「エヴァン様、わたくし左を向いて寝ないと寝付けませんの……」
「なら場所を変わります」
すっとエヴァンがベッドの縁から降りて、ミシェルの横からベッドの右側に横たわる。「なんてフェアな精神なのかしら……!」とミシェルは感激で打ち震えた。
「タオルを越えたら即時開戦です。覚悟をしてください」
エヴァンは冷酷な司令官として宣言したので、ミシェルは唾を飲んでから真剣に頷いた。よくわからないがえらいこっちゃである。
その日、ミシェルはベッドの左側で部屋のドアを見つめながら眠りについた。「貴方を愛することはありません」だなんて、なんて胸踊る言葉なのかとしばらく興奮して寝付けなかった。そう、ミシェルはよくいる異世界転生者である。
ミシェルが転生したことに気づいたのは七歳頃だったので、人格形成としては元のふわふわちゃん七割と前世のリアリストの三割で構成されている。メイドのマリーからは「お嬢様、急に真顔に戻らないでください」と小言を言われながらすくすくと育ち、たまに野草を齧っては「ペッペッこれは毒ね! こっちはただの草で草」という平凡な人生ゆえのささやかなスリルを味わっていた。
両親と兄二人と姉三人の大家族の末っ子ともなれば、わりと放任主義である。軍人の家系だったばかりに「これとこれだけはヤベェ草だから食うならそれ以外にしなさい」と叱られたが最後、好きにさせてもらっている。
七歳で転生を気づくもあまりにも太平の世すぎるし、大家族のせいで貧乏貴族かと思えばそうでもないらしい。記憶の中の創作物の世界でもなければ、特にやらなければいけないこともない。
知識チートで財産を増やす必要がないので、とりあえずミシェルは家が没落したときとか飢饉のときとか疫病のときとかに備えて為になりそうなものはどんどん口にしてみている。これはもう生まれてからの趣味みたいなものなので、目標ができて尚一層のこと熱が入ってしまう。
ペッペッ苦味が強くてこれは良薬の予感がします。
叔父は薬師として働いているので、とりあえず一緒に過ごして味を試しては「兄に似て頑強な体とは言えさすがに人体実験はやめなさい。それが自分の体であってもだ」と苦言を呈された。「でも叔父様、動物実験なんて可哀想でしょう」と返せば、「そういう倫理観はあるんだな」と言われる。
秩序と倫理観の中で生きてきた現代地球人にとんだ無礼である。
そもそも薬学に対してミシェルの住む国は「草で治るとか草」とか言うタイプなので、治療と言えば治療魔法や神聖力がメジャーだ。
なので叔父は日陰の変人研究者と思われている。可哀想に。ミシェルは薬の有用性を知っているので、遊びながら研究データを揃えて叔父に提出して貢献していた。
それは十年経った今でも変わらないが、さすがに年頃になってセルフ人体実験はやめた。なので魔物のスライムーン3世を使って実験している。
エヴァンは一度スライムーン3世を見て、「ペットにしては趣味の悪い……」と嫌そうな顔をしていたが、スライムーン3世は悪口を言われたと憤慨してポヨポヨしていた。
「貴方を愛することはありません」
エヴァンは毎夜同じことを言うので、ミシェルはとりあえず「存じております」と返している。結婚初夜には大歓喜したが、毎夜言われるとテンション激下げである。名台詞は重要なシーンに言うから感動するのであって、日常回でゴリ押しされても何も響かないのだ。
「む、タオルを忘れました……」
エヴァンの発言にミシェルはいっそペンでシーツに境界線を引けばいいのでは? と思うが、「真顔で怖いことを言うのはやめなさいと叔父さんいつも言ってるだろ」とよく怒られていたので、出窓でスヤスヤしているスライムーン3世を呼んで、ムギュッと掴んでビヨーンと引き伸ばした。
が、エヴァンに手を掴まれる。
「やめなさい」
ガチ怒られである。さすがにミシェルはシュンとして、ポヨポヨの体をきゅっと手のひらで押さえて元に戻す。それからそっと枕元に置いてあげた。
「スライムーン3世……1世と2世はいったい……まさか……」とエヴァンはブツブツ呟いている。
「ではわたくしは別室で寝ます。おやすみなさい」
境界線がないなら即時開戦もまったなし。すごすごとミシェルは寝室から出ようとしたが、またエヴァンに手を掴まれる。
「なんでしょう?」
「ここで寝なさい」
ふわふわとした天使様みたいな相貌なのに、声音はとても冷たい。ミシェルは首を傾げた。寝室を分けるのはエヴァンにとって都合が良いことなのではないだろうか。
「君を愛することはないから、ここで寝ても構わない」
「はあ」
「君を愛することがないから、境界線がなくても問題ない」
「はあ」
「だから安心して寝なさい。ただ、こちらには背中を向けること」
「顔を向けたらどうなりますか?」
やっちゃいけないこと、はとてつもない魅力を持っている。ヤベェから食べちゃいけない草と同じである。
「なにが起きても覚悟することです」
なるほど、開戦である。武器の使用も辞さないやつである。ミシェルは緊張しながらも、そっと頷いてベッドに横たわった。
新婚初夜から二週間が過ぎても「貴方を愛することはありません。だから今日もゆっくりぐっすり寝なさい。ただし顔はこちらに向けるな」とまるで銃口を向けられた兵士のような緊張感を帯びつつエヴァンが言うので、ミシェルは一つの仮説に辿り着いた。
──マインドコントロールである。
つまりは「貴方を愛することはありません」と毎夜言うことでミシェルを洗脳し、あの一目見ただけで千年の恋に落ちる顔に焦がれて馬鹿な懸想を抱く可能性を排除している。
この仮説に気づいたとき、ミシェルは「ヤバ草」を口にした時のように、世界の真実の一端に触れたような気がした。わたくし、賢すぎる。これこそがファイナルアンサー。
エヴァンはとんでもない美青年である。それこそ一声かけただけで老若男女恋に落ちる。見知らぬ他人からの好意など、エヴァンにとってはただの気味の悪いものだろう。いらないものをたくさん押し付けられてきたとしたら、大変な苦労をしてきたはずだ。
しかも結婚相手は平々凡々の特筆すべき点がないモブ女ときた。これはもう結婚という誓約を盾にとって好き勝手できる権利を握られたも同然。
エヴァンはフェア精神溢れるベッドスペースをフィフティ・フィフティで分けてくれる人間性まで美しい男性である。なので、優しさゆえに寝室を分けられない。ベッドから蹴落とすこともできない。
彼に残された唯一の抵抗は、「貴方を愛することはありません」と祈りのような洗脳なのだ。
「まるで恥辱に堪える女騎士のように高潔だわ……!」
ミシェルはブルブルと震えた。すごい、神様が与えたもうた奇跡だ。
最初ミシェルは、やはりエヴァンには心に決めた人がいるのかもしれないと考えた。いくら流行りの小説のようなセリフだとしても、新婚初夜に仮とはいえ妻に向かって言い放つセリフではない。好いた男性でも女性でもスライムでもいるのかも、とツテのツテのツテを頼って調べてもらったが結果は白。
唯一「初恋の人を忘れられない」という記述があったが、彼のここ十年の人付き合いを見ると特に該当者も見当たらない。
──となると、初恋の人はおそらく亡くなっている。「操を立てる未亡人だわ……!」とミシェルは泡を吹きそうになった。あの顔で亡くなった初恋の人を十年以上想い続けるなど、そのことを知った人間たちを狂わせてしまう。なんてこと、とミシェルはあまりの事実に子うさぎのように震えるしかなかった。
家のつながりでミシェルはエヴァンと昔から何度も顔を合わせているが、言葉を交わした記憶は特にない。昔から女の子のように可愛かったエヴァンは、四歳下のミシェルと顔を合わせるたびに逃げ出していた。
初めての顔合わせはたしか十年前の話だが、すでにその頃エヴァンは十二歳のはずだ。初恋を経験していてもおかしくはない。
こうなったら悪役はミシェルである。
ここで悪役令嬢転生のお鉢が回ってくるとは、華麗なる伏線回収すぎてスタンディングオベーションするしかない。エヴァンがあまりにも可哀想すぎる。
こうなったら離縁するしかない。なるはや離縁だ。それか「シニ草」を口にして偽装死して籍を抜くしかない。しかし結婚二週間目で妻に死なれたらエヴァンが可哀想である。あのスライムのように柔らかいハートに傷を負わせてしまう。
彼はミシェルを洗脳するしか選択肢が残っていないのだ。相当追い詰められている。
とりあえず、ミシェルは紙を取り出して「期日までに円満に離縁することを約束いたします。なおなんらかの理由でミシェル・カールトンが離縁を渋った場合、この毒薬をスプーン一杯分ほど食事に混ぜて口にさせることをお勧めいたします。医師や医師の立ち合いの元、薬効も合わせてご確認ください」との契約書にサインをした。乾燥して粉末にした毒薬のシンダ草も薬包紙に包んで一緒に渡すつもりだ。
たぶんミシェルなら耐性があるためギリギリ死なないはずだ。たぶん。
ミシェルは満を持して夜にエヴァンの前に立ちはだかった。「お話があります」と意気込んで言えば、エヴァンの顔がサッと青ざめる。
「……私が何かしましたか?」
「あなたは何もしてません。わたくしの問題です」
ミシェルは手に持っていた手紙と薬包紙を渡した。エヴァンはそれを恐々と受け取ったあと、震える指で手紙を開く。ラブレターだと思ったのかもしれないが、安心してほしい。エヴァンにとっては最高のラブレターである。ミシェルの真心をとにかくいっぱい詰めたのだから。
「……私が、何かしましたか」
掠れた声音に、ミシェルは瞠目した。青い瞳から一筋の涙がこぼれ落ちるのを、放心しながら見つめる。
「な、なにもしてません、エヴァン様はいつもお優しいです……」
「なら、何が不満ですか……!? 毒薬を飲ませろなどと、死んだ方がマシなぐらい私がお嫌いですか!?」
「違います、わたくしはエヴァン様を安心させたくて……」
「どう安心しろと!?」
ガチ怒りしている。ミシェルはアワアワとしながらも、ここで理路整然と説得できなければエヴァンにさらに傷をつけるだけだと考える。なので出来るだけ冷静に理由を話すことにした。
「エヴァン様は毎日『貴方を愛することはありません』と言っているので、なぜ毎日そうも言い聞かせるように口にするのだろうと不思議に思っていました。そして気づいたのです。エヴァン様は初恋の方が忘れられないのでしょう?」
「は?」
「大丈夫です、存じております。ですが口約束とは言え婚約は家同士の約束、こんな冴えないし食べられもしないような草みたいな女と結婚する羽目になり、貴方が抵抗するように『愛することはない』と繰り返していることも重々承知です。ですが、大丈夫です。わたくしと離縁してもなんら問題はありません。わたくしは一人でも身を立てる術がありますし、エヴァン様も同様にお一人で生きていける方です。家同士の約束とは言え、お父上もご理解していただけるはずです」
「は?」
「ですから、洗脳する必要などないのです!」
ぎゅっとエヴァンの手を握りしめる。ミシェルはその人肌の暖かさに泣きそうになった。ポケットから別の薬包紙を取り出して、エヴァンの前に突き出して見せる。
「明日にでも離縁していただいて構いませんわ。離縁が嫌ならこちらのシニ草を飲みます。三日ほど仮死状態にはなりますが、葬儀の時間は稼げるでしょう」
叔父に昔、「お前は人でなしの才能がある」と言われたことを思い出す。そのときミシェルは「人でなしって才能なんだ」と妙に感心したものだが、今ならよくわかる。
邪険にしてもおかしくはないミシェルに、エヴァンは朝食のときは「おはようございます。今日は美味しいパンが焼けたそうです。貴方の好きなウマ草のブレッドです」と声をかけ、夜には「昼ごはんはきちんと食べましたか? 葉物以外で。野菜も計上しないでください」と心配してくれる。結婚してからまだ二週間ほどではあるが、毎日「庭のハル花が綺麗に咲いていますよ」などと言葉を告げて、日々の真新しさをミシェルに教えてくれる。「スライムーン3世は貴方と同じく草しか食べませんね……」と困ったように言われたとき、ミシェルは思わず笑ってしまったのだ。
ミシェルが寝ているときだって、おそらく何回も寝返りをしている。たぶん領域侵犯もしている。でもエヴァンは何も言わない。何も気づいてないフリをする。
可愛い人だ。優しくて暖かくて、人でなしの才能がまったく無い人。
──だからこそ、手放してあげたい。人でなしの手のひらの上から。
「エヴァン様、何も憂うことはありません。私は貴方の味方です」
そう言って、ミシェルはできるだけ優しく微笑んだ。
──のだが、エヴァンは「この人でなし!!」と吠えたので、ミシェルは飛び上がってしまった。
「貴方って人はいつもそう! 私のことをなんだと思っているんですか!? スライムーン3世の百分の一くらいは私に関心を向けてください!!」
「は、はい」
「貴方が……貴方が……ッ! 愛の重い男が嫌いって言うから……!! 頑張って毎日あんな酷いことを言っていたのに……!! マインドコントロール? そうですよ!! セルフマインドコントロールですよ!! 自己洗脳です!! じゃないと一緒のベッドで寝られる訳がないじゃないですか……!!」
「はい……」
「私の話なんか聞かなくて良いと思ってます!? 昔っから貴方って人はそうですよね!? 私を気まぐれに助けたスライムみたいなものだと思ってるんでしょう!?」
ガチ怒られが発生している。しかもかなり面倒くさい怒られ方をされている。ミシェルはベッドの上で久しぶりに正座をしながら縮こまって相槌を打った。嵐が去るのを待つってこんな気分。
「何か言ってください!!」
キレられ方が理不尽。ミシェルは咳払いをしてから、一番初めに抱いた疑問を聞くことにした。
「あの……わたくしたちそんなに親交はなかったはずですよね……?」
「はあ!?」
クワっと目を見開かれた。美人なだけにとてつもなく顔が怖い。
「私を、覚えてない……?」
「いえ、初めて会ったのがわたくしが八歳の頃だと記憶しておりますが、喋った記憶があまりなく……」
エヴァンは唇を引き結んでから、「あ」と何か思い至ったように呟いた。
「貴方、六歳頃の記憶はありますよね?」
「あると思います」
「その頃は貴方の叔父上のところで、しばらく避暑のため過ごしていたかと」
「暑かった年でしたので」
「その頃怪我をしたと貴方の家に押しかける少年がいたのを覚えていますか?」
実は転生に気づいてから七歳以前の記憶が薄くなっていたが、なんとなくボヤッとした記憶はある。唇に指の節を当てて集中しながら、記憶を手繰り寄せる。六歳の頃、叔父の研究所に滞在していたときに、確かに毎日来訪してくる少年たちがいたような……。
「いましたね……」
「その前歯二本の抜けた丸刈りの金髪小僧が私です」
「なんですって?」
前歯二本の抜けた丸刈りの金髪小僧。
目の前の美貌とあまりにも結びつかないが、確かにそんな容姿のクソガキもとい少年が居た気がする。
転んだと泣くので研究中の薬草を膝に塗り塗りして、「明日も来てね」と経過が見たいために言っていた気がする。人体に影響はない薬草で配合の比率を確かめたいので、怪我をしたらとにかくお薬を塗り塗りしていた気がする。
そして叔父が「人でなし……」と後ろでボソッと呟いていた気もする。
「まさか、あなたが……!?」
「そうです、覚えてくれて良かった。覚えてなかったらどう思い出させようかと……」
「まあ、まあ……! 2世くん、こんなに大きくなったのね……!!」
感涙してしまうほどの成長っぷりだ。思わぬ再会に胸の内が震える。
「待ってください、私が2世なんですか……?」
エヴァンはミシェルの濡れた頬を指で拭いながらも、困惑した声で聞いた。
「叔父様があなたをクソ野郎の2世と言っていたので……! まあ、こんなに立派な天使様になってわたくし、嬉しいです……!! 待って、では1世くんはあなたのお兄様……!?」
「すごい初耳です」
「コイン一枚分では収まらないハゲ部分が頭にあった少年なのだけれど、彼あなたのお兄様だと言ってらして……」
「兄ですねそれ。色々初耳ですけど」
六歳までは普通の子だったので、一世二世の法則性を知らなかった。なので「2世くんのお兄ちゃんなら1世くんね」と思ってそのような呼び方をしていた。
しかしながら、あの歯抜けの泣き虫少年が素晴らしい美青年に育つとは。神様もびっくりの成長具合だ。
「では初恋の方は……まさか叔父様!? 駄目です、彼は男やもめだけれど奥様が今も忘れられなくて……!!」
「貴方です」
「なんですって?」
「貴方です」
「まあ……」
まあ、である。思い当たる節がまるでない。
「一応理由を聞いてもいいかしら?」
「泣いてる私の手を引いて傷薬を塗ってくれてからずっと好きなんです」
「まあ……」
切なげに伏せられた目蓋に、ミシェルは真相を墓場まで持っていくことに決めた。滑らかな肌に落ちたまつ毛の影に、ミシェルのなけなしの慈愛が湧き上がってくる。
「だから、結婚してくださいと言いましたよね。そして貴方は『愛が重い男はちょっと』と断ったので、私は貴方に愛してもらうために頑張って、父上に駄々をこねてやっと婚約まで漕ぎ着けたんです」
確かに愛が重量級である。
「それなのに貴方って人は……!!」
やばい、また怒りがぶり返してきたらしい。
ミシェルはそっと美しい顔に手を伸ばし、身を乗り出した。頬を手で包み込んで、額に唇を柔らかく落とす。正座で痺れた足がもつれて、体ごとエヴァンを押し倒してしまった。頭を持ち上げて、ふわふわとうねる金色の前髪越しに、青い瞳を見つめる。
「あなたが怪我を痛がるときはいつもこうやっておまじないをかけていましたね。もう痛くないですか?」
エヴァンが頬を赤らめて、「貴方は昔から人でなしです……」と悔しそうに呟くので、ミシェルは子供の頃のように無邪気に、心の底から笑ってしまった。
「離縁はしません。いいですね?」
ミシェルの下敷きになったエヴァンは、そっとミシェルの頬に手を寄せた。躊躇いがちな仕草に、思わず顔を擦り寄せてしまうのはミシェルが人でなしだからだ。
「私の愛が重すぎて、貴方が離縁したくなったら。その手紙の薬を私に飲ませてください」
ベッドの上に放り投げられた手紙と薬包紙の中の毒薬。それに視線を向けながら、エヴァンが力無く笑う。無理に笑おうとして強張った顔に、ミシェルは手を添えて視線を固定させる。
「わたくしが離縁したくなったら、あるいはあなたが離縁したくなったら。毒薬を半分にして二人で飲みましょう」
丸くなった青い目は、たしかに六歳のミシェルが飴玉みたい、と見つめていたものだ。いつもうるうる潤んでいたので、いつか溶けちゃいそうと子供ながらに思っていた。溶け落ちる前に、笑わせないと、とも思っていた気がする。
「わたくし、スリルが好きなんです。それでお互い生き残っていたら、またわたくしと結婚してください、エヴァン様」
ミシェルが目を潤ませながらも笑う。その弧を描いた唇に寄せて誓うのは、人でなしの恋の末路だ。
いつも大喜利みたいなタイトルとネタにしてしまう
読了ありがとうございます。評価いただけると嬉しいです。
追記1: 彼にとってはマインドコントロールっていうかマインドフルネスかもしれない…。
追記2: 思ったよりも読んでいただけたようなので御礼SSを活動報告に上げています。エヴァン(10)の初恋回とその後になっています。サクッと呼んでください。(2025.06.24)