第1話「死の瞬間」
赤黒い空の下、血に染まった大地が不吉に広がっていた。
焦げた木材と鉄の臭い、遠くで響く断末魔、そして肌を刺す熱風――
ここは、クラウス南部戦線・第七戦域。
数時間前まで城塞だった場所は、今や瓦礫と死体の山だった。
瓦礫の頂に、一人の男が立っていた。
銀色の髪を束ね、長衣の裾を風になびかせている。
顔に煤が付着し、血が滴る肩を無造作に押さえながらも、その背筋は微動だにしない。
**シオン・レーヴェンハート。**
クラウン王国が誇る“知将”にして、“最後の軍師”と呼ばれた天才だった。
その手に握られているのは剣。
本来、軍師が戦場で剣を振るうなどあり得ない。
だが、兵が尽き、策も尽き、砦が落ちた今、残された選択肢は一つだった。
「……総指令、本隊の撤退完了しました!」
砕けた石の影から、若い兵士が叫ぶ。
まだ少年と呼んでいいほど幼い顔。
彼の瞳に宿るのは、恐怖と――希望。
「よくやった。指示通り、第二峡谷を抜け、東回廊まで退け。以降はノーコード通信に移行せよ」
「はっ……ですが、軍師殿は……!」
「命令だ、ソルド伍長」
「……っ!」
少年兵が唇を噛み、拳を握りしめる。
だが、軍師の命は絶対だ。
「“銀律第七条”。軍師が残るとき、兵は必ず生きよ」
「……申し訳ありません……!」
ソルドが走り去ると、戦場には再び静寂が戻った。
否、それは嵐の前の静けさにすぎない。
風が止まり、空気が粘つき始める。
地平の向こうから現れたのは、黒鎧の大軍。
旗印は“灰王国ロド=ヴィール”、クラウンの宿敵だ。
「……これで、五千か」
シオンは呟きながら、脳内で戦術計算を開始する。
視界の左にホログラフの戦術演算式が浮かび、補助記憶装置《戦導核》が作動を始めた。
《提示:敵部隊予測行動アルゴリズムB-7起動。平均戦闘持続時間――6分13秒》
(……なら、5分持たせれば十分)
この機構は、魔導科学の遺産であり、彼の脳と同期して“未来の戦況”を計算するもの。
神経に直接干渉するため、負荷は高い。
だが、それがなければ、今この瞬間すら生き延びられない。
敵軍の前衛が突撃を開始した。
「始めようか。最後の布陣だ」
シオンは剣を持ち、駆けた。
***
五感すべてが研ぎ澄まされる。
耳元を掠める風音。
刃と刃が噛み合う金属音。
火薬の臭いと、焦げた大地の熱。
だが、その中でも彼の意識は冷静だった。
動線を見極め、敵の死角を突き、最小の動作で命を削る。
戦術ではなく、**戦略としての殺戮。**
それが、軍師シオン・レーヴェンハートの最終演目だった。
しかし――限界は、あっけなく訪れる。
背後に回った敵の一閃が、彼の腹を斜めに裂いた。
「っ、ぐ……!」
膝が崩れる。
《アーカライン》が強制遮断され、視界がノイズで揺らぐ。
それでも彼は笑っていた。
「……策は尽きたが、後悔は……ない」
地に伏しながら、最後に思い出すのは――
少年兵ソルドの顔。
そして、彼に託した未完成の“新型戦術コード”。
(あの戦術が、この世界を変える礎になるのなら……)
「……次があるなら……私は、もう一度……軍師として……」
光が満ちた。
世界が、彼を飲み込んだ。
***
意識が沈む、その最中。
彼は声を聞いた。
「汝、選び取るか。“やり直し”の機会を」
(誰だ……)
「世界はまだ、汝の叡智を欲している」
(……この声、まさか……)
「ならば――生きよ。次なる舞台で、汝がすべてを統べよ」
そして、まばゆい光の奔流が彼を包み込んだ。
銀の光はやがて収束し、そこに――新たな命が、静かに芽吹いていた。




