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マイ・シュガーレスタルト

 マイは水泳が好きだった。プールの青い水面に顔をつけると、現実の音が消えていく、あの感覚が心地よかった。水の中では、すべてが静かでおだやかだった。マイが水を蹴ると、面白いように体が前に進んだ。


「そんなに食べたらますますデブになっちゃうよ」

 小学校四年生の給食の時間、クラスメートのトシオにそう言われた瞬間、マイの時間がとまった。教室にひびく男子たちの笑い声が胸を刺した。決して痩せているほうではなかったけれど、まさかデブだと思われていたなんて。笑ったということは、みんな心の中でそう思っていたんだ。好きだったトシオに言われたことがさらにショックだった。

 それ以来、甘いものが食べられなくなった。お菓子のコマーシャルを見るだけで血の気が引いていくのを感じた。


 女子たちがトシオをとりかこみ、糾弾してくれた。とくにマイの親友チユリの口撃は激しかった。

トシオはマイの前にしぶしぶ立ち、口をとがらせてあやまったが、許せるはずもなかった。


 マイは水泳をやめた。水着を着ることができなくなっていたのだ。


 中学に上がるころ、母親が雑誌を見せてくれた。

『ケトジェニックダイエットで体をリセット』。

「糖分を抑えて、エネルギーを脂肪から作るんだって。やってみる?」


 家族の協力のもと、マイは少しずつ食事を変えていった。

 二か月がたったころ、ふたたびスイミングスクールを訪れた。水は、よく戻ってきてくれたねと言いたげに、やさしくマイを迎え入れてくれた。


 努力の結果、高校三年でオリンピック強化選手に選ばれた。しかし、極端な食事制限と過酷なトレーニングにより、体は悲鳴をあげていた。医師に「このまま続けると取り返しのつかないことになる」と警告され、マイは競技生活に終止符を打った。


 いっぽう、トシオのほうは後悔の渦の中にいた。あの日、自分が何気なく放った言葉はマイを深く傷つけたばかりでなく、彼自身にも深いダメージを与えていた。

 小学生男子のいう「デブ」「ブス」は「好き」の裏返しなのだが、そんな心理が女子に理解されるはずもない。


「せめて償いの気持ちをかたちにしたい」

 トシオはパティシエになることを決意した。マイが安心して食べられるシュガーレスのお菓子を作りたい。もしマイが食べてくれないとしても、彼女と同じような境遇の女性が喜んでくれるのなら、挑戦のし甲斐があるというものだ。

彼はスイーツの材料、レシピ、栄養学、生理学など、集められるだけ情報を集め、思いついたことは片っぱしから実践していった。


 そのかいあって高校の文化祭で出したシュガーレスのタルトは評判をよんだ。

「こんなに美味しいのに砂糖不使用なんて」と、おどろきの声が相次いだ。


 教室の入り口にマイとチユリがあらわれた瞬間、トシオの心臓は跳ね上がった。見慣れない制服を着た彼女たちがまぶしかった。チユリは気さくに「元気?」と声をかけてくれたが、マイは一度もトシオと目を合わせようとしなかった。コーヒーに少し口をつけただけで、タルトには手もふれなかった。


 高校を卒業するとトシオは地元の菓子店に就職した。そのころにはすでにかなりの腕前になっていた。店はトシオの作る砂糖不使用のスイーツを求める女性客であふれかえった。

 数年後、日本で有数のパティシエコンクールのシュガーレス部門に出場した彼は、みごとに優勝をかざった。


 成人を迎えた頃、中学の同窓会の知らせが回ってきた。幹事長のチユリから、スイーツの制作依頼を受けたトシオは、迷わず引き受けた。マイが来るかどうかわからない。それでも彼は二種類のデザートを用意することに決めた。砂糖入りと、シュガーレス。


 当日、マイの姿はなかった。トシオは落胆した。が、会が終わるころに会場の扉が静かに開いた。


「……マイ?」

 みんなが見守る中、マイは黙ってテーブルに歩みより、トシオが用意したデザートを見つめた。両方のタルトをじっと見比べてから、ためらわず砂糖が入っているほうのタルトを手に取った。

「あ、そっちは……」トシオがとめるのもかまわず、マイはひと口かじった。


「ふうん、まあまあね」

 そう言い残して、マイは会場を後にした。

 あっけにとられるトシオ。

「何してんのよ、追いかけなきゃ!」チユリが言いながらトシオの背中を押す。


 慌てて会場を飛び出すと、マイは歩道に佇んでいた。街灯の下、コートのポケットに手を入れてうつむいている。街燈がその横顔を優しく照らしていた。


「あの、ありがとう。食べてくれて」トシオが声をかけると、マイはいたずらっぽく笑った。

「おいしかったよ。くせになってまたデブになりそう」

「あ、いや、だから、ホントにごめん」トシオはあわてて両手を振った。

「うふふ、冗談よ。がんばったね、トシオくん。コンクール優勝おめでとう。それだけ言いたかったの」


 トシオの胸が熱くなった。マイはようやく許してくれたのだ。それを伝えるためにわざわざ来てくれたのだ。

 

 マイがくるりと背を向け、歩き出した瞬間、トシオは勇気をふりしぼって言った。

「あ、あの今度さ、どこか食事でも……」

 マイは立ちどまり、あさっての方角をみながら答えた。

「うん。今まで食べられなかったおいしいもの、いろいろ教えてくれたら、うれしい……かな」


 遠くでチユリが、やれやれ、といったようすで肩をすくめている。


(終わり)


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