第9話 光の神話と闇の宿業にさよならを――新天地を目指す魔王と祝福を授ける巫女の物語
怒涛の展開に僕も優梨もついていけない。
呆然としたまま、姿勢を崩さない秋保さんとよれよれの華厳宮のやり取りを眺める。僕たちには分からない内容ながらも、荷台の上で膝に両手を重ねたまま落ち着いて座っている秋保さんと、見下ろされたまま濡れ鼠姿できゃんきゃんと吠えている華厳宮の対比が、2人の力関係を如実に表している。
だんだんと華厳宮の勢いと頭の位置が低くなっていく。なんていうか……調教されているように見えてきた。
手を繋いだままの優梨が、ぽつりと言った。
「……あの那智さんが言い負かされてる。すごい」
そういえば、優梨は華厳宮と厨二病語で会話をしていたんだったな。僕のおっさん呼びをスルーしていたし、アイツの厨二病語はずいぶんと自分にだけ都合の良い使い方をしていたみたいだ。
馬車の中でも、優梨の揚げ足取りに終始していたみたいだし。
「華厳宮って、オフ会とか『漆黒のディスタンス』推しの人たちが集まるところとか、そういう所でも相手を言い負かすことが多かったの?」
「うん…。気がついたら那智さんの言い分が通ってるの。
あ、那智さんって呼ぶように決められたのも、そうだった」
は?華厳宮。
お前、10歳年下の女の子に名前呼びさせるように仕向けたのか?
なんだかじわじわと怒りが湧いてきた。
優梨の優しい厨二病語と、自己都合と自己弁護のために利用している華厳宮の厨二病語を、一緒にさせたまま終わりにしてたまるか。
「ねぇ、優梨。こういう場合、どういう風に言い換えればいいか教えてくれないかな?」
きょとんとした顔の優梨が僕を見上げる。
「ここまで他の人に引っ搔き回されてばかりだったし、最後に僕らで少しばかりロキの悪戯と洒落込まない?」
にいっと僕が笑うと、「悪い顔してる」と優梨が呆れたように言った。
***
「那智。口答えがこれ以上続くなら、おしおきしないといけなくなる。その辺でもう鳴くのはやめておけ」
「な、泣いてなんかいない!」
「半泣きですね」
「黙れ、セバスチャン!」
「菊池です」
不毛な言い合いがまだ続いている。
落ち着いて地下道をよく見回すと、終点になる城の地下入り口の扉が見える距離にあった。
このまま優梨と先に帰ってもいいんだけれど、華厳宮に最後の一撃を喰らわせないと僕の気が済まない。
ちょっとだけ優梨には汚い言葉を使わせてしまうかなと心配だった。けれど、華厳宮の話の聞かなさに優梨も実は腹を立てていたのか、「やるやる」と食い気味で承諾してくれた。
こほん、と軽く咳払いをして、声を張り上げた。
「わぁ〜!華厳宮の頭が眩しいなぁ!」
正直、頭髪部分を指摘するのは気が引けるが、相手はあの華厳宮だ。曖昧なところを切り込んでもノーダメージだろう。本人が自覚しているウィークポイントだからこそ、突っ込ませてもらう。
案の定、華厳宮は慌てて両手で頭頂部をおさえると、殺意に満ちた目で僕を睨んだ。
華厳宮が口を開こうとしたところで、優梨がトドメを刺す。
「暗黒の宇宙においてなお、至高の輝きを冠する者よ。
世界中の嘆きに満ちた雨に打たれても、その権能と威容に陰りを見せることは一切ないだろう。
――されど我等に、光の神の加護はいらない。
ヤドリギのように芽生えた想いが微かな痛みとともに、陽だまりのような温もりを与えてくれるのだから。
崩れ落ちる天の宮殿を眼下に見据えながら、感謝と別れを貴方に告げよう。
比翼連理の絆とともに、虹の橋すら超えて、私達は新たなる世界へと飛翔する――!!」
パリィン……!と、ハートの形をしたガラスがひび割れた音が幻聴で聞こえた。
華厳宮は顔面蒼白で勢いよく両膝を床に叩きつけた。もちろん両手は頭に乗せたまま。
僕と優梨は、荷台の上にいる秋保さんにアイコンタクトを強烈に送った。
一瞬、驚いたような顔をした後、僕らの期待を理解してくれたらしく、目を細めて笑みを浮かべた。
「ふふふ。那智。お前フラれたな」
「う、うるさぁい!」
「あぁ。わたくしはうるさいぞ。
月を愛でるために秋の虫があれほど鳴いているのだ。
それ以上にうるさくしなければ、月に気づいてもらえないからな」
「……うるさい」
「那智、月はいつでも美しいものだ。満ちていても欠けていても。
だが、見えないと寂しいものだ。
太陽の役割はわたくしがしよう。お前はただ照らされて輝いて、わたくしに愛でられればいい」
「……結局、うちの事業もお前がやるのかよ」
「責任は全てわたくしが取る。那智は好きなように動け」
「本当に月と太陽じゃねぇか」
「似合いの男女だな」
「……そうだな」
「ようやく認めたな、那智」
ずっと荷台の上から動こうとしなかった秋保さんが、すっと立ち上がると、菊池さんの手を借りて地下道まで降りた。
「菊池。2人を送り届けろ。
わたくしは那智と話をする」
「畏まりました」
軽く頭を下げながら、僕たちに言った。
「那智が迷惑をかけた。必ず詫びに伺う」
「……どうして秋保さんは那智さんに言い返せるんですか?」
優梨がぽつりと問いかけた。
それも普通の言葉で。
僕は驚いたけれど、それを顔に出さないようにした。優梨が何かを変えようとしているのが分かったから。ここで邪魔をするくらいの男なら、優梨の隣にいられない。
「昔からの付き合いだから……いや、違うな。君が訊きたいのはそんな事ではないのだろう。
そうだな…。
強いて言うならば、見極めだろうか。真正面から向き合うべきことと、流してもいいことを見誤らないようにしている。
言葉は取り返しがつかない。沈黙も無視も同じようにやり直しはできない」
「取り返しがつかない……」
「間違いには後から気付くから、そういうものだと気をつけるくらいしかできないが。まぁ、幾分かはマシだろう」
「その間違いのせいで、このクソボンボンが初恋拗らせ野郎になったのですよ。お嬢さん」
「口の軽い執事だな。
那智のところで悪い影響を受けたようだ」
軽く笑うと秋保さんは、僕と優梨の方を見てから言った。
「少なくとも君たちはわたくしたちのようになることはないだろうな。
とてもよい繋がりをしている」
いたずらをするように、ずっと繋いだままの僕らの手に向けて、指さしをした。
「それ、いいな。
今度から那智としてみる」
その笑った顔がなぜか優梨に似ていて、華厳宮の拗らせ具合もすごいものだなと改めて思った。
「瀬田優梨様。剣ヶ峰騎士様。
お送りしますので、どうぞご乗車ください」
「あ、はい。お願いします」
「優梨、高さあるから、気をつけて」
優梨の手をとりながら、荷台に上がって、やっぱり厨二病の言葉が出なくなっているなと、僕は思った。