第5話 円環の理ーウロボロスの神殿
「ねえ…優梨、この人誰?」
「この御仁は……我と同じく『漆黒のディスタンス』の鮮烈さに惹かれた同志にして、オフなる集いで邂逅せし華厳宮那智殿」
「オフ会って優梨、そんなのに行ってたのか……」
そういえば、時々オンリーイベントに出かけるとか言って、ひとりで出かけていたっけ。
本屋に行くようなものかと思って、ついて行こうとしたらテンパった感じで何度も断られたのを思い出した。
僕が記憶を辿っていると、優梨が片手を額に当てながら、斜め下に視線を向けて言い訳のように言い出した。
「もとい知っての通り大抵のことには動じない我ではあるが、漆黒の世界に耽溺する様を周知の者の前で晒すというのは、些かの照れを感じずにはいられなくてな……ましてや、それが魂の伴侶と認めた騎士の前でなら、なおさらのこと」
よほど恥ずかしいのか、僕相手に早口で厨二病語だ。
でも、そうか。そういうところでなら優梨の厨二病語も問題なく通じていたのか……。
“魂の伴侶”と言われて若干ドギマギしつつも、それと同時に胸の中で何かモヤモヤしたものが燻り出した。さっき、教室で感じたものにとてもよく似ている。
いや、今はそんなことを気にしている場合じゃない。
優梨のことを「我が薔薇姫」って白昼堂々言い放って、照れもしない成人男性。色んな意味でヤバい気配しかしない。
「……おじさん、優梨に何の用?」
「うん、君が薔薇の姫君の騎士だね!護衛をありがとう。
あとは私に任せるように。
姫、ようやくあなたを迎えるにふさわしい場所を整えることができました」
おじさん呼ばわりという僕の牽制をスルーすると、華厳宮は片足を曲げてひざまずき、優梨の片手を恭しく白手袋の両手で包み込んだ。
「ついに、ウロボロスの神殿が完成したのです……!」
「――ッ!?なんと……!!あの無限と円環の理に満ちたウロボロスの神殿が……?!」
驚く優梨と、それをうっとりとした目で見つめる華厳宮。
ん?ちょっと待てよ、優梨。
そいつ、どう見ても優梨に惚れていないか?
自分の彼女が、邪な思いを抱いているに違いない野郎に手を取られていて、苛立たない奴がいるだろうか。いや、いない。
すぐに2人の間に割って入ろうとしたが、それよりも早く黒光りする高級車が僕と優梨の前に横付けされた。
「さあ、漆黒の薔薇姫!!――荘厳たる神殿に相応しい貴方という至高の存在を!この私にエスコートする栄誉を授けてはくれないだろうか!!」
そう言うなり、華厳宮はスマートな動きで優梨を後部座席に導いた。
「ちょっと待てよ!」
「一緒に行かれますか?
どうぞ」
すちゃっと反対側の後部座席のドアが開き、セバスチャンが優雅に僕を車内へとエスコートしてくれた。
隙のない動きにつられて、素直に優梨と後部座席に並ぶように座る。
「出発しますから、シートベルトを締めてくださいね」
「うむ。頼んだぞセバスチャン」
「菊池です」
僕が呆気に取られているうちに、華厳宮は助手席に座り、さっさとシートベルトを装着していた。
「お!お兄さん!2人と友達だったのか!
あんまり遅くなるなよ〜!」
毘沙門商店のおっちゃんの声に送られながら、僕と優梨は知らない人の車に乗って、ウロボロスの神殿という何処だか分からない場所に向かうことになった。
なんでだ?
***
とても乗り心地の良い車の中で、身を固くしながら1時間。
真っ白な西洋風の大きな門をいくつもくぐった後、レンガの敷き詰められたテーマパークのような広大な場所に到着した。
「え?ここ、どこ?」
優梨と車から降りて、手を繋いであたりを見回す。
遠くには観覧車や、ジェットコースターのような高い建造物が見える。
綺麗に刈り込まれた植木に、花々が咲き誇る花壇。そして、ヨーロッパ中世と近世の入り混じったような石造りの建物があちこちにある。
状況を把握できない僕の手を繋いでいた優梨の手が、急にぎゅっと強く握りしめられた。隣に視線を向けると、興奮した様子で優梨が叫んだ。
「騎士、あれを見よ!
そなたも知っているだろう?教典『漆黒のディスタンス』の8巻で戦闘の場になったウロボロスの神殿だ……!」
優梨が感動に打ち震えたような様子で頬を紅潮させながら、まっすぐに指をさした先には。
透明な屋根の下に、水晶の六角柱を模したような巨大な柱が乱立していた。
その中央には円形のスペースができていて、優梨の言う通りに漫画で見たものにそっくりだった。
「我が黒薔薇の姫よ。お気に召していただけましたか?」
いつの間に着替えたのか、真っ黒なマントをなびかせて、黒のタキシード姿の華厳宮が優梨の隣に立っていた。
そして、真っ白いベールを優しい手つきで優梨の頭にかけると、制服姿の背中へと手を回した。
「約束が果たされるべきは、今この時を置いて他になし!!
――さぁ、いざゆかん!!我が麗しき漆黒の花嫁よ!」
「なにを……?!那智殿!そなたの妻にはなれぬとしかと返答したはず。
我にはすでに魂の盟約を交わした騎士がいると」
「おぉ……気高き薔薇の姫よ!騎士とは守れるだけの力を持つ者にこそ、相応しい称号なのだよ!!
……にも関わらず、その意味の何たるかも知らぬ凡夫が御身の傍に侍るなど、これは誰の目から見ても不幸としか言いようがない……!!
――漆黒の薔薇姫にして我が花嫁となる者よ。〝道は必ず正されなければならない”ということを、君もこれからは覚えておきたまえ」
そう言うや否や、華厳宮は優梨と手を繋いだままの僕の手に、鎖のついた手錠をかけた。
「ちょっ…おい!!おっさん!
何をするんだ!」
僕が手錠を外そうと、優梨と繋いだ手をゆるめた瞬間。
華厳宮は優梨を抱き上げると、ウロボロスの神殿に向かって走り出した。
「騎士!」
「優梨!」
繋いでいた手が離れる。
追いかけようとするが、手錠をかけられた腕が後方に引っ張られる。
「くっ!」
手錠が繋がった鎖の先を見ると、セバスチャンが立っていた。
僕と同じようにセバスチャンにも手錠がつけられていて、鎖で僕らがつながっているのだとようやく気がついた。
「手錠なんて何を考えてるんですか!」
華厳宮と違って良識のあるおじさんだと思っていたのに、この人も同じ穴の貉だったのか!
「……くっそ!なんだコレ!?
お願いです!この手錠を外してください!」
僕は手錠を外そうと闇雲に自分の手首に爪を立てた。固い金属は僕の肌に傷をつけるだけで、外れそうにもない。
セバスチャンは、ゆっくりと鎖で繋がった方の手を掲げて、首を横に振った。
「落ち着いてください。
鍵がなければ、外せません」
「それなら鍵を」
「ぼっちゃまが持っていってしまいました。マスターキーはここにはありません」
落ち着き払ったセバスチャンの声に苛立った僕は、力任せに手錠を鎖ごと振り回した。セバスチャンがたたらを踏む。
「……ふざけんなよ!!華厳宮!
優梨が“魂の伴侶”と言った相手は僕だ!
絶対にお前なんかじゃない!」
叫びながらウロボロスの神殿に目を向けると、そこにはもう2人の姿はなく、白いベールだけが残されていた。