第10話 ――あるいは、どこにでも羽ばたいていけるどこにでもいそうな2人のおはなし
「瀬田さーん、ばいばーい」
「騎士、睨むなよ。心が狭すぎるとフラれんぞ」
「睨んでないって。じゃあな」
「また来週、学校でね」
僕の友達にひらひらと片方の手を振る優梨。
もう片方の手はカバンを持っているから握れない。舌打ちしそうになって耐える。いつまでも手を振り返すな。優梨の手が握れないじゃないか。
冬休みも近い金曜日の帰り道。
寒いからと優梨の手を握る日課を始めて1週間くらい。そんなに寒いなら100円ショップに行こうという優梨を今日もはぐらかして、僕は手を繋ぐ。
「100均の手袋をして手を握った方が暖かいと思うんだけど」
「どうせ買うならクリスマスプレゼントにさせてくれないかな」
「えぇ〜。それ、わたしが買う側になるじゃない」
「100均でもいいよ。優梨がくれるなら使う。その代わり、僕がプレゼントするものを身につけてね」
「……なんか騎士が言うとやらしい」
「なんでだよ」
「なんでも」
くふふと笑う優梨は、すっかり普通の女子高生のような言葉遣いになっている。
華厳宮に優梨が連れ去られたあの日から1ヶ月が経った。秋に彩られていた通学路も、すっかり冬の色になってしまい、葉のない街路樹と変わることのない常緑樹の緑だけになってしまった。
雪はまだ降らないけれど、もうそろそろだろう。
優梨と手を繋いで歩きながら、いつも通りに毘沙門商店に寄り道をする。テイクアウト用の小窓の前に、10人くらいの行列が出来ている。
「今日は那智さんのいる日みたいだね」
「華厳宮のおっさん、すっかり人気者になっちゃったな。どうする?寄る?」
「うん、マンゴージュース飲みたい」
手を繋いだまま、列に並ぶ。
テイクアウトコーナーの中で、華厳宮が微笑みを作りながら山田のおばちゃんにウインナーコーヒーを差し出しているのが見えた。
「マダム。熱いですから、お気をつけて」
「ありがとねぇー。でもおばちゃんの手って、熱さに慣れてるからこれくらい大丈夫よ」
「働き者の手ですね。
どうぞ、試供品ですが、よい香りのするハンドクリームです。マダムの手に触れてもよろしいですか…?」
優しい手つきで華厳宮が山田のおばちゃんの手にハンドクリームを塗りこんでいる。
「痒みなどありませんか?
あぁ、やはりマダムの手は美しい。
ご家族のために毎日の家事をされてきたことが分かる素晴らしい手だ。
冬の間、またおすすめのハンドクリームをご用意してお待ちしてますね」
「あらぁ、このハンドクリーム買わなくてもいいの?華厳ちゃんの売り上げになるんでしょ?」
「お気遣いありがとうございます。まずはこちらの試供品で。もしマダムがお気に入りになられましたら、毘沙門商店でお買い上げください。私はマダムにとって必要なものをおすすめできれば、それで幸せなのです」
そう言って、華厳宮は山田のおばちゃんの手をそっと包み込んだ。
「んまぁ〜〜♡」
おばちゃんが頬を染めて、嬉しそうに悲鳴をあげた。ハンドクリームよりも華厳宮の方が潤い保湿効果が高そうだ。
にっこりと笑う華厳宮は、もちろん髪型も整った状態で、アイロンのかけられた白シャツに清潔感のある紺色のエプロンをつけている。
ひと月前の姿を知っている僕らは、初めて見た時は何が起きているのか分からなかった。
山田のおばちゃんが店内に猛ダッシュして消えた後、のろのろと列が前に進む。
あんなんだけど、手際はいいので必要以上に待たされることがない。
行列の邪魔になるので、優梨と一旦手を繋ぐのを諦める。手が寂しい。
「秋保さんが華厳宮を連れて謝りに来てくれた時は、まさか毘沙門商店で働くことが決まってたなんて思いもしなかったよなぁ」
「本当ね。
秋保さんが那智さんの考えを改めさせるって言ってたのがこういう意味だとは思わなかったもの」
正式に華厳宮と秋保さんが婚約をして、今後の事業提携のためにも華厳宮の再教育は必須だったらしい。
そこで秋保さんが選んだ方法は、毘沙門商店で働くことだった。
「利益を守った上で、顧客の要望に応える。さらに取引業者とも長い付き合いをする。
ここ、毘沙門商店には商売の基本が収まっている。那智のやることは売る側の押し付けがいつも強すぎる。何が足りなくて、何が多すぎるのか学んで来い」
そう言って、秋保さんは毘沙門商店近くの安いアパートに華厳宮を放り込んだ。金銭感覚を習得するためらしい。
「どれだけ甘やかされてきたんだろうね。那智さん」
「うーん。ただ単に秋保さんに意地を張ってて、全部裏目に出ていただけの気もする」
「あ、那智さん。こんにちは。
マンゴージュースください」
「いらっしゃいませ。可愛らしき薔薇姫。おい、そっちのニセ騎士。お前は何だ?」
「態度が違いすぎるだろ。今日のおすすめは?」
細々とした接客をしながら、待たせることをしない華厳宮の手腕は、たったひと月でたくさんのリピーターを作っている。やればできるのに。
本当に残念な人だ。
「収穫したてのリンゴが手に入ったから、リンゴジュースか特製アップルティーがおすすめだな」
「じゃあ、リンゴジュースで」
「かしこまりー」
「おい、ちゃんとやれ」
僕限定で口が悪いのがたまにキズだが、「初めてできた友人相手に浮かれているんだ」と秋保さんが慈愛に満ちた目で華厳宮を見ながら言っていたので、なんか、まぁ、いいか。
秋保さんとのお見合い話が出たころから始まった円形脱毛の症状も、近頃落ち着き始めたらしい。なんだかんだで華厳宮も社長令息としてのプレッシャーに耐えていたみたいだ。
テキパキと無駄のない動きで、マンゴージュースとリンゴジュースを作る華厳宮。
うん、だからやればできるんなら(以下略)。
「おまたせしました」
「ありがとう」
かつては厨二病語でしかやり取りをしていなかった2人が普通に会話をしている。
それだけで僕は親のような気持ちで見守ってしまう。
生ぬるい目で見ていると、華厳宮が少しだけ顎をしゃくって言ってきた。
「こぼすなよ」
「子どもかよ」
「まだ子どもだろ?
お前が子どものうちに、頼られる大人になるから待ってろよ」
紳士的な笑みを浮かべてリンゴジュースを渡してくる華厳宮に思わずトゥンク…と心臓が鳴ってしまう。
秋保さんの調教……もとい、再教育の力、恐るべし。
「騎士、帰るよ」
むすっと唇を尖らせながら、優梨が僕の手を引っ張る。「ありがとうございました」と朗らかに見送る華厳宮の声に送られて、僕たちは毘沙門商店を後にした。
「ふん。それにしても大したものだな、騎士よ?……盟約を結んだ己の伴侶の魂から、〝嫉妬”の理を通じて原初の獣性を引きずり出そうとしてくるとはな。――これが君の騎士道にして、魔王の敷く覇道というものなのか?」
「痛い痛い、優梨、爪立ててる!」
カバンを肩にかけて、ジュースを持っていない方の手を繋ぐ。優梨の握力では攻撃力が足りないので、怒っている時はいつも爪を立ててくる。もちろん子猫の甘噛みのようなものだけど、大げさに僕は反応することにしている。
「嗚呼……!!7年という歳月が私達2人の中に満ちていた頃、駿馬を駆る騎士が如く電車なるものを颯爽と乗り継ぎながら、単身で魔境:百貨店からマンゴージュースという神の恵みを私のもとまで持参したあの一途な騎士は、一体どこにいってしまったのか!」
「あれはあんまりにも美味しかったから優梨にも絶対飲ませたいと思って……って。待って。優梨。
7歳の時から僕のこと好きだったの?」
「……滅びの力よ!
今ここに集いたまえッ!!」
「やばい。萌え死ぬ」
優梨の厨二病語は、実はまだ健在だったりする。ただし、公衆の場で、僕にだけ。それもちょっと甘い言葉の時だけ。
地下道で秋保さんと話した後に、優梨の中で何が変わったのかは分からない。けれど、僕や家族以外にも厨二病語を使うことなく、普通の言葉を使うようになった。そして、厨二病語を黒歴史として封印することはせずに、僕とのコミュニケーションツールとして残している。
「ねぇ、優梨、ぎゅうって抱きしめたい」
「衝動に突き動かされるままに、天の運、地の利を敵に回す者は、騎士道どころか覇道すら歩むことは出来ぬと身をもって知るがいい……まぁ、人の和は?私達2人限定なら、これ以上ないくらいに完璧なれど……」
「そっか……要は、時と場所を選べばいいんだ?」
「~~~ッ!?――呼応せよ、我が罪禍!菴摩羅に宿りし創造神の加護よ、宇宙万物の真理たる乙女の装飾を剥ぎ取らんとする眼前の愚者に、裁きの一撃を与えたまえらんかしッッ!!!!」
真っ赤な顔でマンゴージュースのストローを口にくわえて、拗ねる優梨が可愛くて僕はにやけそうになるのを必死に抑えながら、いつも通りの帰り道を歩いた。
きっと高校が終わっても、大人になっても、優梨と2人で手を繋いで帰るんだろうなと、ふと思った。
「…….もぉ〜。なんで、騎士はわたしが何を言っても分かってくれるのかなぁ」
「どんな言葉を使っても優梨のことを理解したいと思ってるからじゃない?」
「……そっか。そうだね。
すごいね、騎士は」
「すごいのは優梨なんだけどな」
「何?」
少しだけ僕を見上げる角度になった優梨に、少しだけイタズラ心が湧き上がった。
軽く屈んで、優梨の額にキスをする。
「……な!」
「お返し。これ以上のヤツなら、優梨も返していいよ」
「天の運と地の利が味方してくれるまで大人しく待てと言っただろう!2人の和は最高なのだから、それくらい理解しろ!!」
「雪が降っても、桜が咲いても、青空の下でも、僕は優梨のどんな言葉でも受け止めるからね。覚悟してね」
「くっ……さすがは魔王の生まれ変わりにして、私にとっての運命の騎士か……これは世界の終焉が訪れても、私の事を離してくれそうにないな」
「生まれ変わっても彼女になって妻になってね」
「~~~ッ!!……そう思うのなら、ほんのひと時くらい呼応せよ!我が騎士!!」
〜『美少女なのに厨二病の幼馴染に「前世で契りを交わした魔王の生まれ変わりは俺だ」とあからさまな嘘をついたら、キスをされて付き合うことになりました』〜
ENDE
Danke fürs Lesen.
くまの ほたり und アカシック・テンプレート




