第1話 可愛い幼馴染は厨二病
「――呼応せよ、我が罪禍。赫奕たる大地よりもたらされた至宝の恵みよ。菴摩羅なる神名とともに、我に万象を支配するための力を与えたまえらんかし……!!」
「あ、すみませーん!マンゴージュース1つお願いします。
僕はこのクリームメロンソーダで」
「へい、まいどあり〜」
衣替え前の金曜日の放課後。
学校帰りに夏の制服姿で、商店街の雑多な匂いと音のする中、僕は財布から小銭を取り出す。
じんわりとした汗が手にも残っている。
隣にはいつも通りに幼馴染の優梨がいて、僕と同じように財布を用意している。黒い財布には、水晶を模したチャームがきらりと光っていた。真っ黒な色のネイルで彩られた白い指先で小銭をつまむと、毘沙門商店のテイクアウト用の小窓の前で、いつも通りにおじさんにお金を渡した。
「優梨ちゃんの注文は、いつも難しい言葉だなぁ。おじさん、頭悪いからわかんねぇよ」
ムキムキの力こぶをいつも腕まくりで主張してくる毘沙門おじさんが、優しそうに目尻に皺を作りながら言った。
僕は苦笑しながら、おじさんの大きな手のひらにお金を乗せる。
「毘沙門おじさんだけじゃなくて、みんなわからないみたいだよ。僕も時々優梨に違うって言われるし」
「そうかねぇ。騎士くんはばっちりじゃないか。
悔しいなぁ。おじさん、小さい時から優梨ちゃんを見てきたのになぁ」
「宇宙より来たりし天意を読み解けるのは我のみ、か……。人々は未だ“共感”の境地に至ること能わず」
「これはたぶん、『いつもわかりにくい言い回しでごめんなさい、おじさん』ってことだと思う」
隣に立つ優梨から脇腹になにも攻撃が来ないので、どうやら正解しているようだ。ごく稀に僕が間違うと、優梨の鉄の肘打ちが骨を折る勢いで打ち込まれて、上目遣いで睨まれる。
おじさんから出来上がった飲み物を受け取った後、僕より視線が下にある優梨の顔を見つめた。不審そうに優梨が僕を片目だけで見返した。
「何?」
「別に」
今日も可愛いなと思っただけ。
僕は視線を優梨と反対の方向にずらした。毘沙門のおじさんが、太い腕を組んでニヤニヤしているのが見えたけれど、無視だ。無視。
若いっていいねぇって、おじさんの声がはっきり聞こえてるから、もう少し心の中におさめて欲しい。
じんわりと出た汗の匂いが優梨にまで届いていないか気になりはじめるから、本当にやめてほしい。
*
幼馴染の瀬田優梨は、掛け値なしの美少女だ。それこそアイドル活動をしていると言われたら信じてしまうほどに。
ただし、それは前髪をまっすぐに切りそろえた上、首元と左手首の包帯がなくて、厨二病の言葉を言わなければ、と条件がいくつか必要だけれど。
何がきっかけだったのか。
いまだに僕はよくわかっていないけれど、文字通り中学2年生のある日、優梨は厨二病を発症した。
最初は部屋に最新刊までそろっている漫画『漆黒のディスタンス』の影響かと思われていたけれど、どうやら子どもの"ごっこ"遊びとは違うと、家族は気がついた。
家族とは普通に話せる。でも、学校や商店街のおじさんおばさん、近所のおにいさんおねえさんと話すと、言葉使いを変えてしまう。
なんていうか、必死に厨二病になろうとしていたようだったと、優梨の姉である海里ねぇちゃんが言っていた。
そして半年も経つ頃には、優梨は正真正銘の厨二病になっていた。
言葉使いだけじゃなくて、言動すべてがまるっと物語の世界に入り込んでしまっていた。
たとえば、宿題で出された数学の問題が間違っていると教えると、
「君は正解とやらに彩られた霧の都を進んでいけ。――我はただひとり、荒野を目指す……!!」
と言って、眼帯をつけた左目に手をあてながら、虚空を見上げていた。
いや、どこにあるかも分からない荒野よりも、今は眼の前の課題に向き合えよ。
別の日には、初めて作ったカップケーキが美味しかったので僕が褒めると、
「ふふふ……我がほんの少し権能を解放するだけで、こうまで魅了されてしまうとは……定命たる人の子とは実に!難儀なものだな!」
と、言ってスキップしながら帰って行った。
いや、今どきスキップって。
可愛かったから、別にいいんだけど。
なんだかよくわからないまま、数ヶ月が経つころ、優梨は『漆黒のディスタンス』由来の厨二病にしっかり罹患してしまっていた。
今は、前髪を斜めに切って左目を隠しているけれど、切りそろえないと校則違反だった中学生の頃は、ずっと眼帯をつけて通学していた。
素顔が美少女でも、それ以外が厨二病すぎる優梨は、あっという間に"痛い女子"としてクラス内どころか学校中で浮くようになった。
仲が良かった女友だちからも距離を取られて、優梨の中学校生活は文字通りに『漆黒のディスタンス』になった。
その代わり、隣に住む僕とは疎遠になるどころか、思春期特有の距離感も消えて、小学生の頃のような付き合いに戻っていった。家の外での急な厨二病発症に動揺した優梨の家族から、
「騎士くん、頼む……!」
と、本気でお願いされたからなんだけど。
その時両親に「名前負けしない息子だと、信じている…!」と言われて、今さらながら、僕がちょっと厨二病が入った命名をされていたことに気づかされたりした。
何しろ、本名が剣ヶ峰騎士だ。
両親の厨二心が疼いても仕方がない。
ただ、名前の割に僕自身は厨二病にもならず、淡々とした日常を好む高校生に育ってしまっているんだけど。
これもある意味、名前負けっていうんだろうか。
*
「ねぇ、優梨。そのゲーム、今どのあたり?」
「容易に辿りつくアルカディアなど存在しない」
「まだまだなんだね。
かなり時間かかってるけど」
「失われし時を求めるな」
「マルセル・プルーストを全否定かよ」
毘沙門商店でおやつを買って、そのまま優梨の家までついていく。そして、ダラダラと過ごして夕飯前に帰宅するのがいつものパターンだ。
リビングは使えたり、使えなかったりするので、最近はほとんど階段を上がった優梨の部屋にいる。
その部屋は、アニメや漫画のキャラクターの絵がところ狭しと飾ってあって、ちょっと狂気じみている。タペストリーと複製原画と抱き枕が混在している中に、黒い優梨の私服が並んでいるので、ちょっとした趣味のお店みたいだ。
その趣味にまみれた部屋では年頃の男女の空気は一切出てこない。だから、高校生になっても、抵抗なく部屋にいられるんだけど。
優梨はずっとテレビ画面のゲームをやっていて、僕は同じ部屋で本を読んだり、タブレットでパズルゲームをしたり。時々、優梨のゲームを観戦しているけれど、嫌そうな視線を向けられるのですぐに止めている。
2年前、厨二病を発症した優梨の面倒をみてくれと言われた時は、中学に入ってからちょっと疎遠になりつつあったので、はじめの内はどうすればいいのかわからなかった。
そこでとりあえず、優梨をひとりぼっちにしないために、学校のない時は同じ部屋にいることにした。とはいえ、優梨のゲームはひとりでプレイするものばかりで、それぞれ好きに過ごしていただけなんだけど。
でも、それがちょうどよかったらしい。あれからずっと拒絶されることもないまま、優梨に日常として受け入れられている。
ちなみに、中学校ではあまり関わるなと優梨に事前に言われていたので、ほとんど一緒にいなかった。
まぁ、付き合っているわけでもない男子と女子が一緒にいたら、さらに周りから浮くからなぁと僕も思っていたし。
あと、優梨の本気の拒否の圧に押されたのもあった。
それでも移動教室とか、課外授業とか、イレギュラーな伝達があった時はさりげなく優梨に教えたりとか、まったく話さないわけじゃなかったんだけど。
それでも優梨には「学校では話しかけないで」と毎回言われて、睨まれたりした。
睨んでも、僕から見ればただの美少女だから、普通にただの眼福だったけど。
でもその本音は怒られる気がするから、一度も優梨に言ったことはない。
それは本気で可愛いと思っているから。
だって、僕の好きな女の子は、ずっと優梨だから。もちろん初恋。
誰にも教えたことはないけれど。
「……何?じーっと見て」
「なんでもない」
ゲームに熱中している優梨を見ていたら、一瞬でバレた。
また目をそらして、僕は何度も読んだコミックのページをめくる。
なんでもない、普通の、当たり前の優梨との日常。
役得として僕は高校生になってもそのまま楽しんでいる。
……まぁ、高校生になっても、優梨に友だちがひとりもできていないから、そのままっていうだけなんだけど。