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もしも一つ願うなら【本編完結】  作者: 庭村ヤヒロ
果ての地 ソド・イントロイト
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第89話 返還

 私達は何事もなくパノプティスに着くことができた。

 現れた魔物は全てヘルトが処理してしまったし、私の魔法も発現することはなかった。非常に残念なことだが、諦めた方がいいのかもしれない。火事場の馬鹿力とでも言うべき力だったのか?


「俺はここまでだな!」

「ありがとうございました、ヘルト」

「いやなに、ヒーローとして当然のことをしたまでだ!」


 はっはっは! と大きく笑ったヘルトは、グッと親指を立てた。

 その明るさが少し眩しくて、目を細める。


「……では、また機会があれば」

「ああ。いつでも俺を頼ってくれ!」


 大きく手を振るヘルトに、軽く手を上げて返した。

 門に向かったところで、ふと思い出す。

 ……そういえば正規の手続きを経ずにパノプティスの外に出てしまっているが、これは問題ないのだろうか。

 一応手元に住人カードはあるが……不正だと言われないだろうか。それだけが心配だ。


「お名前をお伺いいたします」

「……ゼロ・ヴェノーチェカ」


 門番は深く頭を下げた。


「アシック・レカード様が中央図書館にてお待ちです」

「そう、ですか。……通っても?」

「どうぞお通りください」


 話を通してあるのか、無事に通ることができた。少し拍子抜けだが、問題になるよりずっといい。

 ……そうだ、図書館に行く前に彼女を訪ねよう。足を止めた私は、目的地を変えて再び歩き出す。


 パノプティスは記憶の中と全く変わらない。相変わらず人々はやや不自然な状態で町を行き交っているし、快適過ぎるほどに整えられている。

 やがて目的地に辿り着いた私は、ボロさを増した扉を前に深く呼吸し……ノックした。

 ……返事がない。もう一度ノックする。

 もう暫くして扉が開いた。


「なんだい、こんな時間に」


 ああ、そういえば彼女は基本的に夜行動するのだった。やや不機嫌そうに扉を開けたカメリアは、私を見て目を細める。


「やあ、キミか。あの時ぶりだね」

「その節は助けていただきありがとうございました」

「まったく、おかげでこっちは責められかけたよ。それで? 何か用かな」


 用という用はない。ただ、あの時のことを謝りたかった。それだけだ。


「……あの時、貴方に刃を向けたことを謝りに」

「なんだ、そんなことか。律儀というか何というか……」


 カメリアは少し呆れた顔で頭を掻いた。


「私にとって、キミの脅しなんてあってないようなものさ。あれはただの気まぐれ。キミには色々と融通してもらっていたからね」

「……材料の、ですか?」

「そう。ま、ツケが溜まっていたということにしておいてくれたまえ」


 カメリアは大きくアクビをすると、しっしっと手で払った。


「分かったら帰ってくれないかい。まだ寝足りないんだ」

「ええ、分かりました。お邪魔してすみません」


 バタンと扉が閉められる。

 ……悪魔らしいといえばらしいのだろうか。大らかとも言えるだろうが、人間とはやはり物事の捉え方が違うらしい。

 こちらは謝罪だけで済むとは思っていなかったのだが……。


 とにかく、これで用は済んだ。あとはアシックに会いに行くだけだ。

 足早にその場を立ち去り、中央図書館を目指す。




 図書館に入った私は早速アシックの姿を探し歩いた。この図書館はかなり広いから探し出すのはやや難しい。

 そう思っていたのだが、どうやら運が良かったらしい。そう時間をかけずに見つけることができた。


「来ましたか。お待ちしておりましたぞ、ゼロ殿」

「遅くなりました。すみません」

「いえいえ、貴方の状況は聞いておりましたからな。……ご冥福お祈りいたしますぞ」


 アシックは数秒目を閉じると、扉へと誘導した。あれは……階段に続いている扉だ。


「さあ、こちらへ」


 促されるまま扉をくぐり、階段を降りる。

 一段、また一段と降りるたびに、指の先が冷たくなっていくのを感じた。


 ……ここを降りなければ。あんな場所に行かなければ、彼らは。

 首を振って思考を振り払う。今やるべきことをやるしかない。それしかもう、私には残されていないのだから。


 辿り着いたのは最下層だった。

 アシックは扉にいくつもかけられた鍵を開けていく。随分と厳重だ。


 中に入ると、やけに冷たい空気が肌に触れた。床だけじゃない、壁や天井にも陣のようなものが描かれている。ここもまた『通路』なのだろうか?


「ゼロ殿、魔宝石を」

「あ……ええ、はい。どうぞ」


 布に包んだ魔宝石を差し出す。中身を確認したアシックは、頷いて懐に入れた。


「こちらは後ほど、私の方から神官に返しておきます」

「ええ……お願いします」

「さて、これでゼロ殿の罪は不問とさせていただきます。次はゼロ殿の旅の終着点へ案内する番ですな。貴方は久々の客人、ここを開くのも久々になります」


 旅の終着点。これで全てが終わるのか。

 ごくりと唾を飲み込む。


「さあ、部屋の中央へ。陣の中心に立って、ペンダントを掲げてくだされ。辿り着いた先で昇華魔晶に願いを届けるのです」

「……分かりました」


 床に描かれた陣の中心に立ち、取り出したペンダントを掲げる。

 アシックがぶつぶつと呪文のようなものを呟き始めると、陣が光り始めた。オーバルに向かう時と同じだ。

 一際強く光った瞬間、浮遊感と共に視界が白んだ。




 夢でも見ているのかと思うような光景だった。


 目の前に広がっていたのは、天上の世界だ。

 遠い雲の上に『神殿』のような白い建造物が小さく見える。


『キミ達、人間だね?』


 頭に響いた声に、咄嗟に耳を押さえ辺りを見渡す。

 嫌な汗が背筋を伝う。どこにも天上人達の姿は見えない。深く息を吐いて、改めて扉の向こうを観察した。


 白い建造物を乗せた雲の他には、ただ漂うだけの何の変哲もない雲と、大地も何も見えない空だけだ。

 足元にも雲のような足場が見える。オーバルの雲と同じなのだろうか。

 雲は数歩進んだ辺りで途切れ、どう考えても空を渡って『神殿』まで辿り着けるとは思えない。この翼が使えるなら話は別だろうが、生憎ながらまだ空を飛ぶには翼の傷が癒えていなかった。

 振り返ってみても、何もない空が続くだけだ。


「……ここから、どうしろと」


 そう呟いた時、手に持っているペンダントが淡く光った。

 数秒の内に光は消え、再び光り始める。何度も明滅を繰り返す内に光は強くなり、一際強く光ったペンダントから六色の光が飛び出した。

 濃厚な魔力の光は『神殿』がある雲を目指して螺旋状に飛び、混じり、光る板を織り成した。一枚一枚が僅かに色を変えて階段状に連なったそれは、まるで虹の階段だ。


 幻想的な光景に目を奪われる。光り輝く虹の階段が遠い雲まで連なっていく光景ををぼうっと見つめていた。

 最後の一枚が造られた時、ハッと我にかえる。


 これを登れというのだろうか?


 そっと足を伸ばして、一枚目の光る板を足先でトントンと叩く。実体はあるようだ。ゆっくり体重をかけていく。問題はなさそうだ。二枚目、三枚目と登ってみても、変わりなく浮き続けている。

 階段が続く先を見つめる。光の板は何百どころか何千もあるように見えた。

 右腕を押さえ、短く息を吐くように笑う。


(これで失ったのが足だったとしたら……)


 下を見れば、吸い込まれそうな青が続くだけだ。もし落ちてしまえばどうなるかなど、考えたくもない。

 万全とは言い難いものの、足が欠損していないだけマシというものだった。


 早く辿り着かなければ。拳を握る。

 そして願わなければならない。


 一段、また一段と登っていく。

 風はない。


 一段、また一段と登る度、カツリ、カツリと硬質な音が空に溶けていく。

 右腕が痛む。


 下がりつつあった視線を上げる。まだ目的地は遠い。

 振り向いてみれば入り口は遠く小さく、随分と登ってきたことがわかった。

 前を向く。また一段登る。

 登っていく内に、今までのことが思い起こされていく。


 パノプティスでの日常。全てが始まった日。

 久々に出た外の世界。メルタで初めて見た神官という存在。

 ダム・エミールで垣間見た、神官という存在の異質さ。

 ヴィルトの故郷で見た残酷な光景。


 全ての元凶が兄だと知らなかった、愚かな自分。


 一段、また一段と登っていく。

 目的地はまだまだ遠い。それでも確実に縮んでいく距離。

 進むにつれて、魔力濃度が高くなっていくのを感じる。

 頭の中を鮮明に流れていく光景。


 異質な宗教団体。血族の生き残り。

 故郷クレイストで知った、自身の過去。その真実。

 地底に隠された古代都市アーティカで見た、一人の心を持つ機械人形。

 ミスキーで知った、流行病の正体。一人の男の葛藤。


 一段、また一段。

 足取りは重く、頭にチクリと痛みが走る。

 進むにつれ、体が重たく感じるのは気のせいだろうか。


 天上の庭園、オーバル。伝説とはまるで違う天上人達。

 兄との決別。僅かな達成感と、それを上回る喪失感。

 そして……地底の牢獄、アンディス。


 右手を押さえる手に力がこもる。足は既に止まっていた。


 世界を支えているという大樹。

 その根本に立つ、羽のない天上人。闇の神官。

 喪った友。落ちた片腕。


 あの時、明確に死を意識した。

 その恐怖と直面した。


 ズキリズキリと頭が痛む。脚が震える。胃の中でぐるぐると吐き気が回る。

 魔力濃度が高いせいなのか、それとも。

 それでも進まなければならない。

 一段、また一段と登り始める。


 私は何を願うのだろうか。

 階段を登りながら、ぼんやりと考えた。


 呪いを解くこと。それはそうだ、当初の目的はそれだったのだから。

 だが、それは本当に必要だろうか?


 段々と『神殿』との距離が近づいていく。

 白い建造物の周りにキラリと光る何かが見える。

 目を凝らしてみれば、それは水晶の柱のようなものだと分かる。

 赤、青、緑、橙、黄、紫。

 大きな円を描くように並ぶ中で、紫の柱以外は光が失われていた。

 また一段、登る。


 体を蝕む呪いについては、いくつかのことに目を瞑れば問題はなくなっている。

 例えば、強い渇き。

 だが、それも酷くなる前に解消されている。

 一体何が起きているのか。既に分かりきっているそれから目を背けさえすれば、問題ない。

 例えば、変化していく姿。

 これに関しては既に解決したようなものだ。今と同じように、外に出ている間だけ偽装すればいい。

 必要最低限の外出に留めればいい。たった数時間なら何の心配もいらない。


 ならば、何を願う?

 決まりきっている。友人を蘇らせることだ。

 本当に何でも願いが叶うのならば、それを叶えることも可能だろう。

 分かりきっている。選ぶべき選択肢はこれだ。


 願うべきは――

 瞬間、体ががくりと沈む。落ちていく視界の中、咄嗟に伸ばした左手が光の板を掴んだ。


 思考の海に沈むあまり、足を踏み外してしまったらしい。

 体が揺れる。じっとりと手が汗ばんだ。早く、早く上らなくては。

 歯を食いしばり、左腕に力をこめる。板に右腕を乗せ、どうにか体を持ち上げた。

 板に座り込み、荒くなった呼吸を落ち着ける。板の下にはどこまでも続く青空だけ。落ちたらどうなるかなど……考えたくもない。手が震え、呼吸が小刻みに揺れる。

 ……怖い。

 死の恐怖は、一度まとわりつくと中々消えてくれなかった。

 震える脚に鞭打って、立ち上がる。


 一段。最後の一段を登りきる。安定感のある雲の足場にホッと安堵の息を漏らす。これなら落ちる心配はなさそうだ。

 辿り着いた白い建造物は、『神殿』とはまた違うものだった。

 中央に浮かぶ、虹色の巨大な水晶。

 私の体よりも遥かに大きなそれを囲むように、白い石で造られた巨大なアーチが六つ並んでいる。

 そのアーチ郡を更に囲むように、六つの水晶の柱が浮かんでいた。


 中央に浮かんでいる虹色の水晶こそが、アシックの言う『昇華魔晶』なのだろう。


 白いアーチをくぐると、ぐらりと視界が揺れた。

 このアーチの中は魔力濃度が特段高いようで、頭を押さえる。体が傾いたが、どうにか立て直した。


 顔を上げると、赤い何かが見える。


「やあ、待っていたよ」

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