間話 救いの手を差し伸べる人達
今日も今日とて、俺はミスキーの診療所で患者を診ていた。
ミスキーの町に広がっていた流行病はすっかり姿を消し、この町の守護者であるエクメド様の容体も良くなった。最早、俺の診療を必要としないくらいには。
……やはり、亡くした妻子の蘇り。これが彼の心に多大な影響を与えたのだろう。
単純な話だ。妻子を亡くしたことによって負ったショックが、妻子の蘇りによって癒された。つまりはそういうことなのだろう。
この蘇りのことについては、口外しないよう厳命された。それはそうだ、そんな噂が出回っては彼らも大変だろう。何より、その奇跡を起こしたヴィルト君達も誰か心無い人に狙われてしまうかもしれない。
「……蘇り、か」
心の整理がついたといえば、嘘になる。俺は未だに、もしもの話を引きずっていた。
もしも俺が妹を埋葬していなければ。エクメド様の妻子のように、半永久的にその姿を保つように処置していれば。
そうすれば、俺の妹も蘇ることができたかもしれない。
そんなもしもの話を、毎晩のように繰り返していた。
けれども、そんな妄想をしていても日々は待ってくれない。
いつものように診療を済ませた俺は、カレンダーを見た。
今日は午後から休診の日だ。いくつかの薬の数が少なくなってきたから、素材を集めに行くべきだろう。
外套を着て、カゴを背負い、診療所を出る。しっかりと鍵をかけていることを確認して、町の門へと向かった。
あの頃と比べて、町は様変わりした。
やはり流行病がなくなったことが大きいのだろう。市場は賑わいを見せ、子供達が駆け回っている姿を見かけることも増えた。
あの流行病がそれだけの影響力を持っていたのだと思うと、早期に収まってくれてよかったと思う。
町の外に出て薬草が生えている地点まで歩く。今日の魔力濃度は平常なようだ。エクメド様の体調が良くなってから、魔力が安定してきていてとても助かる。
目当ての採取ポイントにやってきた俺は、思いがけない先客を前に足を止めた。
長いワイン色の髪をもつ少女が、薬草を摘んでいたのだ。
「ローザさん?」
「……あの時の薬師様?」
振り向いた彼女は緑の目をしていた。あの集落で会った世話係の少女だ。
生きていたのか。ホッと息をつく。しかし、どうやって?
彼女はあの日、俺達の代わりに贄となる……らしかった。全ては彼女から聞いた話だ。
実はあの後、贄に選ばれずに済んだのかもしれない。それに痩せ細っていた彼女は、幾分か健康的な肉付きになっていた。
「元気そうで良かった……」
ああ、本当に良かった。俺達が逃げた後、あの集落で何が起きたのか。それを聞こうと思っていた俺は、彼女の切羽詰まった表情を前に口をつぐんだ。
「薬師様。集落に来てください。キュリオ様が……キュリオ様が、大変なんです」
「あの神父さんが? しかし、あの集落は――」
「集落の方は問題ありません。今はキュリオ様によって統制されていますから……それよりも、キュリオ様が倒れてしまったことの方が重大なんです!」
随分と焦燥している。ここから集落まではそれなりに離れている。余程の重症で、どうにかしようとこんなところまで薬草を取りに来たのだろうか。これは一度、集落へ向かうべきかもしれない。集落の現状を確認する目的も込みで。
「分かった。少しここで待っていてくれ、すぐにキットを持って来るから。俺がキュリオさんを診に行く」
「……はい」
彼女が頷いたのを確認して、来た道を戻る。応急手当て用の簡易的な医療キットは普段から携帯しているが、それだけでは足りないかもしれない。念の為、普段から旅の時に持ち歩いている一式を持ってきた方がいいだろう。
不安を募らせる彼女のためにも、急いだ方がいい。
キットを持ってきた俺は、ローザさんと共に集落を訪れていた。
かつての教祖達が住んでいた屋敷を、そのまま彼と彼女の家として使っているらしい。もっとも、彼女は住み込みの家政婦ということらしいが。
案内されたキュリオさんの寝室は薄暗い。ベッドに横たわる彼の顔は少しやつれているようにも見える。
「今朝、書庫で倒れているところを見つけたんです」
「……なるほど」
「薬師様。キュリオ様は治りますか……?」
一通り診てみたが、これはおそらく……。
「これは寝不足だろうな」
「……へ?」
「あとは体力の消耗も激しい。一晩中、休まずに何かをしていたんじゃないかと思うんだけど……思い当たる節は?」
ぽかんとしていたローザさんは、ハッとして記憶を辿り始めた。
「あ……書庫の机に、本が山積みになっていました」
「きっとそれだろう」
「で、でも、床に倒れていたんです」
「椅子から落ちたという可能性もある。ただ、念の為頭を打ったりしていないかもう一度確認しておこう」
改めて診てみるが、やはり異常はないようだった。呼吸も脈拍も正常だ。
「彼が目を覚ましたら話を聞いてみるよ。それまでここにいても?」
「は、はい。どうかキュリオ様をお願いします……」
彼が起きるまでの間退屈だろうと、気を利かせたローザさんが蔵書の中からいくつかの本を見繕って持ってきてくれた。
ベッドサイドの椅子に座って読んでみているが、やはりというべきか宗教に関する本が多く感じる。
言っては悪いが、こういった集落において本は貴重品だ。一体どうやって書庫を作れるほどの本を集めたのだろう。
そんな疑問を抱きながら創世記をパラパラとめくる。彼が倒れる前に読んでいたであろう本だそうだ。この世界の成り立ちについて記されたそれは、幼い頃に教師から聞いたことがある内容そのままだった。
「ぅ……」
小さな声が聞こえ、本を閉じる。ベッドの方を見てみれば、彼はぼんやりと天井を見つめていた。
「目が覚めたようだな……」
立ち上がったところで、異変に気付く。強張った表情で、呼吸が荒くなっているのだ。
「キュリオさん? キュリオさん、俺の声が聞こえるか?」
「い……いと……」
震える唇が言葉を紡ぐ。糸?
「糸が……あ、ああ……」
幻覚でも見ているのか? 顔を覆った彼は、ぶつぶつと同じ言葉を繰り返している。肩に手を置くと、ビクリと体が強張る。ひとまず落ち着かせなくては。
「大丈夫だ。どこにも糸はない」
「ある……あるんだ……全ては糸が……神の意図が……ッ」
途端に、耳をつんざく悲鳴が上がる。
自らの顔に爪を立てる彼の手首を掴んだ。すぐに払われてしまうが、もう一度そっと手を重ねる。
「……話を聞かせてほしい。何が貴方をそこまで追い詰めているんだ?」
「全部、全部全部全部『アレ』が……見ている、見ているんだ、全て」
キュリオさんはぶつぶつと呟き続けている。俺はただ、静かにその言葉を聞いていた。
……いくらなんでも寝不足だけでここまでなるとは思えない。ローザさんの様子を見るに、昨日までは問題は見られなかったはずだ。
一度書庫を調べてみた方がいいかもしれない。それか、この屋敷全体を。
キュリオさんは再び糸が切れたように意識を失った。脈拍、呼吸は問題ない。
……今の内に探索してみるべきか。
部屋を出ようと扉を開けると、扉に顔を近づけているローザさんがいた。まあ、あれだけ叫べば聞こえもするだろう。心配になって見に来たのだろうが、彼女は黙ったまま俯いていた。
「ローザさん?」
揺れる瞳が俺を捉える。震える手が白衣の襟を掴んだ。
「薬師様……キュリオ様に、何も怪しいことはしていないですよね……?」
……彼女から見れば、俺が彼と二人きりになってからこの騒動が起きたということになる。疑いたくなるのも仕方ないだろう。
俺は彼女の手に自分の手を重ね、頷いた。
「ああ。俺の名に誓って」
暫く俺の目を見ていた彼女は、俯いて手を離した。
「……ごめんなさい」
「いや、構わない。それだけ彼が大切なのだろう」
よれた白衣を正し、微笑む。
こういったことには多少慣れている。だから大丈夫だ。
「彼に何があったのか調べたい。この屋敷を探索しても?」
「ええ……構いません。私が案内します」
ローザさんは各部屋を案内してくれた。肝心の書庫も、特に変わった様子は見られない。本棚を隅々まで調べてみたが、怪しいものは何もなかった。
やがて、地下に進む。ローザさんは気乗りしていないようだったが、少し無理を言って通らせてもらった。
錆びついた部屋に置き去りにされた道具達が、かつてここで行われていた残酷な行為を物語っていた。
やがて金属の枠組みがいくつも並べられた部屋にたどり着く。そこには枯れた植物がいくつも植えられていた。
「……ここは?」
「ハーブの栽培所です。悪魔……天使と名乗っていた彼らが奇跡と呼んでいた……魔力濃度の異常に適応できるようになる、と」
枯れているせいで見分けがつきにくいが……これはおそらく鎮痛作用と依存性のある薬草。たしかに薬の材料として使うこともあるが、魔力濃度に適応するだなんて効能はないはずだ。
せいぜい、重度の魔力障害に苛まれた患者に対して鎮痛剤として投与するくらいだろう。
……まさか、これを奇跡と称して常用的に与えることで魔力濃度の異常によって引き起こされる身体的問題を誤魔化していたのだろうか。
「これを彼が使っている可能性は?」
「ありえません! これを使わないようにと決めたのもキュリオ様です。そんなこと……ッ」
「ああ、すまない。可能性を考えただけだ。教えてくれてありがとう」
「……はい」
一通り見て終わった俺達は、キュリオさんの寝室へと戻った。
彼は体を起こしていて、ぼんやりと本を見つめていた。俺が読んでいた『創世記』だ。
「キュリオ様、お目覚めになられたのですね!」
ローザさんが駆け寄る。こちらを向いたキュリオさんの目は酷く沈んでいた。それは……エクメド様よりも、ずっと酷く暗い目をしていた。
ぞわりと、背筋に悪寒が走るほどに。
「……ローザ」
「良かったです。キュリオ様が倒れているのを見つけた時、どうしようかと……! 本当に、本当に心配したんです……!」
「そう、か。ありがとう……ローザ……」
随分と生気のない声だ。だが、かなり落ち着いているように見える。
今の内に話を聞いておきたい。
「ローザさん、すまないが彼と話したいんだ」
「あ……そうですよね。私は外に出ておきますから」
ローザさんは寝室を出ていった。キュリオさんが俺を見て僅かに眉を寄せる。
「……なぜ、君がここに?」
「外でローザさんと会ったんだ。そこで貴方が倒れたと聞いて診察に来た」
「そう、か」
彼は目を伏せて呟いた。さて、彼が落ち着いている間に何があったのか聞かなければ。
しかし……本当に聞き出していいものだろうか? 彼の様子は尋常ではなかった。俺が尋ねることで、再びあの状態へと戻してしまわないだろうか?
「……君は、運命というものを信じるか」
「運命?」
ぽつりと呟いた彼の言葉をそのまま返す。
運命。それはつまり、どういうことだろう。
……俺が近しくなった人々が皆、悲惨な死を遂げること。これも運命と呼んでしまえる代物なのだろうか。
「例えば……どうしようもない悲劇が、君に降りかかったとして。君が、その悲劇に懸命に抗ったとする」
キュリオさんはぽつりぽつりと呟くように続ける。
「その過程、結末全てが、初めから決められたものだったとしたら……それを受け入れられるか? それだけじゃない。君の人生全てが、決められたものだったとしたら……」
……もし、あの日。両親が家ごと焼かれたことも。妹が蹂躙の果てに殺められたことも。俺が親交を築いた人々が皆、悲惨な死を遂げてきたことも。俺の今の生活も全て、初めから決められたものだったら?
そんなもの……受け入れられるはずがない。
だが、それはただの妄想だ。妄想……の、はずだ。
「そういった残酷な事実から、人々を守る方法を……考えていた」
「……そうか」
思うに、彼は重荷を背負いすぎたのだ。
寝室に戻るまでの間、彼がどんな生活をしているのかを聞いた。残された信者達を導かなければならないという重圧は、彼にとってストレスだったのだろう。
加えて、教祖達の死を目にしたという。
「俺は、教祖達が幸せだったのではないかと思ってしまった……真実を知る前に逝くことができた、彼らが」
「……」
きっと彼も自身がそう思ったことに困惑しているのだろう。ゆっくりと、言葉を選びながら紡がれる声は、微かに震えていたから。
「もし……もし、残酷な真実を知る前に、苦しむことなく最期を迎えることができたら……それこそが、幸福なのではないかと」
「……それは」
キュリオさんはますます俯いて、本をなぞっていた手を強く握った。
「分かっている。俺は……俺は、おかしな考えを」
「俺と似た考えだ」
「……え?」
気づいた時には、声を出していた。
彼は少し呆気にとられた様子で、顔を上げている。
「俺は……今が苦しい人々が、その苦しみに耐えられなくなった時……苦しまずに終わりを迎えることができる薬を、開発している。貴方の考えは、俺の理想に少し似ている」
「君の薬があれば、人々を救うことができる……?」
「……ああ」
ただし、それはあくまで本人が望んだらの話だ。ここだけは、譲れない。
「……どうだろう。貴方さえ望むなら、今の苦しみから逃してあげることができる。ただ、今の段階ではまだ試薬で……必ずしも苦痛がないとは言い切れない。まだデータが足りていないんだ」
そう伝えると、彼はまた少し俯いた。目を閉じた彼は、暫しの間無言を貫いた。やがて目を開いた彼は、静かに首を振る。
「俺は……皆を導かなくてはならない。俺だけ楽になるわけにはいかない……皆を、救わなければ」
「それなら」
俺はキュリオさんの手を両手で包んだ。無意識のことだった。
「それなら、俺と共に救いの道を探すというのはどうだろう」
「君と共に……?」
頷く。
だって。だって、こんな機会、そうそうない。
「貴方は初めての共感者とも呼べる人だ。それに……いつか、貴方が人々を導き終えた時。俺が、安らかに眠りへとつかせてあげられる」
ぽかんとしていたキュリオさんは、少しの沈黙の後にこくりと頷いた。
こうしてミスキーでの診療も落ち着いていた俺は、集落に移り住むことになった。
彼の屋敷で、共に暮らすことになったのである。
いつか……いつか、世界の人々を救うことができたら。
その時は、共に眠りにつこうと……そう約束して。




