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もしも一つ願うなら【本編完結】  作者: 庭村ヤヒロ
地底の牢獄 アンディス
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第83話 絶望

「……え?」


 ぽたり、ぽたり。

 ぼたり。


 気づいた時には、目の前からメレクの姿は消えていて。

 吹き抜けた風が髪を揺らしていた。


「っがは……」


 振り返った時には、腹を切られたセキヤの首には輪が掛けられていて。

 咄嗟に抵抗しようとしたのだろう。彼の手を覆っていた炎は掻き消えた。


「……セキヤ?」


 私はただ、気の抜けた声で名を呼ぶことしかできなかった。


 ダン! と吊り上げられる。二人ぶら下がった姿を、私はただ見上げるばかりで。


「ゼ、ロ……ッ」


 首を絞めあげる輪を掻きむしるようにもがきながら、セキヤがこちらへと手を伸ばす。

 まだ息はある。


「ま……待っていてください、今すぐに……!」


 あの縄を切り落とせば、まだ助かるかもしれない。

 折れた槍を握りしめて走り出す。


 二人とも死なせるわけにはいかない。

 ヴィルトは喪ってしまった。それでもせめて、せめてセキヤだけでも。


 しかし、行く手を阻もうとばかりに背後から殺気が迫る。

 ただセキヤの元へ急ぐ。それだけを考えていた私は、気づくのに遅れてしまった。

 足に力を込め、体を捻る。突き出された刃が左目の瞼に突き刺さった。


「いぎっ……」


 目を押さえ、よろめく。これでは前が見えない。

 右目を隠す髪を掴み、穂先で切り落とす。これで視界は確保できた。

 しかし、同時に流れ込む情報が脳を圧迫する。

 鑑定眼で捉えた全てに関する事柄が、否応無しに詰め込まれていく。


 メレク。前世界にて植物より進化を果たした天上人。……今、その情報はいらない。

 ヴィルト。生命活動を停止している。……分かっている。分かっているんだ、そんなことは。

 セキヤ。瀕死状態。……そうだ。だから、早く助けないと。

 彼まで喪ってしまうわけには――



 ――ゼロ・ヴェノーチェカを殺したいと思っている。


「……な、にが」


 今、私は何を見た? これは、メレクの心情? いや、違う。違ってはいけない、そのはずなのに。

 ズキリと頭が痛む。今この時も流し込まれ続ける情報に、視界がチカチカと眩むようだ。


 ――セキヤ・レグラスはゼロ・ヴェノーチェカに死んでほしいと、心から願っている。


 ぼとりと、手から槍が落ちる。

 ぐらりと地面が揺れているかのような感覚。たたらを踏んだ私は、頭を抱えた。


「……セキヤ? どうして、貴方が」


 揺らぐ視界の中、鈍い切先が迫る。

 最早何も持っていない。鱗で受け止めようと持ち上げた右腕は、いとも容易く切り落とされた。


「あ゛ぁっ……!」


 ぼたぼたと際限なく血が滴り落ちる。腕を押さえ、痛みに呻く。

 痛い。熱い。

 このまま……死ぬ? こんな、ところで?

 ようやくここまできて……二人を喪って……そして、死を願われて。

 苦楽を共にした親友に、死を。


「いやだ……」


 震える声が自身の耳にこだまする。


「そんなの、受け入れられない」


 ゆらりと、自身の淡い影が色を濃くする。


「受け入れられるはずが、ない……!」


 影から黒い煙が立ち上る。

 次第のその存在を濃くした影は、漆黒の蔓となってメレクへと襲いかかった。


「な……っ」


 飛び退いて躱したメレクを蔓が追う。やがてその手足に触れた蔓は、絡めとるように巻きつき、その体を束縛した。


 痛む脳とブレる視界の中、目に止まったのは紫の魔宝石。

 あれさえ。あれさえあれば、全てを覆せる。


 最後のピース。あの魔宝石さえ、この手に収めることができれば。

 蔓に絡め取られたメレクの胸元へ手を伸ばす。


「何を……」


 魔宝石を握ると、メレクは身を捩って抵抗した。より強く引き絞る蔓がその体を締め付ける。


 これさえ、持ち出せば。


 握りしめたループタイを思い切り引きちぎる。

 ああ、これで。これで、私の願いが――


「駄目。それは、駄目……!」


 もがくメレクを縛る蔓が、次第に細くなっていく。

 時間は残されていない。


 でも、どうすればいい? きっと、彼には勝てない。

 とにかく遠くへ。遠くへ逃げれば、きっと。

 大きく翼を広げ、死の丘から飛び降りる。


 どこか、隠れられる場所へ。遠く逃げ延びられる場所へ。

 メレクは翼を持たない。きっと追いつくには時間がかかるはずだ。


 滑空しながら振り返る。蔓から逃げ出したメレクは崖を滑り、こちらを追いかけてきている。

 ぞわりと体が震える。きっとアレは、地の果てまでも追いかけてくる。そんな予感が体を満たした。


 ズキリと痛む頭を押さえながら地上を見渡す。その中に見知った顔を見つけた。

 赤い髪に、黒い角。しゃがんで何かを採取している彼女の元まで、翼を閉じて急降下する。

 彼女なら、きっと。


 魔宝石を口に咥え、袖に戻していた折れたナイフを取り出す。ループタイの紐を指に引っ掛け、彼女の前に降り立った。

 こちらに気づいたカメリアはキョトンと目を丸くしている。


「……おや、どうしたんだい。そんなにボロボロで」

「ゲートを開いてください」

「なんだい、急に」

「早く!!」


 折れたナイフを突きつけた。

 目を細めた彼女は、ため息をついて手を振り下ろす。

 その直後、赤紫の亀裂が走り、空間が大きく裂けた。


「これで満足かい?」

「……ありがとうございます」


 鑑定眼の視界に映った彼女は『理由を察して見逃そうとしている』らしい。

 安心してこのゲートに入ることができる。


「待て……ッ」


 もうメレクが近い。私がゲートに入るのと、メレクが投げた薙刀がゲートに突き刺さったのはほとんど同時だった。


 ぐらりと視界が揺らぐ。異質な知識が脳に流れ込んできている。できるだけそれらから目を背け、目を閉じた。

 たった数秒の時間が、酷く長く感じられる。かき混ぜられるような感覚の中、ようやく風を肌に感じて目を開ければ、空中に投げ出されていた。

 ぐるりと体が周り、青い空が視界いっぱいに広がる。


 手に入れた魔宝石を落とさないよう、ぎゅっと握りしめる。ぶわりと紫色の粒子が体を包んだ。翼を開く。上手く風を捉えられない。


 私は体勢を整えることができないまま、ドボンと冷たい水に落下した。

 切り落とされた腕が熱い。熱くて、冷たい。

 意識が遠のいていく。




◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇




「……アィアツブス様。なぜ……逃したのですか」


 閉じた空間の前。まるで何事もなかったかのように佇む彼女を、僕は震える声で問いただす。

 けれどもアィアツブス様はどこ吹く風といった顔で首を傾げるばかりだった。


「何のことかな、神官さん。私はただ恩人に必死に頼まれたから道を開いただけだ。それとも何だ、まさか神官ともあろう者が獲物を逃しただなんて言わないだろうねえ?」

「あの人間は罪人……です。それも、重大な罪を犯した……」


 神官が持つ、魔宝石。それを盗まれるなど、あってはならないこと。

 早く。今すぐ取り返さなければ。

 そのためには、あの人間の行き先を彼女に聞いて、繋いでもらわなければ。


「だから……あなたには、居場所を教える義務が……あります」

「そうは言われてもね。ゲートを通る時にキミの武器が突き刺さったものだから、不安定になってしまったんだ。行き先なんて私にも分からないさ」

「そんな……」


 それは困る。とても……困る。

 魔宝石を取り返して、あの妙な悪魔のような人間も連れ戻して、殺さないと。

 死の樹に血を注がないと。それが僕の仕事なのに。

 仕事を完遂できなければ、僕は。


「それに……どうやらお迎えが来たようだね。私はこれで失礼するよ。キミの失態に巻き込まれたくはないからね」

「迎え……?」


 アィアツブス様は空間を裂き、中へと消えてしまった。

 どうしよう。彼女がいなければ手がかりも何も掴めない。それに迎えというのは……?

 そう考えたところで、大きな羽ばたきの音が聞こえる。


 ひゅ、と喉が鳴った。おそるおそる振り返ると、巨大な鳥に乗ったアディシェス様が僕を見下ろしている。その後ろにはキムラヌート様も乗っていた。


「アディシェス様……キムラヌート様……」

「……おかしいですね」


 口元に手を当てたアディシェス様は、不思議そうな声色で呟いた。


「丁寧に対応しなさい……そう言っておいたはずですが、どういうことですか?」

「も、申し訳ありません……一人、取り逃がして……しまい……」

「いえ、そうではなく」


 二人を乗せた鳥が、ゆっくりと近づく。

 ……怖い。どうにか、説明しなければ。

 少しでも酌量してもらえるように……。


「どうして客人が死んでいるの? アディシェスはそう言いたいのよ」

「……え?」


 どういう、ことだろう。

 だって、いつもの僕の仕事はここに来る侵入者を殺すことで。時々連れて来られる人間も殺して、死の樹の養分にすることで。

 僕はただ、仕事をこなそうとしただけだ。


「あら? 言っていなかったかしら。兄様も気にかけてる大事な客人だって」

「傷付けないようにと厳命されていたのですが……まさか、私が丁重にここまで連れてきた客人を貴方が――」

「ぁ……ま、待って、くださ」

「――殺してしまうだなんて」


 目の前が、真っ暗になる。

 確かに、あの人間が気になることを言っていた。自分はバチカル様に傷つけるなと言われていること。でも、そんなことを言い出す人間は多くいた。

 だから、今回も同じだと。そう思って、僕は。


「これはバチカル様直々に裁いていただかなくては」

「ええ、そうね。これは重大な事件よ」

「さあロト、連れていきましょう」


 大きく羽ばたいた鳥は、僕の体を足で掴んだ。爪が食い込んで痛む。

 けれど、抵抗してはいけない。それは僕には許されてない。


 城までの間、僕はただ黙って薙刀を握りしめていた。

 へイェに貰った薙刀を、ひたすらに。

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