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もしも一つ願うなら【本編完結】  作者: 庭村ヤヒロ
地底の牢獄 アンディス
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第82話 喪失

 メレクは何も言わない。ただ、黙って目を覆う布に触れるばかりだ。

 しかし、その静寂は長くは続かない。


「……その為にも、僕は仕事をこなさなければならない」

「ええ、そうです。ですから私達の話を……」

「丁寧に、しっかり、『対応』する」


 再びその場から飛び退く。目の前を刃が通り過ぎる。その風圧で揺れた前髪の先がはらりと落ちた。


「たまったものじゃない……!」


 袖からナイフを取り出し、構える。セキヤとヴィルトも武器を取り出した。

 どうする? 話はできるか? いや、話をしようとした結果がこれだ。とても望めそうにない。

 アディシェス、貴方の伝え方が悪かったんじゃないのか。この神官は普段どんな仕事をしているというんだ?

 樹の根本にある血の池が、代わりに答えている気がした。


「ちょっと待ってください! 話を聞いて――」


 次から次へと刃が振り下ろされる。幸いと言うべきか、足場になる岩はかなり広い。逃げ場がないということにはならないだろう。

 しかし、避け続けるのは難しいかもしれない。間一髪で避けた刃が、服に裂け目を刻んだ。


「くっ……」


 相手は神官。下手に手をあげるわけにはいかない。しかし、そうも言っていられない状況だ。

 何せ相手は天上人。まず全力で戦ったとして、勝ち目があるかどうか……。


「その子から離れろ!」


 乾いた銃声が響き渡る。

 当たり前のように避けたメレクは、標的をセキヤへと変えた。


「セキヤ!」


 迫り来る刃から逃げようと、後ろへ下がる。しかし更に一歩踏み込んだメレクの刃は、セキヤの腹を大きく切り裂いた。


「ぐっ……!」


 再び振り上げられた刃は、セキヤの手に握られた銃を真っ二つに切り落とす。

 腹を押さえてうずくまるセキヤを無力化できたと判断したのか、メレクは再びこちらへと顔を向けた。


「私達を殺すつもりですか。一体、何のために?」

「……教えても、意味がない」


 ぼそりと呟いたメレクが強く地面を踏み込み、急加速する。降りかかった刃をナイフで受け止める。響き渡る金属音と共に酷く腕が痺れた。

 どうにか無力化させなければならない。でも、どうやって? どうすれば勝てる?

 本気を出したところで……勝てるのか? 今まで対峙した相手とは訳が違う。じっとりと肌が汗ばんだ。


 視界の端で、ヴィルトがセキヤの治療を行っているところが見えた。これで彼に関しては一安心だ。しかし、だから何だというのだろう? 変わらず切羽詰まった状態だ。


「私は客人であって敵じゃありません! バチカル様から死の丘への立入許可も貰っています……!」

「……僕は『客人の対応』を任された。何を言おうと、従うだけ」


 薙刀を回したメレクは、そのまま強く踏み込んで突き出した。避けきれず、脇腹を掠める。ピリついた痛みが走り、血が滲んだ。


「いつも通りに仕事をするだけ。もう一度……もう一度、へイェに会うために……!」


 振り上げたメレクの刃が目先に迫る。

 体勢が崩れた今、避けることはできない。咄嗟にナイフを掲げ、受け止める。

 天上人の持つ薙刀というだけあって、強靭な素材を使っているのだろう。私の特別製のナイフでさえ刃こぼれしてきた。


 持久戦になればなるほど不利になる。そう分かっていても対抗策を見出せずにいた。


 メレクの連撃は止まない。次々と襲いかかる刃をいなすだけでやっとだ。反撃する暇がない。

 ハッキリとした影もないこの場では、闇魔法の影踏みも使うに使えない。


 ピシ、と嫌な音がした。次の一撃を受け止めた時、通り抜けた刃が胸を薄く切り裂いた。

 後ろに飛びのき手元を確認すれば、ナイフが中央から切断されている。こうなっては、もう使い物にならない。


「く……っ」


 次の一撃を繰り出そうと構えたメレクは、構えを解いて身を翻した。

 突進してきたセキヤの槍が虚空を突く。


「……? どうして、もう回復してる?」

「相手は俺だ、神官」


 セキヤの猛攻を軽々と薙刀で受け止める。まるで意識すらしていないかのように。

 メレクは当たりを見渡し、その目は……ヴィルトを捉えた。


「原因は、あなた?」


 ぽつりと呟いたメレクは、セキヤが振り抜いた槍の上に一瞬留まった。


「は……ッ!?」


 そのまま飛び上がったメレクは、ヴィルト目がけて薙刀を振り下ろす。



「待っ――」


 セキヤが手を伸ばすより先に、地面を蹴る。

 間に合うか? いや、間に合わせるしかない。

 セキヤの手から槍を奪い、そのまま突き進む。


 まるで、時間が引き延ばされたかのようだった。


 振り下ろされた刃が、白い肌を切り裂く様が網膜に焼きつく。


 突き出した槍は、あっさりと弾かれて。


「ヴィルトッ!」


 首を押さえたヴィルトは、目に涙を滲ませながら強く手を突き出した。


 そうだ、彼の力なら。これなら、対抗手段に……!

 そう思ったのが、いけなかったのだろうか。


 彼の手から青い魔力の粒子が溢れるより先に、その腕が切り飛ばされた。


「ヴィルト!」

「……何をしようとした?」


 声にならない悲鳴を上げたヴィルトに刃が振りかざされる。

 その間に入り、刃を受け止めた。ミシリと柄が鳴る。次の一撃を受け止めたら、もう駄目になりそうだ。


 ギリ、と歯を食いしばる。


「ヴィルト、今の内に――」


 ヒュオッ。

 風切り音が耳元を通り抜ける。


「……は?」


 気づいた時には、真横を薙刀の柄が通り過ぎていた。その先を見れば、胸を刃に貫かれた彼がいて。


 私は、何を見ているんだ?

 時間が止まったようだった。刃を引き抜かれ、ぐらりと倒れ込む姿がまるで作り物のように感じて。


 どうして、彼は。

 向けられた殺気で思考は閉ざされ、時が動き出す。


「くっ……!」


 なんとか柄で受け止められたが、吹き飛ばされた上に槍の柄は折れてしまった。

 メレクは腰に下げていたロープの束を切り取ると、慣れた手つきで輪を作り始めた。


 折れた槍を手に飛び掛かる。くるりと体を捻ったメレクから鋭い蹴りが繰り出された。短くなった槍で受け止めるも、再び吹き飛ばされ距離を離される。


 輪を作ったメレクは、ヴィルトの首に輪をかけると縄の先を持って飛び上がった。ダン! と音を立てて着地すると同時に、ヴィルトの体が持ち上がる。

 樹の枝にかけられたロープが、ヴィルトの体を吊り上げていた。ぼたぼたと滴り落ちる血液が、血の池へと注がれる。


 あの血の池は、やはり今までこの神官に殺されてきた人々の、血。

 どこか冷静な部分が分かりきったことを分析する。


 ヴィルトが……殺された……?


「……一人目」


 メレクはぼそりと呟く。振り返った神官の姿が、とてつもなく大きく見えた。

 ……勝てるのか? 頼りの綱でもあるヴィルトが、死んだ。

 悲劇を乗り越えて、強く決意し……戦う意志を持った彼が。こんなにも、あっさりと。

 そして、もしどんな大怪我を負っても……彼の治癒には、もう頼れない。

 死んでしまえば、それで終わりだ。


「……私達は、バチカル様に傷つけるなとまで言わしめました」


 落ち着け。落ち着くんだ。

 震える声を、なるべく均して。ただ事実だけを口にする。


「良いのですか? こんなことをして……バチカル様の怒りを買うかもしれませんよ。一度、冷静になるべきではないでしょうか」


 冷静になるべきは私の方だ。

 沸き立つのは怒りか、恐怖か、それとも……その両方か。

 折れた槍を握る手に力がこもる。空いた手の方は爪が食い込んで痛いくらいだ。


「何を言おうと……どんな特別な『客人』でも、関係ない。僕はただ、仕事をするだけ」


 メレクは刃先を向ける。淡々と、底から冷えるような冷たい声で続けながら。

 その黒い布で隠された目にどんな色が乗っているのか。きっと、ただ一つ……純粋な殺意だけなのだろう。


「あなた達に恨みはない。でも……僕の未来のために、死んでもらう」


 感傷に浸る暇など与えないとばかりに、鋭く磨き抜かれた殺意が牙を剥く。

 ぽたり、ぽたりと落ちる雫の音が、いやに大きく聞こえた。

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